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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

エアコンパニック-3 

この時期にいたって、なんとまた、エアコンに問題が起きしました。
先のトラブル以来、快調に運転を続けていたマロニエ君の部屋のエアコンですが、ある日を境にとんでもないことが起こり始めました。
室内への盛大な水漏れです。一昨年もこれに悩まされたが、その時の教訓としては微細なごみが積み重なって、排水ホースを詰まらせ、行き場の無くなった水が室内に溢れ出るというものでした。
それいらい修理に来たメーカーの勧めにしたがって、毎年クリーニングの専門業者を呼んで内部の徹底的な掃除をするようにしています。

今年も7月の後半に来てもらって、安くもない代金を払ってクリーニングをやっていましたので、その点に関しては安心していたのですが…。
エアコンの水漏れというのは経験のある方ならご存じでしょうが、ひとたび漏れはじめると、もうとめどがありません。
おまけにマロニエ君の部屋は、ベッドの頭のちょうど上ぐらいにエアコンを設置しているので、漏れはじめると枕から3〜40センチのところにポタポタ水が落ち始めます。

漏れてくる場所によっては布団まで濡れてしまうので、ベッドの横にはお盆にバスタオルを重ねて水漏れに備えるしかありませんが、今回は量がやたら多くそれでは足りないので、おおきなプラスチックの容器のようなものを持ってきてたりと対策も大変です。この時期になってもエアコンを切ると寝られないエアコン依存症のマロニエ君なので、夜通しこのパチャンパチャンという音に悩まされ、深い睡眠は普段から苦手なのに、ますます眠りは浅いものとなりました。

すぐにクリーニング業者に連絡すると、普段の愛想はやたらいいくせに、いざとなると自分達はクリーニング以外のことは関与せず、故障はメーカーのほうに言ってくれというすげない返事です。そこでメーカーに連絡してすぐに修理に来てもらいましたが、果たして原因はクリーニングのやり方が中途半端なためと考えられるらしく、機械部分を洗浄することで出てくるゴミなどが逆に排水ホースに詰まって発生したトラブルだということでした。それでも出張修理費はかなりかかりました。

この結果をクリーニング業者に伝えると、なんと国会の証人喚問のように自分達の非を認めようとしません。
ただもう必死に逃げ回るばかりで会話が成立しません。あまりにもばかばかしいのでだったら私は素人なのでメーカーに電話して専門家同士で話をしてくれといったら、それも頑として嫌がります。
結局、来年のクリーニング一回分をサービスすることで話は収まりました。
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2010/09/29 Wed. 01:32 | trackback: 0 | comment: 0edit

再放送 

日曜日の午後、NHKアーカイブスでショパンコンクールのドキュメント番組が再放送されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
これはユンディ・リが優勝した10年前の記録による「若きピアニストたちの挑戦」という70分の番組で、マロニエ君は途中から見たのですが、今年がショパン生誕200年であり、10月には5年に一度のコンクールが開催されるというタイミングもあって放送されたのだろうと思いました。

以前も見た記憶のある番組でしたが、やはりこのクラスのコンクールに出るのは並大抵ではないことをまざまざ感じさせられます。
以前誰か日本人の女性ピアニストが言っていたことで、それが誰だったかもう忘れましたが、ショパンコンクールに(出場者として)行くと、会場に入り、ほうぼうで練習しているその音を聞いただけで、そのとてつもないレベルの高さに圧倒されて、身がすくんでしまうというようなことをいっていたのを思い出しました。

つくづくそうなんだろうと思うほど、みんな本当に上手くて見事な演奏をしていますが、それでも二次にさえ進めない人、三次で終わりの人、ましてや決勝に残るなどもはや尋常なことではない事だと思わせられます。

マロニエ君的には、決勝に残った人、残らなかった人、それぞれにどうして?と思える人があって、以前から話題の尽きない問題、すなわち審査の公正さや判定をめぐる審査員達の攻防も熾烈を極めると聞きますが、それはこういうドキュメント番組をチラッと見ただけでもふっと察せられる気がしました。
これまでに審査に不服を申し立てて席を蹴った審査員も数多く、スポーツとは違ってピアノ演奏の真の価値を審査するというのは本当に難しく、さらにそこへ汚い裏事情まで絡んでくるとなると、いやが上にも複雑化し紛糾するのは当然のことだろうと思います。

番組が終わるとスタジオの場面になり、またぞろあの有名ピアニストが鎮座していて、すでにもうなんども聞いたような解説をして自分がまるで主催者であるかのようでした。見ていると、もはや時代遅れというべきヘビー級の厚化粧で、目の周りはいろんな線やぼかしやキラキラ光る粉などが所狭しと塗られているようでした。
うしろにピアノがあるので嫌な予感がしていましたが、やはり最後にこの御大は自分を見せる時間がないと気が済まないらしく、「あたくしが、ショパンコンクールでも弾いた黒鍵のエチュード」が披露されました。
演奏に関してはノーコメント。
2010/09/28 Tue. 02:53 | trackback: 0 | comment: 0edit

相撲と野球 

マロニエ君は基本的にスポーツに興味はありませんが、それでも相撲は少し見ますし、その他のものも話題の結果ぐらいには興味を持つことがあります。

今日は大相撲9月場所の千秋楽でしたが、なんと言っても白鵬の62連勝達成と魁皇の勝ち越しで幕を閉じたのは良かったと思いました。だいたいこういう結果というのは、まずほとんど自分が望むことの反対で終わることが多く、大半は落胆で幕を閉じるものですが、今日の上記二つはホッとしたというか嬉しいことでした。

魁皇は福岡の地元力士という枠を超えて、もはや全国区の人気力士で、引退を常に背負いながら出場記録を伸ばしているところが、とくに最近は見るたびにハラハラさせられます。聞けば現在、この魁皇が大関以上では唯一の日本人力士なんだそうですね。あともう少し頑張って欲しいものです。

それにしても白鵬の62連勝はすごいですね。
取り口を見ていても、基本は悠然たる横綱相撲で、常に受身の相撲をつらぬきながら、必要時には目にも止まらぬ俊敏と獰猛とさえいえるような突進力で相手をなぎ倒すところはまさに本物の横綱といえるでしょう。
その姿も美しく、長身で、色白で、風格に溢れるその偉容は、まさにこれこそ横綱という感じです。
横綱の資格はまずもってその実力と人並み外れた成績であることは言うまでもありませんが、心・技・体といわれるように、ただ強いだけではないすべてをひっくるめた、見る者を一瞬にして納得させるオーラが無くてはなりません。

やや下り坂気味だった千代の富士の53連勝の時とは違って、白鵬の相撲にはまだはち切れんばかりの力が漲っていて、これはどこまでいくかわかりませんね。はじめの頃は双葉山の69連勝なんてゼッタイムリと思っていましたが、どうやらそうではないような気がしはじめているのはマロニエ君だけではないでしょう。

千秋楽が終わってやれやれという感じでいたら、夜になって知ったことですが、なんとソフトバンク・ホークスも今夜リーグ優勝をきめたと知って、二重の驚きでした。
昔のダイエーがやはり優勝と、つづく日本シリーズで日本一になったとき、中州の橋の上に大騒ぎを見に行ったことを思い出しました。優勝に湧く群衆の中から、次々に川に飛び込む若者がいて、厳密なことを言ったら問題はあるのかもしれませんが、めったにないお祭り騒ぎの熱狂の中での出来事として楽しい思い出になっています。もしかしたら今ごろやっているのでしょうか。

