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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

N響アワー 

昨日のN響アワーでは、今年秋のショパンコンクールで優勝したユリアンナ・アヴデーエヴァが早々に来日、シャルル・デュトワ指揮のN響とショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した様子が放映されました。

同コンクールのウェブ中継では、ちょこちょこ観る範囲ではどうしてもこの人の演奏には興味が持てなくて、実はまともに最後まで聴いたことがありませんでしたので、このN響アワーの録画ではじめて協奏曲を全曲通して聴きました。

マロニエ君が敬愛するアルゲリッチもたまたま東京でのコンサートの為に来日中だったこともあり、日本でのアヴデーエヴァの記者会見にも同席して素晴らしいピアニストだと褒めていましたし、このN響のコンサートではNHKホールの客席にも彼女の姿があり、盛んな拍手を送っていました。
アルゲリッチ以来実に45年ぶりの女性優勝者ということにもなにか特別な意識があるのでしょうか。

また番組では小山実稚恵さんがスタジオにゲスト出演していましたが、小山さんのあのシャープで鮮やかなピアノの指さばきとは正反対の、たどたどしいトークでアヴデーエヴァの演奏の特徴と優れた点などを述べていましたが、曰く、よく練られていて、一音一音よく考えられて、完成度があって、常に自分の100%近い演奏ができる等々、話だけ聞いているとなんとも素晴らしい傑出したピアニストといった説明でした。

しかし、他の人にとってどんなに素晴らしいピアニストのかは知りませんが、まったくマロニエ君の好みからは大きく逸れた、たったこの一曲を聴き通すだけでもずいぶん辛抱力の要る演奏でした。はっきり言うとどの角度から聴いても好きにはなれません。

どこがそんなに素晴らしいのか、わかる人にぜひとも具体的に指摘して教えて欲しいものです。
解釈がどうのとしきりにいわれますが、解釈は演奏表現の根底を成すあくまで骨格であり、そればかりが論文のように前面に出て、生の音楽の活き活きとした感興を忘れた演奏は御免被りたいものです。
アヴデーエヴァの演奏はまず無骨で、ショパンの流れるような美の奔流に逆らい、繊細な感受性とその底に流れる激しい情熱に対して、あまりにも無頓着すぎるように思います。タッチも繊細さがそうあるわけでもないのにやたら弱音やノンレガートを多用し、ピアノはちっとも一貫して鳴りません。
音楽も時間や流れや前後の関連性がなく、全体がばらばらなものを便宜的に並べただけという印象です。

音楽は歌であり生き物であり、その都度生まれてくるものという大原則が死滅しているようでした。
それと、楽譜の存在を強く感じさせる演奏で、たしかに音楽家はまず楽譜から作品に入るのはそうだとしても、練習の過程で自分の中で楽譜は収斂され消化され、演奏者の肉となり、いざ本番では、いかにも自然発生するような演奏に周到に到達することが必要ではないかと思います。
まあ、言い立つとキリがないのでこれぐらいで止めましょう。

ちなみに史上初めてヤマハを弾いて優勝したアヴデーエヴァは、さだめしヤマハの専属にでもなるのかと思っていたら、NHKホールではスタインウェイを弾いていましたから、いろんな事情があるのでしょうね。
ただし現在の彼女にはCFXのふくよかな音のほうが合っていると思いました。

おかしかったのは主催者側からの要請があったのか、ステージに現れたアヴデーエヴァはショパンコンクールの時とまったく同じ服装で、黒い男みたいなスーツと中の白いブラウスまでどう見ても同じものだったのは、「あの感動の再現!」みたいな主催者の思惑が透けて見えるようで、却って笑えました。
演奏はノーサンキューですが、顔は童顔で、優しいあどけない目つきをしていて、人間性はおおらかで好感の持てる感じに見えました。

ちなみに最近はショパンもナショナルエディションが流行とみえて、オーケストラもいち早くこのバージョンを使っているようですが、あれもちょっと…です。
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2010/12/28 Tue. 01:26 | trackback: 0 | comment: 0edit