FC2ブログ

08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

スペシャル? 

ネットなどを見ていると、技術者が仕上げたカスタムピアノとかスペシャル仕様というようなピアノがたまに目に止まりますが、これってどうなんでしょう?

外観に関することもあるかとは思いますが、ここでいいたいのは中古ピアノを商品として仕上げたりリニューアルする際に、弦やハンマーなどを純正ではない輸入物のブランド品に交換して、独自の調整を施すことでオリジナルよりもワンランク上の音を目指したというもの。
なるほどという気もしないではないけど、本当に言うほどの効果があるものでしょうか?

マロニエ君も過去に何度かそのたぐいのピアノに触れたことはありますが、おー!と思ったようなことは実は一度もありません。
そもそもその前の状態を知らないし、オーバーホールが必要なほど消耗品類がダメになっているピアノの場合、それらを新しいものに交換しただけでも見違えるようになるはず。
本当にスペシャルと言えるほどの違いがあるのかどうかを確認するためには、新しめのピアノでパーツ交換をしてみることだと思いますが、普通そんなことはしませんから、要するにどの程度の差があるか本当のところはよくわからないというのが実感です。

ハンマーなどは、メーカーによる個性や特徴もあるとは思いますが、それよりも等級というか品質のほうが重要ではないかと思います。
同じメーカーでも安いものから高級品まであり、大事なのはそれぞれのハンマーの品質。

中にはありふれた国産の量産ピアノにレンナーのハンマーを付け、ややダイヤモンド型に整形するだけして「スタインウェイ仕様のハンマー装着」などと書かれ、きっちり手を入れているから実質は世界の名品並みのように変身させているといったような記述を見ることがあります。

もちろんどんなピアノでも使うハンマーは良いものであるのに越したことはないでしょう。
ただ、ピアノの音や性格の根本となるのは当然のことながら設計であり、これで大方の良し悪しや方向性など個性が決まってしまうと思われます。
日本の伝説的なピアノ職人である大橋幡岩氏は、設計図を描いたらそのピアノの音が聴こえてくるとまで言っておられるほど。

設計による根本の器や性格が決まっているピアノに、後からどんなに良質の弦やハンマーを奢ってみたところで、しょせんは気休め程度の変化に留まるのでは?とマロニエ君は思うのです。

いつも書いているように、ピアノを生かすも殺すも技術者と管理しだいという基本は変わりませんが、それは、あくまでピアノが生まれ持っている能力を最良の状態で引き出すということであって、設計そのものの話とは次元が異なります。
設計如何によって各々のピアノ個性や音色や能力は決まるので、ここがやはり楽器としての根本であり、どんなに優秀な技術者であろうとも、設計を凌駕するような魔法みたいなことができるわけでもない。

それほど設計というのは動かしがたいピアノの潜在力と性格を決するものだと思います。
同じ設計の中で、違いが出せる要素は厳密にはいろいろあると思われますが、もっともわかりやすいところでは響板ではないかと思いますし、フレームの鋳造方法などもあるのかも。

響板の良否というのはかなり影響があると思われ、良質な木材を天然乾燥したものと、普及品を人工乾燥したものでは、同じ設計でもかなり音や響きの差がでるのは間違いないと思います。
いい響板だと音に色艶や深味がでるし、伸びがあって柔らか、ボリュームも出ますが、響板の質が劣ると音が人工的で鳴りが痩せていき、スケールの小さい楽器になってしまうのではないかと思います。

ただし、マロニエ君の拙い経験でいうと、基本的な音色や音の性格は、それでも設計に拠るところが大きいのか、材料の質が落ちても、ピアノ全体としての性格や音の傾向みたいなものはあまり変わらない気がします。

同じピアニストが軽くリハーサルで弾いたときと、本番で真剣に弾いた時の差ぐらいで、まあそれも大きな違いといえばそうなんですが、すくなくとも別人が弾くほどの差にはならず、根底は同じところから出てくるものということです。

車でいうと、タイヤやダンパーをちょっと別メーカーのいいものに交換しても、その差はなるほどあるにはあるけれど全体が変わるわけではなく、言ってしまえば自己満足レベルを大きく出ることはないのです。
すくなくとも、腕利きのメカニックがパーツ交換して高度なセッティングをすれば一定の好ましい変化が起こる場合はありますが、だからといって価格が何倍もする高級車並とかポルシェと同等なんてことには、絶対になりません。

ピアノはわかりにくいものだけに、専門家の意見を鵜呑みにしがちですが、それだけに気をつけたほうがいいかもしれませんね。中には技術者自身が素晴らしい良くなったと信じ込んでいるケースもあるので、こうなると判断はいよいよ困難を極めます。


2018/07/14 Sat. 15:24 | trackback: 0 | comment: -- | edit

『羊と鋼の森』 

話題の映画『羊と鋼の森』、そろそろ終わる頃かと思って観てきました。

この作品、とりわけ調律師さんたちには好評のようで、中には普段映画館などまったく行かないような方までわざわざ足を運ばれていますし、しかも一様に好印象(中には絶賛)を得ているようです。
本業の方々からこれだけ評価されるということは、専門的側面だけでも成功といえるのではないかと思います。

マロニエ君は混雑を嫌って、夜の最終回に行ったところ、優に100人以上は入りそうなシアターに観客はわずか5人という貸し切り状態でした。

全体の印象としては、あの原作を映画にすれば概ねこういうことになるのだろうというもの。
調律師という仕事はピアノ芸術の根底を支える崇高なものでありながら、この職業がときおり出くわす理不尽、正しく評価され理解されることが稀な、孤独と誠実の交錯、ときどき訪れるほのかな喜び、そしてまた厳しい現実へと引き戻される様をよく表していたように思います。

