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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

恵まれないピアノマニア 

車の友人が山口から来たので夕食をして買い物をしてお茶をしました。
試乗もさせてもらい、先日別の友人が買った同型車との比較ができました。
同じ車種ながら、前期型と後期型、セダンとブレーク(ワゴン)、エンジンが直4の2000とV6の3000、足回りがハイドラクティブという油圧サスペンションながら、そのシステムがまったく違う両車ゆえの走行特性の違いなどがあり、あらゆる比較が一気にできて楽しめました。

普段ピアノの微妙な比較や聴き分けなどに精力を使っていると、車の比較なんて呆気にとられるほど簡単で、それだけピアノの難しさを感じました。
同時にしみじみと感じたことは、ピアノマニアというのは情報の極端な貧しさに常に苦しめられているということで、車などは欲しい情報は、その気になればそれこそ次から次に手に入れることが可能です。
きっと鉄道などもその点は同様だろうと思います。

ピアノときたら、寸法と重量以外はほとんどスペックらしいスペックなどないも同然で、客観的なデータや仕様変更などはメーカーもしくは一部の技術者のみの極秘情報のようになっていることが当たり前です。
非常に閉鎖的ですが、またそれを知りたがる一般人もいないという環境が作り出したものだと思います。
ピアノは色も黒が多いですが、その内奥に迫ろうとすると、その点でもまさに巨大なブラックボックスといえるでしょう。

そのためにピアノマニアは少ない情報以外は、もっぱら自分の感覚だけが頼りです。

どんなことでも同好の仲間がいるというのは非常に心強く、情報の収拾能力も格段にレベルアップするものです。
車のようなわけには行かないまでも、はやくこの雑学クラブもそれらしく始動して仲間を増やし、みなさんの役に立って楽しめるものにしていきたいものです。

冒頭の友人の奥さんはパン作りの達人で、聞けば商売ができるほどの腕前のようですが、その彼女をして、道を究めれば究めるほど、自分が後退しているようなジレンマに陥ったりするとか。
何事も本物を目指す道は険しく曲がりくねったものだというとですね。
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2010/05/30 Sun. 18:59 | trackback: 0 | comment: 0edit

ブフビンダーの皇帝 

先日のN響アワーで放映されたブフビンダーの皇帝を、今朝の衛星放送でまたやっていました。
これはN響の定期公演を収録したものでベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」という、まるで絵にかいたような名曲揃い踏みのプログラムで、調性も共に変ホ長調。
封建時代でいうと女性立ち入り禁止みたいなプログラムでした。

ブフビンダーは、ヨーロッパでは日本人が考える以上の支持があるようですが、作品解釈および演奏という点ではとても正統的で、なによりもその流れの自然さがこの人の持ち味だと思いました。
おしなべてウィーンのピアニストというのは、作品に忠実なタイプが多いものの、同時にいまひとつのインパクト性に欠ける面もあるような気がしなくもありません。(もちろん中にはグルダのような暴れん坊もいますけれど。)
演奏ももちろん立派なものではありましたが、ヨーロッパとくにウィーンでは古典作品をレパートリーの中心に置く演奏家は、尊敬の対象になりやすい伝統があるような気もしますが、どうでしょうか。

終始曲は快適なテンポで進行し、妙に恣意的もしくは学術的に捻りまわしたようなところも一切なく、安心して聴いていられるものでした。欲を言えば、いささか雑な一面もなくもなく、もう少し明瞭な歌いこみやメリハリのきいた丁寧な美しさが欲しい気もしました。
しかし、このマーチン・シーンのような顔をしたピアニストはステージマナーもたいへんエレガントで、今の若手演奏家がどこか学生のような軽い印象を払拭できない人が多い中で、いかにも大人の存在感とグランドマナーの魅力がありました。

