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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

電気店の怪 

友人達と食事をしていて、ひとりから意外なことを言われました。

というのは、マロニエ君はここ最近のことですが、大きな電気店に行くと体調がおかしくなるのです。
具体的にどういう症状かといいますと、大型電気店に行ってものの5分か10分も経つと決まって全身がチクチクしてくるのです。
しだいにそれはひどくなり、30分も経った頃には全身が針でつつかれるようにチクチクして、ちょっとしたパニックになりそうになります。

テレビ購入のときなどは、なにやかやと時間をとり、都合一時間近く滞在したために、最後は走って外に出るほど症状がひどくなりました。

電気店というのはモワッとした独特な熱さがあるので、はじめは秋口のことでもあり、たまたまそのときの温度のせいだろうぐらいに軽く考えていました。
ところが、強めにヒーターが効いているところでもそういうことになるわけでもなく、いっぽうで大型電気店に行くと、そう暑くなくてもやはりこの症状が出るので、しだいにこれはちょっとおかしいと思うようになったのです。

つい先日も、びくびくしつつ電気店に入ってみると、やはり数分すると同じ症状が現れ始め、さっさと外に出ましたが、ようやく原因は電気店特有のなにかだとわかりました。

で、マロニエ君はシロウト考えで、これは電気店ならではの製品から放出される、いわゆる電磁波の影響だろうとさももっともらしく結論づけていました。現に電磁波に体がものすごい反応をしてしまう体質の持ち主で、普通に日常生活を送ることもできないほどの人に一度会ったことがあったので、とっさにその人のことを思い出して、その類に違いないと勝手に納得していたのです。

ところが、先日食事をした友人の一人はかなりの家電通(笑)で、まあとにかく家電に詳しいことといったらありません。彼にその事を話すと、即座にそれは電磁波ではないと、ほぼ断定するのです。
曰く、液晶テレビなどは電磁波をまったく出さない由で、その他の製品も電気店にあるもので外部に電磁波を出すようなものは実はほとんど無いはずで、電磁波があったにせよそれはごく微量だと言い切るのです。

それでは原因はなにかといえば、化学製品から発せられる特有の物質が店内に充満しているせいだというのが彼の見解でした。
とりわけ電機店では製造後間もない製品に電源が入っているので、科学的な素材とか製造に使われた各種の接着剤などが電気や熱を帯びることで、体に良くない物質が漂っているのからだということでした。

これは科学的な物質の、とくに新しいものが発する揮発性化学物質に顕著なことらしく、大別するとシックハウス症候群も同系統のもので、こういう物質に人の体が拒絶反応を起こすというものだそうです。
そう言われれば、ふうん、そういうものかと思いました。

大型電気店などそうしょっちゅう行くわけではないものの、用があるときあるわけで、こういう症状が出るとなると困ったもんだと思いますが、こればかりは打つ手がありません。
店員でもしもこういう体質の人がいたら、退職するしかないでしょうね。
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2010/11/30 Tue. 01:37 | trackback: 0 | comment: 0edit

衝撃映像諸行無常 

昨日の青蓮院とは打って変わった話題です。

マロニエ君は普段、テレビはあまり見ないほうなのですが、それでも告白すると子供じみた趣味があって、「衝撃映像」の類の番組は嫌いじゃないので、それらしい番組があるときは録画をしておいて、ときどき見ています。

先日録画した番組を見たところ、ちょっと予想したものとは内容が違うのでもう止めようかと思っていたとき、ゴールデンタイムの全国放送番組にもかかわらず「福岡の…」という言葉に反応して、つい何事かと我慢して見るはめになりました。

さてそこに出てきたのは真っ赤な特別なフェラーリに乗ってあらわれたある人物でした。
よくある露出好きなお金持ちの持ち物自慢のような内容で、いきなりそのフェラーリがいくら、今はめている腕時計がいくら、来ているスーツがいくらといった調子で、番組はその億を超えるという特別なフェラーリに同乗して自宅へ行き、さらに驚愕のお宅拝見という流れです。
マロニエ君はこの手の番組は嫌悪感を覚えるので普段なら絶対に見ないのですが、それでも福岡にそんな凄まじい人がいるとは思わなかったために、つい驚いて、怖いもの見たさに見てしまったのです。

自宅は人の住む場所というより、どこかのブランドショップか夜のクラブかと見まごうような強烈な趣味で埋め尽くされており、車も超高級車がズラリと並んでいるあたりも、いかにもこの手の人達のお決まりのパターンです。

広大な敷地内には、メインの建物のほかにも庭を隔てて二つの別棟があり、屋内プールだの高級料理店を出張させ友人を招いてのホームパーティだのと、これでもかという自慢のオンパレードで、スタジオのタレント達もお約束通りに感嘆詞を連発しています。挙げ句にはアメリカに所有しているプライベートジェットでどうのこうのと、こんなことをこれ以上詳しく説明するのもナンセンスですから止めますが、とにかくドバイの金持ちかなにかが突如我々の住む街に現れたという印象でした。

やはりというべきか、この人も借金取りから追われるほどのどん底からのし上がったとのことで…納得です。

ところがあることで(具体的なことは控えますが)、ちょっと心のどこかに、なにか小骨がひっかかるような感じを覚えました。
そこで、さっそくネットの情報やグーグルの衛星写真などで確認したところ、やはり予感は的中。
なんとここは以前マロニエ君の大叔父の家だったところだったのです。この人物が購入後に、昔の純日本式の家屋や庭園を根こそぎ消し去って、ゼロから作り替えたことで出来上がったド派手な家だということがわかり、そのショックには思わず鳥肌が立つほど胸がバクバクしてしまいました。

はじめはてっきり郊外の広い土地にでも建てられたものだろうと思っていたのですが、現実は我が家から車で10分もかからない場所だったわけで、昔の住宅街の奥まったところなので、普段車で通ることはないのです。
よせばいいのにその前を何年ぶりかで通ってみると、テレビで見たあの強烈な家は間違いなくそこにありました。

ここはマロニエ君が子供のころにはよく遊びに行っていた思い出深い家でしたが、その大叔父も5年ほど前に老衰で他界し、その後は遺族がマンション建設をやりかけたものの周囲の反対運動に遭って実現せず、やむなく売りに出されていることは知っていました。
それが結果的にこういう人物の手にわたり、しかもあんな姿に変わってしまったというのは、上手く言葉で表現はできませんが、予想だにしない意味での「衝撃映像」となってしまいました。

もちろん普通にマンションになったとしても昔の家や庭園は無くなってしまうわけですが、あまりにも思いもかけない結末で、平家物語に記された諸行無常とはさてもこういうことかと思いました。
2010/11/29 Mon. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit

青蓮院のブリュートナー 

友人が新聞の切り抜きをくれました。
マロニエ君がピアノ好きであることを知って、ときどきこういうことをしてくれるのでありがたいことです。

それによると京都の青蓮院(天台宗の寺院)で今月10日、ブリュートナーのグランドピアノを使ったフジコ・ヘミングによる奉納演奏が行われたそうです。
そのブリュートナーは1932年製のもので、青蓮院にこのようなピアノがあるのは先代門主の東伏見慈洽(今年満100歳)がピアノを嗜んだという思いがけない理由があるからのようです。

この東伏見慈洽は久邇宮邦彦王の三男で、香淳皇后(久邇宮良子女王)の弟にあたります。
大叔父である東伏見宮依仁親王に子がなかったために、曲折の末に東伏見宮を継承することになり、戦後の臣籍降下を経て、仏門に入り青蓮院の門主となったようですが、ピアノは昭和7年(22歳のとき)に近衛秀麿指揮の新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でハイドンの協奏曲のピアノの録音演奏を行うほどの腕前で、それはCDにも復刻されているとか。
ちなみにこれは、ハイドンのピアノ協奏曲の世界初の録音となったそうです。

慈洽氏(猊下と言うべきか…)は仏門に入ってからもピアノを弾いておられたようで、子息で現門主の慈晃氏によると、ベートーヴェンのワルトシュタインなどの譜めくり役で演奏に随行したこともあるとか。

ところが、このピアノはあるころから経年による疲労が見え始め、いつしか内部はカビが生え、鍵盤を押しても鳴らない音があったり、鍵盤そのものが最初から下がりっぱなしのものがあるなど、ここ20年ぐらいは弾かれない状態になっていたといいます。
それでも慈洽氏がこのピアノを手放さなかったらしく、終戦の直前などは居所を転々として財産をあれこれ処分する中にあっても、このピアノだけは慈洽氏の手元を離れることは決してなかったということです。

そのピアノが製造から80年近く経って、ついに修復を受けることになり、青蓮院の書院からクレーンでつられて搬出され、1年がかりで全面的な修理を受けたというものでした。費用は新品のグランドが一台買えそうな金額になったとか。

それにしても皇族でこのようなピアノの名手がこの時代に存在したということも驚きでした。
しかし思えば、今上天皇はチェロをお弾きになり、東宮殿下もヴィオラを弾かれるのは有名ですから、西洋音楽に対する造詣も深いという一面は日本の皇族の隠れた伝統なのかもしれません。

記事にはマッチ箱ほどの大きさの写真がありましたが、それから察するにこのブリュートナーはコンサートグランドのようで、このピアノ一台で購入当時は小さな家が4軒建ったといわれていたそうです。

以前も岡山かどこかで見事に修復されたグロトリアン・シュタインヴェークをルース・スレンチェンスカ女史を招いてお披露目するという番組をやっていましたが、最近は日本でも高度なピアノ修復の技術が珍しくないものになってきたようですから、こういう由緒あるピアノがあちこちで息を吹き返していくのは嬉しい限りです。
2010/11/28 Sun. 01:40 | trackback: 0 | comment: 0edit

おせちは不味い 

毎年この時期になると予約だなんだとうるさくなるのが「おせち料理」です。
新聞の広告やチラシにもおせちの写真が登場しはじめ、12月に入ればそれはさらにクレッシェンドしてくるはずで、マロニエ君などはあの鬱陶しい写真を見るだけでもうんざりしてしまいます。

だいたいやっと夏が終わったと思ったあたりのタイミングで、もうテレビなどは今年の御歳暮商戦スタートだのお年玉付き年賀ハガキの予約がどうのという言葉が聞こえはじめるのは、マロニエ君にいわせるとこれはもはや季節感というようなものではなく、ちょっとの間も人に休息を与えてくれないマスコミによって、次から次に人心を煽り立てられるような印象しかありません。

そのおせちですが、このところ受注数が下降線気味という話を聞いたのですが、当然だろうと思いました。
最大の理由はおしなべて見た目ばかりで美味しくないのと、不当に高いその価格でしょう。
どんなに有名店のものでも、要するに作ってからかなりの時間が経過し、冷めて固くなっているような料理は美味しいはずもなく、せっかく準備しても誰も食べないというような話は何度聞いたかしれません。