個人的な映画の好みでいうと、ぽつんぽつんとしか台詞のない心情描写風の仕立ては、あまり得意ではありませんでしたが、ピアノ好きとしては見逃せないものだから、いちおう楽しむことはできました。
ただ、映画は読書と違って、2時間の中で役者を動かして表現するもので、映画としての構成やテンポが重要なファクターとなり、いったん始まれば監督はじめ作り手の運転するバスに乗せられることになり、その運びや見せ方が見る側の波長や感性に合うかどうか、それにつきるような気がします。

驚いたのは、リアリティの追求なのか映像上の演出なのか、とにかく画面がストレスになるほど暗く、これには閉口しました。
ビデオにでもなったら違うのか、それともあの暗さやピントの甘さは意図されたものなのか、いずれにしろ普段からテレビやパソコンで明るく鮮明な画面に慣らされている身には、この暗さはきつかった。

暗いといえば、それが良かった部分もありました。
調律師達が所属する楽器店の様子で、誇張して云えばニューヨークの下町みたいなレンガ造りで、相当の年月を経てきたらしい建物。通りから数段上がったところに入口があって、中は暗いけれど重厚な空気が漂っていて、いろいろなピアノが無造作に置かれているあの雰囲気はいいなぁと思いました。
できることならピアノはあのような店で取り扱ってほしいもので、今どきのやたら明るくモダンな展示スペース、ガラスと照明でピカピカした店舗などはまるでブティックか車のショールームみたいで文化のかけらもなく、ピアノを見る場所としては本質的に似合っていないと思うのです。
映画の中のあの店は、ある意味、マロニエ君のピアノ店はこうあってほしいという、ひとつの理想に近いものでした。

また、制作の裏事情は知らないけれど、いち鑑賞者としての率直な印象としては、出てくるピアノのどれもこれもがYAMAHA一色であったのはあまりにも不自然で、唯一の例外は外国人ピアニストのコンサートで「我々が触れられないピアノ」としてほんのちょっと出てきたホールのピアノだけ。

まるで日本で普通に使われているピアノはヤマハのみ!といわんばかりで、これはちょっとやり過ぎというか、カワイ系の人達は見ていて愉快ではないだろうと思いました。上記のように調律師の世界や画面の暗さなど、かなりのリアルさに迫っているように見せながら、出てくるピアノはすべてこの一社に統一というのはいかにも仕組まれた印象が拭えず、スクリーンの中にまでトップ企業の抗えないパワーが介入しているようでした。

そのいっぽう、いくつかの音の中には、ヤマハの音の魅力みたいなものを感じる瞬間があり、インパクトのある強めのアタック音からでてくる直線的で生々しい音は、これまであまり意識しなかったヤマハの良さかもしれないという新鮮さがありました。
もちろん映画の音声は別撮りであるのは常識で、よほど入念に調整され、更には電子技術で化粧された特別な音かもしれませんが。

意外だったのは、グランドに関して言えばヤマハの相当古い時代のピアノが多く、比較的新しかったのは姉妹の自宅のピアノのみで、これもまたリアリティなのか。

リアリティで忘れてはならないのは調律師役の俳優陣の職人的なこまかい動き。
みなさんこの映画のために特別な訓練をされたものと見え、かなり忠実に調律師の所作ができているのは驚きでした。とくに主役の山崎賢人さんと三浦友和さんは、調律師特有のいろんな手つき手さばき、ちょっとした視線の向け方、さらには彼らが漂わせる独特の雰囲気までよく研究されていて、それを演技の中で自然に表現できるとは、俳優というのは大したものだなぁと感心させられました。

いずれにしろ、きわめて珍しい映画であったことは間違いありません。


2018/07/06 Fri. 02:21 | trackback: 0 | comment: -- | edit

弱音での調律 

先日、自室のシュベスターで診て欲しいところがあり調律師さんに連絡していたら、出先からの帰りで時間ができたからといって、思ったより数日早く来宅していただきました。

診て欲しかったのは、止音がやや不完全なためにダンパーがかかった後にもわずかに響きが残るというもの。
グランドは上から下にダンパーが降りるので、物理的法則にも適っており、比較的問題が少ないようですが、アップライトでは縦についたダンパーが、縦に張られた弦の振動を止めるために、構造上どうしても無理があり、メーカーを問わずよくある事の由。
これに関しては対策を考えることになり、結論も出ていないので今回は書きません。

ひととおり診た後、ありがたいことに中音域から次高音にかけて手直し程度の軽い調律を自発的にしてくださいました。
ちょっと乱れを整えるという感じで、ずっと会話しながらで、時間的にもそう長いものではありませんでした。

ところがあとでびっくり。
帰られた後、弾いてみるとこれがもうかつてないような、少なくともこのピアノでは初めての、甘くて深みと透明感のある、いつまでも弾いていたいようなとろとろの音になっていたのです。

大袈裟にいうと、ただ指を動かすだけでピアノが勝手に歌ってくれるようで、これには参りました。
いらい数日が経ち、ややその輝きも薄らいできた感じがゼロではないけれど、まだまだその気配は十分残しています。

このピアノを診てくださっている調律師さんは、非常に拘りが強くて丁寧な仕事をされる方ですが、コンサートの仕事をされるだけあって調律にもいろいろなバージョンややり方をお持ちの様子。
ただ、いつもきちんとした調律されるときは、それなりの時間をかけ、調律時に出す音もわりと強めで、基本的にはタッチはフォルテを基調とした調律をされていました。