ひとつだけ、野球の優勝で個人的にいただけないのは、あのビールかけです。
いくら嬉しいとはいっても、ホテルなどの屋内を飛び交うビールの放水で壁も天井もベトベトにしてしまうのは、ちょっと騒ぎ方としてはスマートさに欠ける気がしますが、今夜のビールかけは意外や野外のようでしたから、いくぶんホッとしました。
2010/09/27 Mon. 01:45 | trackback: 0 | comment: 0edit

バッハだけの世界 

いまさら言うまでもないことですが、バッハの作品ほど楽器の特性を超越したところで作曲された音楽というのは類がないと痛感しました。

例えば、多くの鍵盤楽器の作品が、チェンバロから現代のモダンピアノまですべてを楽々と受け容れて演奏されるのは当然としても、ゴルトベルク変奏曲が弦楽合奏で演奏されても、何の違和感もなく音楽をして快適に聴き進むことができるのは多くの人が知るところでしょう。

未完の大作である「フーガの技法」もチェンバロ、オルガン、ピアノと楽器を選ばないところにこの孤高の作品は位置しているように思われます。
また昔はプレイバッハなるジャズバージョンも流行したことも忘れるわけにはいきません。

さて、最近珍しいCDを手に入れました。
ブランデンブルク協奏曲(全曲)をマックス・レーガーの編曲でピアノ連弾によって演奏しているものです。
ネットで見つけて、どんなものか面白そうなので買ったのですが、鳴らしてみると、面白いというよりはうんとまともというか、非常にすんなりと音楽が耳に入ってくるのに驚きました。

ブランデンブルク協奏曲は、すでに合奏協奏曲での演奏で耳にタコができるほど聞き込んでいる名曲中の名曲ですが、それが今はじめてピアノで鳴っているというのに、何の違和感もなく曲がすらすらと現れて流れるのには驚きました。
まるで、もともとピアノ曲であったかのように自然で、いつしかオリジナルが合奏協奏曲であったことをつい忘れさせるほどです。

こういうことは、しかしバッハだけのものであって、たとえばリストがソロピアノに編曲したベートーヴェンの交響曲(一時期カツァリスがよく取り上げていました)や、2台のピアノで演奏されるブラームスの交響曲などは、聴いていて意外性やそれなりのおもしろさは感じても、しだいに飽きてきて、最後にはどうしてもオーケストラの演奏を聴かずにはいられない欲求に駆られるものです。

ところがこのピアノ連弾によるブランデンブルク協奏曲はそういう不満感がまるで起きないのです。
演奏ももちろん見事で、ピアノも100年以上前のスタインウェイを使って演奏されていますが、そんなことよりもバッハの超越的な作品の凄さというものをひしひしと感じさせられるCDでした。
やはりバッハは時代や楽器を超えた、孤高の作曲家ですね。
2010/09/26 Sun. 01:38 | trackback: 0 | comment: 0edit

携帯パニック 

どうしたものか、今年は次から次に電気製品が故障したり不具合が発生する年のようです。
マロニエ君は現在、ソフトバンクの携帯(iPhoneではない)を使っているのですが、現在の機種を使い始めて半年ちかく経ったころからバッテリーの消費が激しくなり、修理ということで代替機を使うことになりました。
10日ほどするとショップから連絡があり、引き取りに行ってみると、やはり機械的な問題があったらしく、問題の箇所は新品に交換した旨の報告を受けました。

それから数ヶ月経ったころ、やはりまたバッテリーの保ちが悪くなり、今度はそろそろバッテリーの寿命かと思い、貯まったポイントを利用をして新しいバッテリーを購入し交換しました。
ところが、それを使い始めて二ヶ月も使ったころから、またしてもバッテリーが保たなくなり、毎日充電してあまり使わなくてもすぐに電池レベル表示は不足の警告を出すようになりました。

今回はバッテリーは新しく、寿命ということは考えられないのでショップに出向いて事情を話したところ、とりあえず別のバッテリーの貸し出しを受けて様子を見ることになったのは、以前このブログにもちょっと書きました。

さて、そのショップが貸してくれた中古のずいぶん汚れたバッテリーを使ってみたところ、なんとこれが何の問題も無いことが判明。すなわち購入したバッテリーが不良品だったことがわかりました。

その旨、ショップに電話して不良品を交換してくれるように頼んだのですが、ここからが大変でした。
ショップはショップの関与したことにしか責任をとらず、ネットで注文購入したものについては独自にネット注文の部署に掛け合ってくれと言うのです。やむなく教えられた番号にかけると、ガイダンスにしたがって際限なく操作を繰り返し、やっと人間の声にたどり着いたと思ったら、今度はひと言なにか言う度に「少々お持ちください」を連発するばかり。

その挙げ句、不良品を交換するためにはバッテリーをいったんショップに持っていくように言われました。
しかし、そもそもショップはネットで買ったモノについては関与しないと言うのでかけた電話であるというと、またお待ちくださいの挙げ句、「折り返しお電話します」となります。これを実に3回繰り返したあげく、ついに「特例として」新しいバッテリーを送るということになりました。ここまでくるのにもうヘトヘトでした。

これで終わりかと思うと、今度は不良品を宅急便で送って欲しいので、住所のメモをお願いしますといわれました。
さすがにカチンときて、それは拒否し、ショップへ借りたバッテリーを返しに行くときに一緒に渡しておくので、あとはこれ以上客の手を煩わせることなく、社内で処理してくれというと、ようやくそのように収まりました。
電話に出る女性は言葉は丁寧なのですが、判断力が無く、応用が利かず、生きた処理ができません。
決められたシステムを守るためにはお客にどれだけ迷惑がかかっても、そこは問題ではないようです。

この一連の電話が済むだけでも、実に一時間半!!を要しました。
2010/09/25 Sat. 01:47 | trackback: 0 | comment: 0edit

気骨あるピアニスト 

昨日、ブログに書いた「ピアノの本」ですが、処分する前にパラパラとめくってみると、ちょっとした文言が目にとまりました。

ピアニストの小川典子さんによる文章で、英国のマレー・マクラハランというピアニストを紹介しているものでしたが、注目すべきはマクラハランが恩師に言われたという言葉でした。
「気骨あるピアニストを目指すなら、コンクールには一切出場しないことだ。」
なるほど!と思いました。
彼はその教えを忠実に守り、地道な努力によって骨太なピアニストに成長したらしく、いまや世界で活躍しながら、地元の音楽学院の教授をつとめ、CDもすでに40タイトル以上に達しているようです。

現代ではピアニストを志すものがコンクールに出場するのはごく当たり前であって、それに値する実力がありながら、一切出場しない正道を進むのは、よほどの勇気と決断の要る事だろうと思います。
率直に言うなら、コンクールは一攫千金的な側面があって、世界の有名コンクールともなれば、優勝すれば一夜にして有名人になることができる上、ステージチャンスは舞い込み、経歴としても単純・明快・確実だから、コンサートピアニストを目指すほどの人は当然のように出場するのだと思います。

中にはコンクール中毒のような人までいて、世界各地のコンクールにとにかく出場することが生き甲斐みたいな人までいるのです。
どんなに指は達者でも、こういう人は決して本物のピアニストにはなれないでしょうね。

いっぽう、コンクール経験なしでピアニストを目指すのは生半可ことではありませんが、でもそれが可能なら、もちろんそのほうが演奏家として本物だとマロニエ君も理屈抜きに、直感的に思います。
コンクール歴がなければ、自分を飾る肩書きもなく、より純粋に優れた演奏だけが勝負であり、その蓄積によって遠い道のりを一歩一歩前進するしかありませんからね。ここが「気骨」だろうと思いますが。
真っ先に思い浮かぶのはエフゲーニ・キーシンで、彼はこれといったコンクール歴のないまま、現代最高のピアニストの一人に数えられるまでに上りつめた希有な一人でしょう。