業者はこの時期だけの稼ぎ時とばかりに力を入れ、中には10万、20万といった信じられないようなものまで登場してきて、それをまたテレビなどが業者の片棒を担ぐようにニュースとして声高に紹介するので、一時期価格はどんどん上がりましたが、このところの不景気を反映してか、再び価格は押さえ気味になっているとか。

それでも家人がデパ地下などにいくと、早くもおせちのコーナーがあり注文を受けつける態勢ができているそうですが、だれも見向きもしない様子だったということでした。

マロニエ君の家でも昔は数回付き合いで買わされたことがありました。
各店には従業員に振り当てられたノルマがあって、それを達成するために知り合いなどに泣きついてくるわけです。
たまたま知り合いなどにこういう人がいると、そう無下にも断れず、お付き合いさせられたことがあったのを思い出します。
一度などある有名なホテルのおせちとやらで、それを頼み込まれて、しかたなくお付き合いで注文したところ、大晦日に恭しく届けられましたが、果たして中はとりたててどうということもなく、海老やいろんなものをあれこれ巻いたようなものが並べられているだけでした。どれも冷たくて固くて、はっきり言ってぜんぜん美味しくもなんともありませんでした。

だれも積極的に食べず、もったいないからという理由で無理して口にするのがせいぜいです。
これでも高い方ではなかったものの、それでも数万円はしたはずで、あんなものにそんなお金を使うぐらいなら、何回普通に美味しいものが食べられるか知れやしません。

だいたい季節に限定したものというのは、昔ならたしかに風情があってよかったと思いますが、現代ではそこに目を付けた業者の商魂まみれの汚い手がいやらしいほどに突っ込まれているので、そんなことならあんな悪習は止めてしまった方がいいような気がします。
あとひと月ちょっとですが、お正月なんて、お雑煮を食べてゆっくりできればそれでじゅうぶんです。
2010/11/27 Sat. 01:59 | trackback: 0 | comment: 0edit

ショパンの手形 

今年の夏ごろのこと、東京にいる音楽好きの友人によると、彼の知り合いが今年のショパンコンクールに行くというので、ショパンの有名な手形を買ってきてくれるように頼んだという話を聞いて、それなら申し訳ないがぜひもう一つと言ったところ、すでにマロニエ君の分まで頼んでくれていました。

ご当人が帰国されてずいぶん経ちますが、なかなか会う機会がなかったというので、先日ついにその手形が送られてきました。

わかってはいても、実物を見るまではまさにドキドキものでした。
果たしてそれは実物大のショパンの左手の立体モデルで、知る限りではブロンズ(金属)と石膏の二種類があるようです。
もちろんどちらでもよかったのですが、受け取ったのはブロンズのほうでした。

マロニエ君はショパンコンクールの会場にでも行けば、こういうものはたくさん売っているのかと勝手に思っていたのですが、全くそうではないらしく、こんなお願いをしたばっかりにその人はワルシャワ市内をあちこち探し回ってくれて、苦心の末にやっとあるところで見つけて買ってきてくれたという事を聞き、感謝感謝です。

ショパンが小さな手をしていたことはつとに有名です。
むかし東京のショパン展でガラス越しに見た手形の記憶でも、えらく小さいという印象だけが残っていましたが、ついにその実物が我が家に届き、じっくりみてみると、なるほどショパンらしい繊細な細長い指ですが、全体の大きさは、どちらかといえばやや小柄な女性の手ぐらいといったところです。
マロニエ君も身長に較べると手は大きい方ではないので、ピアノを弾くにはあまり恵まれていないと思っていましたが、それでもショパンの手とくらべるとまるで大きさが違います。
よくぞこんな小さな手で数々の演奏会を開き、そしてあんなにも複雑で指の届かないような曲を書いたものだと、ショパンの傑出した天才には驚きを新にさせられます。

むかしこれと同じ物の石膏の手形に、アルトゥール・ルービンシュタインがサインをしてほしいと求められたところ、「ショパンの手に私がサインなどできない」と言って、代わりに小さなハートを書き込んでいるところの写真があるのを思い出しました。
いかにも彼らしい気の利いた振る舞いですね。

知人に聴いたところでは、北九州市立美術館の分館で行われている「ポーランドの至宝・レンブラントと珠玉の王室コレクション」でも同じ物が展示されていたといいますから、それが我が家にあるのだと思うと妙に嬉しくなりました。
もしやネットオークションあたりでは買えるのだろうかと思い、あれこれ検索してみましたが、かすりもしませんから、やはり日本ではまだまだ貴重なもののようです。

さて、どこに置くかをずいぶん悩みましたが、やはりピアノの上しかありません。
その手を置いたピアノでショパンを弾くのは、なんだか厳粛な気分になってしまいます。

皆さんにも見ていただくべく、表紙の写真のひとつをこの手形に差し替えました。
2010/11/26 Fri. 01:10 | trackback: 0 | comment: 0edit

平均の功罪 

いろいろなCDを聴いていると感じることも様々ですが、昔のほうがすぐれていると感じる点はたくさんあるわけで、とくに演奏家の音楽に対する純粋な情熱、芸術家としての在り方、真摯で個性にあふれた大胆な演奏などは、圧倒的に過去の演奏家に軍配が上がると思います。
とりわけこれはと思わせる巨大な芸術家が20世紀まではたしかにいたことです。

現代の演奏家は、ミスのないクリアな演奏で難曲でもスムーズに弾きこなすのは大したものですが、情報の氾濫した複雑な社会に生きる故か、個性の面ではスケールが小さく、まるでニュースキャスターのトークを聞くような演奏をするので、どこか計算ずくのようで、聴く側も生々しい感動が薄くなるわけです。

現代のほうが圧倒的に優れているのは、CDの場合まずなによりもその平均的な録音技術で、この分野の発達は途方もないものがあるように思います。だからといって、ではそれがすべて音楽的であるかといえば、必ずしもそうではないのが芸術の難しいところで、ものによっては昔の録音のほうにえもいわれぬ味わいのある録音があったりする場合もあります。

そうはいっても、やはり単純な意味での音は細かな響きまで捉えて臨場感があり、透明感や広がり感、分離などにも優れ、平均して断然きれいになったと思います。しかしオーディオの専門家に言わせると、LPのほうが音の情報量は多かったなどとも言われるようで、そのあたりの次元になるとマロニエ君にはもうわかりませんが、単純な意味ではやはり美しくリアルな音が収録されるようになったと言えると思います。

現代が優れていると思うのはもうひとつ、使用ピアノの状態と調整です。
潜在的な楽器の能力としては、昔のピアノのほうにほれぼれするような逸物が多数あり、その点では現代のピアノはピアニストと同じで機械的な性能は上がっていても、音に太さや深みがなく、いささか固い人工美といった趣がありますが、昔の録音に聴くピアノの音にはまさに気品あるふくよかな音色であったり、荘厳な鐘の音がこちらへ迫ってくるような低音の鳴りがあったり、あるいはこのピアノは生き物では?と感じるような名器があったりと思わず唸ってしまうことがよくあります。

そのかわりにひどいものもあり、中にはなんでこんなピアノを使ったのだろうかと思わず頭を捻ってしまうようなヘンテコな楽器もかなりありました。とにかく演奏も録音も楽器もバラツキというのはたしかに多かったと思います。

現代にはそういうバラツキが極めて少ないわけです。
ピアノも精度が上がって楽器の均質性に優れ、コンサートグランドを納入するような場所は管理もよくなり、ピアノ技術者の仕事も平均的なレベルがうんと上がったように思います。
平均点が上がったということは、ピアニストが難曲でもとりあえず弾きこなすようになったのと同様ですが、技術者の場合は職人であって芸術家ではないので、こちらは平均点が上がることは素晴らしいことだと思います。

逆にピアニストはこれでは困るのですが、時代の流れが必然によって産み落とす現象というのは、すべてをひっくるめて顕れてくるものですから、なかなかすべてに都合よくというわけにはいかないようですね。
2010/11/25 Thu. 01:31 | trackback: 0 | comment: 0edit

エリア情報誌 

つい先日のこと、ポストに赤い小さな情報誌のようなものが2冊入っていました。
真っ赤な表紙の可愛らしい冊子ですが、よく見てみるとマロニエ君の居住する地域に限定したエリア情報誌であることがわかりました。
季刊誌のようですが、すでに4号になり、ハガキよりやや大きい程度のポケットサイズで、厚さも100ページにせまる豪華なオールカラーです。

こんなものがあることをマロニエ君はまったく知らなかったのですが、発行元ではこの冊子の知名度をより
上げるべく、このようなポスティングを敢行したのだろうと思われます。
それにしても、ついに世の中はこんなものまで出てくる時代になったのかと思いました。

中を見ると、作り自体はまぎれもないプロの仕事で、きちんと作られたフリーペーパーなのだから驚きです。
発行元は地元の商工連合会ということになっており、そんなものがあることさえも知りませんでしたが、発行費用はここに加盟する会員達によって賄われているのでしょう。

飲食店を中心に、その他の様々な店、あるいは学校や病院などが情報として満載されています。
知っている店、知らない店など様々ですが、しかしエリアを代表するような肝心のところがいくつも抜け落ちていたりと、必ずしも地域すべての店舗や病院を網羅しているわけではないようで、これらを説き伏せるのに営業陣はさぞかし苦労していることだろうと推察できます。

とりわけこのエリアは開業医の激戦区なのですが、そのわりには載っていない病院が多く、どこも費用対効果を見極めようということで静観しているのでしょうか。
逆に有名店などはいまさらその必要を感じないのか、まったく出ていませんが、その地域で大きな商売をしているのならこういうことにもお付き合いがあってもいいような気もするのですが、それは甘い考えでしょうか。

現在の発行数は3万部とありますから、それなりの数のようです。
はたして実際の営業にどれぐらいの効果があるのかは知りませんが、みなさん商売のために連携して頑張っておられるのだなあと思いました。

中にはピアノ教室まで記載があり、写真によると譜面立の形状から察するにシゲルカワイを使っている先生も近くにいらっしゃるということがわかりました。
それにしても、写真で見る限りピアノの先生のレッスン室の独特な趣味は、みんな感性が似ているような気がします。
2010/11/24 Wed. 01:35 | trackback: 0 | comment: 0edit

モネ展 

一昨日は北九州市で開催中のモネ展にいきました。
その日その時間が指定されるコンサートと違って、美術館の催しは日程に余裕があるのが裏目に出て、過去に何度か行かずじまいになってしまったものがありますので、残り一週間となったのを潮に腰を上げました。