しかしこのときは、あくまで整え程度だっために、さほど気合も入っていなかったのか、タッチもごく普通のどちらかというとやわらかめでの調律でした。

マロニエ君は、実は、それが良かったのではないかと思っています。
以前、ネットで見た記憶があるのですが、某輸入ピアノのディーラーの調律研修会で、調律というものは突き詰めると、調律時に出す音の強弱やタッチによって結果が大きく変わるということで、調律師はチューニングハンマーだけを回し、音出しは他の人がやるという実験をやっていて、その音の出し方、あるいは別の人が音をだすことで、同じ人でも仕上がりに差がでるというものでした。

それを裏付けるように、某メーカー出身で、ヨーロッパの支店やコンクールの経験の長い技術者の方は、調律時にはpかmpぐらいの小さな音で調律され、フォルテは一瞬たりとも出されません。
はじめは驚き、それで大丈夫だろうかと思いましたが、それで実に見事な美しい調律が出来上がり、この方の調律によるリサイタルも何度か聴きましたが、fffでの破綻もないどころか、平均的なコンサート調律よりむしろ均一感があって、いずれもたいへん見事なものでした。

この方曰く「調律は、そのピアノのもっとも繊細で美しい音によって行うべきもので、可能なら弾く人に音を出してもらいながら調律できるなら、本当はそれがベストだと自分は思う」と言われたのに驚いたものです。

シュベスターがかつてないような美音を出したことが、この時の調律の音の強さにあったのかどうか、確たることはわかりません。
ただ、fやffで調律する人は、それによって破綻しない安定した結果が得られると思っておられるのかもしれないし、実際調律を学ぶ際のセオリーとしてどうなのかは知りませんが、こういうことが起こったということはひとつの事実だと思うのです。

ちなみに電話して、特別なことをされたのかどうか質問してみましたが、それは一切していないとのことで、電話の向こうの調律師さんはこちらが喜んでいるのでそれはよかったという感じでしたが、意外な展開にきょとんとされている感じでした。
マロニエ君があまりワアワアいうものだから、少しは小さい音での調律に興味を感じられたのか、あるいはただご希望通りにということなのか、そこはわかりませんが「じゃあ、今度はそれでやってみましょうか?」と言われましたので、次はぜひそのようにお願いするつもりです。


2018/07/02 Mon. 02:23 | trackback: 0 | comment: -- | edit

映画と特集と名簿 

宮下奈都原作の『羊と鋼の森』が映画化されたことで、最近は何かとこれが宣伝されていますね。

マロニエ君は本が出てすぐに読みましたが、自分がピアノ好きで調律にも興味を持っているからこそ、まあそれなりに読めましたが、あの内容が一般人ウケするとは思えなかったし、まして映画化されてこれほど話題になるなんて、まるで想像もしていませんでした。

映画化どころか、もし自分が小説家だったら、ピアノ調律師の話なんか書いても誰も興味を示さないだろうというところへ行き着いて書かないと思うのですが、近ごろはマンガの『ピアノのムシ』みたいなものもあるし、何がウケるのかさっぱりわかりません。

もしかすると、小説も漫画も映画も、ありきたりな題材ではもはや注目を浴びないので、たとえ専門性が高くても、これまでだれも手を付けてこなかったジャンルに触れてみせることで世間の耳目を集めるということで、ピアノとか調律といったものも注目されているのか…。

雑誌『ショパン』でも巻頭でこの映画『羊と鋼の森』が大きく特集され、その繋がりで調律に関する記事にもかなりページが割かれていた(ように書店では見えた)ので、普段は立ってパラパラしか見ないのに、今月号は珍しく購入してみることに。

ただ、自宅でじっくり眺めてみると、期待するほど濃い内容でもなく、巻頭グラビアでは8ページにもわたって主役を演じた山崎賢人さんのファン向けとしか思えない、同じスタジオで同じ服を着た写真ばかりが延々と続き、そのあとにあらすじ、登場人物紹介、映画の写真館などのページとなり、なにも音楽雑誌でこんなことをしなくてもと思いました。
こういう芸能情報的なページ作りを得意とする雑誌は他にいくらでもあるはずで(知らないけれど)、『ショパン』ではピアノの雑誌としての独自の専門性をもった部分にフォーカスして欲しかったと思います。

映画紹介・俳優紹介のたぐいは実に24ページにもおよび、そのあとからいよいよ調律に関する記事になりました。
しかし、それらはピアノの専門誌というにはあまりにも初歩的で表面的なことに終始しており、見れば見るほど、買ったことを少し後悔することに。

変な興味をそそったのは、特集の最後に調律師の全国組織である「日本ピアノ調律師協会(通称;ニッピ)」の会員名簿が記載されていることで、ざっと見わたしたところ2千数百名の会員が在籍しておられるようでした。

それでついでにこの協会のHPを見ましたが、何をやっている組織なのか部外者にはよくわからないものでした。
会員になるにはまず技能検定試験の合格者であることが求められ、書類審査があり、会員の推薦が必要、その上で理事会の承認を得るという手順を踏んでいくらしいことが判明。
ただ、どこぞの名門ゴルフクラブやフリーメーソンじゃあるまいし、推薦まで必要とは大仰なことで、なんだかへぇぇ…という感じです。
さらに入会金と年会費が必要で、年会費だけでも32,000円とあり、ここに名を連ねるだけでも調律師さんは毎年税金を払うみたいで大変だなぁ…と思いました。

で、単純計算でも会費だけで年間7000千万円以上(HPでは会員約3000人とあり、その場合約1億円!)の収入となりますが、今どきのことでもあり、果たしてどういった運営・運用・活動をされているんでしょうね。
少なくとも、それだけのことをクリアした人は名刺にこの組織の会員であることが書けるということなのかもしれませんが、いちピアノユーザーとして言わせてもらうと、その人の技術やセンスこそが問題であって、ニッピ会員であるかどうかなんて肩書はまったく問題じゃないし、何も肩書のない人が実は素晴らしい仕事をされることもあり、とくに重要視はしません。
むしろあまり肩書をたくさん書き並べる人は、却ってマロニエ君としては警戒しますけど。

