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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

昔のスタインウェイ 

クリダのCDを聴いてもうひとつ、思いがけない収穫だったのはピアノの音です。
この一連の録音は1960年代の終わりから70年の中頃にかけておこなわれていますが、この時代のスタインウェイのなんと濃密な音がすることか!

昔はマロニエ君の耳に馴染んだ市民会館のスタインウェイなども、ああこういう音だったというのを思い出します。
変に人工的なところのない温かみのある音でありながら、強さと輝きもしっかりあって、そこはスタインウェイならではしたたかな迫真力みたいなものがビシッと張りつめているわけで、今どきの腰の弱いキラキラ系の音とは、根底にあるものがまったく違うことがわかります。

この時代のスタインウェイの音を聴いたことが、ピアノの音に対する深い原体験となって、そこからスタインウェイのファンになった人はとても多いだろうと思います。むろんマロニエ君もその一人です。

ひとつ確信できることは、現在のスタインウェイよりも木の音の占める比率が強いということ。
上質な木が作り出す音がまずしっかりあって、それを例のフレームの鳴りにブレンドして華麗に演出していることがわかりますが、今は逆で、さほどでもない木の音をフレームの鳴りでカバーしているだけで、だから厚みのない量産品の音なんだと思います。

クリダのCDを聴いている時期に、これも偶然ですがNHKのクラシック倶楽部という番組を録画している中から、ある日本人ピアニストのコンサートを聴きました。
このピアニスト、ちかごろショパン絡みでちょっと話題の人みたい(不覚にもCDまで買ってしまった)ですが、まったく何ひとつとして良いところが感じられませんでしたので、敢えて名前は書きませんが、この人のコンサートが出身地の関係なのか、NHK名古屋のスタジオコンサートでおこなわれたものでした。

このNHK名古屋のスタジオ収録で使われたスタインウェイは、鍵盤両サイドの腕木の形状やフレーム上のエンボス文字の位置などから、少なくとも30年以上前のピアノであることがわかります。
残念ながらこのピアニストの演奏は病人のようで音楽性も感じられず、とてもクリダのように美しくピアノを鳴らすことは出来ない人でしたが、それでも聞こえてくるその音はこの時代のスタインウェイ特有のあのなつかしい凛とした音でした。

総じてこの時代のスタインウェイには本物だけがもつ気品と真の深みがあり、いまさらながら感銘を覚えます。
音の濃密さと輪郭、電気でも流れているような圧倒的な低音などは、まさに本来のスタインウェイのそれで、新しいスタインウェイをまったく歯牙にもかけない極端な人もおられたりするのが、こういう音を聴くと、やっぱりちょっとその気持ちもわかるような気もしました。

こういうピアノが作れなくなってしまっている現実にも空虚なため息がでるばかりです。
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2011/04/30 Sat. 01:54 | trackback: 0 | comment: 0edit

クリダのリスト 

フランス・クリダという、その名の通りフランス人の女性ピアニストがいます。

もうずいぶん昔のこと、日本にも度々やってきてはよく演奏していましたが、当時子供だったマロニエ君はこの人のことはあまり好きではありませんでした。

というのも、演奏云々の以前に、とにかくリストばかりを弾くピアニストだったので、そのころからリストはあまり好みではなかったために、リスト弾きという技巧一点張りなイメージが子供心に強い反発を感じていましたし、彼女のことをリストだけを弾く下品なおばさんぐらいにしか思っていなかったんですね、当時は。

かなり何度も日本に来た印象はあったのですが、ある時期からパッタリと来なくなくなり、次第に名前も聞かなくなってしまい、その後どうしたのだろうと思っていましたが、どうやら後進の指導にあたり、最近はコンサートもあまりやっていないようだということがわかりました。

最近そのフランス・クリダお得意のリストのCDが14枚組になって発売されましたので、いろいろと聴いてみたい曲もあったし、彼女の演奏の記憶はほとんどないので、果たしてどんな演奏をしていたのかという興味もあり、これを購入して、ここ最近ずっと聴いています。

内容はリストの主要なピアノソロ曲をそれなりに網羅したもので、一枚目の巡礼の年を聴いただけでオッと思いました。
最近のリスト演奏からは聴かれない、深い落ち着きと、作品に対する心地よい自然さがあるのがまずもって意外でした。
その後も1枚のディスクを数回繰り返しながら聴き進んで、まだ全部は終わっていませんが、その全体に流れる一貫した演奏のありかたには深い感銘を覚えました。
同時に、むかしむかし、マロニエ君はクリダに対して大変な誤解をしていたことに気がついて、いまごろ彼女に申し訳なかったような気になってしまいました。「リスト弾き」…それだけで背を向けていたのです。

リストの本当の素晴らしさに気がついたのは、ずっと後年になってからのことですが、一握りのお祭り騒ぎのような、聴いているだけで恥ずかしいような有名曲の陰に隠れるように、なんとも精神性の高い奥深い作品がいくつも隠れていることを知るようになりました。しかし、それらを本当に満足のいく演奏をしているピアニストのなんと少ないことかというのも、偽らざる印象です。
巷では高い評価を受けているラザール・ベルマンもあまりマロニエ君の好みではありません。

その点、クリダは本当に適度な重厚さと自然さが見事に調和し、リスト本来の素晴らしい部分を引き出すような美しい演奏をしていて、冒頭に述べた下品さは微塵もない見事なもので驚きました。

これに比べると、先月のブログに私的で宗教的な調べのことで書いたブリジット・エンゲラーは、それなりの評価があるようですが、てんで奥行きがなく、クリダを聞いた耳には霞んでしまいました。

こんな昔のピアニストで、いまごろその凄さを知って驚くなんてことは、まずないことなので、すごく得をしたような気分です。
2011/04/29 Fri. 02:07 | trackback: 0 | comment: 0edit

またもお買い上げ 

懇意のピアノ店から連絡があり、カワイのグランドが入ってきて調正が済んだので弾きに来てくださいといわれて、ピアノを欲しがっている友人を連れてに見に行ったのですが、そのピアノはRX-2 ITという特別モデルで、イタリアのチレサの響板を使った、いわばヨーロッパの血が混ざったカワイでした。

12年ほど前のピアノですが、まだまだ若々しくてピカピカした状態でした。
アクションは、カワイのグランドが樹脂製のアクションになる直前の、木製による最後の時期という点がさらにポイントでした。
カワイの樹脂製のアクションには賛否両論あって、一時はずいぶん技術者からの苦情も上がったようですが、カワイはそれにも屈せずに樹脂製のアクションを製造し続け、現在はそれが2世代目に発展して黒いカーボン系ものになり、強度を増しやや軽量化なども果たしているようです。
しかし、技術者の中にはこれを従来の木製に戻す試みなどもやっていますので、そこには様々な長短の理由があるのだと思われますし、やはり一長一短があるのだろうとは思います。

しかし、他のメーカーが一向にこのカワイの革新技術に追従しないのは、やはりまだ木製のほうがいいという考え方も根強いことの表れかもしれません。
マロニエ君は正直なところ、本当にいいものなら素材が何だって構いませんが、現段階ではやはり木製のほうがいくらか安心というか、やはりピアノには木製アクションのほうが情緒的にも収まりが良いような気がするのも事実です。
かといって、そこに大したこだわりはありません。

さてそのチレサの響板のRX-2、ここのご主人の高い技術力あってのことですが、なかなか素晴らしいピアノであったのは予想以上でした。若干キーが重いという点はやや気になりましたが、これはカワイのグランドが生来持つ特徴のようで、タッチの俊敏性を損なうことなくこれを解決していくのは技術者泣かせの課題のようです。

しかし、音にはレギュラーモデルにはないやや明るめの基音と、そこから立ち上る響きに立体感があるのが印象的でした。
技術者の整音技術にも大いに負うところがあるものの、音には太さと輪郭、芯と肉付きがあり、好ましいものでした。
さらには通常の響板のモデルよりも音にずんとした深みがあって、これはキーの重ささえ解決したらSKシリーズ寄りのピアノになるような気さえしたほどです。

これがエッと思うような値段だったので、ピアノ好きならだれだって気分はふらっとしてしまいます。
友人はかなりこのピアノにふらついている様子で、これは買うだろうな…と思っていたら、ご店主が先を制して2〜3日考えた方がいいですよと逆に言われ、この日はいったん引き上げることになりました。
そして後日、案の定、買う決断は変わらず、その旨連絡をしたそうです。

短期間の間にEX、RX-3、RX-2 ITと、やたらカワイにご縁がありますが、どれも素晴らしいピアノで、つくづくカワイはいいなあという思いを新たにしています。

それにしても、このところマロニエ君のまわりではピアノを買う人が続いてしまって、自分もつい買いたい虫が疼いてくるようです。
あー、ピアノが買いたい!
2011/04/27 Wed. 02:08 | trackback: 0 | comment: 0edit

立ち読み&メール 

最近、あるショッピングモール内の大型書店に行ったときのこと。
いまさらという気もしますが、最近の人達の携帯メールへの依存度というか執着の強さには呆れてしまいました。

マロニエ君が見たい本棚の前で、立ち読みしている一人の男性がいましたが、その人がいるので左右どちらからも手が伸ばしにくく躊躇していましたが、彼はまるで周囲の人への気遣いなどは眼中にないといった感じで立ち読みを続けています。
最近はどうかしたことでは、やたらと気を遣ったりルールを守ったりということが盛んなようですが、それは表向きで、こういう場面での他者への配慮というのはまるでないと感じることがよくあります。

人の前の何かを取ろうと手を伸ばしても、1cmでも動こうとはしない若い人などはもはや珍しくもありません。
まあ、ここまでならよくあることです。

さて、マロニエ君もなんとか目指す本を手にすることができたのですが、そのときわかったことには、彼は立ち読みをしながら同時に携帯を開いた本と一緒に右手に持って、せっせとメールのやり取りをしているようです。
まあ、とりあえず人のことなどどうでもいいので、マロニエ君は自分の見たい本を見始めたわけですが、しばらく経ってもとなりの小柄で暗い感じのお兄さんはあいもかわらずメールを打ち続けています。

そんなにメールがしたいのなら、立ち読みはいったん切り上げて、どこか椅子にでも座って落ち着いてやりゃあいいじゃないかと思いますが、メール打ちにもときどき切れ目があって、そのときは本のほうを見ていますから、やはり本も見ているということがわかりました。
ご苦労なことだと思って、こちらも本に集中しようとするのですが、なにしろ真横のことなのでなんとなく気に掛かってします。というか…正直にいうと無性に気に障ってしまうのです。

そしてまた、とめどもないメール打ちが始まり、要はその繰り返しです。
そのメールも「はい」とか「わかった」ぐらいではなく、なにやら延々と文章を打っているようですから、だんだんこっちもイラついてくるのが自分でも嫌になります。
何度か横を向いてまともに見てやりましたが、いやはや、図太いというかなんというか、微動だにしませんね。

とはいうものの、マロニエ君もつい長い時間立ち読みしてしまいましたが、とうとうこの彼がこの場所からいなくなることはなく、正確ではないもののおそらく30分近く経っても、なにひとつ変化は起こりませんでした。
根負けして、こちらのほうがついに退散することになりました。