会場の北九州市立美術館はマロニエ君の好きな美術館のひとつで、磯崎新の設計による山の傾斜を上手く利用したモダンな美術館ですが、30年以上前の開館当時は、福岡市は小さな県立美術館のみで福岡市美術館ができる数年前だったこともあり、子供心になんとも羨ましい気がしたのを覚えています。

日曜だったこともあり大変な人出で、展覧会そのものはいちおう楽しめましたが、実をいうと期待はずれな部分もありました。
というのは、マロニエ君はてっきりモネ展とばかり思っていたら、実際は「モネとジヴェルニーの画家たち」というもので、モネと、彼を慕ってジヴェルニーに集まった多くの画家たちの、いわばグループ展覧会でした。

それならそれで、もちろん構わないのですが、あちこちで見かけるポスターやチラシ、あるいは新聞広告などはモネという字ばかりがあまりにも大書されてモネというインパクトだけが一人歩きし、ジヴェルニーの画家たちという文字はその数分の一のサイズで、しかも見落とすことを狙ったかのような地味な色でしかないので、あれではモネ展と思うのもやむを得ないというか、いささか良心的でない広告の打ち方だと思います。
会場の入口付近には「来場者数6万人突破」などと書かれていましたが、こういう内容をじゅうぶん承知の上で来た人が、はたしてどれぐらいいたのかと思ってしまいます。
最近はちょっとでも油断していると、うっかりこの手でやられてしまうのは嫌な風潮ですね。

驚いたのはモネ以外の画家達の作品が、どれもモネの画風をひたすら手本としてあまりに酷似しており、これらを見たモネ自身はどう感じていたのだろうかと思いました。それはとくにアメリカの画家に多く、アメリカは音楽でもそうですが、芸術面では基本的にヨーロッパ・コンプレックスが強く、オリジナリティの薄い傾向があるようです。

そんな中で見るモネの作品は、むしろこの画風の張本人であるぶん自由奔放で躍動的にさえ感じ、有名な「つみわら(日没)」などもマチエールやタッチは予想を覆すほど大胆で、むしろ荒々しく感じるほどのものであったことは大変意外でした。
基本的にはもちろん素晴らしいとは思いましたが、マロニエ君にとっては全体として不思議に実物の感激というのがあまりなく、むしろ画集などの印刷物で見るほうが圧縮感があり、どこかありがたいもののように見えるのはどうしたわけだろうと思いました。
普通ならば実物でこそ得られる感激や充実があり、それらは印刷物ではとうてい表現できない凄味があるものなんですが。

それと、全体的に作品の質がもうひとつで、これという圧倒的な作品が少なかったように感じました。
展示作品数も思ったよりも少なく、いささか宣伝過多のような印象は免れません。
とくにモネ本人の作品はこれだけモネの名を前面に掲げていながらわずか11点にすぎず、それも最上級の作とはいいかねるものでしたから、いろいろと制約はあるのかもしれませんが、もう少し全体を上質なものにまとめて欲しいというのが偽らざる印象でした。
それでなくともモネは多作でも有名な画家なのに…。

年明けには九州国立博物館で始まるゴッホ展も、こういう経験をするとちょっと心配になりますし、同じころ、北九州では「琳派・若冲と雅の世界展」というのがはじまるようですが、事前調査が必要な気がしてきました。
2010/11/23 Tue. 01:38 | trackback: 0 | comment: 0edit

続・プレイエルに呼ばれて 

昨日のプレイエルの余談です。

実は、この古民家に着いたときから薄々感じていたことがあるのですが、それは昔、母や叔母達がこのあたりを車で通るときに戦時中祖母達が疎開した家がまだあると話していたことでした。
とはいっても、ずいぶん昔のことで、走っている車の窓ごしに見ただけですから、具体的にどの家ということまではマロニエ君には正確にはわからないままでした。

カーナビの命じるままに走ってきていよいよ目的地に近づくと、明らかにそのエリアであることがわかったので、おやっと意外な気がしていたわけです。この気分は帰宅するまでずっとつきまといました。

家に帰るなりさっそく母に話をしたところ、なんとその古民家は戦時中、マロニエ君の曾祖母ら数人が戦禍を逃れて一足先に疎開をしていた家そのもの!であることが判明し、まだ子供だった母達も当時たびたび博多からそこを訪れたということで、家の姿形まで正確に覚えているのにはびっくりしました。

そして、そこへまた70年近い時を経てマロニエ君がこうしてピアノを見るためにそこを訪れることになろうとは、なにかの因縁めいたものを感じました。

その築180年という古民家もたいへん大きく立派なもので、なんと母の記憶によれば現在の喫茶店部分に当たるところが曾祖母達が疎開で一時期暮らした部屋があった場所であることもわかり、まるで曾祖母がマロニエ君を行かせてくれたような気さえしてしまいます。

今度コンサートで演奏される方もその家のご子息で、こんな偶然があるのかと深い感慨を覚えました。

あたりは文字通り一面の緑で、建物のすぐ脇には小さな山の斜面が迫り、その頂上近くには写真でしか見たことがないような巨大な桜の木があり、まるで屏風絵のようなその威容は思わず息をのむような存在感で、その桜の巨木がこの一帯の主のごとくで圧巻でした。

ピアノに関しての補足ですが、昔のモデルの復刻ということで、ルノワールの絵に『ピアノに寄る娘達』という有名な作品がありますが、これは同じモティーフの作品が3点存在し、それぞれオルセー美術館、メトロポリタン美術館、オランジュリー美術館に所蔵されている誰もが一度は目にしたことのある名画ですが、そこに描かれたピアノがこれだということでした。
まあ、昔のピアノには燭台がついているし猫足も木目の外装も珍しくないので、確実にそれが同型のプレイエルかどうかはマロニエ君としては確証は持てませんでしたが、少なくともそういうエピソードもあるようです。

そのプレイエルはこの家の立派なお座敷の床の間横に、響板を縁側に向けて置かれていましたが、この純日本式の空間にクラシックな木目のプレイエルが不思議に調和しているのが印象的でした。
次はぜひコンサートでその音色を聴いてみたいものです。
2010/11/22 Mon. 01:30 | trackback: 0 | comment: 0edit

プレイエルに呼ばれて 

一週間ほど前の新聞紙上で、前原市の奥にひろがる田園地帯に佇む築180年という古民家で、プレイエルピアノ(歴史あるプランスのピアノメーカー)を使った小さなコンサートがあることを知りました。

プレイエルと聴くと思わず反応してしまうマロニエ君なので、詳細もわからないまま聴いてみたくなり翌日電話をしたところ、すでに定員の50名のチケットは売り切れていました。
しかし来年も同じような企画があるらしく、そのときは案内を出すので、まずは一度来てみられませんか?ピアノにも触ってもらっていいですしというお話をいただいて、ドライブを兼ねてともかく行ってみることにしました。

古民家の敷地内の駐車場に車を止めて外に出ると、いきなりピアノの音が聞こえてきて、どうやら調律の真っ最中のようでした。

すぐにオーナーの女性が出迎えてくださり、まずはこの建物の一角にある喫茶店に入りました。
あれこれと雑談など交わしているうちに、洩れてくる調律の音はしだいに高音部に差しかかり、終盤をむかえているようでしたが、すでに3時間以上やっているとのことでした。
その調律師の方はプレイエルの経験のある方ということで、わざわざ来られたとか。

コーヒーを飲み終わった絶妙のタイミングで調律が終わり、オーナーが店の裏にあるピアノのほうへ案内してくださいました。

するとなんと、またしても顔見知りの調律師さんがそこにおられ、数年ぶりにお会いできて、思いがけないところでお話ができました。
いまさらのようですが、つくづくとこの世界の人の繋がりの不思議さを感じずにはいられません。
ウワサなんてあっという間でしょうから、いやあ悪いことはできませんね!

ピアノは新しいものでしたが、左右両側に燭台のある昔のモデルの復刻ということでした。
プレイエルではすでにアップライトの生産は終了していますので、このピアノはおそらく最後期に生産された貴重なモデルだろうと思われます。(今後アップライトを作らないというのはグランドに特化した高級メーカーにシフトするという事でしょうから、大変思い切った方針のように思えます。ちなみにイタリアのファツィオリもグランドのみ。)

どうぞ弾いてくださいといわれても、まさか調律したてのよそ様のピアノをマロニエ君がまっ先に弾くのも憚られるので、ほんのちょっとだけ軽く音を出させていただきましたが、プレイエルらしい甘い音色が特徴的で、タッチは非常になめらかでしっとりしているし、ラウドペダルの感触やタイミングなども独特で、やはり日本のピアノとは根本的に異なる生まれだということを感じました。
ピアノの状態はまだ限りなく新品に近い状態で、もう少し経つと独特な味と落ち着きが出てくるだろうと思われ、今後の熟成が楽しみです。

オーナーのご厚意で大変貴重な経験ができました。
2010/11/21 Sun. 01:24 | trackback: 0 | comment: 0edit

パンクのメカニズム 

用事で車を走らせていたいたところ、ほんのわずかに(車が)いつもと違う挙動をするような印象を持ちましたが、ごく些細なことで、用のほうに気をとられそのまま走っていました。

ある場所に着いて車を駐車場に止めてふと見ると、運転席側のうしろのタイヤの空気がえらく減っていて、ペチャンコではないものの、地面からホイールまでの高さが他のタイヤに較べて半分ぐらいまで減ってしまっていました。
さっきから薄々感じていた違和感の原因はこれだったのかとすぐに納得しました。

しかし、ここでジャッキなどを出してタイヤ交換するなんて、考えただけでもうんざりです。
実を言うと、日ごろパンクの心配なんてしてもいないので、今の車のどこにスペアタイヤとジャッキなどの工具類があるかもよく知りません。クルマ好きで、細かいことはあれこれこだわってうるさいくせに、こういうところは非常に杜撰でのんきなマロニエ君なのです。

幸い、パンク状態に気が付いた駐車場は、この車を買ったディーラーまで1キロあるかないかの近距離だったことと、タイヤもまだいくらか空気が残っているようなので、なんとかディーラーにたどり着くことが出来るかもと思いました。

急いで用事を済ませて、いざディーラーを目指しました。
とりあえず無事到着すると、出てきたメカニックがめざとく釘が刺さっていることを発見。
さっそく修理することになり、ショールームで待ちましたが、しばらくするとそのメカニックがやってきて、「これが刺さってましたよ」といって引き抜いた釘を見せてくれましたが、それは長さも4センチはあるたいそう立派な釘でした。メッキをしたように銀色につやつやして、その輝きがまるで悪意そのもののように見えました。

それにしてもなぜあんなものがタイヤに90度にスッポリと突き刺さるのか不思議でなりません。
地面に落ちているだけなら、ただ踏みつけて終わりのはずですが、あれだけ見事に突き刺さるには、釘のほうもでも一定の角度で待ち受けていなければとてもそんな風にはならないのでは…。

