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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

パイクのベートーヴェン 

韓国ピアノ界の巨星ともいうべきクン=ウー・パイク。
この人の演奏するプロコフィエフのピアノ協奏曲全集やブラームスの第1協奏曲にマロニエ君はすっかり惚れ込んでしまって、彼が2005年から2007年にかけて作り上げたベートーヴェンのピアノソナタ全集を購入すべく探していることは、以前このブログに書いたばかりでした。

どういうわけか他の演奏者のように、どこの店でも取扱いがあるわけではなく、結局アマゾンで見つけて購入することに。ほどなく届き、はやる気持ちを抑えつつ、最初の一枚をプレーヤーに投じました。

この全集は9枚組で、曲は番号順に並んでいますから、一枚目は第1番ヘ短調から始まり、9枚目の最後は第32番で終わるということになります。
果たしてこれまでのクン=ウー・パイクの数々の名演からすれば、とくだん輝いているようでもない普通の感じでのスタートとなりましたが、いくら聴き進んでも一向にパッとしない演奏であることに否応なく気づきはじめました。
第4番から始まる2枚目でそれはある程度明確になり、3枚目の第7番や悲愴などの茫洋とした演奏を耳にするにいたって、それは甚だ不本意ながら確信へと変わりました。

もちろん曲によって多少の出来不出来があるのは致し方ないとしても、月光の第3楽章では、ある程度のpもしくはmpで上昇すべきアルペジョを、力任せにフォルテで駆け上るに至って、なんだこれは!?と思いました。
このころになると、はっきりと裏切られたという現実を認識していましたが、とりあえず軽く一通りは聴かないことにはせっかく安くもないセットを買ったことでもあり、悔しいので途中棄権はせず、敢えて最後まで聴き続けることにしました。

田園などは比較的よい演奏だったとも思いますが、テンペストや期待のワルトシュタインなども一向に冴えのないただ弾いてるだけといった感じの演奏でした。熱情では急に第3楽章のみやたらとテンポが速くて、これも大いに不自然でしたし、テレーゼなども優美さがまったく不足していました。

後期の入口であるop.101は比較的良かったとも思いますが、続くハンマークラヴィーアでは再び、ただ色艶のない重い演奏に終始します。
9枚目の最後の3つのソナタも、美しいop.109、感動のop.110はあまりに凡庸な演奏でしたし、最後のop.111でも特に大きな違和感や疑問を感じるような演奏ではないものの、これといって酔いしれるようなものではない、ごくありきたりな感じで、この作品が持つ精神的な崇高さをとくに感じることもないまま、ついには9枚のCDを聞き終えました。

ただし、だからといってパイクが他の曲で聴かせた名演の数々を否定するものでもありませんので、これはマロニエ君としては演奏者と作品(この場合は作曲者というべきか)との相性の問題だろうと考えたいところです。今にして思えば、この人はどちらかというと協奏曲(それも大曲、難曲の)に向いているような気もします。
そういえばフォーレのピアノ曲集も高い評判をよそに、マロニエ君の耳には、大男が無理にデリケートな演技をしているようで、ただ眠くなるばかりの演奏だったことをこの期に及んで思い出しました。

ちなみにこのディスクはデッカからのリリースですが、以前も書いたように、この名門ブランドとはちょっと思えないようなモコモコした、まるでクオリティを感じない音しか聞こえてこないことも併せて残念なことでした。
CDの成功は、演奏もさることながらその音質に負うところも大きく、その点でもこの全集ははっきりと失敗だったとマロニエ君は個人的に考えているところです。

最近のパイクのCDがグラモフォンからリリースされているところをみると、デッカの音質ゆえの移行なのかもしれないと、あくまで想像ですけれどもかなり自信を持って思っているところです。

それにしても一枚物のCDでも失敗は良い気分ではないところへ、9枚組のベートーヴェンのソナタ全集がまるごと失敗というのは、さすがに残念無念がズシッと重くのしかかります。
再び手にすることがあるかどうか…ハァ〜です。

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2012/03/31 Sat. 01:23 | trackback: 0 | comment: 0edit

ピアノマニアが福岡へ 

「ピアノマニア」という文字通りピアノ好き必見のドキュメンタリー映画が公開されます。
http://www.piano-mania.com/

シュテファン・クニュップファーという、かつてスタインウェイ社で一番と言われた(らしい)ドイツ人調律師を中心に描く、オーストリアとドイツの合作で、マロニエ君もぜひ観たいと思いつつ、なにしろ超マイナー作品のようで、上映も東京・大阪などの、極めて限られたところでしか行われていませんでした。

まさかこれひとつのために泊まりがけで出かけるわけにもいかず、こういうことが東京・大阪の特権かと思っていましたが、なんと、ついに福岡へもやってくるようです。

1月の東京での封切りから現在まで、かろうじて大阪、静岡(浜松があるから?)、名古屋で上映されていたようで、福岡が5番目の上映都市となるようです。

そのうちDVD等ではチャンスがあるかもしれないとは思いつつ、劇場で観るのはほとんど諦めていただけに望外の喜びです。

上映日時は下記の通り。

場所:KBCシネマ
3月31日(土):14:15
4月1日(日):14:15
4月2日(月):14:15/18:30
4月3日(火):14:15/18:30
4月4日(水):14:10/19:10
4月5日(木):14:15/18:30
4月6日(金):14:15/18:30

4月7日以降は未定、延長もあるとのことですが、はじめの一週間の客足によって決するということかもしれません。普通はまずこんな映画を観る人はいないでしょうから、ともかく地元で見られるだけでも御の字です。

2012/03/29 Thu. 02:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

不燃物処理事情2 

昨日の燃えないゴミ問題は、後半やや話が脱線しましたが、一般市民にとっては、以前なら普通にタダで処理できていたものが、なんでも有料となり、ものによってはチケットまで購入させられて、さらに引き取りの日時の予約をするなど、とかく手間暇がかかります。

もちろん、ゴミ問題は社会の大事なので、これが有料化されたり物によってはリサイクルの対象とされるところまではやむを得ないことだと思います。

しかし気持ちのどこかで納得できないものがあることも事実で、そんな折、我が家の燃えないゴミが持ち去りにあったところから、あることが閃めいてしまいました。
ゴミとして回収処分される前に、そんなものでも欲しいと思う人の手にすんなり渡るとしたら、それは別に問題ではないだろうと思ったのです。不燃物の回収日に現れる小型トラックの人達は、あれこれと廃品を物色しては必要な物を次々に荷台に放り込んでは立ち去っていきますので、これはもしかしたら、不要な物は門前に置いておけば、場合によっては持っていってくれるかもしれない…と。

まず先月の回収日、マロニエ君宅のガレージには友人のものも含めて、交換済みの車のバッテリーが3個あり、どれもきちんとした紙のパッケージに入っていますが、これを3つ重ねて置いていたところ、果たして翌朝、それらはそのまま同じ場所に置かれたままでした。
やはり自分の考えが甘かったのかと思って、早々にガレージ内に戻しました。

その後ガレージ内の大掃除をして、たくさんの燃えないゴミを控えて、続く今月の回収日を迎えたわけです。
指定の袋に入れたものはそれでいいわけですが、問題は大きく重い鉄の棚枠が二つでした。
これはまさか袋に入れてポイというわけにもいかないので、通常の回収は諦めていたのですが、再挑戦のつもりで夜になってから、ものは試しとばかりにもう一度ゴミと並べて出してみることにしました。前回のバッテリーと違うのは、それぞれに「ゴミです」と大書した張り紙をしておいたことでした。

誰も要らないようなら、またガレージに引っ込めればいいと思ったのです。
これらを門前に出して、夕食を済ませた後、気になったのでなにげなく表を見に行ったら、なんと!その鉄枠だけがものの見事に姿を消していました。門前に置いてからわずか1時間ほどの間の出来事でした。おかしな話ですが、このときマロニエ君はえもいわれぬ不思議な「感動」を味わってしまいました。
やはり自分の直感は間違っていなかったのだと思い、それらは鉄製品ですから、どこかに目方売りなどされるのだろうと思いました。

これは大変なことになった(笑)と思って、さらに続けてバッテリーとフロアジャッキにも「ゴミです」という張り紙をして続けて出しました。
深夜、再び見に行ったときには、やはりこれらもいつの間にかなくなっていて、誰かが自分の意志によって持ち去ったようでした。

そしてさらに感心させられたことは、前回3個の箱入りのバッテリーが持ち去られなかったのは、マロニエ君が廃品であることを明示しなかったからで、彼らにしてみればただそこに置いていただけなら泥棒になる、という区別をキチンとつけたらしいという点でした。
こういうところにも我らが日本人の気質と徳の高さが如実に現れているようでした。
これがもし外国だったら、外に出した途端(欲しい場合は)張り紙のあるなしなど関係なく、何のためらいもなく誰かが持っていってしまうのが当たり前だろうと思います。日本はさすがですね!