コンクール歴のない人の演奏は、どこか昔の巨匠にも通じる、一種の人間くささ、誠実さ、魂の純潔、芸術家として必要なストイシズムをもっていて、そういうところからぎゅっと搾りとるように汲み出された音楽が、我々聴く者の心を打つのだろうと思います。
その点、コンクール出身者は、素晴らしい人もありますが、おおむね難しい受験に合格した勝利者という印象です。
2010/09/24 Fri. 01:23 | trackback: 0 | comment: 0edit

「ピアノの本」 

ヤマハのレジの横に置いてある「ピアノの本」という、たいそう小さくて薄い、わずか40ページほどの冊子があるのをご存じですか?
いちおうは月刊誌らしいのですが、普通の雑誌の付録にもはるか劣る、とてもお金を出して買うようなものには見えないものです。
せいぜい航空会社の時刻表並みですが、紙質ははるかに劣りますし、カラーは表紙のみです。

それでなくても今時は、無数のたいそう立派なフリーぺーバーが世の中ひしめき合っている中、なんとこれが有料だというのですから開いた口がふさがりません。だれがあんなものをお金を出して買うんでしょう?

ところが、それが現実にレジ横で105円で売られていて、しかもピアノの先生の何とかいう会員とかであれば無料とのことなのが甚だ愉快ではありません。一般の客でもレジではちゃんとお金を出して定価で商品を買っているのに、これではまるで差別されているみたいで不愉快なので、マロニエ君はこれまでに一度たりとも買ったことはなく、したがって常々ほとんど読んだことはありません。

そういう一部優遇制度が撤廃されれば気まぐれで買うこともあるかもしれませんが。
逆にいうと、あれを敢えて105円出して買う人はまずいないと思うので、だったらどうして無料にしないのかと訝しく思うばかりです。
しかも、以前ヤマハの別店舗ではタダでもらったことがあるので内容を見てみると、ピアニストへのインタビューとか、先生の紹介、ヤマハのコンサートや公開講座/公開レッスンの案内、あとはヤマハのイベントやヤマハの新製品や新刊のニュースの羅列で、要するにヤマハに関する宣伝の類ばかりが書かれた冊子です。

これを一部の先生だの会員だのにはタダで渡し、お金を出して現実にモノを買っている一般のお客さんには105円也を請求するとはなんたることかと思いました。
別店舗では「どうぞお持ちください」と言われたこともありますが、天神では頑として売り物扱いですからいい度胸だと思いました。

タダでも読んでもらえるだけ幸せと思うべきところを、何を勘違いしているのでしょう。
これを無料にしたところで、みんなが一斉に持っていくようなものではぜんぜんありませんし、そもそも刊行された印刷物は少しでも多くの人に読まれてこそ意味があるというもの。

いかなる企業も顧客の確保とサービスの向上には、それこそ血の滲むような努力をしているというのに。
思うところをヤマハの担当者に電話して、鋭意検討の上、善処してくれるよう伝えました。
2010/09/23 Thu. 01:30 | trackback: 0 | comment: 0edit

バレンボイム 

【いただいたコメント】
名前:福岡から タイトル: 今年聴いたショパン-No.19〜24

今年聴いたショパン-No.19〜24を拝読しました。読み応えのあるシリーズでした。最近は恵まれていて、あまり聞いたことがないピアニストも右クリックで動画検索に入り瞬時に数曲効けるという王侯貴族でも不可だったことがモバイル環境で可能ですね。

私の良く聞くピアニストについては賛同できる面が多々ありますが、やはりバレンボイムについては、彼しか引き受ける人間がいなかったのだと思います。彼は今の年齢66才でもベートーベンソナタ全曲ライブとか破天荒な試みを成功させておりますし、ショパンもかなり古くからレコードがあります。

彼のアコーギクなりルバートには鼻につく面がありますが、それなりに全曲大きな破綻なく収めるベテランが、若手のキーシンに対していなかった(引き受けてくれる人が)ということではないかと拝察します。

個人的には完成度はともかくバレンボイムのように何でも弾けるといいなあ、と思う毎日です。普通の人にとって人生はショパンにせよベートーベンにせよ全曲弾くにはあまり短すぎるものですから、その観点でバレンボイムを評価している一人としてペンをとりました。今後のエッセイも期待しています。

【マロニエ君より】
コメントをいただきありがとうございました。
最近のバレンボイムはせっかくの才能を乱費しているようで残念です。指揮をする量が増え、壮年期に入ったあたりから仕事の質が次第に落ちたと思います。子供の頃はモーツァルトの再来のように言われた神童だった聞きますが、歳をとり、世間の垢にまみれ、ついには大手スーパー並の演奏商売をはじめた観があります。

たしかに彼のように何でも弾けるのは羨ましいですが、アシュケナージもそうであったように、あまりにも無闇に広範なレパートリーを手中にしようとするピアニストは、どうしても仕事が粗く、音楽に霊感が無く、いつしか音楽の土台までがこわれていくような気がします。

おっしゃるようにピアノのレパートリーはあまりにも膨大で、人の一生では時間が足りないというのは同感です。
ところが、現代ではいつの間にかベートーヴェンを弾くなら全曲演奏は当たり前というような風潮で、誰もが音楽と言うより記録作りのたぐいにばかりに精力をさいて無意味な挑戦するのは危機感を覚えます。
いつもながらお粗末な文章をお読みいただき恐縮ですが、今後ともよろしくお願い致します。
2010/09/22 Wed. 01:23 | trackback: 0 | comment: 0edit

ベビーカー 

成熟した社会では、弱者に対して思いやりの心と手厚く温かい対応が必要とされることはいうまでもないことですが、ときどきそういう高尚な理念とはかけ離れた光景を目にして、大いに疑問に思うこと、違和感を感じることがあるのは決してマロニエ君だけではないはずです。

過日もデパートに行って、満員で乗れない人も多く出るような状況のエレベーターに、何憚ることなくベビーカーを突っ込んでくる人がいるのは見ていてあまり気持のいいものではありませんでした。

それもお母さん一人という状況ならわかりますが、両親そろっているのなら、混み合う満員のエレベーターに乗るときぐらい、公衆道徳といえば言葉が硬いでしょうが、臨機応変に子供を抱いてベビーカーを畳むぐらいのことをしたらどうかと思います。ひどいのになると、夫が子供を抱き、妻が空のベビーカーを悠々と押して入り、ぐいぐいと奥に詰めて場所を空けろといわんばかりのパターンもあります。

また、知り合いと一緒に買い物らしく、二台同時に入ってくることがありますが、ベビーカーというのは意外にサイズもあり、それが二台ともなると、普通の人が乗る数は多いに制限を受けますが、ベビーカーというものがまるで社会特権でももっているかのようなどこか高慢な態度と表情が、迷惑をかけているまわりの人達の心証にとどめを刺すように思います。

もちろんベビーカーをエレベーターに乗せるのが悪いと言っているのではありません。しかし、わずかでもスペースを譲り合うべき状況で、他人にやむを得ぬ迷惑をかけることに、なんの躊躇も遠慮も感じていない様子を目撃するのは、決して珍しい光景ではありません。まるで子供を盾にして自分の露払いをしているような印象。

しかも、あまりにも他人への思いやりがないために、人の荷物を引っかけたり、あやうく老女がつまずきかけるのを目撃したこともありますが、だいたいこの手の親は、ちょっとしたお詫びのひと言もなく、赤ん坊という最大の弱者を連れていることで、どことなく「生類憐れみの令のお犬様」のような圧力を感じてしまいます。