そこで思いついたのが、こういうことではないかと仮説を立てました。
フロントのタイヤがまずその釘を踏み、その勢いで釘は跳ね上げられ転がっているところに、すかさず後輪が来て、たまたま理想的な角度が付いたところへスポッと突き刺さったのではないかということです。
普通の速度で走っている車の前後のタイヤの通過時間の差なんて文字通りアッという間ですから、こんなことも起こりうるような気がしました。

真相はどうだかわかりませんがマロニエ君としては、すっかり解明できた気分になって悦に入っています。
2010/11/20 Sat. 01:16 | trackback: 0 | comment: 0edit

むかしは子だくさん 

天神で用事を済ませ、駐車場に向かっていると、ばったりと知り合いの先生に会いました。
この方はマロニエ君の音楽上の母校である学院で、現在も先生と事務を兼任しておられますが、なにより無類の音楽好きで、これはピアノの先生の中では例外中の例外です。
恐かった先代院長が高齢で一線を引かれて久しく、現院長はドイツを拠点にした現役ピアニストなので、実質的にこの方が能力を買われて学院を切り盛りしていらっしゃいます。

出会い頭にばったり会って双方驚きましたが、ここしばらくお会いしてなかったので懐かしく立ち話ができました。
やはり学院も昔とはちがって人が少なくなったということでした。

そもそも現代は少子化で子供の数が減っている上に、今どきはピアノのお稽古といっても、この学院の体質である厳しいスパルタ式のピアノ教育を受けるべく身を投じるような時代ではなくなったので、これも止む得ない時の流れだと思いました。

今は普通の学校でもとにかく先生方はみなさん一様に優しいそうで、それは結構なことでしょうが、同時になんだかつまらない気もします。
マロニエ君の時代は、普通の学校でもとくに恐い憎まれ役の先生というのがひとりふたりは必ずいて、なにかしでかせば躊躇なくげんこつやビンタなんてのも珍しくはありませんでしたが、今そんなことでもしようものなら親が学校に噛みつき、校長はあわて、教育委員会のようなところが騒ぎ出す時代ですからね。

ましてや否応なくピアノを生活の中心中央に組み入れさせられ、学校さえ時間の無駄というような強烈なやりかたなど、もはや骨董的価値の世界でしょうね。
でも不思議と恐かった先生というのは恨んでいるわけではなく、むしろ懐かしい思い出には欠かせない人物になっていますが、現代の子供はそういう懐かしさを持てないのかと思うとちょっと気の毒な気がします。

少子化が引き起こす社会問題はあらゆる局面に波及して、これをなんとか食い止めようと政府もばかばかしい対策を講じているそうですが、文明が進み、医学が進歩して高齢化社会になれば、それだけ出生率は下がるという摂理があるような気がします。
現にマロニエ君の親の代では兄弟姉妹が多く、その中の必ず何人かは子供のころに亡くなっていたりするのが普通だったようです。どこの家もだいたい似たようなもので、そういう様々な要因が自然に折り重なって子供もたくさん産まれたのだろうと思います。

さらに昔でいうと、徳川将軍家でさえも世継ぎや姫達は幼少時に次々に病気などで亡くなり、無事に生き延びる方がはるかに少ないくらいです。
J.S.バッハなど20人近い子供がいても半分以上が亡くなっていますし、ヴァイオリンのカリスマ的名工、ストラディヴァリも11人の子供がいたというのですから、これはもう理屈ではなく時代の力という気がします。
2010/11/19 Fri. 02:13 | trackback: 0 | comment: 0edit

自己流準備運動 

「水に入る前は必ず準備運動をする」というのは小学校のプールの時間などでは当然のこととされ、はやる気持ちを抑えながらしぶしぶ実行させられていたものです。

その必要性が、いまごろになってなってピアノでわかっていたような気がします。
むかしレッスンに通っていたころは、ハノンのような純粋の指運動からはじまり、ツェルニーなどの練習曲を経由して、最後になんらかの曲を弾くというのがパターンでした。

しかしレッスンに行かなくなってからというものは、そんな義務的な順序など守るはずもなく、いつもいきなり好き勝手に曲を弾いていましたが、だんだんとそういうやり方はよくないのでは?と(今さらあまりに遅いですが)感じるようになりました。

そもそもマロニエ君が下手くそということもあるのですが、いきなり曲に入るとなかなか指が思うように動いてくれません。しかし、たまに長時間弾き続けた時などは、途中からいやでも指がほぐれて、自分なりに指がよく動くようになるのを感じることがあるものです。この状態を人工的に短時間で作り出せないものかと考えるようになったわけです。

そこで、この一年ほどある連続運動を要する曲を、通常のテンポの2倍ぐらい遅いスピードで2回ほど丹念に通して弾くような習慣をつけてみると、これがはっきりと効果を上げたのは我ながら驚きました。
さらにごく最近は、弾きはじめる前に、5分ぐらいかけて両手を使ってお互いの指の間を縦横にゆっくりと押し広げるようにほぐす、あるいは左右互いの手で力一杯握ってみるなどすると、さらに効果があることがわかりました。

いきなり水に飛び込むのではなく、プールサイドでじっとガマンの準備運動というわけです。

これはゆっくり弾くからこそ効果があるようで、それを普通のテンポでやるとまるで効果がないことも経験的にわかり、これまたひとつの発見でした。
ちなみにマロニエ君がこの準備運動に使っている曲はショパンのエチュードop.25-1「エオリアンハープ」ですが、このめっぽう音数の多いアルペジオ地獄みたいな作品を、ゆっくりと老人のようなスピードで一定して弾いてみるのはそれなりに大変で、すべての音をきちんと出してあくまでも丁寧に弾くにはかなりのきつさがあり、一回弾き終えただけでも相当の運動になるものです。そして2回目は心もちスピードを上げます。

たとえばトントンと普通に降りられる階段を、敢えて3倍のスピードをかけてスローモーションのようにゆっくり降りろと言われたら、見た目は静かでも、これは筋肉を非常に使うきつい運動になるのと似ているような気がするのです。
ピアノには指を早く動かす訓練だけでなく、こういうスローな訓練も関節や筋肉のためには意外と役に立つように感じているのですが、実践しているという話はあまり聞いたことはありません。
2010/11/18 Thu. 02:25 | trackback: 0 | comment: 0edit

心理の力? 

人の心理というものは微妙なもので、思いもよらない現象が起こることがあるようです。

というのも、マロニエ君は夜にちょっとした買い物をしにスーパーに行くことがあるのですが、24時間営業だったある大きなスーパーが、夜間はだいたいいつ行ってもお客さんは少なく閑散としていていて(昼間のことはわかりませんが)、率直に言ってあまりはやっているとは言い難い感じでした。

その店は年中無休にもかかわらず、いつだったか数日間店を閉めたので、何事だろうかと思っていたら、ちょっとした化粧直しをして、店名も変えられて再オープンしました。
経営母体は以前と同じですが、営業時間がきっぱりと半分になり、9時から21時までの12時間になりました。

マロニエ君が行く時間帯はだいたい夜の9時過ぎなので、このスーパーに限ってはまずほとんど閉店時間を過ぎてしまうことが多くなってしまったのですが、たまたま外食したついでに夜の8時台だったので久しぶりにそこに立ち寄ったところ、なんと以前は見たこともないような数のお客さんで店内は溢れていて、かなりの賑わいというか、本来のスーパーらしい活気があって、この変身ぶりにはびっくりしてしまいました。

想像するに、夜の9時で閉店するという一線ができたことで、却ってお客さんが増えているといった感じで、経営者の作戦が見事に的中したかのように見えました。
内容的にはこれまでとほとんど何も変わっていないようにしか見えませんでしたから、9時をもって閉店するという事実が人の気持ちを刺激したのでしょうか? 
詳しいことはよくわかりませんが、これが人の心理というものなのかと思いました。

それで思い出したのが、以前テレビでやっていた話ですが、ある片側一車線ずつの比較的幅の狭い道が事故の多発地帯で、対向車同士の接触事故が後を絶たないという場所があったのですが、頻発する事故に頭を抱えた地元警察が施した策というのが驚きでした。
なんと道の真ん中にある中央線をぜんぶ消してしまったらしいのですが、その結果事故は見事に激減したというのです。
中央線が無くなったことで、逆に緊張感が生まれ、以前よりもみんなが対向車に注意して慎重に走るようになったという運転者の心理を見事に突いた処置ということでした。

こういうちょっとした心理の操作によって、人前でも緊張せず楽しんでピアノが弾けるようになればいいのですが、こればかりは永久に無理でしょう。
2010/11/17 Wed. 01:18 | trackback: 0 | comment: 0edit

世代の特徴 

マロニエ君の家の周辺は、街の中心部にほぼ近い位置にもかかわらず、やや丘陵地になっているためにテレビ電波の受信状態が悪い地域ということで、以前からケーブルテレビを使わざるを得ないエリアでした。

さて、このたびデジタルテレビに移行したら、ひとつ困ったことが起こりました。
衛星放送は地デジには含まれないために、わざわざ昔のアナログ放送に切り替えないとこれを見ることができず、しかも来年7月までの命というわけです。マロニエ君にとってはNHKの衛星放送は音楽番組が多いので、普通のテレビはあまり見ないかわりに、これは必要不可欠のチャンネルなのです。

ケーブル会社に相談すると、衛星放送受信用のパラボラアンテナを付けるしかないとのことで、しぶしぶ価格などを調べていたところ、ある有料放送の受信契約をするとアンテナは望外の低価格で設置してくれることがわかり、テレビ購入時にもすすめられてこれに決め、さっそくその会社から工事に来てくれました。

ところが、あらわれたのは意外なほど年輩の、はっきり言えば完全におじいさんという感じの人で、見るなり大丈夫だろうか…と内心思いましたが、この人が設置場所の下見から線の取り回しやなにやらを、いかにも元気良くテキパキとやり始めたのには驚きました。

それに、この世代の人はよく話をするのも今どきでは大きな特徴だと思いました。
話というのも仕事とは直接関係のない、雑談でちょっとお世辞を言ってみたり、自分が屋根から落ちて足を痛めたなどといった、いわば無駄口なのですが、それが度を超さずにパッパッと入ってくるので、雰囲気がとても和むわけです。

一般的にこの手の仕事で現場を回っている人は20〜30代の人が多いように思いますが、彼らは必要以外のことはまず絶対に口を利きません。いわゆる無口とか寡黙というのとも少し違って、ごく自然な人との交流が出来きず、どこか余裕がないという感じです。仕事も型通りで応用がきかず、いつも伏し目がちでコミュニケーションにもまるで覇気がありません。