マロニエ君的には唯一惜しいというか奇異な気がしたのは、かなり高めに設定された椅子でした。
もちろん皇帝のような力強い曲を弾くためには必要なことだったのでしょうが、高すぎる椅子というのは特に男性ピアニストの場合、あまり見てくれのいいものではありません。
引退したブレンデルもそうでしたが、あの長身で椅子を盛大に高くするものだから、足はいつも鍵盤裏につっかえてましたし、見ていてなにか収まりが悪くて気になります。

N響は昔のような重量感はなくなりましたが、アンサンブルの上手さはさすがだと思いました。
ブロムシュテットの振る英雄は、テンポも早めで軽く、なんだかそわそわした感じが目立ちました。
マエストロにすればこれがN響の長所に適った演奏だということなのでしょうか。
2010/05/28 Fri. 14:41 | trackback: 0 | comment: 0edit

魔の回転寿司 

今どき全国どこでも同じでしょうが、マロニエ君の暮らす福岡市とその周辺部でも、回転寿司の熾烈な戦いが繰り広げられているようです。
福岡の場合の印象で言うと、まずは郊外に出店。そこで足場を固め、認知と人気を得て成功すると次々に店舗が増えて、だんだん市内寄りに本格的に進出してくる、そんなパターンである気がします。

マロニエ君も数件の店に行くうちに、次第に自分の好みの店が定まり、今では浮気をするつもりもないほど気に行った店が見つかっています。まあ店の名前を書くのは遠慮しておきますが。

最も大手というか有名な「スシロー」や「かっぱ寿司」なども行きましたが、どうせ機械が作っている回転寿司でも、やっぱり店によって味もセンスもずいぶん違うことに驚きます。
マロニエ君の場合、普通の軽食やファミレスならだいたいなんでも妥協できますが、生の海産物であるお寿司だけは、自分の好みでない店では絶対に食べたくありません。
美味しくないお寿司というのは、ほんとうに耐えられません。

昨日、久しぶりにお気に入りの回転寿司に行ったところ、なんだかこれまでとは様子が違う気がしたと思ったら、いつのまにか各テーブルの上には注文用のタッチパネルが新設され、さらには、大手チェーン店で子供に人気という「新幹線」のレールが回転台の少し上に取り付けられています。

そういえばここのすぐ近くに、このシステムの元祖店がつい最近進出して、しかもかなり人目を引く大型店であるために、やむを得ず同等の設備を追加したんでしょう。
マロニエ君はあのタッチパネルで注文ってのが嫌いだったのですが、仕方がないのでパネルをピッピッと押しますが、画面を変えたり注文の数や確定など、面倒くさい上にけっこう集中しなくてはならず、エネルギーを使います。
とりわけパネルを押す右手は空中に上げっぱなしで、気がついたときには肩が凝るし腕はガクガクしています。

次々に注文の確定をするうちに、音もなく注文品が新幹線で届けられます。
荷を降ろしてボタンを押すと空の車体はサッと帰っていきます。そのおもちゃっぽくも滑らかな感じはまるでリニアモーターカーのようで、くやしいけれどちょっと楽しくなりました。
操作も少し慣れてくると、次から次にホイホイ注文を出しては食べ、食べてはまたパネル操作に没頭し、まるでこれが何か一つの仕事というか行動目的を与えられたような熱中状態です。
いつのまにやら画面という画面を片っぱしから繰り出しては注文すべき品をせっせと探し出すことに意識が偏り、自分の腹加減など二の次で、ハッと気がついたときにはもう満腹。それでも忘れたころに新幹線は次から次に走ってきては、目の前に停車し、そこには「頼んだはず」の品が容赦なく乗っています。

結局、普通に注文したらまず頼まないような数と種類を注文してしまっており、こんなバカがいるから、店側もこういうシステムを作るのだという意味がわかりました。
パネルを押すだけだから、注文も安易なら全体量の把握もおろそかになるんでしょうね。
責任とって食べるのも必死でした。
2010/05/25 Tue. 23:37 | trackback: 0 | comment: 0edit