それにしてもああいう芸当は、器用だと思うと同時に、やはり疲れるだろうなあと思います。
そうまでしてメールにこだわるという理由もわかりません。

そこまで込み入ったことをやりとりするのであれば、いっそ電話でしゃべったほうがどれだけ楽で簡単かとも思いますが、まあそういう問題でもないのでしょうね、きっと。
2011/04/26 Tue. 01:55 | trackback: 0 | comment: 0edit

ピアノの嫁入り 

今年のまだ寒かった頃、友人が海外からピアノを購入することになったのですが、彼はそのために部屋の引っ越しもして、迎え入れの準備を万全に整えるべく長い時間を費やしていたようです。
そしてその準備も整い、ついにピアノは搬入の日を迎え、めでたく所定の位置に収まったようです。

100年は保つと言われているS社のピアノですが、製造から10年ほどの新しい楽器で、聞くところでは、まだまだ弾き込みさえ必要な状態のようで、厳密には中古ピアノでありながらも、これから育てていくべき子供のような歳のピアノだったようです。

このピアノはマロニエ君懇意のピアノ店を通じて日本へ輸入されたのですが、てっきり船便でくるのかと思っていたら、購入決定から早々に手続きが進み、サッと空輸されてきたのには驚きました。
最近のコンテナは昔のそれとは違って密閉性なども向上していていて傷みが少ないと聞きますが、それでも洋上で幾日も過ごすことを考えると、航空便は速いし、リスクが少なく、短期間のうちに日本に到着し、数日後にはさらにお店までやってきたのは驚きでした。

むしろ日本に届いてからのほうが、迎え入れの準備に時間がかかり、その間このピアノは販売店の店頭で開梱され、入念な調整を受けた後、ピアノ運送会社の倉庫に居を移して嫁ぐその日を待っていたようです。

そして搬入日が満を持して一昨日のことだったらしく、果たして彼は前夜よく眠れたのでしょうか?
自分が思い定めたグランドピアノがいよいよ自分の許にやって来るというのは、やはり男性からすればお嫁さんがやってくるような高ぶりがあるのではないかと思います。

マンションの上階までクレーンで吊って上げたそうですが、見ていてずいぶん緊張したそうです。
マロニエ君もクレーン搬入を何度か経験していますが、グランドピアノが空高く宙づりにされるのは、本当にハラハラして心臓によくないものがあります。
いま何かあったらすべては終わりだと思いたくなるような瞬間が幾度もあるものですし、とりわけ最近のように地震が多発していると、そういう不安もさらに迫ってくるでしょう。

現に輸送中の事故でピアノがダメになったというのは、決して珍しい話でもなく、たとえばグールドが晩年にヤマハのCFIIを使ったのも、ある時期チェンバロで録音したのも、元はといえば彼愛用のスタインウェイ(大半の録音はこのピアノで演奏されたもの)が輸送中に落とされて、スタインウェイ本社の懸命の修復にもかかわらず、最終的には以前の状態を取り戻すことができなかったためだと言われています。
それぐらいクレーンでピアノを吊るというのは100%安心できない、リスクのつきまとう作業ですが、それでも持って上がれないところにピアノを搬入するにはやむを得ない方法なのだと思われます。
ともかく無事におさまって、めでたしめでたしでした。

さっそくにも写真を見たいと頼んだら、すぐに送ってくれましたが、いやはやなんとも立派なピアノが部屋の真ん中にドカンと座って(立って?)いました。
よほどのことがなければ、たぶんこのピアノは彼のこれからの人生にずっと付き合っていくことになるのでしょうから、まさにこの日は記念すべき一日だったと思います。
ピアノを買うというのは、やはり他のものとはなにか違って、人の情感が揺さぶられる何かがあり、こちらまでウズウズしてきます。
2011/04/24 Sun. 01:52 | trackback: 0 | comment: 0edit

義援金疑惑 

東北大震災の被災者のための義援金活動が各地各所で行われていようですね。

マロニエ君も被災者の方にはなにか自分のできることをしなくては…という思いは人並みにはもちろんあるのですが、義援金ならばしかるべき公的機関の窓口以外ではしようとは思いません。

民間でやっているものも最近は実に様々なものがあるようですが、あれはちょっとした社会問題にもなっているようですね。
というのも、本当にそこで得られた義援金が、すべて滞りなく被災地の人達の手に、あるいは復興のために間違いなく活かされているかどうかという点は、相当グレーゾーンの部分も多いらしく、そうだろうという気がしています。

日本国内はもとより、世界各地でもそのチャリティコンサートなどがさかんに催されているようですが、どこまでがどうなのかと思うと、せっかくの人の善意に対して悪い見方をするようですが、でもそれを100%真っ当に捉えるなんてことはマロニエ君には申し訳ないけれどもできません。
正確にいうなら、善意が善意のまま、無事にその花びらがむしりとられることなく目的地にたどり着いているかという点では甚だ疑問です。

もちろん中には誠実にそれを実行している人や団体もあるでしょうけれど、その正しいことをしている人達の中に紛れ込んでいる、不届き者というのも世の中には必ず存在していると思いますし、義援金などという人助けに名を借りた、不明朗な金集め行為というものは、いわば火事場泥棒と同じで許しがたいものを感じます。
しかも、現代人は偽善の衣装を着るのは上手ですから、それを外から見分けるのは至難の技です。

もともとが寄付行為なので、集まったお金の管理自体も、どのようになされているの不透明です。
金額も、個人の任意によるものだから決まった額ではなく、その合計の数字などないも同然で、そこに誤魔化しの意志が忍び込めば、いくらだってできるでしょう。
この種のお金は透明性に対する要求も恐らく低いはずで、こればっかりは追跡調査して領収書との数字を付き合わせるわけでもなく、要するにすべてが曖昧という気がします。

とくに個人レベルでやっているこの手の行為は、イベントや物販をしても、必要経費と称していくらでも主催者は抜き取ることができ、マロニエ君は悪いけどあまり信用していません。

貯金箱のように壊さなければ開けられない箱でも準備して、衆目の前でそれを開け、金額を確認してその足で一気に役所にでも直行するのならともかく、後日だれかがどこかの受付窓口に行って来るというような流れなら、マロニエ君だったら御免被ります。
本当に義援金を出す気持ちがあれば、わざわざそんな怪しい経路を経なくても、直接自分の足で公的機関の受付窓口に行ったほうがよほどマシです。

実際にこの悪しき問題を解決すべく、すべての義援金の窓口を一本化すべきというような意見もあるのだそうですが、もともとが善意と自由意志に委ねられた世界であるだけに、なかなか実現が難しいようです。
日本人は災害発生時に略奪などの目に見える派手な行為はまずしない民族ですが、善意のお金を募って、その中から自分のポケットにも少しまわそうなどというみみっちい輩は、残念ながらウヨウヨいそうな気がします。

義援金を集めなんて、所詮はこういう側面がつきまとうものなので、マロニエ君だったら絶対に自分ではしたくないことです。
声にはされなくても必ずちょっとは疑いの目で見られるハメになるわけですから、それはイヤですね。
2011/04/23 Sat. 01:34 | trackback: 0 | comment: 0edit

楽典 

このところ、勉強というほどあらたまった事ではないのですが、ふとした気まぐれで、楽典の本をパラパラみていると認識を新たにすることなどがあって、妙に面白いもんだと思っているところです。

楽典は昔、十代の時にひと通りはやったことですが、もともと全部が全部キチンと頭に入っているわけでもないし、もちろん忘れていることもたくさんあって、ページを繰るごとに思い出すこと、あらたに覚えるべきことなど、いろいろとあるものです。

とくにイタリア語の表記には、同じ意味でも何通りもの言葉があって、ほとんど使われないものも多くありますが、本来のニュアンスとしては、微妙にどう違うのか、作曲者はどう使い分けていたのかというような点は多いに疑問で、そのあたりはとても謎めいていて興味が湧いてくるところでもあります。

人間、何事も自分でわかったつもりになっていることほど恐いことはなく、あらためて本を開いてみると、ちょっとした思い違いや発見がゾロゾロ出てきて記憶が修正され、そのあとに楽譜を見ると、なんとなく見方が良いほうに変わってくるようですし、こういう変化は柄にもなくちょっと良い気分です。

考えてみたら楽典の本を読み返すなど、本当に恥ずかしいぐらいに久しぶりで、つくづく自分の不勉強ぶりを思い知らされた気がしています。
ちょっとした気まぐれから見てみた楽典の本ですが、けっこう面白いのは意外でした。
それで味をしめて、古くて茶色になった昔の教科書だけではつまらないので、新しい楽典の本を一冊買ってみましたが、これもまた面白く読むことができました。

何事もこうして絶えずおさらいをするというのは大事なことなんでしょうが、マロニエ君のような生来の怠け者にはよほどの偶然か気の迷いでも起きない限りそういうことはないので、今回は、その気の迷いのお陰でとっても得した気分です。
たったそれぐらいのことで、そんなに得した気分になるのなら、では、もっとあれこれ勉強に精を出せばいいのですが、それはそれこれはこれで、やっぱり殊勝な気持ちはなれないんですね。
好きなことをしながら、それが結果的に勉強にもなるというのが理想ですが、そう都合良くはいきません。

ただ、マロニエ君は練習は昔から超のつく怠け者ですが、作品の解釈とかディテールの意味づけ、各所の表現という部分にはそれなりのこだわりがあるので、その点を分析追求するには、やはり楽典のおさらいは有意義だと思いました。

この際これは本棚にしまい込まないで、ひまひまにパラパラ見るだけでも参考になるので、しばらくは手の届く場所に置いておこうと思います。
2011/04/22 Fri. 02:05 | trackback: 0 | comment: 0edit

模造モール 

所用があって平日の午後、西区方面へ出かけたついでに、たまたま前を通ったので、さる15日にオープンしたばかりの木の葉モールをちょっとだけ覗いてみました。
このところの大型ショッピングモールといえば、ほとんどはイオンかゆめタウンの両横綱に占領されている観があり、いささか飽き飽きしていたところでしたので、木の葉モールは経営母体がそれらとは異なるし、果たしてどんな新しいものができるのかという興味がありました。

駐車場は大半が立体で3Fからのようですが、平日にもかかわらず、行けども行けども満車エリアが続き、ついに4Fにまで押し上げられて、そこでもかろうじて一台分のスペースを見つけ出したほどでした。

売り場は1F/2Fで、なだらかな曲線状に伸びたメイン通路の両脇に無数の店舗がひしめき合っています。
時間がないので、ごく短時間でサッと見て回っただけですから、おおざっぱな印象でしかありませんが、はじめに見てアッと思ったのは、まるでイオンモールのやり方をそのまんま丸写しのような感じで、なんだか見ているこっちのほうが恥ずかしくなるような気になりました。
中国のなんちゃってワールドは笑っておきながら、こんなにもそっくりな雰囲気を大真面目に作ってしまうという日本人の横並び精神も、これはかなりのものだと思いました。