それにしても、不必要な物が必要とする人の手に渡っていく。こういう廃品の処理方法もあるのだということを知って、これはこれで立派なリサイクルではないか…というような気がしましたが、こじつけでしょうか?
2012/03/28 Wed. 02:03 | trackback: 0 | comment: 0edit

不燃物処理事情1 

このところ数日をかけて、ガレージ(慢性的な物置と化している)の大掃除を何年ぶりかで行いました。
ガレージという性質上、そこから輩出されるゴミは大半が「もえないゴミ」ということになります。
市が指定している専用のビニール袋に入れて月一回の回収日に出せば大半は問題なく処分できますが、中にはとうていそんなものに入れるわけにもいかない…というものがあります。

たとえば大きな鉄の棚枠とか、大型の室内用フロアランプ、もう使わない大型の油圧式ジャッキ、交換済みのバッテリーなどはとても市の指定の袋には入りませんし、無理して押し込んだところで、たちまち切れたり破れたりということになってしまうでしょう。

さて、以前も書きましたが、燃えないゴミの回収日は、外が暗くなると、表の道は、にわかにリサイクル業者のような人達が軽トラックに乗ってひっきりなしに往来をはじめます。
以前驚いたのは、出していた我が家のゴミを、市の回収業者が来る前に、袋ごと持ち去られてしまったことでした。袋の中は空き瓶や空き缶を中心としたもので、べつに見られて困るようなものはありませんでしたが、そうはいってもなんとも不気味な思いをしたものでした。

彼らはマンションのゴミ収集場所などに躊躇なく入って行き、欲しい物だけを手に戻ってきては、それをポンとトラックの荷台に投げ入れて足早に去っていきます。一晩中これが繰り返されて、あたりは変な賑やかさに満たされるのです。

これ、ひとくちに言うと、彼らは具体的になにを欲しがっているのかまではわかりませんが、とにかく自分達が欲しいと思うものを探し求めてあちこちを回っているようで、その行動力は妙に腰の座ったものがあるように見受けられます。
再利用できるもの、あるいは資源ゴミになるようなものをどこぞに持ち込んで売りさばくのだろうとは思いますが、それ以上のことはわかりませんし、住民としても捨てたものである以上、その行方がどうなろうとも別に知ったことじゃないというわけです。

もちろん世の中には、何事にも厳格で口うるさい人がいますから、こういう事にも異議申し立てや抗議をするような人もいるかもしれませんが、マロニエ君としては我が家の不必要なものが普通に処分できるのであれば、それ以上の不満も文句もありません。

以前驚いたのは(他県でしたが)テレビニュースの特集で、古紙の回収日に市の指定業者以外の個人レベルの人達による古紙類の持ち去り問題が取り上げられ、それこそ何日も地域に密着し、画面にはモザイクをかけながら、えらくご大層に取材していましたが、そのテレビ局の扱い方は、古紙の持ち去りがまるで万引き犯や泥棒を追跡するのと同じようなニュアンスで、これには甚だ首を傾げました。

古紙などは、出す側にしてみれば、邪魔なものが処理してもらえればそれで御の字であって、回収している人が誰であるかなど考えたこともありません。行政の担当者はマイクを向けられて「古紙の処分代も市の貴重な財源です!」などと尤もらしく言っていましたが、見ている側はどうにももうひとつ同調できません。

いくら「持ち去り」などと言葉ではいってみても、もとの所有者はそれらをゴミとして捉えて集積場所に出した以上、すでにその所有権を放棄したわけですから、それを指定業者以外の個人が持ち去ったといってさも大事のごとく糾弾するような性質のものだろうかと思いました。
そんなことを何日も物陰に張り付いて取材する暇があったら、たとえ地方であっても腐りきった役人や政治腐敗、あるいは民間企業であってもそこらに転がっているはずの許しがたい不正行為など、本当に社会問題と呼ぶにふさわしいものこそ存分に取材しろと言いたくなりました。

…以下続く。

2012/03/27 Tue. 02:17 | trackback: 0 | comment: 0edit

格闘技系? 

岡田将ピアノリサイタルに行きました。
福岡の出身、名前は以前から聞いていて、テレビで少し演奏に触れたことはあったものの、実演に接するのは今回が初めてでした。

曲目はベートーヴェンの月光ソナタ、ショパンの3つのマズルカ作品50、バルカローレ、リストの超絶技巧練習曲から1、2、4、5、8、ハンガリー狂詩曲第2番、アンコールは愛の夢と英雄ポロネーズというものでした。
当初は超絶技巧練習曲は全12曲が予定されており、マロニエ君としてはこれが目的で行ったようなものでしたから、曲目の変更を知ったときは大きく落胆しましたが、まあそれは仕方がありません。

岡田氏はテレビではしっかり感のある技巧派という印象があり、実際にも背丈などはそれほどではないものの、がちっとした体型と存在感のある人で、徹頭徹尾、予想以上に重量級のエネルギッシュな演奏を繰り広げました。

第1曲の月光第一楽章の出だしからして、ちょっと粗いなぁという印象があり、ちょっと自分の趣味ではないことにまずは戸惑いましたが、聴き進むうちにこれはこれでこの人の在り方なんだということが分かってきて、それなりに楽しんで聴ける自分を取り戻すことができたように思います。

とりわけ後半のリストは、いかにもこの日のメインという風情で、かのリスト本人のコンサートがそうであったように、あまりに凄まじい熱演に弦が切れるか、ピアノが壊れてしまうのではないかというような地響きのするようなフォルテッシモの連射で、いやはやその技巧と体力だけでも大したもの!という感じでした。

ピアノの演奏芸術を聴くというよりは、ほとんど格闘技でも見ているような感覚で、フェイスもややそれ系の印象がありますね(笑)。まさにオトコのピアノでした。
何事も中途半端はいけませんが、ここまでいくと何か突き抜けたものがあり、そのパワフルな演奏を単純に楽しむことができたのは自分でも不思議に笑ってしまいました。
なんというか、別の感覚でステージを楽しんだという点では退屈もせず、妙な疲労感も覚えず、愉快に帰ってくることができたわけで、こんなコンサートもあるのかとひとつ感心させられました。

最近の世の中は、何事にも元気のない、しょぼしょぼしたものばかりしか見あたりませんが、そんな中で久しぶりに景気のいい、どえらいものを見せて聴かせてもらった気がしました。たしかに音楽的には異論反論はありますが、単純にあのパワーと元気は人を快活にするものがあり、昨今の淀んだような病的な空気ばかり吸っていると、なにか無性に溜飲が下がる思いでした。

お客さんを率直にこういう気分にさせるという点では、岡田氏もさすがは福岡の出身なのかと思えるようで、妙にもってまわったような暗くて意味深な演奏をしたり、だらだらとおざなりなトークで時間稼ぎするようなこともなく、話もサクサクと短かめ、演奏も明快な豚骨味みたいな率直さで、まるで美味しい街の定食屋で餃子や揚げ物などしこたま食べて満腹したような心地よさと爽快感がありました。

このコンサートの主催が日本ショパン協会九州支部(たしか事務局がカワイの中にある)だったためか、ピアノはあいれふホールにわざわざシゲルカワイのEXを持ち込んでの演奏会で、思いがけずあいれふホールのあの独特な強い響きの中でSK-EXを聴く機会に恵まれたわけですが、どう聴いてもマロニエ君の好みではありませんでした。

これは、この日一日だけの印象ではなくて、ホールやピアノ(もちろんピアニストも)が変わってもカワイピアノに共通した印象があって、コンサートで聴くカワイの一番の問題は、音に深みと色気がないこと、別の言い方をすると音に収束性がないことです。
大味で透明感がなく、どこか雑然と割り切ったような音しかしないのは、まさに味のない日本車みたいで、カワイのファンとしてはこれは非常に残念なことだと思います。

家庭用サイズではかなりの高みに達しているかに思えるSKシリーズですが、ことコンサートグランドに関しては、残念ながら及第点に未だ到達せずという印象は拭えません。
これは早急になんとか手を打って欲しいところです。

2012/03/25 Sun. 02:06 | trackback: 0 | comment: 0edit

楽器を弾く権利! 

過日、知り合いのピアニストと食事をした折に、留学時代のヨーロッパの様子など、いろいろおもしろい話を聞かせてもらいました。

驚いたことはドイツやオランダなどは、都市部でも賃貸の物件が少なく、家賃も決して安くないためにこれを確保することがまずもって一苦労だということでした。
とくに学生などは数人でのルームシェアは当たり前だそうで、そのスタイルが逆に社会人の間にさえ広まりつつあるのだとか。はじめは屋根裏部屋のようなところもあったらしく、賃貸物件など供給過剰で空室があふれる日本とはまるきり事情が違うようです。

ピアノで留学しているにもかかわらず、自室にピアノがないことさえあったらしく、アップライトでも確保できたら良しとしなくてはいけないのも、単純にずいぶん厳しいなぁ…と思ってしまいます。
裏を返せば、勉学というものは困難な状況で努力奮闘することも、却って気合いが入るものかもしれませんが。

逆に驚いたのは騒音問題で、この点は、日本は厳しいどころではない、極めて神経質に取り扱われる深刻な問題になっていて、アパートやマンションのような集合住宅ではほとんどが事実上の禁止状態に近く、多くのピアノ弾きの皆さんが最も困難を感じ、周囲には格別の気を遣っておらる最大の問題です。
当然、中にはそれが引っ越しの動機にさえなるほどの、まさに胃の痛くなるような問題に発展することも珍しくはないようです。
ピアノをはじめとする楽器の音は、周囲の人達にとってはとにかく不愉快な騒音だという大前提があるので、その中で曜日や時間帯に気を配りながら、身をすくめるようにしながらピアノを弾いている人が大半ですから、例えヨーロッパといえども、それなりの配慮が必要な問題だろうと思っていました。