補足 

シュトイデ・ヴァイオリン・リサイタルの補足

会場のピアノは10年ほど前、納入を記念したピアノ開きのリサイタルに行った時は、とくにどうということもないただの軽い感じのピアノという印象しかありませんでしたが、その後の管理や技術者がよほどいいのか、なかなかの状態になっていたのは意外な驚きでした。
響きにどっしりとした深みが増し、それでいてひじょうにまろやかで温かい音色を持つ、悠然とした風格のただようピアノに成長していました。ああいうスタインウェイはとくに近年ではなかなかお目にかかれません。

もちろんピアニストの弾き方、とりわけ音色のコントロールも良かったのでしょう。
聞けば当日弾いた三輪郁さんが選定したピアノということでしたから、彼女はこのホール(そぴあしんぐう)とはなにか特別なご縁があるのだろうと思われますが。

終演後、せっかくなのでロビーでCDを購入しました。
大半の人がシュトイデ氏のCDを買い求める中、私ひとり三輪郁さんのソロアルバムであるバルトークのピアノ小品集を購入して彼女にサインを求めたところ、自分のソロを買う人はないと諦めていたのか、意外な喜びようでした。「やわらかな音がとても美しかった」と伝えました。

この演奏会の成功の大半は、このお二人の優れた演奏にあることは間違いないとしても、マロニエ君としてはもうひとつ見逃せないことがあります。それはこのホールがいわゆる音楽専用ホールでない分、響きが過剰になり過ぎず、ちょうど優秀なCDを聴いているような節度ある響きからくる快適感があったことでした。
適度な残響に支えらてれ、二つの名器のありのままの美しさが際立ち、響きがとても自然なのです。
本来コンサートの音とはこうでなくてはならないと改めて思いました。

ちなみにこの日のヴァイオリンは1718年のストラディヴァリウスでオーストリアの国立銀行からシュトイデ氏に貸与されたもの、ピアノはホール所有の10歳ぐらいのスタインウェイのD型でした。
やはり普通の人の素直な耳は、豪華な建物や装飾がなくても、こういうホールで聴く音楽が一番心に残るものだと思いました。
2010/05/23 Sun. 13:14 | trackback: 0 | comment: 0edit

正統派の音楽 

久々に充実したコンサートに行けました。
ウィーンフィルのコンサートマスター(4人の中の一人)である、フォルクハルド・シュトイデのヴァイオリン・リサイタルで、ピアノは三輪郁。はじめのベートーヴェンのロマンスが鳴り出したとたん、あっと思ったのは、そのヴァイオリンの音でした。
ウィーンフィルの音色は特殊で、しばしばベルリンフィルはじめさまざまなオーケストラと比較されますが、「衣擦れの音」と喩えられるあの独特な弦の音が、たった一丁のヴァイオリンにも明確に息づいていて驚きました。

ロマンスではバックがピアノというのはいささか物足りないものがありましたが、しかしこの時点でシュトイデ氏が只者ではないことはわかりました。音の張りや息使いがありきたりのものではなく、続く「クロイツェル」では本領を発揮。聴きごたえのあるがっちりした構成感のある非常に見事な演奏でした。しかし後半のR.シュトラウスのヴァイオリンソナタこそがこの日一番の聴きものだったと思います。
19世紀後半のウィーンの、傾きかけた黄金の輝きの中に突如咲き乱れる豪奢と混沌と耽美が織りなす、とめどもない絢爛の世界に会場は一気に包まれました。聴く者は圧倒され、決して満席ではない会場はまさに拍手の嵐でした。

シュトイデの演奏は正統的でメリハリがあって力強く、音楽的にも隅々まで神経が行き渡り、とても信頼感にあふれるまさにウィーンのそれでした。また、地方公演だからといって一切手を抜かないその真摯な演奏姿勢にも、本物の音楽家としての良心を感じ、深い満足を覚えました。