それに引き換え、このおじいさんは足などもすこし引きずっているようですが、いやはや元気で溌剌として大したものでした。
うちに来たのは昼過ぎでしたが、午前中数軒回って、これからあとも4軒まわると片付けながら言っていました。
「歳なんだけど、私は仕事が好きで、とくに現場が好きなんでね」という言葉が印象的でした。
荷物や工具を満載したワゴン車を一人で運転して、次の訪問先を書類で確認すると元気に去っていきました。
思いがけなく、お年寄りに元気づけられたような格好でしたが、心地よい残像が残りました。

折しも史上最年少という若いお兄さんが福岡市長に当選しましたが、どうなりますことやら。
2010/11/16 Tue. 01:26 | trackback: 0 | comment: 0edit

アジアの台頭 

現在、世界には正確な数さえ掴めないほどの夥しい数のピアノコンクールがあるそうですが、そんな中でも最上級のというか最難関といえる名の通った権威あるコンクールは、せいぜい両手の数ぐらいではないでしょうか。

この国際コンクール。ある時期から日本人の参加者が猛烈な勢いで増加して、主催者はじめ周辺を驚かせているという時期があったのはマロニエ君も覚えがあって、ブーニンが優勝した1985年のショパンコンクールあたりから明瞭に耳にするようになった記憶があります。
当時審査員だった園田高広氏は、その日本人参加者の団体を引き連れてくる親分のように審査員仲間から言われたというような意味のことを、帰国後ご本人がしゃべっているのをテレビで観たほどです。

チャイコフスキーコンクールなども同様で、どこも名だたるコンクールのステージには日本人が大挙して参加し、客席はそれを応援する日本人聴衆で溢れかえり、使われるピアノも日本製があるなど、名だたるコンクールは今や日本人大会と思っていて間違いないなどと嫌悪的に言われた時期がありました。

その後は中国と韓国の台頭が目覚ましくなり、今ではこの二国が世界の主要コンクールの中心を占めるようになり、同時に日本人の参加者は減少傾向にあるようです。これらは一つには、ピアノに対する東洋勢のパワーというのもある反面、欧米のピアノ学習者の数が減少しているという二つの現象が合わさったでもあるのです。

あるピアノのコンクールに関する本を読んでいると、興味深い記述が目に止まりました。
欧米人の参加者が減少していったのは、ピアニストというものが幼少時から厳しい訓練と努力を課せられ、いわば青春時代までのほとんどすべてをピアノのために捧げて育つようなものですが、そうまで一途に励んでも、先がどうなるかはまったくの未知数という、いうなればあまりにリスクの高いピアニストへの道をもはや目指さなくなり、同じ人生をもっと効率よく確実に豊かに生きていこうという計算をするようになり、音楽は趣味が一番という考え方に変わったきているということでした。

まさにむべなるかなで、努力対効果という点でピアニストへの道ほど効率の悪い、理不尽なまでに報われない世界はこの世にないような気がします。
例えば、ショパンコンクールに出場し、さらに一次に受かるような力があれば、これはひとつのジャンルにおいて世界の中の若手40人ほどの精鋭に選ばれたことになるわけですから、他のジャンルでそれに匹敵する実力をつけて職業にすれば、おそらく確実にエリートであり、輝くような地位と報酬が約束されるのはおそらく間違いないでしょう。

ところが、ピアノに限っては、そんな程度ではなんということはありません。
ましてやコンサートピアニストとして認められ、演奏のみを職業として一生涯を送るとなると、桁外れの才能とよほどの幸運が味方しなければまず巡ってくることなどないでしょう。
現に著名コンクールに上位入賞しておきながら、そのあとがどうにも立ち行かなくなり、とうとうコンピューターのプログラマーに転身したというような人もいるとか。

マロニエ君も思いますが、ピアニストになる修行なんて、少しでも冷静に先が見えてしまっならできることじゃなく、まして親ならそんな報われない道へ我が子を進ませようとは思わないでしょう。
たとえ愚かであっても、いつの日か自分や我が子が晴れやかなステージで活躍し喝采を受けるシーンを想像して奮闘できなければ、あんなべらぼうな努力と苦しみの日々なんて耐えられるわけがありませんからね。
その本によれば、音楽の本場であるはずの欧米人(そろそろ日本人も?)はある時期から皆舞台を降りて、客席へと自分達の居場所を変えつつあるのだそうです。
2010/11/15 Mon. 01:18 | trackback: 0 | comment: 0edit

ある朝突然に 

昨日の午前中のこと。
なにげなくテレビニュースを観ていると、今朝がた起こったという交通事故のニュースが流れました。
隣県の高速道路で深夜に発生したというその事故は、はじめに単独事故を起こした普通乗用車に、後続の大型トラックが二台続けて衝突したというもので、乗用車に乗っていた2名がともに死亡するという大事故のようでした。

現場の映像が流れましたが、車はほぼ原型をとどめないまでにグニャグニャに押しつぶされ、事故の苛烈さを物語っていましたが、そのボディーカラーや後部にかろうじて原型をとどめた一部分、さらにはホイールのデザインから、ふとある車種では?という思いがよぎりましたが、それでも損傷がひどくてほとんど判断はつきませんでした。

ところが亡くなったという二人の名前のうち、運転者と思われる男性の名前にちょっと聞き覚えがあったことと、マロニエ君が以前、車のクラブの名簿など作っていたこともあり、テロップに出た姓名の文字が知人と同じだったようなかすかな覚えがあり、思わず妙な気分になりましたがニュースはそれっきり終わりました。

こうなると、なんだかどうしても気に掛かりはじめて昔の名簿を探してみたところ、やはり同じ姓名で年齢も一致しています。その人はずいぶん前にクラブは辞めていましたが、事故の発生現場と住まいは同じ県でもあるので、さっそく友人に電話してみると、彼もそのニュースは見たらしいのですが、そこまで思いは至らなかったといいます。

で、事故現場の地元に近いメンバーに電話をしてみると、彼はまったく何も知りませんでしたが、マロニエ君の話を聞くうちに声がしだいに硬直してくるのがわかりました。
嫌な可能性はますます濃厚となり、ちょっと確認してみると言いはじめました。しばらくして向こうからかかってきた電話では、やはり亡くなったのはその元メンバーの方で、現在、車のディーラーであるその人の店では大騒ぎになっていたという話でした。

マロニエ君はその人とはとくだん親しいというほどの間柄ではなく、さらにここ数年は会っていませんでしたが、それでもある時期はしばしばお会いしていましたし、友人がその人の世話で車を購入して、その引き取りに同行したり、一度などは自宅にお邪魔して車などあれこれと見せていもらったり、クラブミーティングの幹事をやっていただいたりしたこともあるだけに、やはり静かな衝撃が時間とともに深まってくるような思いでした。

テレビドラマなどでは、平穏な茶の間のテレビニュースで知人が関係した事故や事件を偶然知るというシーンがあるものですが、あんなことはあくまでドラマの中の作り事で、実際にはまずないことだと思いこんでいましたが、ほとんどそのままの、生まれて初めての嫌な経験をしてしまいました。

決まり文句のようですが、心よりご冥福をお祈りするとともに、同じハンドルを握るものとして、安全にはくれぐれも注意しなくてはいけないと、事故の恐ろしさを再認識した次第です。
また、残されたご家族のことを思うとただただ胸が痛みます。
2010/11/14 Sun. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit

ホールでの雑感 

先日は知人からの急な誘いで、とあるホールのピアノを弾かせてもらいに行きました。
ここはすでに何度か足を運んだことのある会場で、新旧二台のピアノを弾くことができました。

古い方のピアノは50年近く経過したピアノですが、管理がいいことと、このホールの主治医(保守点検をする技術者)の腕が優れているために、非常に素晴らしい状態が保たれています。
それだけでなく、この世界の名器の持つ強靱な生命力にもあらためて感嘆させられました。

とりわけ今回感じたことは、そんな歳のピアノなのに、タッチが非常に瑞々しくてコントローラブルな点です。
タッチはピアノの中でもとりわけ機械的物理的要素の強い部分だけに、古いピアノではまっ先にガタなどがでるものですが、それがこれだけ良好な状態を保っていること自体、驚きに値することです。

もちろん50年近い時間経過の中でどのような経過を辿ってきたかは知る由もありませんから、専ら今現在のことしかわかりませんが、どう考えてみたところで、結局はピアノの素性の良さ、手入れの良さ、それに主治医の優秀さ以外には思い当たりません。

唯一残念なのは音の張りと伸びがやや劣ることで、これはマロニエ君の素人判断では、ずいぶん長いこと弦交換がなされていないためだと思われました。弦やハンマーはいわゆる消耗部品ですから、その点だけは技術者の日ごろの管理だけではどうにもならないものがあり、交換するにはかなりのコストも要することからホール側、あるいは行政側の担当者の意向に大きく左右されることでしょう。
これが関係者の間で実行されるような判断が働けばいいのにと、部外者のマロニエ君は切に思うばかりです。

いまさらですがホールという空間は実に不思議な、魔法のような空間だと思いました。
それはピアノの周辺ではピアノの音は自宅で聞くそれよりも一見パワーがないように感じるものですが、少し離れて客席に移動すると状況は一変し、朗々とした力強い響きが解き放たれるようにあたりを満たしていることがわかります。さらにホールの中央から最後部へと場所を移しても、音源からの距離の違いがもたらす響きの違いはあるにしても、ピアノの音のボリューム自体はほとんど変わらないかのように聞こえるのは、あらためてすごいもんだと思います。

よく雑誌の企画などで、「あなたの理想のピアノの音とはなんですか?」といったたぐいの質問に、判で押したように「ホールの隅々まで行きわたるような音」という意味の答えをするピアニストが多く見受けられるものですが、ホールでこういうチェックをしてみると、それはピアノというよりは、ホールのほうに寄せるべき心配だと思われましたし、よほど時代遅れな音響設計のホールでなければ、多少の差異はあるにせよもうそれでじゅうぶんでしょう。

そんなに音が隅々まで行きわたってほしいなら、それに値する質の高い演奏、人の心にしみわたり、魂を揺さぶるような音楽を聴衆に提供することに専念してほしいものです。
2010/11/13 Sat. 01:15 | trackback: 0 | comment: 0edit

ヤミ業者の恐怖 

家族からちょっと恐ろしい話を聞きました。
恐ろしいといっても怪談のたぐいではありません。

テレビニュースで言っていたというのですが、家電製品などの無料引き取り屋というのがよくマイクで町内を呼びかけながら回ってしていますが、あれがとんだ食わせ者だというのです。
言葉ではどんなものでも無料で引き取るなどと連呼しているので、てっきりそうなのかと思っていましたが、その許しがたい実体たるや驚くばかりでした。