一番驚いたのは、やはりエレベーターで、さんざん人をよけさせた挙げ句に入ってきたベビーカーでしたが、なんとそこに赤ちゃんの姿はなく、買い物の荷物ばかりが積み込まれていて、これにはエレベーター内の乗客は呆気にとられ、無言の視線をその女性に送っていましたが、その女性ときたら何の悪びれたところもなく、必要以上に堂々としていたのが印象的でした。
2010/09/21 Tue. 01:14 | trackback: 0 | comment: 0edit

かけた電話が… 

ちょっとした要件があって友人の携帯へ電話したところ、むこうはちょうど知人の入院見舞いに行って、たったいま車に乗ったところとだったと告げました。
それはちょうどタイミングがよかったと思い、1〜2分ほど話をしていると、友人が突然アッと言ったかと思うといきなり電話を切ってしまいました。どうしたんだろう…と、すごく気にはなりましたが、そこは敢えてかけ直すことはしませんでした。
というか、なんだか嫌な予感がしたので、とりあえず何もしないほうがいいような気がしたのでした。

それからしばらくの間、マロニエ君も落ち着かないまま待っていると、10分ほどして向こうから電話がかかってきました。悪い予感は的中しており、運転中に携帯電話を使用したことでパトカーに捕まったらしいのです。
この通話がもともとマロニエ君がかけた電話であったことで、責任の一端がこちらにもあるようで、申し訳なさがつのります。
言い訳のようですが、マロニエ君は「たったいま車に乗ったところ」というのを、文字通りドアを開けてただ乗っただけで、車はまだ動いていないと思っていたのです。もし、運転中と知っていれば普段からさっさと切るようにしています。

今、後のパトカーの中で反則切符を作成中だそうで、なんともいやーな光景が目に浮かびました。

摘発の方法がまた驚きでした。
なんでも、パトカーから電波を使って携帯電話を使用中かどうかを測定するのだそうで、使用中ということがわかると、そのまま40m追尾することで、違反が成立したということになるそうです。
この方法は、以前も聞いたことがあるにはあったのですが、実はマロニエ君はあまり本気にしていませんでしたので、やはり今回このようなことになって、それが事実だということがよくわかりました。

だとすると、街頭などで警察官が、運転中に携帯で話している人を「見ただけ」では、証拠不十分で摘発できないのだろうかとも思います。
ただ携帯電話を片手に持って運転し、通話もなにもしないで話しているフリだけをしたとすると電波による確認ができないわけで、そういう場合はどうなるのだろうかと思ってしまいます。
まさか運転中は携帯に触っただけでも違反というわけではないと思いますが…。
とはいっても、シートベルト装着などは、見ただけで摘発されるわけですから、まあ余計なことはしないことですが。
2010/09/19 Sun. 01:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

モンスターペアレント-2 

昨日の続き。

ある学校では毎月一回クラスの席替えを行っていた。
方法は公平なくじ引きで、席番号を書いた紙をみんなでひくというもの。すると翌日学校に一人の親から担任に電話がある。今回の席替えで我が子の隣が望ましくない子になったので、もう一度席替えをしてしてくれと主張する。それはできないと断るが、受験も控えているが失敗してもいいのか?などと猛烈に食い下がる。
とうとう根負けした担任が同じ方法で再度席替えをおこなった。するとまたしても電話が。今度のとなりの子も望ましくない子で、やはり困るので、もう一度席替えをやって欲しいと吠えまくる。

一家で食事をしていると、息子のお箸の持ち方がおかしいことを父親が発見する。その持ち方はおかしい、それでは学校の給食時間に先生から怒られるはずだというが、息子はべつに怒られないと答える。この事実に両親とも怒りをあらわにする。
翌日、父親が担任に電話をし、うちの子がお箸の持ち方がおかしいのに、なぜきちんと学校は教えないのかと、まるで学校の怠慢のようにまくしたてる。驚いた担任が、お箸の持ち方の指導はご家庭でお願いしますというと、父親は完全にキレる。
義務教育なんだから学校がお箸の持ち方を指導するのも当然のはずだ、そもそもアナタ方の給料は我々の税金で払われているんだ、我々が毎日忙しく働いて納めた税金のお陰でアナタ方は生活できているんだと吠えまくる。そして最後に名言を残す。
「一体、そちらではどういう教育をしているんですか!!!」と。
これにはさすがにスタジオの一人が言った。
「あれはふつう先生が親にいうセリフでしょう」と。ごもっとも。

これら以外にもマロニエ君は似たような話を聞いたことがありました。
ある子供が問題を起こして、親が学校から呼び出される。
ところが母親は働いていて、その都合ばかりを優先させ、そもそも子供のしでかしたことで呼び出しをされているという状況認識ができていないらしく、先生が強く要求することでようやく来ることに。
母親と子供と先生で話し合いがもたれ、一段落付いたところで母親が切り出す。
今日は先生がどうしてもと言われるので無理して大事な仕事を休んでしまった。だから、その賃金の損失分は学校側が負担するべきではないか?と先生に詰め寄るというものでした。

専門家の話では、現在、全体の約一割程度この手の親がいるそうで、1990年代からこうした現象が生まれはじめたのだそうです。
いやはやとてもじゃないですが、完全に笑い話レベルですが、素直に笑えない不快感があります。
先生もストレスたまるでしょうね。
2010/09/18 Sat. 01:29 | trackback: 0 | comment: 0edit

モンスターペアレント-1 

少し前に録画していたテレビ番組で、現在学校現場で大きな問題になっている、いわゆるモンスターペアレントの特集があったのをようやく見たのですが、その内容たるやすさまじいもので、実際の話なのですからただもう驚きました。
先生も昔とは違って大変過酷な仕事になってしまったようです。

内容は概ね以下のようなものでした。

体育の授業中、生徒が自分でサッカー場のポールに頭をぶつけてケガをしたので、先生が医務室ではなく、直ちに近くの病院へ連れて行ったところ大事には至らず、数回の通院で済むことになった。知らせを聞いて駆けつけた母親は一安心したのち、突如、先生に向かってなぜこの病院に連れてきたのか?と聞く。学校から一番近いからというと、母親は通院すると家からは遠いので、家の近くの病院がよかったのにという。
そして、ここに通院するのなら(先生の判断でこの病院になったわけだから)、それに要するタクシー代は学校から出るんでしょう?と詰め寄る。

学芸会でビデオを手にした親達が我も我もと揉み合うように我が子の撮影に興じる中、上手く撮れなかったことを妻子に責められた父親は、なんと学校の校長室に行って、もう一度学芸会をすることを要求。断られた父親は、それじゃあうちの子の思い出が撮れなくてもいいって言うんですか!と校長を相手にキレる。

似たようなもので、運動会のかけっこをビデオ撮影していると、先頭を走っていた我が子が運悪く転倒する。結果ビリになってしまったことにどうしても納得できず、学校側にもう一度やり直しを要求。転びさえしなければうちの子が一等だったのに、ビリになるのはおかしい、かわいそうだと父親がまくし立てる。

学芸会で白雪姫をすることになり、希望者によるくじで白雪姫役を決定した。ところが、翌日先生に電話が殺到。うちの子がなぜ白雪姫になれないのか、帰宅してから泣いていたと、などと責め立てられ続け、ついに白雪姫ばかりが舞台上にずらりと並んで登場し、その親たちだけが盛り上がって拍手を送った。
魔法使いも7人の小人もいない、原作を踏みにじる出来事として海外のメディアにも取り上げられた。