あそこまで真似して、恥ずかしくないのかと素朴に思いますし、マロニエ君的には、どうせ新しいものを作るのであれば、それこそイオンなどの先発を充分に研究し尽くした上で、そこにさらに新しい発想、斬新なアイデア、これまでになかったスタイルの提案などをやってみるべきでは?と思うのですが。
別にモールに限りませんが、後発組の強味とチャンスは正にそこにあると思うのです。

それなのに、パッと見た感じでは、また新しくイオンモールがひとつ増えたとしか思えないようなものでしかなく、しかもしょせん真似は真似なので、イオンのほうが全体的にサマになっていてあれなりに本物という感じで、こちらは模倣特有の後ろめたさが漂っています。

店子も具体名は書きませんが、どれもこれもがお馴染みのものばかりで、いまどきのモール入居する店は同じ顔ぶれしかないのかという、ちょっとがっかりさせられるというか、底の浅い限界を見せられるようでもありました。
それもこの手のモールが近くに存在しなかった田舎ならまだしも、同じようなものがすでにいくつもある福岡都市圏内で、なんでいまさらこんなにまで同じことをするのかと思います。

日本人の商売人は、日夜勉強を怠らず、ライバルを研究し尽くし、お客さんのニーズを徹底的に分析し、おそらくは連日のように会議やディスカッションなどを繰り返しているものと思われますが、その結果がなんの新鮮味もない、既存のモールの模造品を作り上げただけという現実は、あまりに思慮と冒険性がふたつながら欠落しているように思います。
新しいことを作り出せず、既存のスタイルをただ踏襲するだけでは、そのこと自体がすでにもう内向きだと思いますね。
2011/04/21 Thu. 01:32 | trackback: 0 | comment: 0edit

不燃ゴミの怪 

所帯じみた話題で恐縮ですが、不燃ゴミ等の収集日には、いろんな謎の人達が出没して行き交う、不思議な夜となります。
飲料用のアルミの空き缶などは、これを自転車の前後左右に山のように積み上げて、ふらふらと走る姿などもよく見かけます。

一昨日の夜のこと、月に一度の不燃ゴミの収集日だったので、空き缶/ビンなどの燃えないゴミをまとめていましたが、外が明るいうちに外に出すのも憚られるので、いつもできるだけ夜遅く出すよう心がけています。
その夜はちょっと外出していて、夜の11時ごろ帰宅し、車を降りてガレージのシャッターを閉めようとしたとき、目の前に軽トラックが走ってきて、運転者はいかにも慣れたような動きで、向かいのマンションのゴミ置き場にスッと入っていきました。
不燃ゴミ等の収集日は何らかの収穫を求めてか、こういう人達が引きもきりません。

ここまではいつものことなのでとくに気にも留めませんでしたが、我が家のゴミを奥から出してきて、外に出そうとしたとき、軽トラックの人は戻ってきて運転席に座り、まさに発進するところというタイミングでした。

その時に、なんというか…ちょっとした視線を感じたというか、なにか引っかかるものを感じはしたものの、とくに気にもせずゴミを出すという一連の動作を続けて、門扉の鍵を閉めて、玄関に向かおうとしたとき、小さく「カチャッ」という音がして、それが軽トラックのドアが開く音だということはほぼわかりましたが、妙に気持ち悪くなって、それ以上外を見ることなく玄関に入りました。

しかし、家に入って着替えをして手を洗っていると、外では相変わらず車が動いたり止まったり、ドアをバタンと閉める音などが小さくつぎつぎに聞こえてきます。
ポッと点火したさっきの不安はますます募ってきました。

もうお分かりだと思いますが、マロニエ君としては彼らに我が家のゴミが漁られたんじゃないかという気がしてならなかったのです。
というわけで、玄関を入ってからわずか5分後ぐらいのことですが、ちょっとゴミの様子を見に行ってみることにしました。
袋の上口はちゃんと縛っているのに、乱雑に開けられていたりしたら嫌だなあという不安とともに、恐る恐る門扉のところまで行ってみると、あれっ!…なんと今しがた置いたはずのゴミはものの見事に消えています。
どうやらさっきの軽トラックの人が袋ごと持っていってしまったようです。

もちろん捨てたものですから持って行かれても問題にはなりませんが、不燃物とはいえ、自分の家のゴミを他人がそのままそっくり持っていくなんて、やっぱり気持ち悪くてちょっと衝撃的でした。

中はしょうもない金物やガラスのがらくたばかりで、彼らが期待するようなものは何もなかったはずですが、それにしてもよくまあそんなことをするもんだと思います。
それ以降、家の中にいても妙に外の気配を伺っていると、なるほど、つぎつぎこの手の人がやって来ては去っていくのがわかりました。

それでひとつバカなことが閃きました。
処分代を出して引き取ってもらわなくてはいけないような大きめの粗大ゴミでも、この月に一度の収集日に外に置いておけば誰かが持っていってくれるかもしれないと思うのです(笑)。

ただ外に置いているものを誰かが知らぬ間に持っていくというだけなら、なんの法令にも反することではないし、それで面倒な手続きもしないで、しかもタダでゴミ処分ができるなら、こんなありがたいことはないわけですから、そのうちダメモトでいちど置いてみようか…などとつい変なことを思ってしまいました。
2011/04/20 Wed. 02:10 | trackback: 0 | comment: 0edit

常識は非常識? 

たまたまテレビを見て知ったことですが、最近の人の行動にはエッと驚愕させられることがあるものです。

それは簡単に言えば礼儀知らずということになるわけですが、どうも、そういう言葉さえ適切ではないような、もっと根本にあるもののどうしようもない成り立ちの違いをしみじみと感じさせられることがあるのは決して珍しくありません。

何事も正否にほとんどかかわりなく、数さえ増えればその勢力がうまれ、拡大し、しだいにそれがスタンダード化していくというのは、まるでバッタの大群みたいで、ほとんど個人差の領域を凌駕してしまっている点はつくづくと驚かされる点です。
しかもこれといった悪意すらもなく、本当になにひとつ礼儀らしきものを知らない無知のなせる技であるようで、だから当人はまさか自分がそんな非礼をやらかしているなどという意識も自覚もないようです。
正に字の如く、礼儀を知らずに歳だけ大人になってしまった人が大挙して世の中に現れ、それが日本人の文化を駆逐しながら尚もうねりとなっているようです。
だからこそ、この流れは、とどまるところを知らないのでしょう。

そのテレビでびっくりしたのは、今回の東北の震災で被災した人達のいる避難所に天皇皇后両陛下が御見舞にお出でになったときのこと、両陛下が床に両膝をついてお話をされているというのに、それを受ける側(若い人だったらしいですが)はなんと、帽子もとらず、足はあぐらをかいたまま!!でずっと話をしていたとか。
また別の日に皇太子両殿下が行かれたときには、ほとんど信じがたい事に「写メ、いいですか?」といって、記念撮影を所望し、なんと殿下はそれに応じられたとか!!

こういうことが、ただ単に時代だというだけで片づけられることだろうかと思います。
これがもし、皇族に対する思想的なものの絡みがあり、ある種の抵抗心からの行動ならまだ理解のしようもあるでしょうが、そういうことではなく、ただの無知であり、ただの無邪気さであるところが、よけいに驚きを募らせます。

マロニエ君は別に天皇制や皇族方に対して格別の思いもなにも持ってはいませんが、でもしかし、少なくとも日本という国に生まれ育って、そこに長く暮らしてきたからには、皇族の方々のお出ましに際して、気持ちがどうであれ、こういう態度をとるというのは体質的本能的に、夢にも考えられないことではないでしょうか。
これはほとんど日本人のいわばDNAにかかわる問題だと思いますが、もはやそういうものすら消滅しかかっているのでしょうか?

ただ、これらは、ただ彼らが非礼でけしからん!というだけで済まされる問題ではなく、それを大事な成長期に教えなかった親をはじめとする周りの人間、ひいてはそういう感性を容認させた社会にも大きな責任があるのだと思います。
現代は本当にこういう人間が出現するような環境なんでしょうね。

個人的経験で言っても、本当に社会常識のない、無知でひたすら受身な種族というのが異常なまでに多すぎると感じます。
しかも彼らには一向に悪意すらないところが、いよいよ始末に負えないところです。
恐ろしいことには、それで立腹のひとつもしようものなら、下手をするとこちらのほうが悪者にされかねません。

自分が普通だと思ってきたことが、最近ではことごとく裏切られるシーンに直面するのは本当に虚しいものです。
しかも、それが年々スタンダードのようになり、もはや無人島にでも行って社会との関わりを断たない限り、そういう人達と関わり交わりながら生きて行かなくてはいけないところまで、日本の社会が来てしまっていることは、かなり危ないことだと思います。

受身のスタンスも度が過ぎると邪悪ですね。
2011/04/19 Tue. 01:52 | trackback: 0 | comment: 0edit

心の豊かさ 

過日は知人からのお招きをいただき、ご自宅にお邪魔させていただきました。

そこは一戸建ての住宅ではなく、戦後間もなく建てられたという大型団地ですが、内部はとても美しくリフォームというかイノベーションというのでしょうか、ともかくそういう改装を施されてとても快適な居住空間になっています。

知人はここの住人であるわけですが、そこになんと普通サイズのグランドピアノを数年前に購入しています。
外からクレーンで吊ってベランダから納入されたらしく、このとき、近隣住人や管理者への事前の許可などは敢えて得ることはしないで、購入後にその旨の挨拶をされたらしいのですが、その手際の良さと英断が功を奏してか、この数年間というものクレームらしきものもなく、ごく平穏に、しかもピアノのある充実した心豊かな生活を楽しんでおられるのが一目見てわかりました。

今どきですから、集合住宅の場合はちょっとしたテクニックというべきものが必要で、ヘタに正面切って事前の許可を得ようなどとしようものなら、却って藪蛇になるだけで、どっちみちいい顔されるはずのないピアノに対して、正式に「はいどうぞ」と言われることはまず無理だと思われます。
別の知人は、ピアノ可の条件でマンションを探したところ、なかなか思うようには事が運びませんでした。
最終的にはどうにか決まったものの、かなり時間もかかったようでしたし、そのために不必要な広さや部屋数であることも受け容れて妥協しなくてはいけなかったと聞いています。

さて、普通は団地にグランドピアノというと、いかにもミスマッチのように思われがちですが、子供のある家族などならともかく、そうでなければいざ置いてみれば、必ずしもそうとは限りません。
今回の知人のお宅でも、思った以上にピアノはきれいに定位置に収まり、なかなか良い雰囲気を醸し出していました。
やはりピアノのある空間はいいものです。

この方は、ここで音を出すのを夜8時までと決め、それ以降は消音機能で練習されているとか。
それでも、文句が出るところでは出るでしょうから、この方の場合、たまたま近隣の方の理解に恵まれたということも現実的にはあるとは思いますが、やはりそこはお互いの理解と気遣いと譲歩があればこそだろうと思われます。