このいわゆる回収業者は、市などの行政の認可をまったく受けていないヤミ業者である場合が多く、実際に声掛けして不要品の引き取りを頼もうものなら、無料どころか、とんでもない高額な請求をしてくるのだそうで、その一つが捕まったことからニュースとして報道されたらしいのです。
認可を受けたちゃんとした業者であれば、車(主に軽トラックなど)に業者の名前と認可の番号などが大書されているらしく、ヤミのほうはなにも書かれていないので、まずはそこで識別する必要があるそうです。

驚いたのはその金額で、安くても数万円、中には一回の利用で40万も請求された被害者もいるとか。
このヤミ業者にはごろつきのような若者が多いそうで、今回捕まったのも二十歳そこそこの社長だったらしく、被害者は主に高齢者などが多いとか。

はじめは笑顔でさも親切げに対応し、お年寄りにしてみるとまるで可愛い孫のような態度で接近してくるので、すっかり気をよくしてつぎつぎに廃品の処分を頼むらしいのですが、それらをトラックに積み込んで作業が済むと、態度を一変させて高額な請求を迫ってくるとか。
驚いた依頼者がこの時点で何を言っても、時既に遅しで、なす術はないそうです。
ではキャンセルするといっても、もう荷物を降ろすことはできないと抗弁して、気が付くとはじめ何人かいた他の仲間はいつの間にか姿を消していて、人手もないから無理だなどとなにがなんでも言い張るそうです。

彼らが主に高齢者を狙う理由としては、若者の親切に対して無防備で騙しやすいという点と、高齢者ほど長年生きてきたぶん、なにやかやと持ち物も多く、餌食になる要素が多いというもので、まったくひどい話でした。

もうひとつの理由としては、家電や粗大ゴミを処分するには、引き取り業者に電話して、コンビニでチケットを買ってきて貼り付け、指定された日に出しておくなど処分にまつわる煩雑さがあるために、そういう手続きに事に慣れていない高齢者などが、前を通りかかったこれらの呼びかけに反応してしまうという見方もあるという事でした。

こうして大金をせしめた彼らは、当然ながらそれらを正当に処分するはずもなく、さらに罪を重ねて山奥などに不法投棄するという、まさに絵に描いたような流れだそうです。
みなさんもくれぐれもお気をつけくださいね。
2010/11/12 Fri. 01:51 | trackback: 0 | comment: 0edit

行商ピアニスト 

現在読んでいる様々なピアニストの事が書かれた本の中に、日本人で国際的に活躍する女性ピアニストのある時期のスケジュールに関する記述があって驚きました。

まあ敢えてピアニストの名前は伏せておきますが、たとえばこんな具合です。
イギリスから北欧に移動し、レコーディングでドビュッシーの12の練習曲他を録音してすぐに帰国、ただちに数箇所でリサイタル、それが済むと別の場所で今度はジャズピニストと共演、再びイギリスに戻りさる夏期講習の講師を務め、さらに友人ピニストと2台のピアノのコンサートに出演、そして再び帰国。翌日ただちに夜遅くまで軽井沢の音楽祭のリハーサル、さらに翌日の本番ではリストのロ短調ソナタを弾いて、終演早々に東京に戻り、翌日再びヨーロッパへ。今度は北欧のオーケストラとラヴェルのコンチェルトを弾く──といったものでした。

本人曰く、イギリスと日本との往復が激しく、だいたい一年のうち一ヶ月は飛行機の中で過ごしているんじゃないかということです(これって自慢なのか?とつい思いましたが)。
ともかく、たった一人で年中旅に明け暮れ、ホテルとホールを往復して、終わればまた別の場所に向かうことの繰り返し。
日本人で国際コンクールに上位入賞しても、こういう生活に耐えられない人はヨーロッパに留まって活動はしていないということでしたが、それが普通でしょうね。

これを可能にするにはピアノの才能は当然としても、体力、精神力、孤独に対する強さなど、まるで音楽家というより軍人のような資質が求められるようです。
体も健康で、神経も強靱で図太く、こまかいことにいちいち一喜一憂するようではとても間に合いません。

しかし、マロニエ君はこれが最先端で活躍する政治家やビジネスマンならともかくも、ピアニストという点が非常にひっかかりました。こういう苛酷な生活を可能にするような逞しき神経の持ち主が、はたして、もろく儚い音楽を感動的に人に聴かせることができるのか、繊細の極致とも呼ぶべき音楽作品を鋭敏な感受性を通して音に変換し、演奏として満足のいくものに達成できるのかどうか。

実はこのピアニストはずいぶん前に私的な演奏会があってたまたま招かれたので、たいへんな至近距離で聴いたことがありますが、それはもうまったくマロニエ君の好みとは懸け離れた、ラフでときに攻撃的な演奏で、小さな会場ですら聴き手とのコミュニケートがとれず、ひとり浮いたようにガンガン弾き進むだけの演奏でした。
演奏の合間のトークも手慣れたもので、なんだか日ごろから演奏とか音楽に対して抱いている、あるいは期待しているイメージとは程遠いものを感じて、そういう意味でとても印象に残っていましたので、この本を読んでこの人のことが書かれているところには妙に納得してしまいました。
但し文章の論調はこの女性を褒めているのですが、そこはまあ本人に取材して書いているのでやむを得ないことなのでしょう。

こういう事実を突きつけられると、ホロヴィッツ、ミケランジェリ、グールドのような傷つきやすい繊弱な神経をもった真の芸術家がコンサートを忌避してしまう心情のほうがよほど理解に易く、しかも困ったことに聴きたいのはこういう人達の演奏なのですから皮肉です。
2010/11/11 Thu. 01:37 | trackback: 0 | comment: 0edit

季節の変わり目 

このところすっかり冷え込むようになりました。
冬の到来はなんとなく身も心も引き締まるようで、マロニエ君は寒くなるのは人がいうほど嫌いでもないのですが、季節の変わり目は体がなかなかそれに順応して切り替わってくれず、こういう時期を通過するのが一つの山ともいえます。

恥ずかしながら、自律神経があまり上級品じゃないためか、気温変化に対する適応力が低く、体がかならず一定期間抵抗するような気配です。
自分だけかと思っていたら、最近はこの手の体質の人がわりに多いらしく、明確な病気でもなく、だから病院に行ったところですぐにどうかなるものでもないために、人知れずじっと耐えるしかなくて、皆さんも苦労していらっしゃるようですね。いうなれば軽い慢性現代病の一種のようなものだろうと思います。

まわりをちょっと見回してみても、日常生活に際立った支障はないものの、こんな時期、どこか体調がすぐれないという状態の人は多く見られます。
アレルギー過敏やなにやらいつも風邪をひいているような人などもいますが、いずれも類似した部類のような気がします。
要は昔の人のような原始的な抵抗力が弱まってのでしょう。

さらにマロニエ君の場合で言うと、以前にエアコン依存症ということは白状したことがありますが、まさにそこに端を発したと思われる困ったクセがあって、ひとことでいうなら冷房か暖房のどちらかが作動していないと心理面でも落ち着かないのです。

落ち着かないぐらいならいいのですが、この時期はいわば四季の端境期で、中途半端なジワリとした冷え方をすると風邪をひきかけるのか頭痛がして、それがかなりひどいので大変です。
といってストーブを入れると、今度は熱くてムンムンしてきて消したくなる。消せばやっぱり寒い。
だからこういう時期は苦手ということになるわけで、はやくつけっぱなしに出来るぐらい寒くなってくれたほうが体調がよくなり元気もでるのです。

それにエアコン類を停止させると、空気の動きが止まり、同時に苦しげな「無音状態」に包まれるような気がして、これがまた妙に不安で気分的に苦手なのです。

似たような事で思い出したのは、屋内で飼われている犬は、人間が出かけて留守番をさせられる場合、静かすぎる部屋にずっとおかれると却って不安でストレスになるというので、人によってはテレビやラジオの音を小さく出してつけっぱなしにしておいてやるという話を聞いたことがありますが、なんだかまるでマロニエ君のエアコンもそれに似ているような気がしました。
要は、マロニエ君の心理レベルがそっちに近いということなのかもしれませんが。
2010/11/10 Wed. 01:19 | trackback: 0 | comment: 0edit

ご同慶の至り 

日曜は大変お目出度いことがありました。
かねてよりピアノ購入を検討していたマロニエ君の知人が、ついに決断したのです。

その人とは何カ所かのピアノ店を回りましたし、その他の場所でも共に弾いて楽しむ趣味のピアノの仲間です。
ピアノと音楽が好きという点では大いに共通していますが、彼はとりわけ古典派の作品を嗜み、一人の作曲家なり一つの作品にキチンと真面目に打ち込むタイプで、その点ではあれこれと節操なく弾きかじっては一箇所に落ち着けないで、中途半端な仕上がりばかりを増やすマロニエ君とは大違いです。

購入機種の候補としては国産のピアノにも気になるものがあり、あれこれと考えていたようですが、なにしろ現在の住まいがグランドピアノを置けない環境らしいので、ピアノ購入はいずれどこかへ引っ越してからの事とゆったり構えていたところへ、マロニエ君の知る技術者からの話が飛び込んできて、その人が取引をしている海外のブローカーからの情報がもたらされました。

今はまだその時期ではなかろうと思いつつ、「いい話だから伝えるだけは伝えてみて欲しい」と言われ、ひとまずダメモトで言ってみたのが事のはじまりだったのですが、それが結局は購入へと実を結んだわけです。
考えてみれば、ピアノに限らず、自分が一番好きなことに関する情報は、そうそう軽く聞き流して打ち捨てることは人はできないものかもしれませんし、逆に行動を起こすきっかけになるのかもしれません。

はじめ2台だったものにもう1台加わり、計3台のピアノ情報が寄せられたのですが、なにしろピアノは遠く異国の地にあり、写真を見る以外は、触れることも音を聴くこともできません。
写真は要求するたびに数を増し、しまいには響板の裏から撮った写真まで送られてきましたが、こんなときネットの力はやっぱりすごいもんだと思いました。

本当は現地へひとっ飛びしてくるのが一番良いのですが、遠い外国ともなるとそう簡単にもいきません。
結局写真と情報だけで決断せざるを得ず、本来ならこんなピアノの買い方は決して正しいとは言えず、マロニエ君としても現物確認できないことが人ごとだけによけいに気にかかりました。
しかし、そのかわりにはいろいろと都合のいい事情が絡んだことと、折からの円高で、価格は国内で買うよりも有利ということもあり、万が一気に入らなくても決して損になるような買い物ではないという判断も働いて、ついに購入の決断に至ったというものです。

写真によると、ピアノは美しいギャラリーの一角に置かれていただけのようで、製造後10年足らずであまり弾かれておらず、非常に程度がよさそうなピアノであることが窺えたのも決め手だったようです。あとの2台はすでに60年前後経過しているピアノで、これはこれで魅力だったのですが、今回はできるだけリスクを避けて新しめのピアノになりました。