授業参観で親たちが教室の後に立ったまま、授業中にもかかわらず勝手なおしゃべりを続けて止める気配がない。先生は咳払いなどして注意を促すがまるで効き目なし。そのうちおしゃべりは生徒へも波及し授業にならない。ついに先生がおしゃべりをする生徒を注意し、その流れで親たちにも少し静かにするように言うと、一人の母親が逆ギレ。なんで私を見るのか!しゃべっていたのは私だけじゃない、だいたい授業があんまりつまらないからこういうことになる。もう少しマシな授業をしたらどうか?と逆襲する。

どうです?すごいでしょう。
つづく。
2010/09/17 Fri. 01:06 | trackback: 0 | comment: 0edit

草戦争-その後 

朝夕はずいぶん涼しくなりましたね。
我が家の庭は例の化学兵器の投下により、今年の草はほぼ壊滅し、その点ではなんとも快い日々を送ることができました。
これなくしては草の伸びる猛烈な勢いを抑えることは到底できないし、ましてや今年のような猛暑日の連続とあっては、果たしてどんな恐ろしいことになっていたか、考えただけでもゾッとしました。
投下前の状況からしても、例年以上の規模と勢いがあったのは確実でしたし。

マロニエ君のような根性ナシでは、逆立ちしたって、とてもじゃないですがあの酷暑の中、草取りなんかできるわけがありませんし、草刈り機をかけたところで、すぐまたグングン伸びて、ものの一週間や十日で元に戻ります。
かくして庭は、ゲゲゲの遊び場状態となるのです。

草が枯れていることで思わぬ副産物がありました。
それは蚊が少ないということでした。
考えてみれば、こんなことは当たり前のことなのでしょうが、はやり直接それを経験してみるとしみじみ効果を感じるものです。
蚊の大半は、草木の中を根城しにているのでしょうし、以前よりも変なムシの類も格段に少なかったように感じます。
こんなことはあまり書きたくはないですが、夏になると年に1〜2度は蛇をさえ目撃することもありました。
それがガレージの中に混入してしまって、大騒ぎになり、ついには警察を呼んだこともありました。

除草剤はそういう一切からも我々を解放してくれたような気がしています。
そんな話をしていると、友人の一人が「あまりそんなことをしたら、土地が汚染されるんじゃない?」などと大げさな脅しをかけてくる輩もいますが、べつに家庭菜園をするわけでもなく、要はなにを優先するかの問題です。

ところが最近、効き目が消えてきたのか、草のなくなったはずの庭のあちこちに、またしても雑草の一種だけがにょきにょきと出てきました。
すでに20センチ前後にはなっていますが、生え方はまばらで、そのうちまた「投下」すれば済むと思うと、フンと余裕で見つめています。
2010/09/16 Thu. 01:11 | trackback: 0 | comment: 0edit

笑顔の記憶 

お食事リンクにあるハシダ洋菓子店は、数ある洋菓子店の中でも、独特のお店だったと思います。
時代の波で、洋菓子店といっても次々に新しいものや変化が押し寄せてくる中で、ハシダ洋菓子店は小さいけれども決してスタイルを変えない店で、ここに行くとマロニエ君が子供だった頃そのままの、まさに昭和の時計が止まったまんまといった風情でした。

この店は老いたご夫婦でやっていて、作っているのは頑固一徹のような職人肌のご主人で、普段は店の奥で黙々と仕事をしていて、お客さんともまずほとんど口をききません。ごくまれに接触しても、その無愛想なことといったらありませんでした。

そんなご主人とは対照的に、小柄な奥さんはいつもエプロン姿で店頭に立ち、いついかなるときにも例外なくこぼれんばかりの笑顔で接客していましたから、この店のイメージはそのまま奥さんのイメージでもあり、とびきりの笑顔と丁寧な接客で成り立っているのは、この店を知る人ならみんな知っているはずです。
常連さんだけでなく、はじめてこの店を訪れた人でも、この奥さんの笑顔と接客姿勢は強く印象に残るものだったようです。

ケーキの種類なども決して豊富ではなく、中にはどう見ても時代遅れなものもありました。
それでもいくつか好きなものがあり、おまけに休みもなく、いつでも夜遅くまで確実に開いているので、考えてみるともうずいぶん長いこと、ふっと思い出しては買いに行っていました。
中でも、クリスマスなどのデコレーションケーキは、生クリームとスポンジという基本形なので、そこはご主人のベーシックな製法が功を奏して、とても美味しく、そのうえに安いので毎年注文するのが我が家の慣わしでした。

それが数日前に会った知人から、思いがけない話を聞かされ大変なショックを受けました。
店の看板ともいうべきあの奥さんがつい最近、病気で亡くなったとのこと。
それを追いかけるようにご主人も同じ病気になり、ついに店はシャッターを降ろしたという話でした。

マロニエ君の意識の中では、未来永劫あの店はあそこにあるものと思っていただけに本当に驚かされました。
昨日、気になって店の前を通ってみたら、なるほど昼間だというのにシャッターが降りていて、小さな張り紙がしてありました。
…長いこと、本当にお疲れ様でした。
2010/09/15 Wed. 01:59 | trackback: 0 | comment: 0edit

圧迫感と解放感 

いまさら繰り返すまでもないほど何度も書いてきたことですが、マロニエ君はとにかく人前でピアノを弾くということが自分でもちょっと異常じゃないかと思うぐらい苦手です。

一昨日もある会場でサークルの定例会が行われましたが、そこは普段より比較的広い会場ではありましたが、それでもホールではないのでピアノと客席との距離がすごく近いわけで、これが心理的にもの凄い圧迫になるのです。
だいたいピアノサークルで利用する会場というのは狭いところが多く(もちろんホール借り切りというわけには行きませんから当たり前なのですが)、人の目と存在がめちゃめちゃ至近距離で、そんな中で弾かなくてはなりません。
ちょっとした自己紹介も嫌なマロニエ君にとっては、こんな見つめてくれと言わんばかりのシチュエーションで順番に歩み出てピアノを弾くというのは、まさに恐怖そのものなので(たぶん心臓にも悪いだろうし)、いつもそのたびに「これを最後に見学者になろう」と思うほどです。

ところが、そんなマロニエ君ですが、極限的に耐え難い状況と、そこまででもない状況があるということがわかりました。
それは機会があって、何度か本格的なホールのステージ(もちろん客席には数人の関係者以外はいません)で弾いてみると、これが思ったほどキンキンには緊張しないことがわかり、これは自分でも非常に驚いたことでした。

その理由は幾つかありますが、まずホールというのはとにかく圧倒的に広い空間であるために、開放的で息がつまるということがありません。ステージに置かれたコンサートグランドも、はるか小さな楽器に見えるほどです。
それに音がことごとく遠くへやわらかに飛び去って行くので、思わず心が澄みわたるような気分になるのです。
とりわけマロニエ君にとって一番の有難い点は、ピアノの近くに人がいないということ。

客席に少々人がいても、ステージとはかなり距離があり、床の高さも照明も厳然と区分けされ、ステージが独立した空間のように思えるためか、意外に自由で快適に弾けることがわかりました。
要するにちょっぴり自分の世界を作れるのです。

ピアノサークルでは、マロニエ君ほど極端ではないにせよ、こういう状況を苦手に感じている人もいる反面、口では「緊張する!」なんて言いながら、どうしてどうして、大いに楽しんで弾いている人もいらっしゃるのは何度見ても驚きます。
よほど神経の構造が根本的に違うのでしょうが、実にうらやましいことです。
2010/09/14 Tue. 01:33 | trackback: 0 | comment: 0edit