とりわけ巧みな弓さばきによって、聴く者の前に音楽が大きく聳え立ってくる様は圧巻で、それと対等に渡り合うべきピアノにも相応のものが求められてしかるべきですが、そういう相性という観点では、どちらかというと小ぶりな演奏をする今日のピアニストはちょっとミスマッチな感じも否めませんでした。
彼にはもっとスケール感のある男性ピアニストが向いているような気がしました。

ウィーンフィルのコンサートマスターという普段の立場ゆえか、ときに律義すぎる一面もあり、強いて望むならソロ・ヴァイオリンにはいまひとつの魔性と自在な楽節のデフォルメがあればと思いました。

しかし、あれだけの力量を持った一流の演奏に接したのは久しぶりで、欲を言っちゃいけません。
不満タラタラで帰るのが普通になっていましたが、心地よい満足を胸に家路に就きました。
2010/05/23 Sun. 01:51 | trackback: 0 | comment: 0edit

親切が裏目に出るとき 

友人が車を修理に出すというので、帰りの足代わりに迎えに行ってあげたその帰り道。
現場は片側2車線の道路で、交差点内だけ右折専用車線が追加されて3車線になるスタイルの、まあどこにでもある交差点付近。

マロニエ君は右側の走行車線を走っていましたが、前方が赤信号となり、先頭から3台目に停車しようとしたところ、左のわき道から出て来ようとする軽自動車がこちらに向いており、どうやらそこから一気に停車中の車の間をすり抜けて、対向車線へ向けて右折したいということのようで、運転する若い女性が「通して」という感じにこちらを見ました。左車線の車はそれを心得て、すでに少し手前で止まっています。
仕方がないから、マロニエ君も前車とやや距離をおいて停車すると、その女性はトーゼンみたいな感じで車はスーッと我々の目の前を横切りはじめました。

で、なんとなく見ていると、その女性、どういうわけか左のほうばかり顔が向いて、肝心の右側を一切確認せず、まったく注意の意識もない様子に違和感を覚えました。マロニエ君のいる車線の右には、右折専用車線がまだあるのに!
あぶないと思った次の瞬間、右折車が背後からサーッと走ってくるや、女性の車の右側にほとんど正面衝突して、軽自動車のほうは前方に1、2メートルとばされて停車しました。
マロニエ君もワーッ!と思わず声をあげてしまいましたが、ほんとうに一瞬のできごとでした。

右折車の運転者はすぐに車を降りて女性に話しかけますが、女性は人形のように無表情で、車からまったく降りようともしませんでした。
でも、マロニエ君の見るところでは、女性の不注意に事故の大半の原因と責任があると思いましたし、ぶつけたほうの男性こそいい災難だったという他ありません。自分が逆の立場でも、あんなに急に信号停車中の車の中から、別の車がためらいもなく横に飛び出してくるなんて、普通なかなか思いませんから、きっと同じようなクラッシュになっていたような気がしました。

はじめに意地悪して、彼女の望むスペースをふさいでしまっていたら起こらなかった事故かと思うと、なんだか責任の一端がこちらにもあるようで、なんとも後味の悪い出来事でした。
衝突の瞬間のドスッというような乾いたイヤな音、そのあとの不気味な沈黙が、生々しく記憶に残りました。
努々安全運転には気をつけなくては。
2010/05/21 Fri. 21:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

ロルティのショパン新譜 

数あるショパン弾きの中でも、知る人ぞ知る逸材として有名なピアニストにルイ・ロルティがいます。
彼はフランス系カナダ人のピアニストで録音もそれなりにあるものの、レーベルの問題か来日が少ないのか、ともかく日本ではあまり知られていないというのが実情でしょう。
しかし、彼が20代の後半(1986年)に録音したエチュード全27曲は隠れた名演の誉れ高く、マニアの間では伝説的なディスクとして評判になっているようです。

このエチュードがきっかけだったのかどうかわかりませんが、次第に彼はショピニストとして認められてきたようです。そのロルティの最新のショパンアルバムを聴きましたが、残念ながらあまり好みのCDではありませんでした。
後期のノクターンと4つのスケルツォを交互に組み合わせ、最後に2番のソナタという内容ですが、どこといって目立つ欠点があるわけでもないのに、なにか心に残らないショパンでした。