名簿の中にマロニエ君の知る調律師さん達の名を探すと、会員である方のほうがやや多いけれど、大変なテクニシャンでありながらここに属さない方も数名おられて、そのあたりにも各人の方向性やスタンスが垣間見られるようでした。
当然ながら、真の一匹狼を貫く方はここには属さないということなんでしょう。

陶器の酒井田柿右衛門が濁し手の作品で、工房の職人さんの描いたものには「柿右衛門」の文字が入るけれど、自身が手がけた作品には逆に何も書かないこと(文字を入れなくてもわかるだろう、真似できるものではないから名を入れる必要もないという自信の表れ?)を思い出しました。

さらにその後のページでは、『羊と鋼の森』の映画の効果で調律師を志す人が増えるだろうという見立てなのか、調律師養成の学校紹介や広告が続きましたが、たしかに映画の影響というのは小さくないものがあるでしょうから、これがきっかけで調律師になろうと人生の方向を定める若者がいるのかもしれませんね。
2018/06/22 Fri. 02:45 | trackback: 0 | comment: -- | edit

OHHASHIの210型 

目的もなくネットを見ていたら、大橋グランドピアノの210cmというのが出てきて、目を疑いました。

しかも、ピアノ店の商品として「販売中のピアノ」ということがさらに意外で、あまりにも思いがけないことでただもうびっくり仰天したわけです。
それは京都市伏見区のぴあの屋ドットコムというピアノ店。
そこの店主自ら動画に登場して1台1台ピアノを紹介し、音まで聴かせてくれるというもので、ピアノが好きな人ならきっと一度は見られたことがあると思われる特徴的なサイトというかお店です。

「はい、みなさんこんにちわぁ。ぴあの屋ドットコムのいしやまぁです!」というおなじみのフレーズから始まるピアノ紹介は、数をこなすうちに腕が上がったのか、もともとなのかわからないけれど、ちょっとした芸能人のようにそのしゃべりは明快でフレンドリー、まるでこちらに直に話しかけられているような手慣れたもの。
ときどき珍しいピアノが登場することがあり、石山さんの演奏で音も聴けるということもあり、ついあれこれと見てしまうことがあります。

不思議なもので、この店の動画を見ていると、まるで石山さんと知り合いであるかのような錯覚に陥ってきますから、それだけ氏の語りがお上手ということなんでしょうし、ご自分の顔を躊躇なくアップで撮影されるところも、独特の親しみにつながっているのかも。
しかも、内容は簡潔、余計なことをくどくど言わず、誰が見てもわかるように必要なことだけを手短かに、しかもたっぷり親しみを込めて話していかれ、しかも営業的な押し付けがましさがないので、まったくストレスにならないのはこの手の動画としては珍しいことでしょう。

この店のスタイルを真似て、さっそくいくつかのピアノ店でも動画で説明・演奏ということをやっているところがありますが、どれひとつとしてぴあの屋ドットコムを超えるものはなく、いかに石山さんの明るいキャラとトーク術が突出しているかがわかります。

大橋ピアノに話を戻すと、この210型はわずか16台だけが製造されたモデルだそうで、これはもうヴィンテージ・フェラーリも真っ青といった希少性ですね。
「奇跡の入荷」とありましたが、たしかにこのピアノに限ってはそれも頷ける話です。
マロニエ君もむろん現物は見たことがなく、大橋ピアノ研究所の本『父子二代のピアノ 人 技あればこそ、技 人ありてこそ』の冒頭でこの210型の前に腰掛ける晩年の大橋幡岩氏が写っている写真で一部を見たことがあったぐらいで、まさに幻のピアノでした。

それがいま目の前の画面に売り物として掲載され、いつものように動画も準備されているのですから、思いがけないところでこの幻のピアノの音を聴くことができることに思わず興奮。
はやる気持ちを抑えつつ再生ボタンを押しましたが、実際にその音を聴いてみるまでこれほどドキドキワクワクしたピアノは他になかったかもしれません。
とりわけ興味があったのは、マロニエ君自身が以前所有していたのがディアパソンの210Eですから、同じ設計者、同じサイズで、片やカワイ楽器による量産品、片や設計者自らが立ち上げた製造所で最高の材料を使って手作りされたスペシャルモデルで、果たしてその音とはどれほど違うのかというところでもありました。

果たして、その音はというと、記憶にあるディアパソンに酷似しており、自分が持っていたピアノとの違いを探すのに苦労するほどでした。
もちろんパソコンを通じての音なので、現物の響き具合とか音量などがどのぐらいのものか…というところまではわかりませんが、ただ意外にそれでも、基本となるものはわかるものです。
全体のトーンはむろんのこと、低音の一音一音それぞれの鳴り方や特徴までそっくりで、設計者が同じというのはここまで似てしまうものかと、寧ろそっちにびっくりしました。

逆にいうと、カワイは、大橋氏の設計をかなり忠実に再現していたことがわかり、その点は素直に感心してしまいました。
聞いたところではディアパソンの名前と設計を譲渡する際、大橋氏は自分の設計に忠実に制作されることを強く望まれたそうですが、その約束は見事に守られていたのだということを、この幻の大橋ピアノの音が証明しているようでした。
音だけでなく、フェルトやフレームの色も昔のディアパソンそのままで、フェルト全体はちょっとエグイぐらいの緑、その中でアグラフに近い部分や鍵盤蓋の下などところどころが赤という、まるでグッチの配色みたいなところもそのままだし、やや緑がかったフレームの金色もディアパソンと瓜二つでした。