練習の迷い 

日本で最も有名な女性ピアニストがよく使う言葉に『練習は決して貴方を裏切りません!』という格言めいたものがありますが、マロニエ君にしてみれば必ずしもそうではない場合もあるのだということがわかりました。

昨日はピアノサークルの定例会があったのですが、そこで演奏するための曲を、最近ときどき練習をしていたのですが、これまでそれなりに弾いてきたつもりの曲というのは、あらためてきちんと練習し直してみると、いろんなところが気になりはじめたり、これまでちょっとした思い違いをしていたことがわかったり、とかくいろんなチェック項目が出てくるものです。

これがぽつぽつ出てくると、当然それらを考慮し修正しての練習──厳密にいうなら新たな練習になりますが、そのせいで普通に弾けていたところまで壊れてくる事が往々にしてあり、結局、練習前よりも全体がガタガタになっていってしまいます。
より滑らかに、より確かに、より美しく弾くための練習のはずだったものが、かえって寝た子を起こしてしまうような結果となり、混乱しはじめると、もうとめどがありません。
単純に言うと、練習すればするほど自信がなくなっていくわけです。
自信が無くなるということは、弾けていた部分を弾くことにも新たな不安がつきまといはじめるわけで、こうなると何のための練習かといった感じで、ただもう気持ばかりが焦ります。

それはひとつにはこういうことだろうと思います。
もともとの練習がキッチリ正確に出来ていないまま、それで何となく仕上がっていたものが、新たにちょっと真面目に練習することで、未解決の問題点などが洗い出されてしまい、その修正作業にエネルギーを費やすことになるのでしょう。

いや、しかし、そればかりではありません。
練習って、やっているとだんだん上達して自信がつくその裏に、だんだん自信をなくすという逆の一面が潜んでいるのだと思います。
抽象化され感覚化されていたものが、練習によって再び具体化され分解されてしまうとも言えるような気がします。
さらには、音楽はこれで終わりというものがない世界だから、たとえ下手な素人でも音楽的に精査して踏み込んでいくと問題は次から次に出てくるわけです。
はああ、とりあえず定例会が終わってやれやれというところです。
2010/09/13 Mon. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit

ビデオパニック-その後 

ビデオが故障したのは大変な痛手で、録画していた番組がすべて失われたのは精神的にもショックだったことは事実でしたが、日が経ってみると所詮はビデオはビデオで、大事な本やCDが失われたのとはやはりちがいます。

さて、このDVDレコーダーはテレビと一緒に2年前に国内最大手といわれる有名電気店で購入した物でしたが、販売店に修理依頼をしたところ、これが予想以上にてきぱきと対応してくれたことは悪い気分ではありませんでした。
電話に出た担当者は、こちらの状況説明で、ハードディスクが壊れていると判断し、おそらくそれの交換になるので、すぐ伺っても良いけれども、できればまずはその部品を揃えてからのほうが良いのでは?といわれました。
その提案は合理的で尤もだと思い、了解しました。

それから数日して部品が揃ったので伺いたい旨の連絡がありました。
訪問時間の取り決めをし、翌日その通りにやってきました。

こちらの大まかな説明を聞いた後は、スムーズに修理に取りかかり、大した時間もかからずに完了しました。
ついでに電波の状況など、テレビとビデオがキチンと映るための環境のチェックもしたらしく、そこで感じた問題点などもわかりやすく伝えてくれました。
昔のテレビから引き継いでいたアンテナの差し込み口の部品が古くて好ましくないということで、これも新しいものに交換してくれて作業はすべて完了しました。

ちなみにマロニエ君は購入時にこの店の長期保証というのを勧められてこれに加入していたので、その関係書類などを提示しようとしたら、すでに店の記録でその確認をした上で来ているので、その必要が一切なかったことも驚きでした。
修理完了までの一連の流れはとても気持ちのいいもので、結局お金も取らずに、またなにかあったらいつでも連絡してくださいという頼もしげな言葉を残して去っていきました。
要するに、故障はしたけれども、その解決と修理に際しての面倒を、迅速かつ最少限のものにするというシステムが有効に機能しているようでした。

この有名電気店で買ったのは別にこれといった理由があったからではなかったのですが、やはり業界トップに君臨する店というのは、いざというときにそれなりのものがあるのだなあと感心してしまいました。
今回の一例で言えば、明らかにメーカーのサポートを上回る快適さをもっていると感じました。
とくに商売で大事なのはお客の心証をよくすることで、それを勝ち得れば次に繋がるということを経営者は知り抜いているのでしょうね。
すっかり好感を持ってしまったマロニエ君でした。
2010/09/11 Sat. 00:55 | trackback: 0 | comment: 0edit

日本人のような中国人 

いま使っている携帯電話にちょっとした不具合があるので修理をしなくてはと思いつつ、携帯ショップでの待ち時間などを考えるとなかなか腰が上がりませんでしたが、思い切って行きました。

友人から、天神のソフトバンクのショップは直営店だから他の店舗よりもいいとアドバイスされて、そこにいきました。
ショップの面積こそ決して広くはありませんが、ここは展示品の数などが極端に少ないかわりに、受付の数が多く、マロニエ君も待ち時間ナシですぐに要件にかかることが出来ました。

端末を預けて修理に出し、その間、代替機を使うという手順ですが、いろいろと事情のあることも判明したために、今日すぐにそれをすることは見送り、とりあえず別のバッテリーを借りて、それでしばらく様子を見ることになりました。

そんなことはどうでもいいのですが、驚いたのは対応してくれた女性でした。
いろいろとやりとりをする中で、この女性が首からさげたストラップの途中に、小さな中国の国旗がくっついていることに気がついたのです。ご多分に漏れず携帯ショップの用事というのは何かと時間がかかり、こちらもヒマな瞬間がしばしばあるものです。

で、はじめは気にもしませんでしたが、どうやらこの女性が中国人であることが途中からわかりました。
そうだと気がつけば、ちょっとした雰囲気とか話の感じがわずかに日本人とは違うのが理解できましたが、それがすぐにはわからないぐらい日本語も達者で、しかも店頭でお客を相手に使う用語なども日本人とかわりなく(日本人の敬語自体が崩壊しているとは思いますが)すらすらとしゃべって、しかもややこしい機械操作やシステムを駆使しながら、こちらの持ち込んだ問題にテキパキと対応していく能力には目を見張りました。

マロニエ君など中国語もできないし、自分の携帯電話さえ使いこなしているとは程遠い単純な使い方しかできていません。向こうはもちろん給料をとる仕事なのですから、操作やシステムに詳しくて当たり前と言ってしまえばそれまでですが、素直に大したもんだとびっくりしました。
おそらくは日本語をマスターする前の留学生などが、携帯電話を買いに来るために中国人を配置しているのだろうと思いますが、決して中国人専用ではなく、日本人にも何不自由なく対応できるのはお見事でした。
2010/09/10 Fri. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit

張りぼて 

マロニエ君は現在、ちょっとしたアレルギー系の治療(大したものではありません)があって近所の医院に通っていますが、そこの先生に別の医師を紹介され、ぜひ一度行ってみてくれといわれたので、気は進みませんでしたが日ごろお世話にもなっているその先生の顔を立てるつもりで出かけていきました。

そこは、福岡市の百道浜にある新しい大きな病院で、今の新しいトレンドなのか、まるでホテルと見まごうような作りで一時話題になった病院です。
正面玄関を入ると自動演奏付きのグランドピアノが置かれていて、高い吹き抜けにはシャンデリア群が輝き、とにかく今どきの人には「贅沢で特別な病院」と感じさせるような作りになっています。受付もロビーもホテル風の構えで、そもそもマロニエ君は基本的にこういう上っ面の豪華趣味が好きではありません。