本当はこんな隔靴掻痒な書き方はせず、もっと具体的にダイレクトに書きたいところですが、まあ浮き世にはいろいろと障りもあるかもしれず、なにぶん自分のことではないので、今のところこんな表現しかできないことを申し訳なく思います。

そのピアノがいつごろ遠路はるばる日本へやって来るのかはまだわかりませんが、今どきの発達したトランスポートシステムと、間に立っているのがその道のプロということも考えれば、そう遠いことではないと思われ、非常に楽しみです。
2010/11/09 Tue. 01:40 | trackback: 0 | comment: 0edit

日本の清潔文化 

最近は行っていませんが、中国などから帰国すると真っ先に感じることは、日本の清潔さです。
これは海外といえば欧米ばかりで、アジアの周辺諸国に旅したことのないような人にはわからないことかもしれませんが、同じアジアでありながら、日本の清潔さはまさに別世界のそれで、突出していることを毎回感じさせられるものです。
家に着いても、まっ先にお風呂にでも入らないことには、全身が独特な汚れにまみれているようでゆっくりできないと感じるほど、やはり向こうは基本的に違います。

上海、台北、ソウルなど、どこも街は大都会、空港も広大かつ近代的で、パッと見た感じはそれはもうなかなか立派なものですが、そこを出発して福岡空港に降り立つと、規模こそ小さいものの、飛行機を一歩降りると、そこは気品とでもいいたくなるような静寂の世界で、いきなり目に入る塵ひとつない床や磨き抜かれたガラス、入国審査窓口のたとえようもなくキチンとした感じなど、すべてが日本基準であることに気付かされ、何日間か忘れていたものがいっぺんに蘇ってくるようです。

普段はなんとも思わない見慣れた街並みまでが、まるで前日に石鹸ででも洗ったようにきれいで、タクシーも滑らかで乗り心地がよく、ついさっきまで冒険旅行にでも行っていたような気分になるものです。

実は仕事の関係で、昨日も近くの国から二つほど荷物が届いたのですが、まあ相手の方がこのブログを読む心配は絶対にないから書きますが、とにかく荷そのものが何故?と不思議に思うほど薄汚れていて、荷をほどくのもちょっとした覚悟を要するような妙な迫力を醸し出しています。

もちろん外国郵便ですから、途中いろんな機関や窓口を経由してはるばる旅してくる間には、相応に汚れもするだろうとは思いますが、それが実は外側だけではないのです。

中の物が破損しないように、梱包材のプチプチみたいなものに厳重にくるまれていますが、中の中まで薄汚れた感じは変わらず、荷ほどきがおわり、大量のプチプチを一箇所に集めると、このかたまりがなんと日本で見るものとはかなり色が違うのです。全体に薄茶色っぽくほこりをかぶった感じで、実際にもうす汚れているので、とにかくまっ先に外に出してしまおうと思ってしまいますし、その次は石鹸で盛大に手を洗います。

これが日本ならいわゆる普通の透明のビニール色ですが、むこうのものは同じようなものでも、手触りからなにから違うのです。こんなものひとつとっても日本は本当に綺麗だといまさら感心させられます。
こういう普段気もつかないようなことが異なるということ自体が文化であり、日本という国には、他国がとても追いつくことの出来ない高度な文化が息づいているのだと思います。
それを知るだけでも、周辺諸国への旅は非常に勉強になるものですし、こういう点はつくづくとありがたい国だと思います。
〜と、こんなことを言っていますが、だからこそ近隣諸国への旅は驚きと発見の連続で楽しいですよ!
みなさんもぜひどうぞ。
2010/11/08 Mon. 01:47 | trackback: 0 | comment: 0edit

秋のソナタ 

名匠ベルイマン監督の『秋のソナタ』をまた見てしまいました。(冬ソナじゃありませんよ!)
1978年のスウェーデン映画で、主演の大女優イングリット・バーグマンにとっては、マロニエ君の記憶が間違っていなければこれが最後の映画だったように思います。

ピアニストで家庭を顧みないシャロッテ(バーグマン)が恋人と死別したことを機に、7年間も会っていなかった中年の娘から招待をうけてやって来るのですが、この映画の主題とも言うべき母娘の葛藤を軸に進行していきます。
舞台の大半は娘夫婦の自宅のみで、映画というよりは半ば戯曲のような調子で、人間に内在するさまざまな問題がこまかいやり取りを通じて赤裸々に描き出されます。

おそらく多くの人はこの映画を親子の愛憎の問題として捉えることだろうと思います。
恋にステージにと奔放に生きてきた母親は家庭は二の次で、夫と子ども達はいつもその犠牲で取り残され、長年積もりに積もった娘の心の傷は、ある夜ふとしたことから爆発します。
もちろんシャロッテが一般論として悪母悪妻であることに意義はありませんが、そこにもうひとつのテーマがあるように思います。

何かにつけけ華やかな世界に棲み音楽と演奏旅行に明け暮れた母と、容姿にも恵まれず目立たない日陰のような真面目一本の娘は、むごいまでに悉くの価値観を異にします。
マロニエ君は人間関係で最も絶望的なものは価値観の相違だと思っています。
価値観というものが人を動かし、統括し、人がましく生きるためのいわばベースだと思いますし、言いかえるなら思想そのものでもあると思われます。価値観とは皮膚であり血液であり、すなわち人格でしょう。

これがあまりに相容れないとなると、ほんのささいなことで軋みが生じ、対立やすれ違いの連鎖となり、永遠の平行線であるという事実を容赦なく描いているようにも思えます。
価値観が相容れない者同士がどんなに努力をしても、そこに残るのは虚しさと疲労と絶望のみ。
それが親子という縁の切れない関係であれば、よけいにその絶望の溝は大きな傷口のように広がるばかり。

娘は夫に促されて、いつも練習していたショパンのプレリュードの2番を母の前で弾いて聴かせるというシーンがありますが、それはなんともこの娘らしい、必死な思いこみだけでひどく独善的な、聴くに堪えない解釈であったところは非常によくできていると思いました。それを聴いている間のシャロッテの悲痛な思いを娘に遠慮して押し殺したようなバーグマンの表情がまた見ものです。
そのあとに語られたシャロッテによるショパンとこの作品の解説は、まったく正鵠を得た見事なものでした。
そして、それがまた娘を再び傷つけるのですが…。

人間の問題は善悪だけでは解決できない、ましてやきれい事ではすまないことのほうが圧倒的に多く、つくづく難しいものだということを見せつけられたようでした。
しかし、大変充実したマロニエ君好みの映画であることは間違いありません。
2010/11/07 Sun. 01:55 | trackback: 0 | comment: 0edit

鯛焼き 

車でとある交差点を曲がっていると、いつもそこに鯛焼きのちょっとした有名店があるのが視野に入りました。
以前から存在だけは知っていたので一度買ってみようかと思いつつ、店は交差点のど真ん中で、車族のマロニエ君にとってはきわめて挑戦的な場所に位置する店でした。
交通量も多く、周辺はとうてい車が置けるような状況ではないのでずっと諦めていたところ、なんのことはない、少し先にこの店の駐車場があることがわかり、それではということでとりあえず買ってみることにしました。

マロニエ君は基本的に、博多では回転焼きといわれる甘味(一般的には今川焼き、太鼓焼きなどという丸形の鯛焼きの親戚みたいなもの)が好きなのですが、これが意外とどこにでもあるわけではなく、確実に買えるのは天神のデパ地下なのですが、これも人気があってしばしば行列になるのが甚だおもしろくありません。

東京から広がったと思われる卑しき文化のような行列というのがマロニエ君は心底嫌いで、ホロヴィッツのコンサートのチケットとでもいうのならともかく、たかだかちょっとした食べ物を買うのに、いちいち時間を使って行列に堪え忍ぶという自虐行為がどうにも馴染まず、行列を見たら反射的にパッと避けてしまいます。

ところが人によっては行列を見ると逆に並ばずにはいられないという御仁もいらっしゃるというのですから、いやはや世の中いろいろです。
長い行列の場合、それが果たしてなんのための行列かもわからないまま、ともかく最後尾に並んでおいて、しかる後にその行き着く先がなんであるかを探って確認するというのですから、ここまでくればあっぱれですね。

さて、ついに買ってみたその鯛焼きですが、家に持ち帰ってさっそく食べてみたところ、多少時間が経っていたということはあるにせよ、あまりにも外側がガチガチに固くて、なんじゃこりゃ?と思いました。
なんとか一口食いちぎっても、固いのでなかなか喉を通らず、お茶をのみながらやっと一個を食べおおせました。

中の白あんも雑でモサモサしていて、マロニエ君的にはぜんぜん美味しいとは思えず、なんであんな店が有名店なのかまるでわけがわかりません。
実はこの店もしょっちゅう歩道に人が行列しているので、味はそれなりかと思っていたのですが、到底納得しかねるものでした。
おまけに固くてやみくもにアンコを噛んで食べたせいか、しばらくのあいだ糖分で奥歯が痛くなるほどで、えらく損をした気分になってしまいました。

友人に言うと「文句の電話でもしたら?」といいますが、いかなマロニエ君でもまさかそこまでしようとは思いません。ただし、行列はいよいよ当てにはならないと思い定めた次第です。
2010/11/06 Sat. 01:22 | trackback: 0 | comment: 0edit

スイーツ通り 

我が家のご近所には、このところ2つの甘い物の店が立て続けにオープンしたことで、以前からある店を含めると4つの甘い物の店が軒を並べることになりました。

いまさら店名を伏せる必要もないので書きますと、チョコレートの「カカオロマンス」、洋菓子の「浄水ロマン」、さらには最近オープンしたゼリーの専門店らしい「ROKUMEIKAN」、和菓子の「源吉兆庵」で、期せずして4店が横一列に連なる配列となりました。

マロニエ君は酒は飲まずの甘い物好きですから、環境的には嬉しいような気もしますが、実はこのうち洋菓子以外はあまり行かない店ばかりです。「ROKUMEIKAN」は銀座に本店があるゼリーの専門店らしいのですが、わざわざゼリーを買いに行こうとは思わないし、「源吉兆庵」はデパ地下ではおなじみのブランド和菓子です。

本音を言うとご近所に欲しいのは、こんな進物専用みたいな店ではなく、もっと安くて日常性のあるお店ができてくれることを望んでいるのですが、なかなかそうはならないものですね。

洋菓子店だけはいくつできても歓迎ですが、あとはできれば蜂楽饅頭の店とか、パン屋のたぐいが増えてくれるといいのにと思います。チョコレートは好きで昔はここでよく買っていましたが、ゴディバの台頭いらい値段もどんどん上がり、一粒の値段を考えるとあまりにもバカらしくて買う気もなくなりました。