よく理由がわからず、なんども聴きましたが、おぼろげに感じるのは演奏者当人の個性が希薄であること。
やや詩情に乏しく、ルバートや歌いこみのポイントに必然性からくる説得力がない。
平たく言えば、とてもきれいだけれどもシナリオ通りというか演技っぽくて、そこに演奏者の本音が見えない演奏だったと思います。
すべてが美しい織物のように演奏されている、美の表面だけをなめらかに通過するような印象でした。

聞けばロルティは往年の演奏家の研究にも熱心なピアニストだということですが、ひとつにはそれが寄せ集め的な印象を与えるのかもしれません。
マロニエ君自身はそれほど熱狂しなかったものの、ちなみに24年前のエチュードを聴きなおしたところ、これには一貫した若い美意識と推進性がありました。今回のアルバムでは、そのような挑戦の気概が感じられず、ネガつぶしをしたことによる、当たり前の美しさの羅列という感じで、一曲一曲からくる固有の相貌と迫りがないわけです。

また、ロルティはファツィオリのアーティストにもなったようで、録音にもこのピアノを使っていますが、やはり基本的な印象はかわりませんし、単純にきれいな音とは思いますが、あまりにもキラキラ系のピアノで、演奏の問題も加わって聴いているうちに、だんだん飽きて、疲れてきました。
すくなくともマロニエ君は聴いていて、何かが内側で反応するような類のCDではありませんでした。
2010/05/20 Thu. 19:39 | trackback: 0 | comment: 0edit

酒、女、歌 

すでに何度か書いていますが、マロニエ君の知人の経営するお店で、熱意ある店主の企画によって毎月音楽家の誕生日を祝うというイベントが試み的に行われていて、現在はまだスタイルを確立すべく試行錯誤の一環として敢行されている感じですが、ともかく今月はブラームスでした。
ここで流す音楽はマロニエ君の担当で、今回は交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲、ヴァイオリンソナタ、歌曲など、都合8枚からなるCDを準備しました。

ここでは毎回、初めてお会いするとても素敵な方がいらっしゃいますが、今回も齢70を過ぎられた男性がおられ、その方が大変な音楽ファンで、3時間の間、音楽の話でもちきりでした。
お好きというだけでなく、お詳しさも相当のもので、話はそれこそあっちへこっちへと広がるばかりでした。
それこそよくあるピアノの先生や自称音楽家などは、外面は音楽の専門家ぶっても、本当の音楽のことはなにも知りません。

初めてお会いした方とこれだけ緊密に話ができるというのも、趣味というものの偉大な力のなせる技だと感動するばかりです。
子供の頃、学校の宿直室で聴かせてもらった蓄音器によって音楽の魅力に目覚められ、電気ホールに来たA.コルトーの独奏会なども関係者の粋な手引きによって聴かれたとのこと。
最近もいろいろなコンサートに出向いておられるようで、良否様々な意見や感想を交換できました。

驚いたことにはアルコールがまた、音楽に劣らずお好きとのことで、下戸のマロニエ君はそちらのお付き合いはできませんでしたが、聞けば飲酒のサークルにも入っておられるとかで、翌日には島原まで日帰りで、お仲間とバスを貸し切って酒を飲みに行かれるらしく、現地ではもちろん往復の車中でも飲みっぱなしという強行軍で、その豪快さには恐れ入りました。
お仕事はリタイアされても尚、旺盛に人生を楽しんでおられるようです。

ちなみに、この方が音楽に入られたきっかけはウィンナーワルツだそうですが、まさにシュトラウス2世の名作≪酒、女、歌≫をそのまま地で行っているような方でした。
女性のほうはどうなのか、この点をうっかり聞きそびれましたが。
2010/05/17 Mon. 22:07 | trackback: 0 | comment: 0edit