受付を済ませ、二階の専門ごとにわかれた外来の診察室に向かいますが、従来の病院くささを排した装飾的な内装や調度品などは、これでもかとばかりに続きます。診察室の前は各科によってガラスで仕切られ、それぞれが空港のVIPラウンジのような感じで待合室になっています。

今回の診察は予約されたものでしたから、時間の少し前には着くように行きましたが、そこに他の患者はゼロで、要するにマロニエ君だけでした。
それなのに、時間になっても一向に呼ばれることはなく、「先生はいまこちらに向かわれています」などと何度か受付の女性や看護士が言いに来ましたが、ずるずると時間ばかりが経過し、ついに30分を超過した段階で帰ろうと決断しました。それを看護士に伝えると、あわてて「いま来られましたので(??)、診察室へどうぞ」ということになりました。

中に入ると、中年の女医が見るからに横着な様子で椅子に座っていて、嫌な直感が働きました。
むやみに上から目線で、遅刻を詫びるでもなく、いきなり横柄な調子で症状の話をはじめました。語尾に「デス/マス」もつかない無礼な物言いがさらに神経にさわりました。
こういうことの看過できないマロニエ君は、向こうの質問を遮り「今日のお約束は××時ではありませんでしたか?」というと、「しってるよ。」それがどうした?といったいささか硬直気味の開き直りでした。

こういう礼儀もなにもないような人に自分の体を診てもらおうとは思いませんので、こちらの考えを言って席を立ち、一階の受付で事の顛末を説明して帰宅しました。
どんなに借金して豪華な箱物を作り「患者さま」などと言ってみたところで、あれでは『仏作って魂入れず』の喩えの通りで、豪華さがかえって虚しく泣いているようでした。えてして今の世の中とはそんなもの。
立派なホールを作っても、地元のカラオケ大会しか使い道のないのと同じです。
2010/09/08 Wed. 01:49 | trackback: 0 | comment: 0edit

スズメバチ 

なんとも恐ろしい光景を目にしました。
きのう、午前中外出して、ちょうど昼過ぎに帰宅して玄関に向かおうとしたとき、足元の石畳になにか小さな動きのある気配を感じました。
見ると、蝉が仰向けになって動いているので、そのへんの木に戻してやろうかと思った刹那、よく見るとアッとおどろくような状況になっているのがわかりました。

蝉の身体に大きなスズメバチが覆い被さっていて、生きている蝉の息の根を止めようと奮闘しているところでした。

スズメバチといえども、蝉よりはいくぶん身体は小さいのですが、勝負は完全にハチのペースで、蝉はなす術がない状況でした。
ときどき透明のきれいな羽尾をむなしくパタパタさせる蝉がなんとも哀れでした。
スズメバチは完全に蝉の上で思うさま蝉を攻撃して、まさに強者の姿でした。

驕り高ぶっているのか、ハチはマロニエ君が30cmほどに近づいているのにも目もくれず、まるでジャングルのライオンが獲物をしとめたときのように、一心不乱にその処理に熱中しているようでしたが、そのときのスズメバチの憎たらしさといったらありませんでした。
この段階で、すでに蝉の敗北は明らかでしたから、だったら一気に靴で蝉もろとも踏みつぶして、スズメバチを退治してやろうかという考えが頭をよぎりましたが、なにかが躊躇させてついに出来ませんでした。

いったんは玄関に入りましたが、気になってしばらくして見に行ったら、なんと、もうそこには何一つ残っていませんでした。
おそらく蝉を絶命させたのちに、巣に持ち帰って仲間とともに獲物をとことん食い散らしたのでしょう。

人間の世界もいいかげん厳しいですが、いやはや、いずこもすごいもんだと思いました。
2010/09/07 Tue. 02:27 | trackback: 0 | comment: 0edit

コメント紹介 

【「東京から」さんからのコメント】
ピアノはカワイはもちろんのことスタンウェイでもヤマハでも出荷のままでは半完成品ですね。
どうしても湿気でスティックする安全率を見込むので環境によっては重りもバネもおもすぎです。
とくにリラの天秤のバネはヤマハで二山カワイだと三山カットしないと子供はひけないですね。
スタインウェイの場合はこれにソステヌートがからみます。
結構アクションの調子は気にするのですがペダルまで配慮がとどかない調律師が多いです

とくにピアノが弾けない調律しなんか論外ですね。さいていでもソナチネ程度が弾けないなら調律師は廃業すべきかもしれません。

【マロニエ君】
コメントをいただきありがとうございます。
おっしゃるように、ピアノはいずれも出荷段階では完成品とはいえないようですね。
以前耳にした話では、国産ピアノも以前より出荷調整が手薄になり、そのぶん末端の技術者の方の手間と苦労が増えているという話は聞いたことがあります。

ペダルはつくづくと重要だと思いました。
これが意志通りに機能しないと、いくらアクションの調整に精魂込められていても、結局のところ全体の弾き心地が崩れてしまうのがよくわかりました。

調律師も多少はピアノが弾けた方が最後の仕上がりが違うと私も思います。
運転の出来ない自動車整備士なんてあり得ないのと同じことですが、ピアノを弾くのは車の運転のように簡単ではないので、そう簡単なことではないと思いますが。
でも、それでもちょっとでも演奏フィールが理解できる程度には弾けて欲しいと思いますし、それは結果的に大きな差になってあらわれように思います。
2010/09/06 Mon. 11:38 | trackback: 0 | comment: 0edit

ビデオパニック! 

エアコントラブルの次はビデオです。
こちらのほうが内容は明らかに深刻で、ハードディスクというものの恐ろしさをつくづくと思い知らされました。
昨日の夜、自室にいると家族からビデオデッキ(パナソニックのDVDレコーダー)の調子がおかしいということで内線電話がかかってきました。てっきりいつもの操作ミスだろうぐらいに思ってしぶしぶ下に降りていきました。

すると、録画した番組表示の画面が空っぽになっています。
こんな状態はこれまでに一度も見たことがないものでした。

あれこれと操作してみますが、押しても引いてもどうにもならず、どうやら深刻な故障が発生していることは次第に理解できてきました。
そういえば数日前に、録画した番組を見るとき、画面がタイルのように壊れたり、何度も途中で止まったりしていたので、おかしいなとは思っていたのですが、それがまさか、こんなことになろうとは想像もつきませんでした。

ビデオテープの時代とちがって、ハードディスクの故障では、採りためたデータが一瞬にして失われるという、なんとも残酷な仕打ちがユーザーに襲いかかります。
今はいくぶん落ち着きましたが、たかがテレビ番組とはいえ、やはり自分が任意で採りためていたものが一気に失われるというのは精神的にもかなりショックを受けるものです。
大したものは入っていませんでしたけれども、欠かさず見ていた大河ドラマの数回分や、かなりの数の日曜美術館、NHKスペシャルなどは、どうしても悔いが残ります。

音楽番組は別の機械で録画し、いつもDVDに移す習慣があるのでこちらは難を逃れましたが、家人が楽しみにしている連続物やちょっとした娯楽番組なども全滅です。

それにしても買ってわずか2年でこんなことになるなんて、メーカーの品質を疑います。
さっそく修理依頼しましたが、これだけショックを受けているのに、なんともシステマティックな機械のような対応しかしないのが無性に腹立たしく感じました。
2010/09/05 Sun. 10:26 | trackback: 0 | comment: 0edit