また、ディアパソンの一本張りというのは、大橋氏が採用したものではなく、カワイ傘下に入ったあとで追加されたものと聞いていましたが、たしかに大橋ピアノは幡岩氏が自分の理想を貫いたピアノであるにもかかわらず、弦は一本張りではないことも確認できました。
マロニエ君が持っていたディアパソンも一本張りではなかったことから、あれこそ大橋氏のオリジナルスタイルだったんだといまさらのように懐かしく思えました。

強いて違いをあげるなら、音の伸びだろうと感じました。
ディアパソンと瓜二つの音ですが、その減衰の度合いはゆっくりで、さすがにこれは響板(北海道産エゾマツ)の違いがもたらすものだろうと思われました。量産品との違いが一番出るのが響板なのかもしれません。

さて、この超希少な大橋ピアノ210型のお値段は398万円とあり、それをどう見るかは意見の別れるところかもしれませんが、大橋幡岩という日本のピアノ史に燦然と輝くピアノ職人の天才が最後に自らの名を冠したピアノで、しかも総数16台というその希少性からすれば、これはもう「なんでも鑑定団級の価値」があるわけで、安いのかもしれません。

2018/06/01 Fri. 02:20 | trackback: 0 | comment: -- | edit

グランフィール 

ピアノがお好きな知人の方から思いがけない情報をいただきました。
福岡の某ショッピングモールに買い物に行かれたところ、イベント会場で近隣の楽器店によるピアノの展示販売会が行われており、その中にヤマハの中古アップライトにグランフィールを装着したものがあった由。
曰く、タッチはピアニッシモが出しやすかったとのこと。

グランフィールは鹿児島県の薩摩川内市にある藤井ピアノサービスのご主人が考案され、特許も取得されたものらしく、アップライトピアノの構造上やむを得ず制約を受けるタッチを、グランドピアノ並みに改善するための発明…といえばいいのでしょうか。
すでに全国のピアノ店の多くがその取り扱い(正確には取り付け)をしているあたり、どんなものか興味津々でした。

実をいうと、何年も前に藤井ピアノサービスを訪れた際、このグランフィール付きのアップライトに触れたことはあったものの、この時はこの店が保有する珍しいピアノのほうに気持ちが向いていて、アップライトのタッチにあまり熱心ではありませんでした。

しかしここ最近は自室でシュベスターのアップライトを弾くようになり、たしかにアップライトのタッチ感は良いとは言えないけれど、アップライトはこういうものだからと諦めてしまえば、それはそれで馴れていたというのが正直なところ。

そこに飛び込んできたグランフィールの情報でしたので、それはぜひ!というわけで、翌日マロニエ君もさっそくそのモールのイベント会場に赴きました。

何台も並べられたアップライトピアノ(UP)の中で1台だけグランフィールを装着したヤマハの中古UPがあり、さっそく触らせていただきましたが、予想を遥かに超えたその効果にはただもうびっくりでした。
人差し指で、単音を出しても違いの片鱗は感じたけれど、周囲を気にしながらちょっと曲を弾くと、えっ、なにこれ!?
まるでUPとは思えぬコントロール性、音色の落ち着きは圧倒的で、わずか数秒で不覚にも感動さえしてしまったのでした。

情報提供者の「ピアニッシモが出しやすい」というのは、要はコントロールが自在ということで、通常のUPの出す音がどこかもうひとつ品位や深味がないのは音そのものではなく、タッチコントロールが効いていないから、いちいち無神経な発音になっている部分が大きいということが、グランフィール付きを弾いてみることでたちまち解明できました。

UPなのにスッキリした好ましいタッチの感触を知ってしまうと、これまでのUPのタッチは常に無用な重さとクセみたいなものに邪魔されていることがいやでもわかります。とくにストロークの上のほうが重く、そのあとはストンと落ちてしまいまい、そのストンと落ちるタッチから出る音が、UP独特のあのバチャッとした表情に乏しい音なんですね。

ピアノそのものは普通のヤマハの中古UPなのに、タッチがグランド並になっただけで表現力はたちまち倍加され、ひとまわりもふたまわりも格上の、やけに落ち着いた大人っぽいピアノのようになってしまうのですから、いかにタッチがピアノとしての価値や魅力を左右しているかを思い知らされ、とても貴重な体験にもなりました。

正直言って、自分で体験してみるまではこれほどとは思っていませんでしたし、わざわざそんな費用と手間をかけるぐらいなら、スパッとグランドにしたほうがいいのでは?裏を返せばUPはしょせんUP、グランドには敵わない…という思い込みがありました。
しかし、現実にこのような好ましいタッチのUPに触れてみれば、当たり前ですがむろんそれに越したことはないのです。

タッチの変なくせがなくなり自由度が増してくると、そこから出てくる音も決して悪くはないように聞こえるし、逆を言えば、グランドだってはっきりいって貧相な安っぽい音を出すものもあれば、そんなショボいグランドよりずっと威厳のある低音なんかを出せるUPもあることを思い出しました。

ともかく、このグランフィールの効果たるやまったく衝撃的で、できればすぐにでも我がシュベスターに装着したいところです。
しかし、その価格を聞くと20万円(税抜き)からだそうで、その効果は充分わかっていてもちょっと考えてしまう金額なのも事実で、少なくともマロニエ君にとっては即決できるようなものではなく、ひとえに価格だけが足を引っ張ってしまいます。
一部の高価な外国製UPはともかく、対象の多くが国産のUPだとすると、もう1台中古ピアノが買えそうなこの価格がネックとなって、付けたいけれど断念される方が多くいらっしゃるのではないでしょうか?