調律も究めれば芸術 

今日の昼、マロニエ君が最も尊敬する調律家のお一人から電話をいただきました。
この方は現在、調律に関するある体験を綴るべく出版を前提とした文章を数年がかりで執筆中だったのですが、それがいよいよ今日の昼、最終章を書き終えたということで、たまたまその時間にすぐに電話をとりそうな相手がいなかったからでしょうが、マロニエ君のところに電話がきたのです。
何年がかりの仕事をおえられた達成感からか、いささか上気した様子が受話器の向こうに窺われました。

意見を言えということで、疑問のある個所をあちらこちらと読んで聞かせてくださいますが、正直いうとその前後関係がわからないので軽々なことは言えませんでしたが、それでも思いつく限りのことはいいました。

ひとまず最後まで書いたというのは、ピアノで言えば譜読みが終わった段階というべきで、これからが肝心の推敲の始まりだとも脅かしておきましたが、さて一冊の本になるのはいつのことになるやら楽しみです。
この方は職業は調律家というピアノ技術者ではありますが、その人柄はというと、まったくの芸術家気質で、何に対してでも子供のような興味を持ち、およそ畏れというものを知りません。

朗読中に出てきた内容がまた驚きでした。
ある場所に技術者達が集まっていたところ、そこにクリスティアン・ツィメルマンが入ってきたらしく、この世界的ピアニストにして、その筋では有名なピアノオタクのマエストロが語りだした意見に対し、一同はありがたく拝聴し納得するばかりの中、彼だけがマエストロの傍に控える通訳を通じて、自分なりの疑念と意見と反論を堂々とぶつけるというくだりがありました。

朗読は忙しげにあっち飛びこっち飛びで、ツィメルマンがなんと答えたかまではわかりませんでしたが、この方は何事につけこういう人なのです。それだけに自身の仕事に対する情熱と探究心は並々ならぬものがありますが、同時に人からしばしば誤解され、不当な評価を受けたりということもあると聞いています。
それでもくじけず、へこたれず、自分の道を行くのですから、大したものです。

それにしても、今の人の中には、自分の損得には一向気が回らず、ひたすら本物だけを追い求めていくような純粋培養みたいな人物はいなくなりましたね。文化や芸術、すなわち美しいものや精神を作り出すためには、この手の人達の情熱と感性と卓越した仕事によってその根底が支えられていくものだということを思うと、なにやら先行き暗いものを感じてしまいます。
いつまでも元気で頑張ってほしいものです。

2010/05/14 Fri. 22:24 | trackback: 0 | comment: 1edit

ヴォロドスはビジュアル系? 

先週のNHK芸術劇場は嬉しいことにピアノの日でした。
はじめ3/4はアルカディ・ヴォロドスのウィーンのリサイタルの模様と、のこる1/4はフセイン・セルメットの展覧会の絵が放映されました。
ヴォロドスのウィーン演奏会の様子はすでにCDやDVDでも発売されているものですが、解説によるとヴォロドスの演奏の映像はこれまでにあまりなく、非常に珍しいというようなことでした。
マロニエ君はこの人のCDはチャイコフスキーの1番とプロコフィエフの3番を小沢/ベルリンフィルと弾いたものと、もう一枚(内容は忘れました)を持っていましたが、やや大味であまり好みのタイプではないので、それ以降もあまり関心を寄せてはいませんでした。

彼の音楽的内容はともかくとして、この映像はかなり面白いものでした。
まずはその見事な巨漢ぶり。大きなコンサートグランドが小さく見えるようで、現在この人に並ぶ人は、鍵盤にお腹がつっかえそうなブロンフマンぐらいでは。
オスカー・ワイルドはじめ、巨漢の芸術家というのは、すでにそれだけでなにやら一種独特な熱気をまき散らします。
正面からのショットでもほとんど首らしい部分はなく、その両側にあまったお肉が左右に張り出して迫力満点、まるでどこぞの外国人力士がピアノを弾いているようでした。