精密の均衡 

先週、我が家のメインのピアノの再調整をやっていただきました。
これまでにもいろいろと気になるところがあり、具体的なことを言うのは微妙で難しいのですが、要するにあまり弾きやすいとは言えないところのあるピアノでした。

これまでに何度か調整を重ね、その都度、良い方向には向かっていたとは思いますが、いつもなにか課題を残した感じがつきまといました。

今年になり、打弦距離の調整などを重ねながら調整を進めていましたが、なんというか…途中である種の限界を感じていたことも事実です。
それはピアノの機構的な限界というより、もっと別のものでした。

その後の5月頃だったか、あるホールのピアノを弾いたところ、そのピアノの調整がとても好ましいものですっかり驚いてしまいました。
そこで、後日ホールに電話して、技術者の方をご紹介願って、うちに来ていただくようにお願いしました。
果たして快く応じていただき、すでにその方による来宅も三回目を数えるまでになりました。

今回は、とりあえず最後に残っていた課題である、主にペダルとダンパーの調整に3時間を費やしましたが、これを境にピアノは見違えるように良い方向を向き始め、ようやくにしてひと心地つけた気分です。

そこでマロニエ君なりのひとつの発見がありました。
要するに奏者にとっての弾きやすいピアノというのは、それを理解した技術者によって、こまかい専門的な作業や微妙な調整の、有機的な積み重ねの上にはじめて達成される精密の境地であり、そのどれが欠けても全体の調和は崩れ、したがって弾き易さには繋がらないということです。
この方のお陰で、何年来の雲がようやく晴れて、久々に青空を見たような気分でした。
2010/09/04 Sat. 10:44 | trackback: 0 | comment: 0edit

熱地獄 

福岡市にお住まいで、日ごろ車を利用される方なら、天神のソラリアターミナル駐車場をご存じの方も多いことでしょう。
マロニエ君は天神に出かけるときは、必ずと言っていいほどこの駐車場を利用します。

さてこの駐車場、この夏は例年にも勝る、強烈無比な暑さに満ち溢れていました。
三越のあるビルの4階から上が一部駐車場になっていますが、ここは風通しが悪い上に、外は連日のうだるような酷暑、さらにエンジンという猛烈な熱源を抱えた車が所狭しと並ぶために、駐車場内の温度たるや、それはもう蒸し風呂なんてものではない、想像を絶する世界になります。
とくに車のエンジンは、回転時よりも停止後しばらく経ったときにその温度は最高潮に達するので、駐車場に居並ぶ車は、みな火の玉を抱えたようなものでしょう。

車を置いてエレベータホールに出るわずか数十メートルを歩くのさえ、全身がトースターの中で焼かれるよう暑さです。

昨日も用があってこの駐車場に車を止めましたが、夕方でさえ、頭がボーっとなるほどの猛烈な高温でした。
実際に温度計で測ったわけではありませんが、たぶんあそこは陽も差していないけれど40度は超えているものと思われますし、体温より高温の場所を一定距離歩くという経験は、マロニエ君の場合はこの駐車場が初めてだったように思います。

感心するのは、よくまあ連日あんな高温にさらされて、建物の床や柱が歪んだりしないものだとシロウト考えに思います。
このビルは、駐車場の一階下がバスセンターで、朝から晩まで長距離バスの巨体がひっきりなしに出入りし、さらにその一階下は電車の西鉄福岡駅になっているのですから、もしかしたら軍事要塞並の堅牢な建築物だったりするのかもしれません。

さらに感動してしまうのは、我が車です。
あんな環境に留め置かれた車が、これまた不平も言わず故障もせず、エンジンをかければエアコンからはせっせと冷気を出しながらまた従順に走ってくれるのですから、なんとも健気というか、いじらしいような気分になります。
2010/09/03 Fri. 11:04 | trackback: 0 | comment: 0edit

猿芝居の効果 

最近また新たに、有名ピアニストによる、大人のためのレッスン番組が始まったんですね。
つい先日、偶然見ましたが、あれは一体なんですか。

このピアニスト、いろんなウワサも多いようですが、メディアへの露出欲も旺盛なようで、きっとタレント性も十二分にあるものと相当に自覚しているんでしょう。
しかし最近の高性能な撮影機材とデジタル放送は、この人のすでにトウの立ったお顔を鮮明に映し出します。

それでもあくまでもカワイイぶった、しどけない物言いは却って気持ち悪くなりますね。

ピアノがぜんぜん弾けないという中年俳優を生徒役にひっぱってきて、そのピアニストがコケットリーな物言いや仕草を交えながら、いい大人を相手に、3才の童子をあやすようにねっとりと指導らしきことをしていました。
ふたりともわざとらしい演技の連発で、役者が芝居や映画で演技をするのは当たり前としても、ああいう両人のやりとりは、なんだかとってもやりきれない気分になりました。

音楽歴史上のピアノの代表的な作曲者の作品を、ゆびの動かない、楽譜も読めない初心者にもかならず弾けるよう、平易な音符に強引に編曲して、それで「本物気分」を味わわせようという、まことに浅ましき企画のようです。

そしてこの手の番組のお約束で、レッスンの合間合間には先生ピアニストの演奏風景が織り込まれますが、演奏中、必要以上にいちいち陶酔的な表情をしてみせるこの人は、見ているだけでむず痒くなってきます。
日本にも本当に力のある、本物のピアニストが何人もいるのに、メディアへ出てきて有名になるのは、結局こういう人なんですね。

何でも世事に詳しい知人いわく、「テレビの影響ってすごいから、あれを観てピアノを始める人が増える、すると楽譜や楽器が売れる」のだそうです。
ということは、あのピアニストのコンサートの動員力も増すというとこなんでしょうね。

今の世の中、すべてがこの仕組みで動いているようですね。
…うんざりです。
2010/09/02 Thu. 12:03 | trackback: 0 | comment: 0edit

続・エアコンパニック! 

調子のおかしくなったエアコン。
依然として調子は戻らずついに3日目を迎えました。

設定温度を下げると、風はファーファー出るものの、温度自体はかすかに冷たい程度でベタッとしています。
それでも廊下に出ると、部屋の中よりは明らかに暑いので、やっぱりまったくのオダブツ状態ではないようで、ともかく修理が来るまで、これでなんとか乗り切らねばなりません。

しかし除湿機能がまったく働いていないようで、すでに部屋はべたついた重い空気に落ちぶれてしまいました。
室外機のホースからも水はあまり出ていません。

そして今しがた、ついに、待ちに待った、メーカーの修理の人が重い修理鞄をもってやって来ました。
マロニエ君としては最大級の歓待をしたいような気分でした。

すると今のエアコンはよくできていて、故障履歴が記録されいるらしく、リモコンの中のあるボタンを操作すると、それが表示される仕組みになっているようでした。
そこに現れた文字列によると、室外機の冷暖房の切替弁の動きに不具合があったということが判明しました。

ではそこを修理するのかというとさにあらずで、スイッチを数分間切る、あるいはコンセントを抜いて数分後に差し込むといった処置をするのだそうで、はたして我がエアコンは見事に復活を遂げました。
以前のようなシャープな冷気が室内を満たし、ああもう幸せという気分です。

今後同様の不具合があるときは、同様の処置をしてみてくださいといわれ、これで一応の解決となりました。
現代のエアコンは室内機/室外機いずれにもコンピューターが仕込まれているらしく、今回はこのコンピューターの作動不良でよくあることだということでした。

いやはや、マロニエ君にしてみれば、命綱のようなエアコンですから、愚痴を言い続けた友人からは、もう一台予備のエアコンを付けたらいいとからかわれる有り様でした。
2010/09/01 Wed. 11:53 | trackback: 0 | comment: 0edit