ところが、ドイツではなんと人々は楽器を演奏する「権利」があるのだそうで、1日3時間は楽器の音を出しても良いという決まりになっているというのですから、彼我の文化の違いにはただただ唖然とさせられました。
これはまず、音楽に対する本質的な愛情の持ち方が、根底から違うのだなあというのが率直な印象でした。
そのピアニスト氏によると、アパートの隣室の老夫妻などは「むしろどんどん弾いてくれ」とまで言われたのだそうで、おかげで夜もかなり遅くまで気兼ねなく弾くことができたといいます。

そのかわり、午後の1時から3時までは「ルーエ・ツァイト」といって、この時間帯はできるだけ音を出さず、みんなが静かに過ごす時間帯なのだそうで、その時間だけ音出しを控えれば、あとは日本のような楽器の騒音問題は事実上ないに等しいのだそうです。

これはもはや良し悪しの問題ではなく、さすがドイツは音楽の中心国だと、ただただ感心する他ありませんでした。
日本人がわずか百年余の間に、まったく文化背景の異なる西洋音楽をものにして高度な演奏を可能とし、優れたホールや楽器がいくらあまねく整ったなどと言ってはみても、所詮はこういう一般市民の根底に流れている意識レベルが違うということは、これぞまさに歴史と文化、それが染み込んだ土壌というものの違いをまざまざと思い知らされるようでした。

もちろん、かくいうマロニエ君とて、もし自分がマンション暮らしで、近隣からのピアノの音に連日悩まされたら、音楽云々以前に閉口するとは思いますが…。

2012/03/24 Sat. 02:14 | trackback: 0 | comment: 0edit

掃除機2 

掃除機の機種選びが始まりました。
電気店などに行ったときの店員さんの話によると、国内メーカーでは掃除機は圧倒的に日立なんだそうで、もちろんそれ以外のメーカーも製品でも大きく性能に差があるわけではないが…ということでした。

また、掃除機にはサイクロン式と紙パック式という二つの大きな流れがあり、まずこれをどちらにするか選択する必要がありました。
サイクロン式の良いところは吸引力が強力で、遠心力でゴミと空気を分けるので排気がきれいという点があるようで、その反面フィルターの掃除や頻繁なゴミ捨てが必要となり、この点で簡便な紙パック式が人気があるともいいます。
いっぽう紙パック式はゴミをパックごと捨てればいいという点はたしかに便利なのですが、排気が臭うことと、純正紙パックは想像以上に値段が高くて、とても毎回ポンポン取り替えるようなものでもないようです。そうなると汚いゴミを掃除機内に残したままにもなるわけで、それはそれで気持ちが悪いので、やはり自分にはサイクロン式が向いているように思いました。

サイクロン式ということには決まったものの、どこのメーカーのどれにするというのを見極めるのは種類も多くてうんざりです。こういうときに大いに参考にもなり役立つのが口コミサイトで、これを見ていると、売れ筋や長所短所がわかりやすくまとめられていて大助かりです。

あれこれと調べた結果、購入したのはけっきょく日立のサイクロン式で、品番などは忘れましたが吸引力が強力とされるもので、ユーザーの評価でもこの点では軒並み最高点を取っている製品です。
しかも現在使っている掃除機(これも偶然日立のサイクロン式)の購入時よりも価格が安くなっている点も予想外に嬉しい点でした。

届いた箱を開けると、全体にこれまでのものより遙かにしっかりしているし、蛇腹状のダクトなどもひとまわり太い作りで、見るからに逞しそうな感じがしました。さっそく試しに使ってみると、その強引とも言いたくなるような強力な吸引力には惚れ惚れさせられました。
先端のブラシもガンガン回って、まるでラジコンカーのように自分から先へ先へと進むので、むしろ右手は軽くぴっぱるぐらいの感じなのにはびっくりしました。以前の機種も同じですが、なにしろパワーが圧倒的に違いました。
軽く部屋を撫で回した後、ゴミを捨ててみると、なんと従来のものよりも格段にゴミ捨てが簡単になっていて、フィルターの掃除などもほとんど必要がないぐらいなのは、技術の進歩とはこういうものかと感動しました。

ここまで簡単であるならば、マロニエ君にとってはいよいよ紙パックである必要はなく、つくづくそちらにしなくてよかったと思いました。微細な塵に関してはティッシュペーパーを挟んでおく方式で、これはサンヨー電気が先頭を切った方式らしく、その後、三菱や東芝、日立などが続いたとそうです。
これによりフィルターの目詰まりが劇的に軽減されたようで、これまで掃除機をかける度にマスクをして付属ブラシでフィルターの掃除をしていたマロニエ君にとっては、嫌な作業から解放されてまったく夢のようです。

楽器と違い、家電はやはり新しいほうが文句なしにいいようです。
ヘッドがダメになった古いほうは、車内の掃除用にガレージに掃除機が欲しいと思っていたところで、本体は健康だし回転ブラシのヘッドは要らないので、ちょうどいい塩梅に収まるべきところへ収まりました。

2012/03/22 Thu. 01:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

掃除機1 

ネットが便利なことはいまさらですが、たとえば製品の性能や特徴の比較など、経験者による口コミの書き込みが多いことも購入者にとっては大いに役立つところです。
とりわけ電気製品しかりで、あまりにも多種多様である製品の中から、自分にとって好ましい一台を選び出すというのは、従来ならよほどの人でないと難しい事でしたが、これもネット情報のお陰で、一気にかつ網羅的に調べることができるようになりました。
我が家で10年近く使っている掃除機が、先端のブラシ回転部分の性能低下によって、変な音は出るわ性能は落ちてくるわで、これをいよいよ買い換える必要に迫られました。

近ごろは時代も変わったのか、男が数人集まっても掃除機の話題などが出ることもあり、数年前まではダイソンが掃除機界の革命児のようにもてはやされた時期がありました。その秀でた性能はもちろん、イギリスの会社の製品と云うことや、いかにも日本的ではないそのデザイン、さらには価格もたいそう立派なものであることから、これが一時期特別視されていたように記憶しています。

マロニエ君も一時はこのダイソンの購入を考えたことがありましたが、店頭でテスト機をちょっと手にしてみると、どうも評判ほど素晴らしいとは思えませんでした。もともと掃除が好きなわけでもなく、できるだけ強力かつ楽で簡単に掃除ができる機種が希望(大半の人がそうだと思いますが)でしたが、ダイソンはまずなによりも機械が大きく重く、それだけでもこのマシンを使いこなすイメージができなかったのです。

その後は、日本人向けかどうかは知りませんが、より小型のものが発売されたようですが、それでもとくに魅力的には映らず、値が張る割りにはどうもしっくりこない製品だと思っていましたが、その後はこの高級掃除機のユーザーの声などが聞こえてくるようになり、それらはマロニエ君の直感通り、実はあまり芳しいものではなかったのです。
代表的な意見としては、独自のサイクロン式による吸引力が最後まで変わらないとされる点も、実際にはそれほどの性能は認められないばかりか、やはり重く大きいぶん操作がしづらい、疲れるというような体験談があちこちで散見されるようになりました。

それでも、ダイソンはやはりそれだけの実力のある掃除機だろうと思いますが、もしかすると欧米と日本では、生活様式や住居の広さなどが違うので、日本人が日本で使うという場面ではあまり本領を発揮しない掃除機なのかもしれません。

このダイソン、かなり購入を考えたところまで盛り上がっていたこともあり、その実情を知るや、すっかり醒めてしまって、同時に掃除機の買い換えそのものまで沈静化していまい、以来また数年間そのまま古い掃除機を使い続けることになってしまいました。

いうまでもなくマロニエ君はピアノは好きでも、家電マニアではないので、基本的には掃除機なんてふつうに使えればそれでじゅうぶんなので、家にある掃除機がとりあえずまともに動いている以上は、それでいいや!という感覚でもありました。

使っている掃除機が壊れたら、あるいはよほどこれだというものが出てくれば、そのときは買い換えようというわけです。そうしてついに我が家の掃除機が、ヘッド部分から悲鳴のような異常音を発するに至り、買い換えを余儀なくされる事になり、機種選びが始まりましたが、これで大いに役立ったのが冒頭の家電ネット情報というわけです。

2012/03/21 Wed. 01:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

久々に… 

先週末は、はからずもクラブの活動らしき事を行うことができました。
といっても大げさなものではなく、ごく内輪で食事に行くことになったところからたまたま発展して、新たに入会の連絡をくださった方にも声をかけたところ参加されることになったものです。

参加者は4人、ピアノ好き2人とピアニスト1人、そして楽器メーカーの営業の方1人という布陣で、この顔ぶれだけでもけっこう面白いものだと思いましたし、このぴあのピアが目指した(といってもずいぶん昔ですが)クラブ理念に近いものになったような気がします。

それはプロアマを超越したところにあるピアノを軸とした人間関係の構築であり、本来はもっとこういう交流が盛んになればと思うのですが、なにぶんにも狭い業界の中でいろいろな柵(しがらみ)が網の目のように絡んでいて、そうそう表立ってそういう場所に顔を出せない方も多くいらっしゃるようです。