また、いきなり目に付いたのが、椅子が普通のコンサートベンチではなく、子供のお稽古や中村紘子女史がよく使う背もたれつきのピアノ椅子でもなく、なんとそのへんの会議室の隅にでも積み重ねてあるような安っぽい感じの椅子でした。
演奏中はその薄い背もたれに巨大な上半身を後ろに倒れんばかりに寄りかからせることしばしばですが、いつ椅子がボキッと壊れるのかとひやひやするような珍妙な光景でした。

顔の表情の変化がまたすごい。大きな目や眉や口が曲想に応じて苦痛や陶酔をくるくると作り出し、まるでビックリ映像のようでした。彼に匹敵する顔の表情パフォーマーは内田光子かランランぐらいでしょうか。
ランランといえば彼は欧米化されたのか、最近は表情がおとなしくなってつまらなくなりましたね。むかしデュトワ/N響とやったラフマニノフの3番はもはや伝説です。

会場だったウィーンの学友協会ホールは通称「金のホール」と呼ばれる、文字通り金色づくしのまさに豪華絢爛ホールですが、マロニエ君にはニューイヤーコンサートなどの印象が強烈で、ピアノリサイタルにはちょっと違和感を覚えましたが、地元では普通なのでしょうか?
2010/05/12 Wed. 19:11 | trackback: 0 | comment: 0edit

ハスキル先生すみません 

先日知人からのメールで、カザルスの輸入物のCDが10枚組で1500円だったと聞いて驚いたばかりでしたが、今日、タワーレコードにいって何気なく物色していたら、これまたとてつもなく安いCDがあり、だまされたつもりで買ってみました。

クララ・ハスキルの輸入盤で10枚組、価格はさらに下を行く1390円でした。
一枚あたり139円!!ということになります。
版権やらなにやらの理由があるのでしょうが、なんであれ驚くほかはありません。

帰宅してさっそくあれこれと聴いてみましたが、正規盤同様のたいそう立派な録音ばかりが大半を占めている点も二重の驚きでした。
一枚だけ録音も演奏もとても本来のものとは思えないようなものもあり、そのあたりはご愛嬌といったところでしょう。
おそらくは正規盤にはできないような放送録音などから間に合わせで詰め合わせたといった感じですが、いずれにしろ演奏はすべて1950年代、すなわち彼女の円熟期のものばかりです。

これで不満などあろうはずもありませんが、ぶん殴られるつもりで敢えて言うならば、収録時間が40分台のものもあり、現在のような70分前後が当たり前の感覚からすると、実質7~8枚ぶんといったところです。
それでも驚異的な低価格で、本当にハスキル大先生に申し訳ない気分です。

演奏はどれもがハスキル独特な、飾らない決然としたタッチでサバサバと弾き進められますが、そこに漂う気品と骨太な音楽は、この人以外には決して聴くことのできないものです。
とくに感銘を受けるのは、いかなるときも確信的であってさりげなく、それでいて内側に激しいものが見え隠れしながら、一瞬も「音楽」が途切れずに脈々と続いていくところです。
色とりどりの作品(シューマン)の第1曲など目頭が熱くなるような演奏です。
はああ、まさに音楽です、、、

まだ数セットありましたから、ご興味のある方はお早めに。
2010/05/08 Sat. 19:35 | trackback: 0 | comment: 2edit

ピアノな三連休 

連休最後の三日間は、はからずもピアノがらみの毎日でした。

2010.05.03
午後から知り合いのピアノ弾き兼先生が我が家に遊びにきてくれました。
おみやげといって「ロシア五人組集」という立派な楽譜をいただき感激ですが、さてどれか一つでも弾けるかどうか。
この方は楽譜の校訂者である高名なピアニストのお弟子さんでもあられ、同氏の楽譜出版のお手伝いなどもされています。
CDを聴いたり食事をしたり、普段お忙しい方ですがこの日ばかりはゆっくりしていただきました。
一緒にピアノを弾いたりもしましたが、大半はおしゃべりに費やされました。