「源吉兆庵」は進物でいただいたものは何度か食べましたが、マロニエ君の好みではなく特にどうとも思いませんし、これまた普段のおやつという感じではないのであまり行かないでしょうね。

それとこれらの新規オープン2店はマロニエ君にとって決定的な問題点があります。
それはいずれも駐車場がないこと。

我が家の位置を知っている人なら、駐車場の有無を言うなんてさぞ驚くでしょうが、これがダメなのです。
たぶん徒歩で2〜3分で、それをわざわざ車で行くなんて、大半の人は目が点になるでしょうが、マロニエ君としては店の前にパッと車を置けないと、それだけで行く気がしないのです。

こんな調子で長年生きてきましたから、たぶん変えられないと思います。
こんな悪いクセも、酒やタバコに溺れるよりは多少はいいかなと自分だけ思っているわけですが。
2010/11/05 Fri. 01:25 | trackback: 0 | comment: 0edit

商業主義 

ネットでCDなどを検索しているとやみくもに時間をとって、気が付いた時にはぐったりと疲れてしまっている自分がそこにあり、ほとほとイヤになるものです。
「気が付いたら」というのは誇張ではなく、見ている間はかなり集中しているので時間経過に対する意識が薄くなっているのでしょうが、だからこそ無意識に無理をしてしまいちょっと恐い気がします。
目や神経は疲れ、体を動かさないぶん血流が悪くなっているようだし腰も疲れ、文字通りぐったりです。

それでも思わぬ発見をしたときなどは小躍りしたくなるほど嬉しかったりするのですが、たまにそんな経験があるばっかりに、また懲りもせずに見てしまい、そして疲れて終わりということのほうが多いわけです。
実際は発見なんてそんなにざらにあるものではないのですが。

その思わぬ発見というのとはちょっと違いますが、一応発見してびっくりしたのは、マロニエ君の部屋の「今年聴いたショパン(No.23)」であまりのひどさについ批判してしまったバレンボイムのショパンについてです。
今年の2月ごろ、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われた一連のコンサートの中のバレンボイムのリサイタルには好みの問題を超越してそのあまりな演奏に驚いた次第でしたが、なんとそれがそのままDVDとして商品化され、今月下旬に発売されることを発見し、唖然としました。

内容の説明が重ね重ねのびっくりで「繊細で色彩感溢れるバレンボイムのピアニズムが凝縮された演奏。解釈は濃厚なロマンティシズムに溢れ、深みがあり、まさに巨匠の風格。ライヴの高揚感も加わり、観客を魅了するブリリアントな演奏を堪能することができる映像です。」ですと!

演奏の評価は主観に左右されるのをいいことに、あまりにも現実からかけ離れた表現だと思います。
どんなものにも大筋での優劣というのは厳然とあるのであって、良いものは個々の好みを超越して存在するし、逆もまた同様というのが芸術の世界であるはずです。

もちろん今どきのことですから、このイベントの計画段階からビジネスがガッチリと組み込まれ、版権を得た企業とは主催者・出演者とも厳格な契約が結ばれたはず。演奏の出来映えがどのようなものであっても、明確なアクシデントでも起きない限り予定された商品化は実行されるのかもしれませんが、だから商業主義などと言われてしまうのでしょう。

昔の芸術的道義に溢れたアーティストは、苦労して収録された録音に対してもなかなか発売のゴーサインを出さず、数年を経てやっと発売、あるいはお蔵入りというようなことはよくあることで、それだけ自分の芸術に対して責任を持っていたということです。

「これぞ巨匠の芸!」というサブタイトルも空虚に響くばかりです。
2010/11/04 Thu. 01:26 | trackback: 0 | comment: 0edit

ドッグイヤー 

先の雑貨戦争のみならず、天神そのものの規模は年々拡大していくようですが、にもかかわらず書籍やCD店のようなカルチャーの分野に関しては、一昔前のほうがうんとレベルが高かったように思い起こされてしまうのは暗澹たる気分です。
何事も拡大発展していくときは気分も浮かれて嬉しく感じるものですが、後退するときの失望感はやり場のない虚しさがあるものです。

10年ぐらい前は今とはまるで違っていて、天神には大型書店があちこちに軒を並べていました。
丸善、紀伊国屋、八重洲ブックセンター、ジュンク堂、リブロ天神などがひしめき、それらを回るだけでも楽しいものでした。
ところがその後、数年のうちにつぎつぎにクローズしはじめ、現在残っているのはこの規模ではジュンク堂のみ。

書籍だけではありません。
CD店も一時はヤマハ、山野楽器、HMV、ヴァージンメガストア、タワーレコード、メディアセンター、文化堂など「今日はどこにしようかな…」といった状況でしたが、これも潮が引くように次々に撤退を重ね、残った店も売り場が大幅に縮小されてしまったりと、かつての面影はありません。
けっきょく現在ではマロニエ君の頼みの綱はタワーレコードしかありません。
その他の店はてんで種類が少なくて、ものの役に立たないからです。

追い打ちをかけるように、テレビなどで今さかんに言っていることは、これから先は電子書籍の時代になり、紙の本が姿を消すこともあるなどと、耳にするだけでも思わず嫌悪感を覚えるようなことを言っています。
ポイ捨てのフリーペーパーや雑誌ならまだしも、先人が残した至高の文学作品の数々を、液晶画面を操作しながら読むなんて、とてもじゃないですがそんな気にはなれません。

また、ある本を読んでいると、CDはあと5年ほどでなくなるのでは?というような兆候もすでにあるらしく、そんな時代、考えただけでもゾッと鳥肌が立ってしまいます。
そのうちピアノもiPadみたいなものを譜面立てにおいて、その液晶画面を見ながら練習するのでしょうか。

時代は進歩し、社会のあらゆる仕組みが猛スピードで刷新されて行くというのはわかっていても、それにしても現代の時間速度はドッグイヤーなどと揶揄されるように、あまりにドラスティックで早すぎ、どこか残酷な肌触りがあるように感じませんか?
紙の本がなくなり、CDがなくなるのは、マロニエ君には100年先でじゅうぶんです。
2010/11/03 Wed. 01:36 | trackback: 0 | comment: 0edit

福岡雑貨戦争 

何日か前の新聞紙上に記事として掲載されていましたが、福岡は今、天神を中心とする雑貨戦争になっているという事でした。
この分野では最も古い店舗がインキューブですが、数年前にはロフトが開店したことで、売り場面積ではこちらが一歩リードしていたようです。

その後オープンしたパルコでも、出店している150店中50店が雑貨店だそうで、関係者の話によると雑貨店はお客さんの滞在時間が長く、あちらこちらに「買い回り」という動きをするとかで、現在この分野が大きな注目を集めているということでした。
実際にはきっとそれだけではなく、なかなかモノを買わない若者相手に、値がはらず、見るだけでも楽しめる雑貨でなんとか気を惹こうという、苦しい戦略のようにも見受けられますが。

また来年春には博多駅の新ターミナルが竣工開業し、核テナントのひとつが東急ハンズになるので、この福岡を舞台にした雑貨商戦はますます熱を帯びそうな気配らしいのです。

そんな状況を迎え撃つためか、インキューブでは最近、上階の大型飲食店だったスペースを売り場に改装してつい最近オープンし、ロフトと並ぶ最大級とやらの売り場面積を確保したらしいのですが、ちょっと行ってみると、増床部分は時代を反映してか化粧品や健康関連の、いわば生活に関連密着した物ばかりが並んでいて、特段の新鮮味は感じられませんでした。

こうして、似たような店ばかりがあっちにこっちに出来たところで、結局は同じような店や物が増えるだけという気がします。
雑貨店は通りすがり程度に眺めてみること、ちょっと珍しい物やこぎれいな物があったりと、それなりの楽しさがあるのはわかるのですが、だからといって地元の人間がそうそう何度も行くとは思えません。
もちろん田舎からはるばるやって来る人には目新しい印象を与えるのかもしれませんが。

そんな店舗がどんどん増えて、一見華やか賑やかに見えますが、結局はどこもおなじことの繰り返しで、必ずや互いに足の引っぱっり合いになる(もうなっている?)という気がします。
これから先、年賀状、来年のカレンダー、ダイヤリーなど、結局おなじようなものがこれらの店頭に溢れかえると思うとなにやらうんざりしてしまいます。
2010/11/02 Tue. 00:58 | trackback: 0 | comment: 0edit

ピアノを買うこと 

一昨日書いたロート製薬のスタインウェイとピアノ同好会が紹介された同じページには、もう一つの微笑ましい文章が記されていました。
音大を出たわけでもない、ピアノがさして上手いわけでもない普通のサラリーマンが、友人がグランドピアノを買って喜んでいる姿を見てどうにも羨ましくなり、酒もタバコもやらないその人は、ついにS社のA型を買ったというのです。

果たしてピアノが来てからというもの、家に帰るのが楽しくなり、購入から2年後には結婚されたもののピアノはもちろん一緒で、いまは奥さんが昼間弾いているのが「ちょっとずるいな」という気がするという、ほのぼのとしたいかにも幸福感にあふれた話でした。

実はマロニエ君もこのところ、ピアノ購入を検討している知人の話を聞きながら、ピアノを買うということには、たとえ人の事であってもなんともいえない楽しさと華やぎがあり、そこから漏れてくる空気をクンクンと犬みたいに嗅いでは楽しませてもらっているところです。

ピアノが購入者のもとにやってくるということは、昔の嫁入り行列ではないですが、なんともお目出度い人生上の慶事のように思います。
これがもしヴァイオリンやフルートだったらどうなんだろうと想像してみますが、なんとなく少しニュアンスが違うように感じてしまうのは、マロニエ君がピアノ好きという理由だけではないようにも思うのですが。
ピアノを買うというのは生活の質までも変えてしまうような、きわめて情緒的な要素が強くこもっていて、なにか特別な事のような気がします。

例えば新しい立派なホールが落成しても、そこにピアノが納入されてはじめて、ホールに命が吹き込まれ、魂が込められるような気がするのはマロニエ君だけでしょうか?

ましてや一般人でピアノを購入するというのは一大イベントです。
とりわけ最近は電子ピアノという便利な機械が普及しているので、その前段階を踏み越えてついに本物のピアノを手にするというのは、まるで一人家族が増えるのにも似た心の高ぶりがあっても不思議ではないように思います。

これから共に過ごす長い年月、音楽という何物にも代え難い喜びを一緒に楽しむいわば伴侶も同然ですから、さまざまな予想を巡らせつつあれこれと検討してみるだけで心躍ような気持になるはずです。
それにつられて、マロニエ君も無性にピアノが買いたくなって困ってしまいます。
2010/11/01 Mon. 01:47 | trackback: 0 | comment: 0edit