しかし、このような自分の立ち位置の異なる人達が顔を合わせることによって、お互いに普段知ることのない情報の交換ができるわけで、とても有意義な一日だったと思います。もちろん「有意義」などという真面目くさったことをいうまでもなく、まず単純に楽しかったし、それが最も大事なことだと思いますが。

個別具体的な話の内容は障りがあるのでここでご紹介することはできませんが、やはり仕事の現場というのはどさまざまなことがあるもので、いろいろな人や状況を相手にしなくてはならず、大変だなあ…というのが偽らざるところでした。まあそれはどんな業界にも共通したことで、ことさら楽器業界だけが抱える問題というわけでもないとは思いますが…。

聞いていてため息が出たのは、お付き合いのある教室や先生へのサービスとして、発表会などの折には休日返上でお手伝いに行くというのが業界では常態化しているのようで、なんと、先生のほうからその旨の依頼がある!というのは、いやはや呆れた実情です。
いうなれば人の弱みにつけこんだサービスのたかりのようなもので、別に正義漢ぶるわけじゃありませんが、マロニエ君は昔からこういうことが猛烈に嫌いです。

お医者さんの奥さんが、ただ友人達とどこかへ遊びに行くのに、出入りの製薬会社の人&車を使って遠方まで出かけては、丸一日彼女達に対して奉仕させるとか、デパートの外商担当者に交通事故の後始末までさせるとか、大手の量販店で自前の店員の不足分をメーカーの営業マンなどを売り場で働かせていたなど、要はこれ、弱い者イジメであり、薄汚いゴミみたいなちっぽけな権力の行使にすぎません。

学校や教室で少しばかりそこのメーカーのピアノを使っているからといって、その売買はとうの昔に完了していることなのに、いわばそれを元ネタにして、延々とメーカーの人達が発表会だ何だとお手伝いをさせられ、しかも休日返上でそれをやらされるという現実…。
そのようなまったく筋の違う人達に無償奉仕など頼まなくても、先生達も複数いらして充分に人の手はあるはずなのに、本当にイヤな慣習です。

これだから先生と名のつく人達の中には、相手になんのメリットも対価も与えきれないくせにやたら人使いだけは荒くて、世間からある意味で敬遠され嗤われてしまう人が少なくないのだと思います。
人間関係の根本にあるものはギブ&テイクという原理原則が、まるきりわからない人達です。

それでも営業という立場にある以上、文句も言わずにサービスにこれ努めなくてはいけないわけで、こうなると本当に大変だと思います。

もちろん楽しい話もたくさんあり、いろんな興味深い話を交わすことができて、やはりピアノはいいものだと思いました。
というわけであれこれと話は尽きず、つい深夜まで話し込んでしまいました。
2012/03/20 Tue. 02:02 | trackback: 0 | comment: 0edit

値下げ品争奪 

土曜の午後、行きつけのスーパーに食料品の買い物に行ったときのこと。

精肉売り場の前にある、割引品のコーナーに商品が多数投下されて、販売員の女性が割引の赤いシールを貼り始めました。はじめは誰もいませんでしたが、シールを貼り始めたのを察知してか、一人の女性が近づいてきてその大きなボックスを物色しはじめました。

すると一人、また一人と人が寄ってきて、あたりはたちまちちょっとした人だかりができました。
集まってきたのは全員が女性でしたが、シールを貼っている店員さんは、あっという間に両側をお客さんに挟まれて、その人達があまりにもゴソゴソと商品を物色するので、作業さえスムーズにできない状態に陥ったのです。

とくに最近の特徴だと思うのは、それがスーパーであれデパートであれ、ふつうのお店でもそうですが、人の身体の前に手だけをぐーっと伸ばして目指す物をゲットするというやりかたです。
これまでなら、人が何かを見ていれば、とりあえずその人がいる場所は暫定的にその人の空間となり、そこから何かを取りたいときは、その前に人がいなくなってから手を伸ばすというのが暗黙のマナーのようになっていたように思いますが、ここ最近はこの良き習慣はまったく失われたように思います。

人がいようがいまいが、自分が欲しい物がそこにあれば横からぐいぐい手を伸ばして、取りたい物をガッツリ取るということで、これは本来あまり愉快ではない行為だと思いますが、個人の問題ではなく、風潮としてみんなが当然のようにやり始めますから、とてもじゃありませんがかないません。

さて、そのスーパーの精肉割引品のコーナーはというと、その女性店員の前には無数の「手」が上下左右から伸びてきてゴソゴソうごめいているサマは、反対側から見ると、ほとんどヘンタイ的な動きに見えてしまいました。
しかも不気味なことは、これだけ人がいて、みんな必死に値下げ品を物色しているというのに、人の声とか笑顔というものがまるでなく、ただただ無言でラップで覆われた商品がプチプチゴソゴソと触れ合う音だけが静かに聞こえてくるということです。

どの人も、一様に競争心もあるのか大真面目な表情をしていて、こういっちゃなんですが、人間はとても浅ましい生き物だということを如実に見せつけられるような気になって、つい見物してしまいます。
もちろんマロニエ君とて、値下げ品でも処分品でも、あれば喜んで手に取ってみるし、それを買って得したと思うこともしばしばですが、あの無言の争奪戦みたいな状況、ピリピリした緊張にあふれるあの動物的な感じだけはちょっとついていけませんし、この状況の中へ敢えて自分も身を投じる気にはなれません。

いつごろからかは知りませんが、日本人は昔以上に暗くて陰気な民族になり果てたような気がします。
ネットやテレビなどでは、みんないかにも明るく立派なことばかり言いますが、その実、我欲はますます先鋭化されて、そのための勝負心はより白熱したものであることをひしひしと感じるのは、これこそ社会の光りと陰のような気がします。

尤も、ある人に言わせると、人の内面が時代とともに荒れ果てて汚れているからこそ、上辺の言葉は立派なことばかりいうのだそうですが、たしかにその心理構造も納得させられます。

2012/03/19 Mon. 01:28 | trackback: 0 | comment: 0edit

レインセンサーの害 

「便利が不便」ということがよくありますが、いま使っているワープロソフトなども親切設計のつもりだろうと思われることが、却って使用者の自由がきかずに煩わしい思いをすることがあったりします。

最近痛感したのは、ある車のフロントウインドウを見たときで、昼間はまったくわからないものの、夜、対向車や街中の光を通して見ると、一面に昔のレコード盤のようにワイパーによる掻きキズが入っていて思わずゾクッとしてしまいました。
古いくたびれた車ならそういうこともあるとは思いますが、その他の部分はとてもきれいな車だっただけに、フロントウインドウの夥しいキズはいっそう目立っていました。

小雨だったこともあり、その原因がその車に装備されているレインセンサー付きのワイパーにあることは明瞭で、ほぼ間違いないと思われました。
レインセンサーというのは、普通の間欠ワイパーの機能を表向きは進化させたもので、ガラスに装着されたセンサーが雨滴の量などを感知して、それに応じてワイパーを動かすというシステムなのですが、これがマロニエ君は大嫌いです。

その理由は、やたらめったら必要もないのにワイパーが動きまくって、しかもその動きに一定のリズムがないので気分的に落ち着かないことと、たいして水滴もないのにワイパーがせわしなく動くことで、じわじわとガラスにキズを付けてしまうというわけで、なにひとついいことがありません。

そもそもマロニエ君はキズの付いたフロントウインドウというのが性格的に我慢できません。
先に書いたように昼間はほとんどわかりませんが、ワイパーの過剰使用によるガラスのキズは実は深刻で、だいいち夜間の安全運転の妨げにもなると思われます。

一般的な認識で言うと、ワイパーはゴム製品で、相手はガラスなので、これを普通に使うぶんにはキズが付くなんて考えたこともない人が大半だろうと思いますが、これが実は大間違いなのです。
車のワイパーは高速道路などでも使えるように、ガラスへの圧着力はかなり強いものでもあり、作動スピードもかなり速いので、ガラス面に水滴がじゅうぶんあればそれがクッションになってまだいいのですが、雨が少なければ単なる摩擦運動になるだけです。

よく見かけるのは、ほとんど雨は降っていないのに、赤信号中で停止中などもワイパーを動かしっぱなしにして平然としている人ですが、マロニエ君にしてみればあんなのは他人事ながら見ているだけで気になって仕方がありません。

レインセンサー付きのワイパーはこういうことを避けて、適宜必要なときに必要なだけワイパーを動かすというシステムであるはずですが、その設定プログラムはどのメーカーも過剰過敏に動かしすぎて、却って車に害を及ぼしているということです。あれなら従来の間欠ワイパーのほうがよほど単純でスッキリしていたように思います。

もうひとつ気をつけなければならないのは、意外に思われるかもしれませんが、ワイパーのゴムの部分というのは、実はボディを洗車するよりも頻繁に掃除しなくてはいけない部分だということ。
というのは、このゴム部分には常に小さな砂やホコリが蓄積されており、とりわけ野外駐車の車ではそれが激しいようですが、そういう目に見えない砂や鉄粉みたいなものをゴム部分にしこたまのせたまま、雨が降るとワイパーのスイッチが入り、ガラス面を猛然と往復しはじめます。
もうおわかりと思いますが、こういうことの繰り返しによってガラスには無惨なワイパーの掻き傷が徐々に増えていくわけで、ガラスの傷はいったんついてしまうと、とてもシロウトの手におえるものではなく、専門の業者に依頼して研磨してもらうか、最悪の場合はガラスごと交換するしかありません。