2010.05.04
ちょっと思いついて、音楽情報誌を発行していた頃から親しくお付き合いさせてもらっている「ぱすとらーれ」に遊びに行きました。
遅い昼食を、ホール隣に併設された「ぱすとりーの」でいただきました。
ここの食事はほとんどが自製のものばかりで、鶏の燻製をメインとしたヘルシーでとても美味しい料理です。
掛け値なしに満腹でき、これで700円とは驚きです。近くなら頻繁に食べに行きたいところですが。
ここのオーナーはホール管理、コンサートのサポート、食事作り、自らもピアノ演奏と先生、その他もろもろあらゆることをたった一人で淡々とこなすスーパーウーマンです。
以前よりも木製家具が増えていると思ったら、旦那さんが木工技術をお持ちだそうで、自然な木の姿を活かした椅子やテーブルを自作されていて、注文にも格安で応じてくださるとのこと。
なにかひとつお願いしたくなりました。

2010.05.05
たまたま知り合いを通じてのチャンスがあり、さる施設の所有するスタインウェイを弾かせてもらいました。
20年以上経ったD型でしたが、これがとても素晴らしいピアノで、会場の音響も抜群で貴重な経験ができました。
とりわけタッチが秀逸で、マロニエ君がこれまでに弾いた同型の中でも最高の部類のタッチであったと思います。
新品でもああいう繊細かつ軽やかなタッチ感はありません。
親しい調律師さんで、スタインウェイのタッチに以前から疑問を抱いておられる方がおられ、たしかにその方の言うことも一理あるのですが、彼にこのピアノを弾かせたら、さてなんというだろうかと思えるほど素晴らしいタッチでした。
技術者が「偽術者」でない、あっぱれな仕事を見た気分で、顔も知らない技術者に敬意を払うばかりです。

ああ、今日からまた普段の生活に戻りました。
2010/05/07 Fri. 01:42 | trackback: 0 | comment: 0edit

草むしり 

連休中にやろうと思っていたことの一つに庭の草むしりがあります。
雑草というのはまったく腹立たしくもうらやましい驚異的な生命力があるので、ちょっと油断していると一面くまなく草は生えてしまいます。
とくに雨があがって日が差すと、たちどころに勢いを増してきます。

とりあえず二日間やりましたが、決して広い庭でもないのにまだ終わりません。
ざっと見た感じは作業開始以前よりもはるかに量は減ったように見えますが、ここからがある意味本番です。
今のうちに頑張っておかないと、うかうかしていると蚊の季節になり、そうなると猛烈な草の成長と蚊の攻撃には、もうてんで敵いません。

しゃがんで草むしりをしていると、なんだかだんだん意地になってくる自分がわかります。
いっぺんに無理せず、少しずつでいいじゃないかと頭ではわかっていても、もうちょっと、あと一本、という欲が断ち切れず、ここからがまた延々と続いていくのです。

キリがないので、はめている薄いゴム手袋が破れたら止めると決めたら、これがまたいつまでも破れません。
その結果、延長に次ぐ延長を重ねて、ついに五時間ぐらい経ってしまいました。
そもそも草むしりなんてちっとも好きじゃないけれど、それでも少しずつきれいになる景色が増えていくのを見ていると、それがまたささやかな励みになって、もうちょっと、もうちょっと、になるわけです。
それと、おかしいけれど、草をむしっていると草が土から根ごと抜き取られて上がってくるとき指先に伝わる、ぶつぶつという感触が妙な快感になってきます。

嫌いな草むしりをしていてさえ、人間は、目に見えて効果の上がることはつくづくと嬉しいもので、どんなにスローテンポではあっても、やったぶんだけ着実な結果がでるところに、ちょっと病みつきになる快感があります。
でも、もうクタクタで、腰の曲げ伸ばしにもつい声が出てしまいます。
久しぶりに長時間外の空気を吸いました。
2010/05/02 Sun. 20:13 | trackback: 0 | comment: 0edit