ピアノはカワイのグランドでしたが、人間に喩えるならまだまだ幼稚園か小学校の低学年ぐらいの歳で、すべてはこれからという新しいものでした。中音域から高音に至る音色は、ふくよかさの中にもキチンとした骨格があって、変な癖のようなものがまったくない、とてもきれいな音を出すピアノでした。
このサイズの日本製ピアノは、どうかするとえげつない音になることがありますが、良い場合のカワイには、そういう一面がないところがやっぱりいいなあと感じ入ってしまいました。
低音もごく自然で、中音域からきれいな繋がりを持っていて、どんな曲にも対応できる幅広さと普遍性をそなえていると思います。

それにしても、部屋にグランドピアノのある眺めというのは、他に代え難い、豊かな文化性みたいなものがあふれていて、そこには非常に上質な空気が流れているように感じますから不思議です。
別項でも書きましたが、ピアノは現代の実利的尺度で見るなら、重くて場所をとるローテクのかたまりですが、そのグランドピアノが作り出す空間の質感というものは、たとえそこにどんなに高価なパソコンやAV機材等を並べたとしても達成することはできない、主の精神生活の豊かさみたいなものが溢れています。

同行した知人も、あの光景にはちょっと刺激を受けたと言っていましたが、たしかにそれはよくわかるような気がします。そのうちそのうち…と躊躇ばかりせずに、一日でも早くこういう環境を整えるための決心と行動をした人から先に、本当の豊かさと喜びを日常の中で享受することができるのだなあと思いました。

ピアノはもちろん演奏されているときもいいものですが、ふたが閉じられて、静かに佇んでいる姿もこれまたなかなかいいものだとマロニエ君の目には映ってしまいます。

いろんな制約の多い今の社会では、諸事情あって普段は電子ピアノ、レッスンや発表会などでどうにか本物ピアノに触れるというパターンがあり、それはそれでやむを得ないことではありますが、こうして本物ピアノを生活の中に迎え入れ、その空間で毎日呼吸している人の満足と充実度の高さというのはやはり格別で、この満足は電気製品では到底及ぶ領域のものではないようです。
2011/04/18 Mon. 01:55 | trackback: 0 | comment: 0edit

ポイントカード 

今どきはどこでも「ポイントカード」というのがありますね。
このポイントカードの取扱いと運用をみていると、だいたいお店の質というものがわかります。

質というのは別に高級品を売っている店という意味ではもちろんなくて、いかにお客さんを大事にし、イメージアップこれ努めているかという点、いわばお店の体質とか店員教育のレベルです。

マロニエ君は以前は今よりももっとたくさんのポイントカードを持っていましたが、これのせいで肝心なものはろくに入っていない財布は常にパンパンに膨れ、いざ買い物をしてポイントカードを出す際にも必要な一枚を探し出すのにもレジで一苦労してしまいます。

そのポイントカードには甚だ腹立たしい要素がまとわりつくのは皆さんもご経験があることと思います。
たとえば、500円にハンコをひとつ押すということになっていたとすると、950円プラス消費税で997円であってもハンコは1個で、こういうことってなんか無性に不愉快になるわけです。端数はいつも切り捨てられ、実際の金額より少ないハンコしかもらっていないのだから、こういうギリギリの場合は2個押すのが人情というものです。

また、カードそのものにも有効期限があって、発行から一年間、中には半年なんてものもあります。
ハンコを20個貯めたらなんらかのサービスが提供されるというような場合、あとわずかで達成するというようなとき、レジの頭の悪そうなオネエチャンから、すげなく「期限切れとなっておりますので、新しいのをお作りしておきまぁす。」と一言のもとに切り捨てられて、今まで一年間我が財布の中ですごしてきたカードはあっけなく処分され、またゼロスタートの新しいカードを手渡されます。

こういうことが重なって、しだいにポイントカードは持たないよう(作らないよう)にしました。
いくら得するか知りませんが、あんなもののせいで意識が縛られ、挙げ句の果てには期限切れなんてことになるぐらいなら、はじめから何もないほうがよほどいいと思うようになりました。
だいいち期限なんて言ったって、今どきひとつの店だけにそうそう一途に通うはずもなく、一年を僅かに過ぎてもポイントが満杯になるまで繰り返し来てくれたお客さんというのは、本来ありがたいものであるはずです。

マロニエ君がおかしいと思うのは、そもそもポイントカードというものが、お客さんの獲得とサービス提供のためにやっていることなのだから、その基本理念を考えれば、運用にあまり厳格になりすぎてお客さんに逆に不快感を与えてしまうようでは、これぞ本末転倒だと思うのです。

これは経営者と末端の店員との意識のズレなのかもしれませんが、結果的にルールのほうがすべての上に君臨して、お客さんのほうがそれに従うという、もはや本来のサービスの精神とはかけ離れた結果を生んでしまっているような場合が多すぎるように思います。

冒頭の「お店の質」というのは、それを適宜お客さんの利益になるように柔軟性をもって計らってくれる店や店員さんもあるわけですが、質の悪い店ほど杓子定規なルールの奴隷になって、いつしかお客さんよりも店やルールのほうが上位に立って威張っている場合があるのは、もしマロニエ君が経営者ならとんでもないことだと思うのですが。

ひどいのになると、店員がポイントカードのルールを語るときの態度が、まるで法令でも盾に取る官憲のごとくで、冷淡かつ上から目線の場合などもあり、こうなるとその店に対するイメージが悪化し、下手をすればこんな店には二度と来るものかという最悪の事態にも発展するものです。
たかがポイントカードぐらいなことで、ルールの執行者のような気になっているガチガチの店員ほど腹立たしくバカに見えるものはありません。

まあ、あんなものはないほうがよほど気楽に買い物が出来るということで、最近は大幅に縮小していますし、「お作りしましょうか?」と聞かれたときに、「いえ、要りません!」と言ってやるときの気分の良さといったらありません。
最近気がついたところでは、これを断っている人がかなり多いことで、やはり皆さん同じなんだなあと思います。
2011/04/16 Sat. 02:00 | trackback: 0 | comment: 0edit

ユンディ・リのライブCD 

タワーレコードの試聴コーナーに、ユンディ・リの「感動のショパン・ライブ・フロム北京」というのがあり、昨年5月に北京の国家大劇院でおこなわれた演奏会を収録したもので、どんなものかと聴いてみたところ、これがいろんな面で感じるところのあるCDでした。

マロニエ君は実を言うと、個人的にはユンディ・リは(お好きな方には申し訳ないですが)あまり評価をすべきピアニストとは思っておらず、自分なりにあれこれとかなりCDを買い漁るわりには、たぶん1枚も彼のCDは持っていないはずです。
それはNHKの放送などで何度となくその演奏に触れてみて、一向に惹きつけられるものがないし、昨年はショパンイヤーということもあって、ノクターン全集などもリリースされてそのつど店頭には数種の試聴盤が置かれたりしていましたが、どれを聴いてもまったく購買意欲が湧かない、はあそうですか…というだけの演奏にしか感じられませんでした。

ことさら嫌味はないけれども、いやしくも第一級のプロのピアニスト、わけても「世界的」なというフレーズがつくからにはその人ならではの世界、なにかしらのいざないがあって当然だろうと思います。
しかしノクターン全集などを試聴してみても、ひたすら楽譜通りなだけのガチガチな演奏で、そこには演奏者のなんの霊感も挑戦も感じられない、日本でいえば音大生的演奏のもうちょっと上手い人ぐらいにしか思えませんでした。

さて、その彼の最新盤である《感動のショパン・ライブ・フロム北京》ですが、冒頭のアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズの出だしからして、これまで知るユンディとはちょっと違う、ある種の気迫のようなものをとりあえず感じました。
オッと思ってしばらく聴いてみましたが、基本的にはこれまでのユンディであるけれども、自国でのリサイタルで、しかも面子のかかった北京の国家大劇院、さらにはライブの収録も兼ねているということもあってか、相当に気合いを入れているようでした。

しかし、よく聴くと、なんのことはない、演奏者がノッているというよりは、中国人の好みに合わせたハデハデな演奏を、求めに応えるべくやっているだけという感じが伝わってきました。
同じ気合いが入っているといっても、ショパンコンクールのライブCDでコンテスタントが繰り広げる演奏などは、まさに一期一会の白熱した真剣勝負のそれでしたが、ユンディのこのライブはあきらかにそういうものとは違った、一種のあざとさと、中国の大衆の好みを充分承知した上で表出させた派手さ、あるいは最大のライバルであるラン・ランを射程に収めた演奏だったようにも思われて、とてもタイトル通りに「感動」というわけにはいきませんでした。
ソナタも、英雄も、ノクターンでさえも、ガンガン弾きまくりです。

しかもライブCDの発売も予定されているとあれば、メイン市場はきっと中国国内でしょうから、やはりそのあたりのツボは心得ているように感じてしまいます。まあどうぞお好きなようにという感じですが。

それと、ヒエ〜ッと驚いたのはそのピアノの音でした。
いかにも中国的というか、やたらキンキンして唸りまくる、ユニゾンさえ合っていないようなその音ときたら、まるで安酒場のピアノみたいで、そういえば中国で触れたピアノはどれもこんな音だったことを思い出しました。

ピアノ自体は全体の響きの感じから(たぶん)スタインウェイだと思いますが、中国の技術者はあんな音をいい音だと思っているんでしょうね。しかも会場は国家大劇院という、現代中国の最高権威ともいえる演奏会場でのピアノなのですから、はああ…です。
中国は技巧派のピアニストは続々と誕生してきているようですが、ピアノ技術者のレベルアップはまだまだ当分先のことだろうと思われます。
しかも、驚くべきはEMIというヨーロッパの老舗レーベルのCDであるにもかかわらず、こんなピアノでプロデューサーがよく黙っていたもんだと思いました。

これを聴いて、ふと牛牛のショパン・エチュードもかなりのヘンな音だったことを思い出しましたが、これもやはりEMIでしたから、もはやイギリスの老舗の看板もなにもないのかもしれませんし、もしかしたら中国資本にでもなっているんでしょうか。

その点では、日本のピアノ技術者のレベルは、なんという高みに達していることかと、これまたひとつの感慨にとらわれてしまいます。
2011/04/15 Fri. 01:30 | trackback: 0 | comment: 0edit

そしてカラス 

ところが、喜びもつかの間、それはとんでもない勘違いでした。

柵に囲まれた、無傷のゴミの様子を見てみようと裏口を出たところ、なんと目の前には、またしてもゴミが散乱しているではありませんか!
…なんで???
いつものような盛大な量ではないものの、しかし手のひら一杯分ぐらいは散らかっています。

ゴミ本体を見ると、さしたる異変も無さそうですが、近づいてみると、置く場所が微妙に悪かったのか、下の方のやや柵に近いところがやられてしまっていました。
カラスの悪行というのは、とにもかくにも並大抵のものではなく、柵の4センチ弱ぐらいの金属の隙間から顔だけを突っ込んで、そこから4重ぐらいに包んだゴミをグリグリとつつきまわし、どうにか取れたものだけをあたりにまき散らしていたようでした。

イタチゴッコとはこのことで、人間はまたしてもカラスにしてやられたカタチになりました。
このときは、まるで空中からカラスが笑ってみているようで、煮えくりかえるほど腹が立ちました。