UPの長所は、自分で使ってみると痛感しますが、なんといってもグランドのように場所を取らないことで、さすがのマロニエ君でも、自室にグランドを置こうなどとは思いません。
なので、スペース的にグランドは無理だけど、タッチや表現にはこだわりたいという人には、これは唯一無二の解決策であるのは間違いないようです。

2018/05/21 Mon. 02:57 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ヤマハの後ろ足 

福岡市の近郊に「東京インテリア」という家具の店がオープンしたというので、暇つぶしに覗いてみました。

ホームページを見ると関東以北には数多く展開しているようですが、西は少なく、愛知県以西では、大阪、神戸、さらに飛んで福岡に開店したようです。
店の外観はずいぶん地味な感じだったけれど、一歩中に入ると店内は予想を裏切るほど広大で、安価な雑貨などを見まわしながらちょっとずつ奥に進むと、次第に価格帯が上がってきて、マロニエ君はさっぱり知らないような海外ブランド専用スペースなどが次々に並んでおり、果たしてここにあるのは廉価品なのか高級品なのか、よくわからないような不思議な感じのする大型家具店でした。

それは実はどうでもよくて、広い売り場の中央を縦に大きく貫くようにして喫茶スペースが設けられており、その一角にはいかにも艶やかな黒のグランドピアノが置かれているのが目に止まりました。
ひとりでに鍵盤が上下していることから、自動演奏付きのようで、新しいヤマハのC6Xでした。
近づくといちおう音は出ていたものの、ふわふわした小さめの音で、おまけに周りはガヤガヤしていてどんな音かはまったくわからずじまい。

マロニエ君は、ヤマハのグランドの中では(Xになる前の経験ですが)C6を最も好ましく感じていたし、特に不思議なのは、C3、C5、C7はピアノとしても血縁的な繋がりみたいなものがあって、似たようなDNAを感じながら奥行きが長くなるにつれ低音などに余裕が出るという自然な並びですが、C6はその系列というか流れからちょっと外れているようで、このモデルだけいい意味での異端的な銘器といった印象がありました。

もしマロニエ君がヤマハを買うとしたら迷うことなくC6です。

ヤマハでマロニエ君が個人的にあまり好みでないと感じる要素が、C6ではずいぶん薄まって、上品で、むしろヤマハのいいところがこの1台に結集しているような印象さえありました。
見た感じも、C6はヤマハの中では大屋根のラインなども最も美しい部類だと思います。

それなのに、なぜかC6は少数派のようで、どれもだいたいC5かC7になってしまい、なかなかC6というのは目にする機会も少ないのです。なので、マロニエ君にとってはC6はヤマハのカタログモデルなのにレア物的な感覚があって、実際めったにお目にかかれません。

それがこんなオープンしたての家具店で遭遇するとは、まったくもって思いがけないことでした。

なんとなく眺めていて気がついたことは、やはり工業製品としての作りの美しさ、高品質感においてはヤマハは立派だと思います。
逆に視覚的に残念な点は、ヤマハのグランドピアノ全般に言えることですが、真横から見ると後ろの足がやや内側(つまり鍵盤寄り)に入った、なんともあいまいな位置に付いており、そのわずかな足の位置のせいで見た感じもやや不安定でもあるし、ボディが鈍重に見えてしまうことだと思いました。

その点では欧米のピアノは、知る限りほとんどが後ろ足はもっと後方ぎりぎりに寄せた位置にあるので、視覚的にも収まりがよく、伸びやかでカッコよく見えますが、ヤマハはその位置のせいでちゃぶ台の足みたいになり、せっかくのフォルムがダサくなってしまっています。

ステージで見るヤマハのコンサートグランドも、遠目にもわかるほどボテッとしていて、スマートさというか、コンサートグランド特有の優美さがありません。
バレリーナでいうと、ロシア人と日本人のような差がありますが、なにも日本製だからといって、ピアノまで日本人体型にしなくてもいいのではと、いつも非常に残念に思うところ。

その点でいうと、カワイの後ろ足は横から見ても、ヤマハほど内側に入っていないので、ずっと国際基準のフォルムだと言えるでしょう。
が、しかし、カワイは足そのものの形状がメリハリに欠けており、そっちのほうでずいぶん美しさをスポイルしていると思います。

ついでにいうと、ファツィオリやベヒシュタインはボディ形状は決して美しくはないけれど、足の位置は適切でしかもスーッと伸びているから、それでかなり救われている感じです。

おいおい、楽器は音を出すモノで見てくれなどは関係ないこと、くだらない!とする向きもあるでしょうが、マロニエ君は断じてそうは思いませんし、何であっても「見た目のデザイン」というのは決して疎かにできない、とても重要なものだと思います。

花瓶ひとつでも、ただ花が活ける機能があればいいというものではなく、その姿や微妙なバランスがとても重要であるように、ピアノも楽器としての機能性能が第一なのは言うまでもないけれど、加えて視覚的な美しさ、デザインの秀逸さは絶対に大切だと思います。

2010年、CFXの登場を皮切りに、ヤマハのグランドはディテールのデザインが大きく変わりましたが、後ろ足の位置については以前のままで、何であんな位置にこだわるのか不思議でなりません。



2018/05/11 Fri. 02:28 | trackback: 0 | comment: -- | edit

趣味の焦点 

連休中のはじめ、ピアノ好きの知人の方が遊びに来られました。

主にピアノにまつわる話題が多かったけれど、それ以上に普段電話やメールではできないいろいろなムダ話が落ち着いてできたのが良かったなぁと思います。
実用的なやり取りなら通信手段には事欠かない現代ですが、やはり人との交流を育むには、会ってゆっくり話をすることに勝るものはなく、これがあまりにも省略されすぎることが、人と人との関係がカラカラに乾いてしまう大きな原因ではないかと思います。