こうならないためには、ワイパーのゴム部分を濡れ雑巾で拭いてきれいにしておくことと、必要以上にワイパーを作動させないという心得があればすこぶる効果的です。マロニエ君は昔からこれを忠実にやっているので、十年以上乗った車でも、ワイパーによる掻き傷はまずありませんし、これはそんなに大変なことでもないのでオススメです。

ガラスがきれいというのは安全にも役立つし、無条件に気持ちがいいものです。
2012/03/17 Sat. 01:45 | trackback: 0 | comment: 0edit

かけこみ需要 

つい先ごろ発売されたばかりの新しいシゲルカワイのカタログを入手しました。
カワイの営業の方がコンサートのチケットを届けに寄ってくださるついでに、新型のカタログが欲しいとお願いしておいたのです。

今回の新モデルでは、なんとピアノの全長が全5モデルにわたって2cm長くなっています(SK-5のみ3cm延長)が、どうやらそれに伴って鍵盤延長という楽器の根本に関わる改良が行われているようです。
一般にフルコンが弾きやすいとされるのは、その豊潤な響きもさることながら、長い鍵盤にもその大きな要因があるといわれていますが、それは指先が弾いた位置から支点までの距離が長いぶん、微妙なコントロールの幅があるというセオリーに裏付けられています。

鍵盤の奥の長さはふだん目に見える部分ではありませんが、小さなグランドほど鍵盤から支点までの距離が短くなり、コントロールの可能性という面においては不利になることは否めないわけですが、これを新SKシリーズでは全機種にわたってその長さを延長するというのは、単なる既存モデルの改良では済まない、ピアノの基本的なサイズ変更にまで及ぶことで、これはかなり大がかりで思い切ったモデルチェンジと言えるのだろうと思われます。

それだけメーカーが本気でこのピアノの改良に取り組んだということでもあり、それだけ価格も概ね10~15%値上がりしていますが、これだけ根本的に改良されたモデルチェンジならば納得できるものだという気がします。

これだけのことをやられたら、さぞかし従来型のSKシリーズのユーザーは心穏やかではないだろうと思われましたが、マロニエ君を最も驚かせたのは、なんと、この機に値上がり前の旧モデルの新品在庫品を求める声がかなり強かったという…?!?…な話でした。
もちろんモノを買うときに、(とりわけ高額商品では)出費は高いより安いほうがいいことはわかりますが、それはあくまでモノが同じである場合の話ではないかと思います。
単純な値上がりというのならわかりますが、これほど本格的にテコ入れされた新モデルの登場によって発生する値上がりであるなら、そこには相応の根拠というか裏付けがあるわけで、もし自分が「新品のSKシリーズ」を購入する立場であったなら、そんな時期にわざわざ旧モデルを買おうだなんてたぶん思わないでしょう。

レギュラーモデルではなく、敢えてSKシリーズを買おうというような人が、なぜ新モデルは値上がりしているのか、その理由をまったく知らないとも考えにくいのですが、やはり値上がりするということから、その内容云々よりも今のうちに駆け込み購入しようという単純な消費者心理が働いてしまうものなんでしょうか?
値上がり前に買っておけば何か得するような気分になっているのだとしたら、お米やバターじゃあるまいし、この場合はちょっと驚きです。繰り返しますが、その得するというのはモノが同じだという前提のもとでしか成り立たないと思います。

たしかに最低でも26万円、SK-7では実に84万もの値上がりではありますが、どっちみちもともと安いものでもないし、どうせ思い切って買う一生ものに近い高額なピアノであれば、へんなところでケチって悔いを残すよりも、妥協のない良いものを手に入れたいとマロニエ君なら思います。
とくに今回は、先に述べたように鍵盤の長さやボディサイズという、あとからではどうにもできない明瞭な違いがあるのであれば、マロニエ君だったら絶対額よりもその実質のほうを重視すると思います。
値札の数字ではなく、真実お得なのは何かという問題です。

本当に欲しいもので、それだけのお金が出せるのなら、そこで一割ぐらい上がっても、変更された内容を考えれば大した問題ではないような気がするのですが…。

すでにショールームにはSK-2とSK-3がきているとのことですから、そのうちちょっと触りに行ってみたいと思います。
2012/03/15 Thu. 01:46 | trackback: 0 | comment: 0edit

自転車の横暴 

昨日の午後、車を運転中のこと。
幹線道路から斜めに道が折れる信号のない交差点があるのですが、そこを曲がろうとしたところ、まったく突如として猛然と走ってきた自転車と危うくニアミスになりました。

マロニエ君は自慢ではありませんが、ここ最近は車を運転をしていて最も注意していることは何かというと、それは一にも二にも自転車に尽きるといっても過言ではありません。
最近の道路で、この自転車ほど傍若無人で恐いものはなく、日頃からそれを深く心に刻んでいますので、いささかも気を緩めることなく注意をしています。

それはもちろん自転車の為でもあるけれども、正直を云うと、車はどんなに自分が正しくても、いったん自転車なんかと接触事故が発生しようものなら「加害者という名の被害者」にさせられるという理不尽きわまりない立場に立たされるという認識を持っているからです。
要するに、こう言っては身も蓋もありませんが、何よりも「自分のため」に自転車には過剰なぐらい注意をしているのです。

そんなマロニエ君ですが、このときはそれらしい自転車の姿はなく、ゆるゆると車を斜めに左折させようとしたところ、まるで鳥のようなものすごいスピードの自転車が後方から突如現れて、マロニエ君の車とその自転車が一瞬ですが避け合ったという次第でした。
曲がる前にそんな自転車の姿は認知できませんでしたから、きっと直前に脇道から急に出てきたのかもしれません。
もちろんこちらも徐行に近いスピードでしたから、ただちに停車したのはいうまでもありません。

果たして、その無謀なる自転車に乗っていたのは40歳前後の欧米人男性でした。
お互いに危険回避して止まっただけでしたが、その男性はいきなりこちら側にまわってきて、窓を開けろと云うゼスチャーを両手ではじめました。
そのまま無視して走り去っても良かったのですが、そういうことは好きではないのでとりあえず窓を開けると、その欧米人男性はいきなりマロニエ君の車のドアミラーを指先で鋭く小突きながら「ココヲヨクミテクダサイ!」と云いました。

街中の歩道であるにもかかわらず、まったく無茶苦茶な乗り方をしたのはどっちだ!と思い、「はあ!?」と問い返すと、さらに重ねてまたミラーをコンコン小突きながら「コ、コ、ヲ、ヨ、ク、ミ、テ、ク、ダ、サ、イ!」と言うではありませんか。
語尾に「ください」はついていますが、口調としてはいかにも昂然とした調子で、まるで自分は一切悪くないというニュアンスでしたからこちらもさすがにカッときて「大きなお世話!」といって車を発進しました。

次の交差点でミラーを見ると、汚い指先で小突きまわされたおかげで、ミラーはあらぬ方向を向いており、よほど不潔な身体だったのか、見るも汚ない指紋だらけにされてしまっていました。

自転車の無謀運転はここ最近の日本人の悪しき特色かと思っていたら、それをも上回るこんなアホな外国人がいるとは、驚くとともにしばらくのあいだ不快感が収まらずにムカムカしてしまいました。
人にミラーを見ろなんて云う前に、自分こそ少しは周囲の安全に配慮しろと思いましたね。

ましてやよその国に来ておいて、何たる思い上がった態度かと呆れかえるばかり。
まったくバカとしか云いようのない逆ギレ外国人との出会いでした。

それはそれとして、あらためて気を引き締めて運転しなくてはと再認識した次第です。

2012/03/14 Wed. 01:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

ニュウニュウ 

中国はいまやピアノ&ピアニスト大国という一面を持っているようです。

おそろしく指がまわるという意味では、ユジャ・ワン、ラン・ランをはじめとする現在の中国勢は圧倒的なものがあると思われ、指芸人とでもいうべき運動能力と、その鍛えられたメカニックという点では大したもんだと思いつつ、どこか上海雑技団的すごさしか感じられず、マロニエ君としては音楽家本来の価値と存在理由を感じさせる人は、これまでの中国人ピアニストではほとんどいなかったというのが偽らざるところでした。

すくなくともその人によって奏でられる音楽に耳をすませ、心を通わせたいと思わせるピアニストは、マロニエ君の趣味に照らしては、中国人ピアニストには該当する人がいないというのが率直な印象です。

ところが過日のBSプレミアムで放映されたニュウニュウの演奏は、そういう中国人ピアニストへのイメージを払拭させる、初めてのものだったのは嬉しい驚きでした。

佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏会で、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲の2曲を演奏しましたが、知的で品がよく、すみずみまでキチッと神経の行き届いたまったく見事な演奏で、音楽的にもマロニエ君の知る限り稀有な中国人ピアニストだと思います。

ニュウニュウは以前このブログで書いた「ピアノの島」があるアモイ市の出身のようですから、まさに出るべき場所から出た天才だということなのかもしれません。
12歳のときに録音したショパンのエチュードは、ピアノの状態も録音も優れない上に、演奏自体もやや若さにまかせた未熟さが感じられてもうひとつ感心しませんでしたが、あれからわずか2年、音楽的にもすっかり深まりを見せていたのは、いかにこの少年が着実な成長をしているかということを物語っているようです。