ひとつには、ゴミを置いた位置も微妙に悪かったわけで、できるだけ左右均等において柵からゴミまでの距離をとらなくてはいけないことが反省といえば反省ですが、それにしてもなんという執拗さでしょうか。

もう絶対に負けられないという気持ちに火がつき、さっそく対策を講じます。
必要なものがあればホームセンターなどへ材料を買いに行くのも辞さない覚悟ですが、ここは雨にも濡れる場所なので、ベニヤ板などの木材を貼りつけるのも得策ではないし、先々の耐久性や衛生面のことも考慮しなくてはいけません。

幸いにも使ったケージにはほぼ正方形のものと、その1.5倍の長さがある長方形が、それぞれ4枚ずつありましたが、このゴミ置きを作った結果、正方形が2枚余っていましたので、それを左右の側面にそれぞれに90度角度を変えてとりつけることで、柵の隙間を格子状にすることに成功しました。

おそらくこれで、カラスの頭の動きは一気に制限されるはずです。
今日は家人がこれに昼過ぎからゴミ袋を鎮座させていましたが、さすがに手出しが出来ないらしく、まったく荒らされた気配はなく、ようやくにして一段落つけるようです。

ちなみに憎きあまりカラスを傘などで追い払ったりしようものなら、敵は鳥のクセに頭が良くて人の顔をちゃんと識別して記憶できて、しかも相当に執念深いらしいので、後日外に出たときに上空から奇襲されたりするらしいので、これは絶対にしてはならないらしく、いやはやまったく手に負えない奴らです。

そういうわけで、ついにカラスの手出しができないゴミ置きを完成できたことは、人並みに「達成感」みたいなものがあって、非常に満足しています。
その後は、庭にカラスが来る気配もないので、おそらくいろいろ挑戦してみて、今回こそはダメだということを悟ったのでしょうね。ざまーみろです。
2011/04/14 Thu. 01:38 | trackback: 0 | comment: 0edit

続・カラス 

過日書いたカラスの撃退術ですが、マンションのゴミ置き場をヒントにゴミ袋の入れる囲いを作りました。

使ったものは、むかし我が家で飼っていたラブラドールが、まだヨチヨチ歩きのころ買い揃えた、子犬用のケージの金網です。
これが大小8枚ほどあったので、いつか処分しなくてはと思いつつ、不燃ゴミとして出すのもサイズが大きいために、ずっと物置の奥に置きっぱなしになっていたのですが、これを利用することを思いつきました。
またとない廃物利用で、こういうのってなんか嬉しいもんですね。

これを上下前後左右に組み合わせ、手前にはドアらしきものを付けて、結束には強くて簡単なナイロンのタイラップを無数に使うことで、ついにゴミ袋用の小さな柵を作り上げました。

大きさがまた実に上手い具合に、45Lのゴミ袋をひとつ、余裕をもって入れるのにちょうど良い、まるで誂えたようなサイズに出来上がったのもなんともラッキーという感じでした。

網は格子状ではないものの、間隔は一方向に4cmぐらいで、どうみてもカラスが中に入ることは不可能なもので、これでは敵も手出しが出来ないだろうと思われて、完成したときには思わずニヤリとなりました。
さあ、「いつでも来い!!」というわけです。

このカラス防御用のゴミの柵は縦に長い直方体で、背面を壁にくっつけて置いているので、前面、上面、左右の両面という4面のケージの枠がカラスからゴミを守るという事になります。

そしていよいよゴミ収集の日がやってきて、これまでは鳥が活動しなくなる日没まで待たないと出来なかったゴミ作り(大小のゴミをまとめて収集袋に入れる作業)を昼間から始めるというだけでも我が家ではえらく新鮮な感覚で、出来上がったゴミのかたまりを恭しくこの囲いの中に入れました。
家人もこれまでに何度となく散々な目に遭わされてきており、無事に役目を果たすのだろうかと、いやが上にも期待が膨れます。

同じくケージで作ったドアを閉めて、開かないようそこに紐を結んで作業完了。
あとは夜になれば表にゴミを出せばいいわけです。

ちなみに人気TV番組の「秘密のケンミンショー」によれば、深夜にゴミ収集車が回ってくるのは福岡がとくに珍しいらしく、大半の地域では朝なんだそうですね。しかも前夜から出すのはダメなので、それでよく出勤時のダンナさんに奥さんがゴミを出させるというような光景があるのだということを知り驚きました。
これひとつでも、低血圧で朝の苦手なマロニエ君にとっては福岡はありがたいところです。

さて、そのゴミですが、出来上がった柵のなかにゴミ袋を入れてから、一時間ほどたったころでしょうか、なんと、はやくも庭にはカラスがあらわれましたが、キョロキョロしながらポンポンと庭を跳ねているだけで、しばらくするとパッと飛び去っていったのは、どうやら収穫がなかったらしく、思わずヤッタァ!と思いました。
2011/04/13 Wed. 01:45 | trackback: 0 | comment: 0edit

知事選挙 

統一地方選も終わり、民主党が敗北したのは当然としても、同日に全国数箇所では知事選も行われ、その当落が確定しました。
東京では現職知事が4期目!に突入というのもどうかとは思いますが、それでも、あのお笑い出身の上昇志向の権化のような人が落選したのは、ほぼ予想したこととはいえ、万が一ということを考えると、あらためて妥当な結果が出てホッとさせられました。

落選後のインタビューによると、この人は前の県知事を1期で辞めたのは、鳥インフルエンザや口蹄疫の責任を取っての行動だったと言っているそうですが、だとしたら引責辞任した人が、ほとんど間を置かず、今度は一気に大東京の知事をめざして立候補したのは、いったいどういうことかと思います。
まあ、かつても自民党の選挙を牛耳る大物議員に向かって、「ワタシを(自民党の)総裁としてお戦いになるか?」などという、聞いたほうは悶絶しそうな事を言うような人ですから、その桁外れな欲望の前では、筋論もなにも求める方が愚かとも思いますが。

というわけで、東京はまたも物書き出身、スター俳優の兄であるあの人が再びその任に就くことになりましたが、いきなりお得意の○○節とやらを炸裂させて「日本人の我欲は戒めるべき!」「つましく暮らせ」などと、当選インタビューの段階から吠え始めたのは呆気にとられました。
今の20代の人などは知らない人も多いかと思いますが、実際にはこの人こそ「我欲の元祖」みたいな人で、若い頃からその我欲エネルギー一筋で今日まで来たような人なのに、いまさら何を言っているのかと思いました。

自民党の時代も総理になりたくてなりたくて、この人はどれだけの節操なき行動運動を繰り返してきたことか。
そのあくなき欲望ときたらあの永田町でさえ一際目立っていたというのに。
その挙げ句、とうとう総理の芽がなくなって、どうしようもなくなって、後出しジャンケンで都知事選に出たら通ったというだけのことで、そのほとんど妄想に近いような出世欲は、常軌を逸しているとしか思えないようなもので、その点ではお笑いの元知事とまさに同格でしょう。

そんな人の口を通して日本人は我欲がどうのといまさらお説教されても、かつての鳩山さんじゃありませんが『アナタの口から聞きたくはない』と言いたくなるのが正直なところです。
インタビューで何を聞かれても怒るばかり。総理でも何でも年下と見ればクン呼ばわりする癖も相変わらずで、やっぱりこの人、感じ悪いと思いました。

さて東京の事どころではありません。
我が地元も現職が4期勤めて引退することで新しい知事が誕生しましたが、この人の詳しいことは知りませんが、その映像を見ただけで、いきなり憂鬱になってしまいました。
はやくも前知事の院政などと囁かれますが、たしかに同じ大学の同じ学部で、同じく通産省の出身の官僚あがりですが、あまりにも華のない、陰と陽なら、まさに陰の、その暗いイメージには見るなり強烈な失望感と虚しさに襲われてしまいました。

インタビューされても、喋りがたどたどしくて話が流れず、言葉と言葉の間には老人のように間がありすぎて、質問者のほうも会話のリズムが何度かズッコケていましたし、当選したというのに笑顔のひとつもなく、コメントも相手の顔を見ず目線は常に下を向いているのはガッカリで、こんな人が知事になったのかと思うと暗澹たる気分です。

人の上に立つ人ということには、なにかそれらしい風格とか雰囲気というものが必要ですが、どうみてもそれは微塵も感じられませんし、別に美男美女である必要はありませんが、それなりのリーダーの顔(顔つき?)と人望がなくては人心を惹きつけることはできないでしょう。

一般論としても、どうみても人の上に立つ器ではない人が、なにかの拍子や巡り合わせでその地位に就いたときの違和感、あのなんともいたたまれない気分というのは、本当に見ていて気持ちが萎えていくものですが、最近、それを感じることがあまりに多すぎるように思います。

選挙事務所で斜め後ろに立っていた、なんにも中身のなさそうなテレビキャスター出身の若い市長のほうが、このときばかりは、はるかに明るくさわやかな感じに見えてしまいました。
2011/04/12 Tue. 01:51 | trackback: 0 | comment: 0edit

某所のスタインウェイ 

昨日書いた、とあるのホールの続き。

スタインウェイは事実上、まっさらの新品といって差し支えない状態でした。
いかにも今のドイツの工業製品というに相応しい、生産品としてはほぼ完全なもののように見えましたが、昔と違って見えない部分にコストの問題などを抱えているのも事実で、不思議にこのピアノは心を揺さぶられるものがありません。どうしても興奮できないというか、このピアノと駆け落ちしたいという気にならないのです。

もちろん新しいということはピアノとしてはハンディとして考慮すべき点ですから、これをもって結論めいたことは決して言えませんが、やはり最近のスタインウェイの特徴がここでも見えたのは事実で、かつての強烈な個性や魅力、聴く者を圧倒する強靱な鳴り、コクのある音色は影を潜め、薄味で、作り手が製造精度やネガ潰しにばかり腐心しているように感じます。
最近ショパンコンクールのライブを相当量聴きましたが、そこで聴くスタインウェイも根底がまったく同じ音でしたから、やはりこれは今のスタインウェイの特長であることは間違いなく、CDでも、TVでも、実物でも全部同じ音がします。その代わりといってはなんでしょうけど、品質管理・当たりはずれの無さは猛烈に上がっているようで、もはやスタインウェイも事実上カタログで注文していいピアノになったのかもしれません。

まるで今のドイツの高級車みたいで、美しい作りや高性能と厳しい割り切りがひとつのものの中に共存し、だれが乗っても触ってもその性能の8割方までは必ず楽しめる、そんな利益の上がる生産品を作り出すことを旨としている感じです。
昔の超一流のスポーツカーやピアノには、それを使いこなせるまでは修行して出直して来い!とでもいったような、使い手におもねらない気高さと近づき難さなど、本物だけがもつ凄味と、実際それだけの裏付けがありました。
今は、お客様優先でイージーに楽しめる保証付きの製品を目指しているんでしょう。

ピアニストに喩えると、もちろん演奏に際してミスタッチなどはないほうがいいに決まっていますが、そんなことよりもっと大事なものがあるという演奏を臆せずすることで聴く人に深い感銘を与える人と、音楽的には凡庸でこれといった特徴も魅力もないけれど、指はとにかく達者でミスタッチなどしないで常に安定した演奏ができ、結局、総合点でコンクールに優勝したりするタイプがあるものです。