現代人は、短い連絡はしきりにするけれど、落ち着いた会話をする機会や時間が激減したことは如何ともし難いことだと思います。
これはハイテクの進歩とビジネス社会の流儀が、それではすまない領域にまで蔓延したことによる弊害でしょうか。

相手の顔を見て、あれこれおしゃべりして回り道している中に、実は最も大事なものが含まれていると感じますし、それが自然と心に沈み、後に残っていくように思います。
昔はそれが当たり前だったので、ごく普通に出来ていたことなんですけどね。

そもそも人との関わりというのは、実用的伝達さえできたら済むというものではなく、むしろ実用以外の一見無駄と思えるようなところに人間的真実の核心があると思うので、マロニエ君はどんなに時代が変わっても、そこだけはなんとか踏ん張って大切にしていきたいと思います。

せっかくなのでピアノを弾いてくださいと言っても、手を横に降ってちょっとやそっとでは弾こうとされません。
こういう遠慮がちな態度に、日本人だけのDNAにある美徳を見るようで、なにやらとても懐かしい気がしました。
ピアノをなかなか弾かれないそのことというよりも、その背後にある、日本人の心の深いところにある慎みや恥じらいなどのセンシティブな精神文化に、久しぶりに触れられたことがとても心地よいものに感じられたように思います。

とはいえ、このままではキーに一切触れることなく帰られてしまうと思ったので、強く何度も奨めた結果、苦笑しながらしぶしぶピアノの前に座ってシューベルトやドビュッシーの小品を弾かれました。

演奏というものは不思議なもので、技術の巧拙とは一切関係なく、その人の人柄はじめいろいろなものが音に乗って出てくるものです。
このとき耳にしたのは、いやな色のまったくついていない、人知れず咲いている清楚な花のような、静けさと愛情に満ちた演奏でした。
音楽がとても好きで、ピアノを弾くことがとても楽しく、それを穏やかに実践している人のぬくもりがあり、ピアノや音楽、さらには趣味というものがもたらす豊かさを再確認させられた気がします。

ピアノと見ればがんがん弾きまくるのも楽しさのひとつなのかもしれませんが、マロニエ君はやはりこういう在り方のほうが自分の好みに合っています。
弾くばかりがピアノではなく、聴くことも、知ることも、語ることも、ピアノの魅力だと思うのです。

そんな価値観を共有できる人達との交流がクラブやサークルのような形をとってできたらいいと思うのですが、それがピアノの場合は至難です。
鉄道ファンが鉄道を語るように、自動車マニアが自動車談義に興じるように、何かの蒐集家がモノや情報を持ち寄って仲間と楽しい時間を過ごすように、ピアノでも同様のことができたらと思うのですが、ピアノにはそれを阻む数多くの壁があるようです。

その壁とは何か…それはまあ書かないでおきます。

2018/05/05 Sat. 02:48 | trackback: 0 | comment: -- | edit

翌週は… 

前回書いたテレビ番組『恋するクラシック』の翌週の放送も見てみました。

今回は印象的なメロディで親しまれ、さまざまなジャンルにも用いられるベートーヴェンの悲愴の第2楽章が冒頭で取り上げられました。
オリジナルのピアノ演奏は前回と同じく佐田詠夢さんによるものでしたが、今回はやや残念なことに「月の光」のときのような好印象ばかりというわけにはいかなかった気がします。

全体に歌いこみが浅く、作品の実像や深みという部分では足りないものが随所に感じられ、どちらかというとアマチュアに近い感じの、軽いデザートみたいな演奏でした。
これがこの方のピアノのスタイルなのかも知れず、それが前回は「月の光」というフランス音楽でたまたまマッチしていたのかもしれません。

さて、今回はそのことを書こうと思ったのではなく、意外な発見をしたのでそれを。
この演奏時、通常の譜面立てではなく、角度をより寝かせた感じの見慣れぬ譜面台が使われていたので、おそらくひと通りの練習と暗譜はできているんだけど、まったく楽譜なしではやや不安という時などに、こういう楽譜の置き方をするのだろうと推察。

音符のひとつひとつをしっかり見るわけではないので、きっちり楽譜を立てるほどではないけれど、視線の先に楽譜があれば演奏の道しるべになって安心でもある…というほどのものでしょう。
またその程度のものなら、通常より寝せて視覚的にもあまり目立たないほうが聴くほうにもありがたいのは言うまでもありません。

しかし、これは普通はあまり存在しない、水平よりやや起きた程度の角度であるし、そもそも譜面台そのものがノーマルのものとは別物だったので、おそらく手製のものかなにかだろう…ぐらいに考えてさほど気にも止めていませんでした。

しかし、色は黒のつや消しで、手前と奥にはそれぞれカーブがついていたりと、簡単に日曜大工でできるようなものではなく、それなりに本格的に製作されたような感じです。
そんなとき、カメラが斜め上からゆったりと動いていくシーンのときに、思わぬものを発見!
その見慣れぬ譜面台の右の隅には、うっすらと金の文字で「FAZIOLI」と書かれていたのです。

ということは、FAZIOLIがこのような譜面台も製造しているのだろうと、とりあえず考えました。
でも、使われているピアノはスタインウェイのDで、その中にFAZIOLIの文字があることがとても奇異な感じに映りました。
まあ、たかだか譜面台ですから、役に立つなら何を使おうといいといえばいいわけですが、世界のコンクールなどではあれだけ熾烈な戦いを繰り広げているライバル同士でもあることを少しでも知っていると、やっぱり違和感はありました。