これら2つのきわめて技巧的な曲をまったく危なげなく、豊かな音楽性にあふれ、しかも知的な抑制もきいた演奏をしたのは、これまでの中国人とは一線を画したクオリティの高さだったと思いました。内容のある演奏をする人にふさわしく、その演奏時の雰囲気や凛々しく引き締まった表情にも、いかにも内側から滲み出るものが溢れ、ただのびっくり少年とはまったくわけが違います。

しかも彼はまだ14歳!なのですから、その天才ぶりも第一級のものでしょう。
この歳にして、彼は極めて高い集中力を保ちながら、演奏を通じて音楽そのものに一途に奉仕している姿が非常に印象的でした。
その類い希な天分もさることながら、彼を教える教授陣の優秀さも証明されているようです。

ニュウニュウの秀演とは対照的に、兵庫芸術文化センター管弦楽団というのは初めて聴きましたが、今をときめく佐渡裕氏のタクトをもってしても、力量不足は覆いようもなく、ニュウニュウが弾いている以外の曲になると、申し訳ないけれどもちょっと聴こうという意欲が湧きませんでした。
冒頭のプルチネルラ(ストラヴィンスキー)も、こんな踊りと勢いにあふれた曲なのに、活気も喜びもなく、どうしようもなくテンションが落ちてしまうのはなんとも残念でした。

というわけで、ひたすらニュウニュウひとりを聴くためのコンサートだったようで、今後おおいに注目すべきピアニストの一人にリストアップすべきだと思っていた矢先、今年の夏には福岡でもリサイタルをするようで、ぜひ聴きに行きたいものだと思っています。

2012/03/12 Mon. 01:44 | trackback: 0 | comment: 0edit

タワーレコードが 

ある意味で最も恐れていたことのひとつが穏やかながら起こりました。

天神のCDショップの中心的存在であったタワーレコードが10日ほど閉店して改装中とありましたので、単純にリニューアルしているものとばかり思っていたところ、再開して店内に入ってみるとほとんど何も変わっていないことに「おやっ」と思いました。
クラシックの売り場は最上階の5階ですので、いつものように3階からエスカレーターに乗って上階に向かったところ、なんと4階から上のエスカレーターは止まっていて、乗り口に小さなロープが張られており、「これより先は関係者以外はご遠慮云々」の札が立っていました。

そうです、主にジャズとクラシックの売り場だった5階は無くなったということをこのとき察知しました。
そこですぐに思ったのが、売り場の統合で、4階売り場を見渡してみると、向こうの奥まったところに「CLASSICAL」の文字がかろうじて見えました。「ああ、やはり…」と思いつつ、すぐにそっちへ行きましたが、果たしてずいぶん狭苦しい感じになって、クラシックというジャンルそのものはかろうじて残ってはいたものの、これまでのような広々した売り場と落ち着いた雰囲気は見事になくなってしまったのです。

棚の高さは以前よりもいくぶん高めのものになり、品揃え自体は極端に減らされたという印象ではありませんでしたが、これまでのゆったりとした売り場は召し上げられて、階下で他のジャンルとルームシェアさせられてしまったという印象は拭えません。

たしかに平日などはいつ行ってもがらんとしており、これだけの天神の一等地でそれに見合った収益をあげているようには思えなかったことは事実でしたし、いつの日か悪い方へと状況が変わるのでは?という思いは頭のどこかにあったので、まあ考えようによっては店そのもの、あるいはクラシックというジャンルじたいが撤退してしまわなかったことを良しとしなくてはいけないのかもしれません。

それはわかっているのですが、先日はさすがにいきなりだったもので、失望感のほうが大きく、ちょっとCD散策してみようかというような気分がすっかり失われてしまって、とりあえずは詳しくは見ないまま踵を返しました。
ちかいうちに再度行ってみて、気持ちを切り替えて詳しく見てみることになりますが、たしかにこれだけネットが発達して、音楽ビジネス自体も曲のダウンロードなど、CDという商品を購入すること自体も少なくなっているそうですし、わけてもクラシックなどはすっかり少数派になってしまっていますから、経営側にしてみればやむなき判断だったのだと思われます。

単純な話、これまでは3つのフロアでやっていた商売を、2つのフロアに圧縮してしまったというわけですが、たしかにあの広さの賃貸料だけでもたいへんなものだったと思われます。

以前は、天神には他にもHMVや山野楽器はじめいくつものCD店があちこちにあって、さて今日はどれに行こうかな?なんていう余裕に満ちた感覚だったものですが、いま思えば遠いむかしの夢のような時代だったということのようです。
2012/03/11 Sun. 01:19 | trackback: 0 | comment: 0edit

省エネ運転の効果 

省エネ運転についてマロニエ君の経験から…。

これでも人並みに省エネ運転にはいろいろ挑戦してはみましたが、結果を言うと現実的にはかなり効果が薄いと言わざるを得ないのが率直なところです。

例えば燃費を良くするためには、アクセルを少し踏んでソロソロと加速するということが巷間いわれますが、これもよほど効果的にやらないと、街中などでは逆にいつもアクセルを踏んだ状態が長引いて、常に小さな加速をしているという時間ばかりが増えてしまいます。
加速をするということは、巡行時よりもエンジンのより強いパワーを必要とするので、このときにガソリンを多く使うのはたしかにその通りでしょう。しかし、アクセルの踏みしろばかりを浅くすると、例えば静止状態から時速50キロまで到達するのにもより時間がかかります。
こういう運転ばかりしていると、よほどの田舎道等ならいいでしょうけど、ゴー&ストップの連続である市街地などでは車はいつでも絶えず加速している状態で、これじゃあ一向に燃費が良くなるとは思えません。

そこで燃費などまったく気にせずに、ごく普通に運転して、発進時にはアクセルも普通に踏んでみると、当たり前ですがサッと加速するから、あとはほとんどアクセルは踏むか踏まないかの巡行状態に入ります。このサッと加速してあとは一定速度に入るというのも、決して燃費が悪いわけではなく、結局省エネ運転をしてみたときとほとんど燃費に変化らしい変化はあらわれませんでした。

これは例えば一部の軽自動車などが、小さなエンジンに対して重く大きなボディを背負いすぎて、エンジンはいつも休みなく過大に働かされて、結果として期待とは程遠い消費燃料を要するということと同じような理屈だろうと思います。

やはり本当の省エネ運転というのは、エンジンの出力やトルクカーブをなどの科学的根拠に基づいた上で、その車の性能に合わせて、最も合理的・効率的な運転をしたときに効果が出るのであって、素人がただケチケチ気分で省エネ運転をやってみても、実際にはほとんど効果らしい効果はないとマロニエ君は自分の体験からみています。

また、マロニエ君の友人には大学の先生で毎日のように遠方の数箇所の学校へと東奔西走しているロングツアラーがいますが、彼はいわゆる省エネとは真逆の運転であるのに、その燃費は意外にもいいのです。聞いてみると高速でも一般道でも、アクセルを踏むときは大抵ガンガン踏んでいるといいまますが、それでなんと下手な省エネ運転よりよほどいいぐらいの燃費を叩き出しているのですから、現実というのはえてしてこんなものだということです。

要は省エネといっても、ただアクセルをちびちび踏むことだけではない、合理的な速度や無駄のないメリハリのあるアクセルワークによる運転をすることが最も現実的で、それこそが理にかなっている気がします。

それに、あまり省エネ運転を意識的にやっていると、たいした効果もないばかりか、人間の気分のほうがすっかり覇気がなくなり、消極的で後ろ向きなしみったれた吝嗇家のようになり、それでは社会の生産性も上がらず、ひいては景気も回復しないという気がするのですが。

2012/03/10 Sat. 02:15 | trackback: 0 | comment: 0edit

省エネ運転のつもり 

以前に若い男性のトロトロ運転が目立つことを書きましたが、それに関してつい最近、テレビニュースでさらに驚くべき情報を入手しました。

異様に遅いスピードで走る人達が最近路上に増えていることはやはり確かなようで、なんと、その中にはひたすら省エネ運転を実行しているという一派もあるのだそうです。
たしかに燃料を減らさないために、急加速などをしない、あるいはアクセルを踏み込む必要をできるだけ減らすために、スピードもできるだけユルユルした一定した速度で走るというものですが、そのみみっちさには呆れかえりました。

アクセルを踏みすぎず、極力一定速度で走り続けることが燃費を良くするのはそうだとしても、そのために速度を変えずにまわりに迷惑をかけるような流れのないマイペースの運転をするのでは、これは自分だけ止まろうとしない自己中の自転車の走りと基本的に共通したものがあると思います。

ちなみに自転車の傍若無人の走りの原因のひとつが、いったんスピードを落とすと、旧に復するのにまた自分の足でペダルを漕いで力が要るからという側面があると思われます。
車もこの部分がガソリンを消費するところだから、できるだけ速度を落とさずケチケチ走ろうというところなんでしょう。

さらに驚いたのは、そのチンタラ運転による退屈をしのぐために、あろうことか運転中に携帯の端末などをいじりはじめるというものでした。これでは二重の危険運転というべきで、それで事故でも起こした日には、燃費がどうのどころではない大事になるというのに!