新しいスタインウェイがいささか後者のような要素を帯びてきたと感じているのは、決してマロニエ君だけではないと思いますが、残念ながらそれをまたしても確認してしまったという結果でした。
確信犯的に、周到に材料の質から何から割り振りされていて、はじめから器が決まっていて、限界が見えているピアノという感じが頭から拭えません。昔のように何か得体のしれないものの力によって腹の底から鳴っているという、思わず鳥肌が立つような、あのスタインウェイの真髄や凄味はもはや過去のもののようです。

かつて、世界中のどれだけの人が、このスタインウェイの魔力の虜になったことでしょう。
業界人の中にはしかし、これを単なる懐古趣味やマニアの思いこみであるかのように言い抜ける人がいますが、本当にピアノがわかる人なら本心からそう思っているとは到底考えられません。
あきらかに以前のスタインウェイにはピアノの魔神のごとき魂みたいななものが宿っていたのは事実です。

しかし、さすがにアクションなどは新しいぶんしなやかで、ピアニッシモのコントロールなどは思いのままでしたし、ダンパーペダルなども極めて抵抗が少なく滑らかで、こういうところはさすがだと思いました。

スタインウェイは今も内部の細かい仕様変更などをしていると聞きますが、今回のピアノは心なしかこれまでよりキーがわずかに深くなっているようにも感じました。

蛇足ながら、この1〜2年ぐらい前から採用されだした新しいキャスター(足についている金属の大型車輪)は、同じものがベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、シュタイングレーバー、プレイエルなどにも装着されており、これだけ数社のコンサートグランドに採用されるからには、よほど機能が優れているのかもしれませんが、見た感じはなんとも不恰好で、せっかくの美人がゴツイ軍用靴でも履かされているようで、強い違和感を覚えます。

ヤマハ、カワイ、ファツィオリなどがまだこのタイプではないのは、せめてホッとするところです。
2011/04/11 Mon. 01:54 | trackback: 0 | comment: 0edit

某所のベーゼンドルファー 

ピアノ好きの知人のお誘いを受けて、とあるホールへピアノを弾きに行ってきました。
ここは昨年秋にスタインウェイのDが導入されて、以前からあったベーゼンドルファー275とヤマハCFに加えて3台体制となったようです。
ステージに行ってみるとスタインウェイとベーゼンドルファーの2台が準備されていました。

ここのベーゼンドルファーを弾くのは二度目ですが、以前はかなり調整から遠ざかっているといった状態で、とても本来の実力とは思えないコンディションでしたが、今回は見違えるほど入念に調整されていて、むろん調律だけでなく、音色からタッチまで、すべてに調整の手が入っていることは触れるなりわかって、そのあまりの違いにびっくりしました。

スタインウェイもそうでしたが、両方ともどうやら調律仕立てホヤホヤみたいな印象で、今回はよほどタイミングが良かったのだと思います。
二人で行って、交代で2時間ゆっくり弾いてきました。

ベーゼンドルファーはまろやかさが上積みされて、タッチの感触も均一で心地よく、いかにもシャンとした身なりの人みたいな雰囲気にあふれていたので、以前よりも格段に弾きやすい感じを受けました。
マロニエ君はベーゼンドルファーではどうしてもショパンなどを弾く気にはなれないので、シューベルトのソナタなど、この楽器に敬意を表して相応しい曲の楽譜を持参してこのヴィーンの名器を堪能させてもらいました。

そこで感じたことは、調整はかなり入念にされているとは思ったものの、なぜかタッチコントロールによる音色の変化など、音楽性という点においてはそれほど敏感なピアノにはなっていない印象だったのはちょっと意外でした。無造作にパラパラと弾く分には以前よりたしかに格段に弾きやすいのですが、これぞベーゼンドルファーという弱音域の表現力などはあまりなく、どちらかというと一本調子なピアノであったのはどうしたことかと首を傾げるばかりです。
まあ、このほうが一般ウケはするのかもしれませんが、少なくともタッチや弾き方によって音色を作り音楽を表現するという余地があまりないように感じました。

これは調整した人が上手すぎて、あまりにも立派に調整してしまったために、変な言い方ですがそれによってピアノが一ヶ所に固定され完成しすぎてしまい、最終的には演奏者に下駄を預けるといったところのない、安全指向のピアノになっていたように感じました。
どう表現を誇張してみても、あまりピアノがついてこないのは意外でした。

それはマロニエ君の腕がないからだ!とお叱りを受けそうで、もちろんそれはそうなんですが、でも下手クソほど実は表現力のあるピアノはある意味で恐い存在で、いいかげんな弾き方をしようものなら、そんなアラがいっぺんにバレてしまうほど、一流の楽器というのは元来敏感なものなのですが…。
しかし恐いけれども、気を入れて、心を込めてしっかり弾くと、ピタッとピアノがついてくる、これが本来の名器だと思うのですが、もしかしたら日本のピアノ向きの調整だったのかもしれません。

少なくともベーゼンドルファー特有の、優雅の中にかすかな下品さみたいなものがチラチラする、そんな瀬戸際を演奏者の裁量で楽しむスリルはなく、ピアノ全体が優等生的にグッと安全圏内に移動させられたようでした。

それにしても、いまさらながらこのベーゼンドルファー275の、見た目の華やいだ美しさには、ほとほと感心させられ、見るたびにため息が洩れてしまいます。
チェンバロのようなカーブ、薄いリム(外枠)、赤味の入った弦楽器のような色のフレームとそこに開けられた無数の大きな穴、芯線部分もすべて一本張弦で、何もかもが手間暇かけて、軽く薄くデリケートに作られているようです。

スタインウェイはピアノとして最高の実用楽器ですが、こちらはまさに贅沢品という趣で、見ているだけで目の保養になります。でも弾いた感じは、ちょっと優等生的で、もう少し裏表があるのが本来のピアノの姿では?と思いました。
もちろん全体としては気品あふれるピアノだったのは言うまでもありませんが、そのわずかのところが楽器の世界は難しいもんだと思います。
2011/04/10 Sun. 01:47 | trackback: 0 | comment: 0edit

珍会場コンサート 

偶然にも、5月に福岡市内でおこなわれる非常に珍しい会場でのコンサートの情報を得ましたのでお知らせします。問い合わせ先の電話番号も記述すべきか迷いましたが、いずれもすでに公表されている情報なので敢えて書きました。

(1)【管谷怜子 ピアノリサイタル】
会場:日時計の丘ホール(福岡市南区柏原3-34-41 TEL092-566-8964)
   http://hidokei.org/
日時:2011年5月15日(日) 開演15:00
価格2,000円(税込)
お問い合わせ TEL 090-1192-0158
〈プログラム〉
バッハ:パルティータ 第1番 BWV825
モーツァルト:ピアノソナタ 第9番 K.310
シューマン:交響的練習曲 Op.13

(2)【高橋 加寿子 ピアノリサイタル】
会場:みのりの杜ホール(福岡市南区桧原2-47-25荒川邸敷地内)
日時:2011年5月25日(水) 開場10:30 開演11:00
価格1,000円(税込)
お問い合わせ TEL 090-7921-5000(野田)/090-3074-5771(五條)
〈プログラム〉
バッハ:平均率よりプレリュードとフーガ ニ短調BWV874
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
ショパン:幻想即興曲・エチュードOp10-5「黒鍵」・Op10-12「革命」
ノクターンOp9-3ロ長調・ワルツOp64-3・グランドワルツOp42
高橋 加寿子氏のプロフィール
16歳で単身英国留学 パーセルスクール(高校)、ギルドホール芸術大学にてピアノ演奏家コース終了
同大学にて演奏家リサイタルディプロマを首席で取得
ロイヤルカレッジオブミュージック演奏家ディプロマ取得
ロイヤルアカデミーオブミュージック演奏家ディプロマ取得
オックスフォード ピアノコンクール優勝

(1)の「日時計の丘ホール」はマロニエ君も行ったことがありませんが、ホームページによると福岡市南区柏原にある「小さなギャラリー、小さなホール、小さな図書館」と銘打った可愛らしい施設のようです、写真を見ているとぜひ一度訪れてみたくなります。
ここにはなんと1910年製のブリュートナーのグランドがあり、このピアノを使ってのコンサートのようですから、ありきたりの会場、ありきたりのピアノに食傷気味の方にはおもしろいコンサートかもしれません。
ブリュートナーはライプチヒのピアノで戦後は東ドイツに属しましたが、西のベヒシュタインと覇を競ったピアノともいえるでしょう。
ライプチヒといえばバッハですから、プログラムもこのドイツの名器に合わせたものなのかもしれません。

(2)はこのブログの2011.1.21にご紹介したホールで、個人の邸宅内とは思えない瀟洒な美しいホールで、しかもスタインウェイのコンサートグランドがあるという思いがけない会場です。
開演が11時ということで、これもまた普通とは違って意表を突いたような時間帯で、平日のこの時間に行くのはなかなか難しく、これに行けるのは限られた人になるとは思いますが、ともかくそういうコンサートが予定されているということのようです。

行かれる場合は、事前のアクセス調査が必要になると思いますが、マロニエ君も都合が許せばできるだけ行ってみたいと思っています。
2011/04/09 Sat. 01:31 | trackback: 0 | comment: 0edit

カラス 

このブログでカラスといえばまるでマリア・カラスのことのようですが、さにあらず、黒い鳥の「烏」のことです…。

カラスの被害というのは全国的なもののような印象もありますが、とにかくマロニエ君の自宅付近にはこれが昔から多く棲息して、集団で勝手気ままな生活をし、人間は被害は受けてもなにひとつ手出しができません。

とくに季節によってはものすごい数のカラスが上空を回遊しており、近くの電線はむろんのこと、どうかすると我が家の庭にまでやってきてペタペタ歩き回っています。
庭に来ているのを見ると、けっこう体も大きいことに驚かされます。

我が家は動物園のすぐそばなのですが、それが関係しているのかどうかはわかりませんが、とにかくカラスの数は大変なもので、もし仮に庭でウサギのような小動物でも飼おうものなら、おそらくいっぺんでその餌食にされるだろうと思います。
動物園を中心としてマロニエ君の自宅とは反対側の丘の上には私立高校があるのですが、夕方などそこを通ると、学校の校庭や体育館の屋根の上にはまさに胡麻をばらまいたように無数のカラスが集結していたりして、何度見てもあの不気味な光景はゾクッとしてしまいます。

実際の被害もあるわけで、その最たるものが家庭ゴミです。ゴミ作りをしてちょっと1時間でも目を離していると、気がついたときには情け容赦なく無惨につつきまわされて、あたり一面はゴミがめちゃめちゃに散乱することになります。
我が家ではゴミの袋は二重にして、さらにスーパーのレジ袋やらなにやらで、生ゴミなどに直接到達するまでには何重にもガードしているのですが、どれだけのことをしてもあの憎きカラスには一切通用しません。
おそらく力も相当強いのだと思いますし、固くまとめられたゴミをどこからでも電気ドリルのようにつついて、破って、中を引っ張り出して、更につついて、中の中が出てくるまで絶対にあきらめません。
そのしつこさというか執拗さは、ちょっと想像を絶するほどの執念深さがあるようです。