ただ、いずれにしても、譜面台にまでわざわざFAZIOLIのロゴを入れる必要があるのかというのが率直なところで、それだけ自社の名を徹底して書いておきたいということかもしれません。


後半はヴァイオリニストの松田理奈さんが登場し、イザイの無伴奏ソナタの一部と、フランクのヴァイオリン・ソナタの第4楽章を演奏されましたが、演奏後の司会の小倉さんの質問に、いともあっさりと、これらの曲は「それほど難しいというわけではない」ということが暴露され、これはマロニエ君も大変意外でした。

とくにイザイの無伴奏ソナタは、どれもいかにも演奏至難なヴァイオリン曲という強烈なイメージがありましたし、マロニエ君はヴァイオリンはまったく弾けないので、「エエッ、そうなの?」と単純に驚くばかりでした。
曰く、いかにも難しそうに聞こえるけれど、イザイはヴァイオリニストでもあったので意外に弾きやすいかたちに書かれているとのことだったし、フランクのほうでは、ピアノのほうが圧倒的に音数も多く、「演奏はピアノのほうが大変だと思います」とあっけらかんとおっしゃったのには、演奏家なのにえらく気前のいい発言をする人だなぁと妙に感心しました。

佐田詠夢さんもピアノ弾きとしての虫がつい騒いだのか、「私もこの曲を弾いたことありますけど…難しいですよね」と発言する場面もありましたが、マロニエ君は、この方とフランクのヴァイオリン・ソナタがどう考えても結びつきませんでした。

2018/04/20 Fri. 02:36 | trackback: 0 | comment: -- | edit

月の光と革命 

民放のBSで『恋するクラシック』というタイトルの、クラシック音楽をネタにする番組があることを発見、さっそく録画してみました。

司会は小倉智昭氏と佐田詠夢さんという女性で、番組そのものはクラシック音楽を身近で親しみやすいものにするためか、使われた歌やドラマから紹介するなど、とくに印象的な内容ではないと感じました。
ただ、ひとつだけそう悪くはないと思ったことが。

ドビュッシーの「月の光」をその司会の佐田詠夢さんが演奏したのですが、これが思いがけずきれいでした。
まったく知らないタレント風の人ですが肩書にはピアニストとあり、調べてみるとさだまさし氏のお嬢さんとのことで、へーという感じ。

ピアニストとしてどうかという事はさておいても、まあたしかにまったくの素人というレベルではなく、本格的にピアノを学んだ人のようではあり安定した技術をお持ちでした。
しかし、驚いたのはむろんその技術ではなく、彼女の「月の光」が新鮮さをもった鑑賞に堪える演奏だったことでした。

一般的に「月の光」というと、必要以上に夢見がちに、デリケートに、淡いニュアンスを意識して過度な演奏をする人がほとんどですが、佐田さんの演奏にはそれがなく、全体にやや早めのテンポで、無用な感傷を排した、すっきりした演奏だったところにセンスを感じました。
特に後半は、輝く音の粒が流れ下るようで、ちょっとアンリ・バルダの演奏を思い出すような、要するに目先のお涙頂戴ではないところで、この美しい小品を魅力ある音楽として聴かせてくれたのは意外でした。

趣味のいい、野暮ったさのない演奏だったと思います。
この曲はアマチュアにもよく弾かれる、悪く云えば手垢だらけになってしまった作品で、プロのピアニストでも「月の光」で聞く者の耳をその音楽に向けさせることは簡単なことではありません。
これぐらい有名曲ともなると、「あー、またこれか」という意識が先に立ってしまうもので、そんなマイナスの意識を引き戻して、本来の美しさを聴かせるということは至難です。

それ以外の演奏はどうなのか…聴いたことがないのでわかりませんが、少なくとも「月の光」は洒落た演奏だったと思います。

ところがその直後、番組ではプロのイケメンピアニストという人が登場。
プロなので名を伏せる必要はないのだけれど、あえて書かないことにします。

手始めにショパンの「革命」を弾かれましたが、これがもうコメントのしようもないもので、直前の「月の光」の美しい余韻はあとかたもなくかき消され、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされてしまったような印象でした。
これほど有名な曲なのにまったく曲が聴こえてこないし、ただ音符を早く(しかも雑に)弾いているだけで、強弱のつけ方もアーティキュレーションもまったく意味不明の、ただのがさつスポーツのような弾き方。
…というか、本物のスポーツのほうが実はよほど緻密で、それなりの丁寧さもデリカシーも必要とされるのではないかと思います。

音楽家というより、いわゆるテレビに出るためのひとつの指芸ということかもしれません。

その後、ピアノからゲスト席へ場所を移して、小倉氏の問いかけなどに導かれるまま、今どきのトークを妙に馴れた感じで展開。
すると、非常に優しげなソフトな語り口ではあるし、話の持って行き方や聞かせ方も巧みで、少なくともゴトゴトしたピアノよりトークのほうがよほどなめらかで、なんだかとても皮肉な感じでした。
内容はほぼ自分の自慢であったけれど、基本的に穏やかかつ低姿勢で、表面的な言葉づかいやマナーが悪くないために、スルスルと言葉が進み、ちゃっかり言いたいことを言ってしまって、しかも悪印象を抱かれないで終わりという手腕に、呆れるというか感心するばかりでした。

これを「話術」というのであれば、この人はピアノよりよほどトークのほうが(それも数段)お上手だとお見受けしました。この方は、ご自分のトークのようにピアノを弾いたら、それだけでずっと良い演奏になると思います。

話のあと再びピアノの前に座り、ラ・カンパネラを演奏されましたが、いたたまれない気分になり停止ボタンを押しました。

2018/04/16 Mon. 02:50 | trackback: 0 | comment: -- | edit