現代の車にはエコドライブのためのインジケーターの類がついている場合が多く、エコ運転ができているときには緑のランプが点いたり、アクセルの踏み加減に応じて瞬間燃費をいちいち表示するものなどがあり、たしかに人間はそういうものがあるとそれに何らかの影響をうけることはわかります。

しかし、その倹約運転を最優先するあまり、始終他車に迷惑をかけたり危険運転になったりするというのは本末転倒も甚だしく、それを若い男性がこぞって(しかも自主的に)やっているかと思うと、なんと薄気味悪いことかと思います。

安全が疎かになっているということを意識して尚、倹約運転をやっているのならその神経は大したものですし、それさえもわからない無神経ということもありそうで、いずれにしろ救いがたいというべきです。

お気の毒といえばそうなんですが、バブルの崩壊以降に育った人達の財布の紐の堅さときたら呆れるばかりで、堅実といえば聞こえはいいですが、暗くて陰気くさい老人のようで、ほとんど人生にダイナミズムというものがなく、当然ながら思考力までみみっちいことにばかり働かせているのは驚くばかりです。

不本意でも必要があってやむを得ずする倹約と、倹約そのものが血液となり細胞となって人格を形成している場合では、まったく性質が違うと思うのですが…。
2012/03/09 Fri. 01:47 | trackback: 0 | comment: 0edit

メールと電話 

電話で会話すればなんの問題もなくスムーズにいくことが、メールであるがためにつまづいたり誤解が発生したり、なんらかのストレスの原因になることってあるものです。

常々、マロニエ君は現代人のストレスや暗さの原因の一端は、直接人と触れ合わないメールなどのせいではないかと考えています。

ネットの功罪などを言い立てるキリがありませんが、少なくとも連絡手段としてのメールの普及は、数知れない利点がある反面、その利便性の副作用として犠牲になったものも甚大だというのがマロニエ君の見解です。

その点で、電話は顔は見えなくても少なくともナマの会話ですから、双方の言葉の調子やニュアンス、テンション、笑いなどの様々な人間的要素を総合しながら伝えることができますが、メールはそうはいきません。

思いがけないタイミングで、思いがけない内容のメールを受け取ったときの不快感というのは、意外に見過ごすことのできない深刻さがあります。
同じ人間が、同じ内容を伝えるにも、電話とメールでは受ける側の印象には雲泥の差があると思います。

少なくともメールではよほど誤解されないようにするためには、表現や言葉遣いも相手に媚びるほど、過剰な気を遣わなければならないことも少なくなく、もっぱら安全確実なことだけを書くようになり、直接会話にある一種の危ないスレスレの会話の楽しさなんて望むべくもありませんが、ここにこそ、人の感性やバランス感覚などの機知が潜んでたはずです。
もちろん文字情報を正しく伝える、内容を記録として残すなどの場合は別ですが、闇雲にメールへの依存度が高まってしまっているのは否定できません。

そういうわけで、マロニエ君は電話でもメールでもどちらでもいいと判断する場合は、ほとんど迷うことなく電話にする主義です。

そもそも連絡手段の大半をメールに依存している人というのは、活きた人間関係を重要と考えず、メールという一方的な連絡手段のほうが性にあっているのだと思われますが、そのぶん直接の会話でしか得られないものや確かな人間関係を構築が難しいという、慢性病的な一大欠陥が横たわっていることには気付いていないようです。
ひとくちにいうと、すべての連絡を抵抗なくメールでするような人には、信頼できる友人知人(あるいはビジネスの相手でも)はまずできないと思われますが、巷ではこういう人ほど友達を求め、それを数多くキープしたがるというのですから、その意識のズレには苦笑させられます。

つい先日も、あることで受け取ったメールが金銭絡みのオヤッと思うような思い違いのある内容でした。そこですかさず電話で直接話したところ、案ずるより産むが安しの喩えの通り、お互いの認識はたちまち確認できて事なきを得ました。
しかしこれをもしこちらもメールで返していたら、いちいち細かいことを説明しながら文章を書くのは骨が折れるばかりでなく、その往復にはそれなりの時間も費やして、その間は嫌な時を過ごすことになるのは目に見えています。

それが電話で明るく話をすればあっという間に事済みになるのですから、だいいち時間効率も圧倒的にすぐれているし、ついでに相手とはちょっと無駄口のひとつも交わしておけば、言うことなしのめでたしめでたしです。

現代人はメールをはじめとする便利なツールに囲まれて、人間性を喪失してまでそれを使いこなすことにエネルギーを費やして、日々精神的に孤独になっていることはもはや疑いようがありません。
きちんとした挨拶ができない、相手に対する本当の気配りや礼儀がない、大胆さがない、生きた人間の魅力がない、敬語と謙譲語のしなやかな使い分けができない…などなど、これらは人との関わりという点が稀薄になっていることの明らかな病症だと思われます。

電話でなくメールにする人の理由として最大のものは、「相手に迷惑をかけないから」ということのようですが、少なくともマロニエ君に限っていえば、どんなに悪いタイミングでかかってきても、それで電話の主を迷惑だなんて思ったことはないし、メールより嬉しいことは間違いありません。
というわけで、これからも可能な限り「電話主義」で行きたいものです。

2012/03/07 Wed. 01:34 | trackback: 0 | comment: 0edit

予期せぬ進歩 

我が家のガレージで使っているホースとリールのセットは、もうかれこれ20年以上前のもので、ほとんど骨董の領域に到達しているようなものですが、ただ水を撒いたり洗車をしたりするのに不都合がないので、ずっとこれを使い続けてきたところでした。

ところがこの一年ぐらいでしょうか、リールへの繋ぎの部分とか、あちこちから僅かですが水漏れを起こすようになりました。漏れ自体はわずかでもリールの角度によってはこちらに小さな水流が向かってくることもあり、いつもその方角をあっちへ向けながら使っていましたが、だんだんと漏れが悪化してきたのを見かねて、ついに(というほどのものでもないのですが)これを買い換えることにしました。

ホームセンターにいくと数種類おいていましたが、単なるホースなのでとくにこれといって性能を求めるわけでもなく、一番安い20mのセットでじゅうぶんだと判断して買うことにしました。
本当はホースとリールだけのセットでいいのですが、今どきはどれもシャワーとかジェットなどの水流が換えられるガンタイプの蛇口がついているようで、本来これは要らないと思ったのですが、セットで値段も安いし購入しました。

さっそく古いホースのセットを長年ぶりに外して新しいものを取りつけましたが、たかだかホースでも、新しいものは気持ちがいいもんだと思いながら取り付け作業を行いました。

切り替え式のシャワーがあまり好きではないのは、ずいぶん昔に庭のホースでこれを付けたところ、ホースやリールのつなぎ目のあちこちから、高い水圧に負けて糸状の水漏れが発生し、かえってあたりはびちゃびちゃになってしまったり、一年もすると蛇口そのものが壊れてしまうなど、まったくいい印象がなかったので、ガレージでもこの手の蛇口は使わないでいたわけです。

ところが、取り付けが終わっていざ水道を捻ってみると、新しいせいもあるのかもしれませんが、むかし経験したたぐいの水漏れなどはまったくその気配すらなく、至ってスムーズで当たり前のようにスイスイ使えることが判明しました。
しかも、シャワー/霧/ジェット/拡散という4つのパターンのどれもがむらなくきれいに噴射されるところも、そのいかにも鮮やかな様子につい驚いてしまいました。

さらに感心したのは、従来のホースよりも直径がほんの僅かに細くなっていて、水道の蛇口を捻る量もこれまでとは比較にならないほど少量で済むことでした。
要するにこんなホースひとつとっても知らぬ間に技術が進歩し、初歩的な水漏れなどが克服されるなどの品質の向上と、さらには水量の省エネ設計が徹底しているのだということがわかりました。

ジェットに至ってはほんの僅かの水量でも、なにかを突き刺してしまいそうな勢いで、まるで武器のように鋭い一直線の水が躊躇なく飛び出してくるのにはびっくりです。
この悪天候なのでまさか洗車をするわけにもいきませんが、ともかくさっそく何かで試してみたくなり、ガレージ用のサイクロンクリーナーの中のフィルターやスポンジを、どーだ!とばかりに洗ってやりました。

とりわけ蛇腹状のフィルターに詰まっていたネズミ色のホコリの堆積物は、あっという間に吹っ飛ばされて、久しぶりにほんらいの清潔な状態に戻ることができたようです。

旧来のものがなつかしく思われることも少なくないこのごろですが、こういう道具などの分野は本当に新しいものは良くなっていて、しかも値段も安いとくれば、ただただありがたいばかりです。
すっかり感心して、別の場所にももうひとセット買いたくなりました。
2012/03/06 Tue. 01:26 | trackback: 0 | comment: 0edit

ウインドウォッシャー 

土曜の午後のこと、車の混み合う市内の片側二車線の幹線道路で信号待ちをしていると、突如として一斉に水滴が降ってきたので、にわか雨か?と一瞬思ったのですが、すぐにその感じからして雨ではないことはわかりました。

では、近くのビルの屋上からでも水が降ってきたのかとも思いましたが、それでは方向が違うし、咄嗟にあたりを見まわしたところ、すぐに犯人がわかりました。
この日は久々の青空だというのに、右側車線の斜め前で同じく信号停車している黒っぽく背の高い軽自動車が、ウインドウォッシャーをびゅーびゅー出しながらワイパーを動かしています。