もうさんざん苦い経験をして気をつけているつもりでも、これまでに何度ゴミ攻撃をやられたかわかりませんし、それをされるとその後かたづけだけでも大変な作業になります。
しかも、あたり一面にまき散らされた自分の家のゴミを掻き集めるのほど、情けなく腹立たしいものはありません。
我が家だけでなく、近所でもカラスによるゴミ散乱の光景を何度見たかわかりません。

まあ、敵は鳥なので、陽が落ちれば活動しなくなりますから、陽が落ちてからしかゴミ作りはしないことにしていますが、どうしても夜出かける予定があったり、何らかの都合で夕方のまだ明るい時間帯になってしまうことがありますが、少々の防御ではまるで効果は無く、カラスの力の前にはほとんど意味を成しません。

マンションなどでは、金網のついた立派なゴミ置き場がありますから、さすがに奴らも手出しができないようです。
必ずや敵を欺いてやりたいところで、それを参考にひとつ方法を思いついていますので、近く実行してみるつもりです。
2011/04/08 Fri. 01:38 | trackback: 0 | comment: 0edit

現代の巨匠 

少し前に放映されたアンドラーシュ・シフの映像で、昨年のライプチヒ・バッハ音楽祭におけるコンサートから、改革派教会でおこなわれた演奏(フランス組曲全6曲、フランス風序曲、イタリア協奏曲)にあまりにも深い感銘を受けてしまい、2度ほど通して視聴してみましたが、いやぁ…これは本当に出色の出来だと思いました。
そしておそらく、今後もそうそう出てくることはないレヴェルの演奏だと思います。

彼は間違いなく現在、世界最高のバッハ弾きの一人であると同時に、現在ピアニストとしても最も脂ののった絶頂期にある旬のピアニストであるのは間違いないでしょう。
シフが比較的若い頃に入れたバッハ全集は聴いていましたし、シューベルトの全集などでもその並々ならぬ実力は見せていましたが、これほど高度な演奏をするに至ったことはまったく驚くべきことだと思います。
このところ、シフは一気に深まりを見せ、芸術家としてずいぶん高いところに昇っていったようで、いつの間にあんな凄い人になったのかと驚くばかりです。

バッハ作品には欠かせない各声部の動きが、必要に応じて、ときに即興性をもって、これほど自在に飛び交うように歌い合い絡み合い、それでいて全体が極めてまとまりのある音楽として次々と流れ出てくる様は、ただもう喜びと敬服に浸るばかりです。

しかもこれだけの量のバッハ作品(約2時間半)をすべて暗譜で、密度をもって、闊達朗々と弾いてのけるのですから、もはや人間業ではないという気がしました。

バッハといえばひたすら正しく、峻厳に、しかめ面して弾くか、あとはかなり崩した感じか、いっそモダンなアプローチでこれを処理しようという演奏家などが目立ちますが、シフはそのいずれでもなく、つねに伸びやかで、歌心があり、やりすぎない節度と道義があり、精神性が高いのに鮮烈でもあり、まるでこの人自身がひとつの高い境地に達しているようです。
彼のバッハは正統的でありながら、堅苦しさのない自然体で、音の輪郭が明晰で聴いていて飽きるということがまったくありません。

また事前の準備も相当にしているとみえて、録音も優秀だし、指も一切の迷いなくめくるめく動いて、確信に満ちた音楽が活き活きと必然的に流れていきます。
注目すべきは会場である改革派教会にはかなり強い残響があるようで、そのためかどうかはわかりませんが、シフはすべての曲を一切ペダルなしで弾き通しました。しかし目を閉じて聴いているかぎりでは、とてもそうとは思えない充実した美しい響きが燦々と降り注いでくるばかりでした。

我が意を得たりと思ったのは、ここで使われたピアノはそう古い楽器でこそありませんでしたが、新品とは程遠い楽器で、黒鍵の黒檀は手前部分が光っているぐらいまで、相当に使い込まれている年季の入ったピアノだったのが印象的でした。むろん調整も見事のひと言。
マロニエ君の部屋の「新しさの価値と熟成の価値」で書いたように、こういう感動的な演奏には、まっさらの新品ピアノなど考えただけでもミスマッチです。
2011/04/07 Thu. 01:36 | trackback: 0 | comment: 0edit

ラミー 

いつもくだらないことばかり書いているこのブログですが、さらにくだらないことを書きますと、マロニエ君はロッテのラミーチョコレートが子供のころから大好きで、それはこの歳になっても少しも変わっていないのには自分でも驚きます。

これはバッカスと並ぶロッテの長寿商品で、もちろんどこでも売っているのでご存じの方も多いと思いますが、チョコレートの中にラム酒につけ込んだレーズンが入っているアルコール入りチョコレートです。

これを生意気にも子供のころから食べているのですが、こんなものを食べ続けても、マロニエ君はついに酒好きにはならなかったのが不思議といえば不思議かもしれません。要するに酒好きになる前兆としてではなく、あくまでこのラミー単体が好きだったことが、成人して後もついに酒呑みにならなかったことで見事に証明されたようなものです。

このラミーはいわゆる季節限定商品で、毎年秋から翌年の春先まで販売されます。
つまり3月をもって、今期のラミー販売は終わりを告げたようで、店頭でも潮が引いたようにこれを見ることがなくなり、実になんともがっかりする季節です。これから約半年、ラミーなしの生活を送らなければいけないと思うと、たかだか市販のチョコレートなのに、なんだかとてもつまらなくて、心の中にポロンと空白が出来るような気にさせられます。

逆に、秋口になってラミーの濃いピンクのパッケージが店頭に出てくるのを見ると、いまだに思わず心が高ぶってしまいます。これまでに食べた数を想像すると、どう考えても何百というのは間違いなく、下手をすると千の大台に届いているかもと思われます。
こんなに長年、一途に同じ商品を好んで食べるとは、我ながらまったく、ロッテから表彰でもされたい気分です。

ラミーが販売されている季節はスーパーなどへ行ってもチョコレート売り場を素通りできず、つい覗いて、あの刺激的なピンクの箱のラミーがあると、どうしても1〜2個は買ってしまいます。

そんなに好きなら大量に買い置きでもしておけば良さそうなものですが、ラミーは実はある程度の鮮度がものをいう商品で、時間が経つと中のラムレーズンがしぼんで固くなってくるので、ジューシーな状態を味わうべく、常に3〜4個をストックしながら順次買い続けるという、長年の経験から編み出したパターンになってしまうのです。

マロニエ君にとって、ラミーは一種の中毒的常習的な存在かもしれず、もしかするとあの色っぽい刺激的なピンクのパッケージも罪な色なのかもしれません。
わかっていてあの箱を見ると、いまだに意識がハッとそっちに行ってしまいます。

まるで腐れ縁の女性に、いまだに誘惑され続けて、いいなりになっているみたいですね。
でもここ当分、そのラミー嬢ともしばしのお別れです。
また秋に!
2011/04/06 Wed. 01:34 | trackback: 0 | comment: 0edit

それなりのもの 

マロニエ君は夜にスーパーで買い物をしたりするのですが、たまに日中も外に出たときには、ついでがあれば買い物まですることがあります。

このところ、どうも流行っているらしいのが、住宅街みたいなところに突然できる八百屋でしょうか。
古い民家やマンションの一階などを急ごしらえで八百屋にしたような、あれです。

昔なら八百屋は市場や商店街のような決まった場所にあったものですが、最近ではなんの脈絡もないような場所に、突如として産地直送のような店ができることが珍しくないようです。

お店はいろいろだろうとは思いますが、目につくのはやはり低価格をウリにしているらしいのが多く、どうやら店主が産地から直接買い付けてくる場合などもあるようです。

何度かこの手の店で買ってみたことがありますが、スーパーの野菜のように徹底して商品化されていないぶん、形もイマイチだったりしますが、べつに自宅で食べるについてはこれといった支障もないので、はじめは珍しさもあり、機会があればときどき買っていました。
しかし、安くて新鮮な野菜というイメージはすぐに崩れました。
スーパーで売っている野菜がいいとは決して言いませんが、やはり断然きれいだし、値段もほとんど大差ないことが判明するのにそう時間はかかりませんでした。

上記の八百屋はたしかに値段も安めになってはいますが、決して激安というわけでもなく、スーパー基準のやや安めという程度に過ぎません。しかも値段は品質に準ずるのは当然なので、あまりきれいでもない野菜となれば本当に安いとばかりも言えず、要するにそれなりのもの、妥当な価格だということです。
いや、もしかしたら、品質に対しては逆に割高ということもあるでしょう。

これが畑から直接持ってきたような、本当に新鮮で美味しい野菜なら見た目はイマイチでもその限りではありませんが、この手の八百屋は決してそうではなく、ただ単にスーパーで売っている商品より下の二級品という感じしかしないのです。
それでもそこそこお客さんが来ているのは、やはりなんとなく安くてお買い得のような「イメージ」があるからだろうと思われます。スーパーできちんと商品管理されたものにある意味で飽き飽きしている現代人は、こうしたいわばなつかしい素朴で野趣に溢れた売り方につい乗せられているのかもしれませんし、現にマロニエ君も何度かそんな気になって買ってみたわけです。

しかし、わざわざそんな店で買うメリットがないことに気付いたので、またスーパーに戻ってみると、やはりこのほうがはるかに品質も安定していて、値段も決して高くはないので、いらいあの手の八百屋で買うことはパッタリとなくなりました。

いっぽう、スーパーではなくプロが仕入れをするような店もあるのですが、たまにそっちに行くと、並んでいる野菜は質が高くて、なんときれいなことか!と思います。
値段はこれまたスーパーよりほんのちょっと高いぐらいですが、決して法外なものではありません。

要するに、品質を考慮すれば、これが一番お買い得だというのが我が家の結論で、家人もできるだけここで買うようになりました。もちろん利便性の点でスーパーには適いませんから、スーパーで買うこともしばしばですが、できれば野菜などはきれいなものを食べたいものです。

考えてみれば、あちこちに登場した名も知れない八百屋は、実はしっかりと現代の流通経路に沿って分類された相応の商品を、巧みに売りさばいているだけのことに思えてきました。
これもわずかな絶対額の差に一喜一憂するお客の心理を見事に突いた商法だろうと思います。

本当に安いというのは決して絶対額だけではないという当たり前あのことが痛感させられます。
2011/04/05 Tue. 01:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

九州新幹線 

昨日は九州新幹線に初乗りしました。
目指すは薩摩川内市でしたが、そのことはまたあらためて報告します。

新装なった新しい博多駅にもこの日初めて踏み入れましたが、結論から先に言うと、マロニエ君はちっとも良い印象はありませんでした。
駅ビルがあれだけ大々的に建て変わったというのに、筑紫口のほうは旧態依然としているほか、一階のコンコースはじめ、周囲の商業施設などには昔の名残が散見され、昔のままの骨格を化粧直しですまされていて大いに落胆。
基本的なものはそのまま使っているようで、単にその上に被さっているビルだけを建て替えたということが、行ってみてようやく理解できました。まあ、それならそれで構いませんが、あの報道の取り上げ方、騒ぎ立て方は大げさすぎるのではと思います。