おそらく窓が汚れていたので、ウインドウォッシャー&ワイパーを使って窓をきれいにしていたのでしょう。
しかし、そのウォッシャー液のノズルがあらぬ方向を向いているらしく(大抵の車が角度を変えられます)、それが信号停車中のまわりの車にちょっとした噴水のように飛び散っているのですから、雨天でのことならともかく、晴れた日にこんな迷惑な話はありません。

しかもその車、何度もその操作を繰り返していて、こちらが呆れているその間にも、繰り返しウォッシャー液が飛んでくるのですからたまりません。
それも水道水などならまだしも、ウォッシャー液は大抵は薄い洗剤の入った液ですから、これが他車の塗装面にふりかかれば、下手をするとへんな染みなどを作ってしまう恐れもなくはありません。

すぐに降りていって止めるように言いに行こうかと思ってシートベルトを外した瞬間、信号が青になり断念。
ところが、次の赤信号でまた同じ位置関係で再び停車することになりましたが、な、なんと、またやっていて、さらにはリアウインドウまでじゃーじゃーウォッシャー液を出しながらしきりにワイパーを動かしています。

今度こそ!とばかりにすかさず車を降りて、斜め前の車の助手席側に走り寄り、幸いドアの窓ガラスが開いていましたので、「ちょっと、その水を飛ばすのはやめてください!水がまわりに飛んでほかの車はずぶ濡れですよ!」と言ったら、運転しているのは、ちょっと漫画チックな感じのメイクをした若い女性でしたが、はじめはポカンとして意味がわからないようでした。
繰り返し説明するとようやく事の次第がわかったららしく、「すいません…」と言って止めましたが、いやはや…とんだ迷惑を被りました。
その後、他所に寄って帰宅してから、ガレージでさっそく窓やボディを軽くふきとりました。
もちろんそのころにはすっかり乾いていましたが、窓ガラスなどが点々と浴びせられたウォッシャー液の跡が残っていて、なんでこんなことをしなくちゃいけない羽目になったのかというところですが、まあ、事故にでも遭ったと思えば腹立ちも収まるというものでした。

それにしても、ウォッシャー液というものは、ノズルの位置がきちんと窓の方向に調整されているのはもちろんとしても、できるだけお天気の良い日中などは使うべきではないと思いますし、それでもどうしても使うなら、周囲に迷惑をかける可能性があるので、前後左右に車がいない場所でやってほしいものです。

2012/03/04 Sun. 01:35 | trackback: 0 | comment: 0edit

パイクのブラームス 

なぜか日本での認知度と人気は今ひとつですが、クン=ウー・パイクという偉大な韓国人ピアニストがいます。
すでに60代半ばに達する年齢で、韓国ではこの巨匠の存在を知らない人はまずいないということですが、それはどこ人ということでなく演奏を聴けば当然だろうと思います。

実力に比べるとCDなどは決して多くはなく、印象に残るものとしてはプロコフィエフのピアノ協奏曲全曲などがありますが、それはもう圧倒的な演奏で聴くたびに唸らされます。
最近ではついにベートーヴェンのピアノソナタ全集が出たようですが、デッカというメジャーレーベルにもかかわらず、なかなかどこの店でも売られてはいないのがまったく腑に落ちません。

それ以外でのパイクのCDとしては、2009年の録音でグラモフォンからブラームスのピアノ協奏曲第1番(エリアフ・インバル指揮チェコフィル)が出ていて当然のように購入しましたが、これがまた期待にたがわぬ素晴らしい演奏でした。
パイクのピアノはまずなんと言っても、いかにも男性ピアニストらしい雄々しく重厚なピアニズムと他を圧するテクニックがあり、音楽はあくまでも正統派というべき解釈に徹していますが、正統派という言葉につきもののアカデミックで秀才肌であるとか面白味の無さとは無縁の、10回聴けば10回感動できる、真の実力と本物だけがもつ内面から滲み出るような魅力を具えた稀有な存在だと思います。

一般的に、ブラームスのピアノ協奏曲第1番はどうしても曲の大きさが奏者の負担になっているような演奏、あるいはあまりにも管弦楽曲的な要素を帯びすぎた説明的な演奏が少なくありませんが、パイク&インバルの演奏では、まさにこれ以上ないというバランスが取れており、良い意味でストレートで、曲の偉大さやオーケストラ作品としての重要性、そしてピアノ協奏曲としてのソリストの立ち位置がすこぶる明確になっている、まったく最良の演奏だと思いました。
さらには新鮮味もありながらオーソドックスな安心感もあり、すでに何度聴いたかわかりません。
これまでの同曲のベストはロシアのマリア・グリンベルクが遺した二種類のライブ録音だとマロニエ君は思ってきましたが、久々にそれを忘れさせる名盤が登場したことに深い喜びを感じているこの頃です。

この曲は演奏時間が長いことと、聴衆に満足を与える演奏がとくに困難なためか、普段の演奏会でも取り上げられることはほとんどありませんが、数多いピアノ協奏曲の中でも何本?かの指に入る傑作だと思いますし、もしマロニエ君がピアニストだったら、どんなに演奏の機会が少なくても絶対にレパートリーにしたい一曲であることは間違いありません。
そしてこのパイクのCDを聴くことによって、その思いを再確認させられました。

そういえばこの曲でふと思い出しましたが、以前、あるピアニストと話をする機会があって、その方がこの曲を二台のピアノで弾いたということだったので、マロニエ君はこの作品の素晴らしさに対する思いを話したところ、その人はまったくこの曲の価値がわかっておらず、ただ長大なだけの、ブラームスの駄作のように言ってのけたのには、それこそ内心でひっくり返らんばかりに驚きました。
自分で実際に弾いてみてさえ、その値打ちがわからないような人に何を言っても無駄だと思って、こちらもそれ以上なにも言いませんでしたが、こういう人もいるのかという強烈な印象はいまだに記憶に残っています。

パイクの話に戻ると、併録された「自作の主題による変奏曲op.21-1」と「主題と変奏(弦楽六重奏曲op.18に基づく)」も聴きごたえじゅうぶんのまったく見事な演奏!
主題と変奏などは、ピアノソロでありながらあの弦楽六重奏の息吹をありありと表現しきっているのは、思わずため息がもれてしまいました。
なんとかしてベートーヴェンの全集を入手するほかないようです。
2012/03/03 Sat. 01:36 | trackback: 0 | comment: 0edit

熾烈な競争 

仕事の関係で印刷を依頼することがときどきあるのですが、近ごろのネットで注文する印刷業界の価格競争には凄まじいものがあるようです。

ネットが発達する以前の印刷業界を知る者にとっては、これこそまさに「価格破壊」と呼ぶに相応しいもので、日本中の大半の印刷会社が低価格をめぐって熾烈な競争を繰り広げるか、さもなくば廃業などに追い込まれているようです。

ひと時代前までは、印刷は中国が断然安いので、大手企業などの大量の印刷物や出版物は運送コストをかけてでもそちらのほうが安くつくので、国内の印刷業界は大変な状況らしいという話を聞いたことがありました。
そんな時期からさらに年月を経て、今では国内の印刷業もすべてではないかもしれませんが、この価格競争に打って出て、マロニエ君の手許だけでも、数社の激安店がリストアップされており、安い魅力には勝てずにこれをよく使っています。

しかも驚くべきは、昔ながらの「安かろう、悪かろう」ではなく、本当に高品質な製品がきちんと納入されてくるので、いやはやこれも時代かと驚くばかりです。

そのかわり、昔の印刷屋のような手間暇かけた手法ではなく、原稿はすべて発注者のほうで完成させなくてはならず、それなりにビジュアル系のソフトなども使いこなさなくてはならないという点もありますが、それさえクリアすれば、本当に信じられないような低価格で、従来の価格のものと遜色ない美しい印刷が仕上がってくるのですから、驚くやら、ありがたいやらです。

また一色刷と二色刷、さらにはカラー印刷という点でも、価格は大きく差が出るというのもこれまでの印刷の常識でしたが、今ではフルカラーが半ば当たり前のようで、さほどの違いはありません。これはおそらく印刷機が以前とは比較にならないほど発達、高性能になったためだろうと思われます。

まあ、利用者としては安いことは無条件にありがたいことなので、とりあえず歓迎なのは間違いありませんが、しかしこういう競争をやっていかなくてはならない今の厳しい世の中という観点で考えてみると、なにやら恐ろしいような気がするのも事実です。
しかも、相手はネットですから、日本中どこの印刷屋であってもハンディなくライバルとなるわけで、昔なら必然的に距離の近い、付き合いのある印刷屋であることは当たり前でしたが、そういう条件も無情に撤廃されたということでしょう。

現にマロニエ君がネットで利用している印刷会社も、ものによって価格と得意分野が異なるために数社を使っていますが、京都、名古屋というふうに、すべて遠方の会社で、もちろん社員とは一面識もないわけですから、利用しながらときおり驚いているところです。
先日も、ポストカードを作るのに、あるギャラリーの紹介で安い印刷会社(もちろんネットの)というのを紹介されましたが、同じ条件でも別会社を調べてみると価格はさらにその3分の1ほどだったりと、その凄まじさときたら大変なものです。

自分が利用していて言うのも憚られますが、ネットというのは社会をおそろしく厳しい、極限の競争を強いるものへと変えてしまったのは間違いないような気がします。
2012/03/02 Fri. 01:07 | trackback: 0 | comment: 0edit