ざっとひとまわりしましたが、テレビなどではまるで天神のお客さんが新しい博多駅に吸い取られるようなことも言っていたけれど、とてもとても、そんな力のある商業エリアが出現したようには見えませんでした。

出発前にお土産を買おうと阪急百貨店の地下に行ったところ、ドーナツやケーキなど、たかだかおやつを買うぐらいのことで、凄まじい行列があちらこちらに何本もできているのには口あんぐりで、マロニエ君のもっとも嫌いな光景を思いがけなく目の当たりにしたことでした。
行列がほとんど地域文化と言ってもいい東京ならいざ知らず、ほとんどそういうものの無い、もしくは極めて少ないことが我が博多の誇れる点だと思っていましたが、この阪急百貨店のデパ地下に限っては、まるで別の街に紛れ込んだようでした。
ああいう行列に、背中を丸めて、しまりのない顔をして、人の背中の前にじっと立っている人達を見ると、人間の欲がむき出しになっているようで、なんだかどうしようもない気分になってしまいます。

新幹線は、これまで博多駅は上り方面の始発駅でしたから、南に向けて車輌が動き出すというのは初めての体験でした。
発車してしばらくは外の景色などをみていたのですが、少し経つと車内アナウンスがあり、早くも久留米への到着を告げられたのにはおどろきました。車で行くには高速を使っても前後あわせると1時間前後はかかるのに、なんという早さでしょう!
博多から薩摩川内(鹿児島のひとつ手前)までは240キロ強ほどあるようですが、1時間20分ほどで到着しました。

さて、マロニエ君は鉄っちゃんなどではありませんので、新幹線の車輌のことなどはまるきりわかりませんし、新幹線じたいも2年に1度乗るか乗らないかぐらいですが、印象としては、なんだか乗るたびに乗り心地は悪くなっていくような気がしました。
0系から次第に進化して、ここ10年ぐらいでいっても「のぞみ(だったかな?)」あたりの柔らかくて洗練されたすべらかな乗り心地が頂点だったようで、それがレールスターになると明らかに質の低下が感じられました。当時、世の中ではいろいろなものがコストダウンされはじめた時期でもあり、新幹線車輌といえどもその波が容赦なく襲ってきているんだなあという時勢をしみじみ感じたものです。

ところが、昨日乗ったさくらは、そのレールスターどころではありませんでした。
車でもそうですが、乗り味や足回りの優秀性、ボディの立て付けの確かさなどは、はじめの動き出しの数秒に圧縮してあらわれるものだと思っていますが、本当に高級な乗り物は、この動き出しが非常に濃密で厳かで、乗り手がまずはじめに感銘を受ける部分なのですが、これがまったくなく、ただ普通になめらかに義務的に動いていくようでした。

とにかくこれまでの新幹線にあった一種の上質な乗り味というのがほとんど感じられず、ただスピードの速い高性能電車という印象しか得られませんでした。とくに帰りは夜でしたが、夜の乗り物というのは音などに対して一段と敏感になるものですが、この音のうるさいこと、ひっきりなしの振動が収束しきれていない事にも閉口しました。
車内は高速になるとまるで飛行機のような、疲れる爆音に包まれます。飛行機に較べて新幹線の快適性のひとつに騒音の低さがあったと思っていましたが、これはもはや過去の話のようです。

これはまったくマロニエ君の想像ですが、ボディを軽く(そして安く)作るのに、強くて軽量な素材を多用して、その結果遮音効果のあったものがあれこれと省かれたんではというような気がします。
つまり、乗る人の快適性が犠牲にされて、すべては効率重視の設計になったというわけだろうと思います。
窓も従来の広い窓はなくなり、飛行機より大きい程度の窓が小刻みにならんでいますが、これも窓を小さくすることによって得られる、車体の強度確保のための結果ではないでしょうか。窓を小さくして、そのぶん骨組みに当てればそれだけ薄っぺらなボディでも強度は保てるというお馴染みの図式のような気が…。

楽器でも、乗り物でも、映画でも、人間関係でも、なんでもそうですが、良い意味での絶頂期というのはどうやら過ぎ去っていったようです。なんとなく振り返っても、20世紀までのほうが、あらゆることが上質で贅沢、つまり本物だったような気がします。
21世紀はガマンと節約と省略の時代のようです。
2011/04/04 Mon. 01:55 | trackback: 0 | comment: 0edit

写真の力 

病院などで週刊誌をめくっていると、当然ながらどの誌も冒頭グラビアは東北の震災の、激烈な様子が掲載されていますが、見れば見るほどあらためて驚嘆に値する凄まじいものです。

これらの写真を見て感じることは、いくら何度も見たつもりのテレビ映像からではわからなかった、写真ならではの現実の様子がひしひしと迫ってくる点で、すごいとしか言いようがありません。

静止画というか、つまり写真は、見る側に時間的に余裕と自由があり、つぶさにほうぼうを点検することができますから、より生々しく現場の戦場のような様子が手に取るように克明にわかります。
津波の動きやあらゆるものが破壊されていく様子などは動画でこそわかるものですが、被災後の様子や、より接近した事実を伝えるには圧倒的に写真のほうがリアリティをもっていると痛感します。

動画は動画の価値があるものの、なにしろ動きが早く、あっという間に画面は変化していきますから、ひとつの場面を現場に立っているような感覚でじっと見つめることはできませんが、写真はピントも鮮明だし、見る人が任意に時間をかけてその写真と対峙するわけですから、そのぶん凄味も伝わるのですが、それによると、マロニエ君にとってはこの震災が自分が認識しているつもりの、さらに数段上の猛烈なものだったということが理解できたと思いました。

今ごろ何を!といわれるかもしれませんが、本当に凄いことが起こったのだということを再々度認識させられてしまった気分です。
テレビの報道映像からでてくることの無いものとしては、瓦礫に混ざって人の遺体などが確認できるものもあったりで、こうして夥しい数の人の命がいっぺんに奪い去られたというのは、以前も書きましたが、もはや核攻撃でも受けたのと同等の出来事だろうと思われます。

動画と写真にこれほどの差があるように、さらにその差以上のものがあるとすれば、おそらくは現場に立った人の目に映る現実の光景だろうなと思います。

現場での捜索活動などは自衛隊をはじめ外国の救援部隊などが、我々の想像以上に苛烈な働きをしているのだそうですが、なぜかそういう事実はあまり報道されませんし、そのような映像などはほとんど我々の目に止まることがないのはどういうことだろうかと思います。
報道というのはいまさらながら公平性がなく著しく偏りがあり、各局も談合したようにほとんど同じようなものばかりだということもよくわかりました。

一説には民主党政府が、自分達の無為無策を表面化させないためにも(事はさらに複雑でしょうが)、こういう現場で救出・捜索にあたっている多くの人達がいかに体を張って働いているかを映させない、あるいは報道させない、あるいはそういう現場にマスコミを入れたがらないという話を聞きますが、もしそうだとしたら、それは相当おかしな事ではないかと思います。

何でも「マズイ」といって隠すのは日本人のお家芸のようなものですが、それにしてもこの隠蔽はなんなのでしょう?
別に犠牲者の遺体を映せといっているわけではないのですから、ある程度事実は事実としてニュートラルに報道すべきであって、これを権力その他の故意によって偏ったものに操作するのは絶対にあってはならないことだと思いますが、現実にはそういう黒い力がある程度機能しているともいいますから、今の政府やマスコミの考えていることは呆れるだけです。

官邸の人達は、この期に及んで、まだ自分達の権力維持に努めているのですから、識者にいわせるとこのような未曾有の惨事が起こったのが民主党政権下であったことが、我が国の不幸をより深いものにしているというのだそうで、それは大いに同感です。
2011/04/02 Sat. 01:24 | trackback: 0 | comment: 0edit

広島にCFX 

このホームページ宛に、広島市安芸区民文化センターホールからご連絡をいただき、ヤマハの最新鋭コンサートグランドCFX(昨年のショパンコンクールで優勝が演奏したものと同型)が3月より同ホールに導入されたそうです。

なんと気前の良いことに、一般の人でもホールを借りればこのピアノが使えるということで使用料を調べてみると、時間区分によりますが3時間単位で、2万円強〜4万円弱というところで、ピアノサークルなどに使うにはもってこいだと思いました。
さすがに広島まで行くことはできませんが、こういうホールを地元に持っている人達がうらやましい限りです。

この広島のホールの案内を見ているとCFIIISからの買い換えのようで、今後はこうしてヤマハのコンサートグランドを設置していたホールがピアノを買い換えるたびにCFXにアップしていくのかと思うと、これはなかなかすごいことになるような気がします。

ホールの運営母体の多くが公共機関なので、ヤマハの納入実績さえあれば今後は必然的にCFXになるということなんでしょうね。価格的にはずいぶんと値上がりしていますけれども、そこはまあ公共施設ともなればハンコひとつで済んでしまう世界なのか、あるいは予算をうるさく検討するガチガチの世界なのか、そこのところはマロニエ君にはさっぱりわかりませんが。

ただ、いずれにしてもスタインウェイのDとほぼ同レベルにまで高騰したCFXの販売価格ですから、今後はあらゆるホールが、スタインウェイに較べて「安いから」という理由でヤマハになることはなくなり、専らお役所などが大好きな納入実績以外では、ピアノの優劣でのみで決することになるわけでしょうから、そのへんも含めて今後どんな展開になっていくかが興味深いところでもあります。

地域のプライドをかけたようなお飾りホールならピアノも何台も納入されるわけで問題はないでしょうが、地域ごとの生涯学習センターとか区民ホール、町民ホールのレベルでは、もし価格で選ぶならカワイのEX(SK-EXとは別でCFXの約半額)のみという事になりますね。
ちなみにほとんど納入実績がないディアパソンのコンサートグランドはEXよりもう少し安かったのですが、すでにホームページ内からも姿を消しているようですから、やはりカワイだけということになるのでしょう。

地域ごとの公民館に毛の生えたぐらいのホールには大抵ヤマハのCF〜CFIIISがありますが、これが今後CFXになっていくのだとすると、なんだかちょっと異様な気がしなくもありません。

パッと見はヤマハがコンサートグランドを一機種に絞ったことで選択の余地が無くなり、CFXが必要であってもなくてもこれが納入されるようにも見えますが、同時に二機種あるカワイにも、あるいはほとんど同価格帯となったスタインウェイにもビジネスチャンスが広がったということなのかもしれませんね。

尤も、あまり立派なピアノが不釣り合いな場所に納められて、現実にはせいぜいピアノ教室の発表会やコーラスの伴奏ぐらいしか出番がないといった惨めな生涯を過ごすことを考えると、この手の施設に納入されるピアノには、なんとも偲びがたいものも感じてしまいます。

尤も、販売する側にしてみれば、一台でも多く売って利益を上げなければならない厳しいビジネスの現場にあって、そんなきれい事は言ってられないことかもしれませんが…。
2011/04/01 Fri. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit