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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

??なアメリカン 

ある日曜、友人と夕食に行くことになりました。
時間帯が少し遅くなったため行くお店も選択肢が狭まる中、どこに行こうかと考えたあげく、以前から気になっていたアメリカンスタイルの店に行ってみようということになりました。

外から見る限りはいかにもBar風というか、アルコール主体の店のようなイメージだったのですが、知人からあそこは食べるほうが中心の店ということを聞かされ、ならばいつか行ってみようかと思っていたのを折よく思い出したので、これは好都合とばかりに出かけて行きました。

事前に食べログなどで下調べしてみると、評価は普通ですが、店内の作りやメニューは徹頭徹尾アメリカンで、ずらりと並ぶソファなども原色の50~60年代のアメ車を思わせるようなもので、ハンバーガーも当然のようにアメリカンなビッグサイズ。

さっそくお目当てのハンバーガーとコーヒーを注文。
オーダーを受けてから調理するらしく、かなり待たされてようやく出てきたのは大型のプレートに、日本人のイメージの3倍はあろうかと思われる巨大なハンバーガーがフライドポテトなどと一緒にドーンと鎮座していました。

各テーブルに置かれた巨大サイズのケチャップとマスタード(必要なら塩/胡椒)を使って自分で味付けをし、バンズを重ねてかぶりつくというもので、さすがはアメリカンとこのときはなんだかわくわくしてしまいました。

ところが、実際食べ始めてみると、とくに不味いというのでもないけれど期待したほど美味しくもないことがしだいに判明。
見た目は豪快だけどあまり味がなく、ワイルドな感じのわりには塩分もかなり控えめで、ずいぶん健康面などにも気を遣っているような、なんだかよくわけのわからない微妙な味。

それというのも、調理中から期待させられたのは、ジャ〜〜ッという音とともに肉を焼く強い匂いが店内に漂いまくり、アメリカ産牛肉のステーキがコクがあって美味しいように、しっかりとした味を持つハンバーガーを想像していたのです。

はじめの数口は慣れの問題もあるからいまいちでも、口が慣れてくると本当の味がわかってくるということはよくありますが、途中で味が美味しいほうへと好転することはついにはないまま、最後のほうは少しガマンして食べたと言えなくもありません。

食べ終わったら、口の中にはなんだかへんな臭みみたいなものが残り、それがちょっと気になってきました。
マロニエ君の食べ物の評価基準のひとつとして「食後感」というものがあります。
食後感のいい食べ物はやはり美味しいものだし、材料もよく、調理もあまり変な小細工をしていない場合が多いというのが持論で、少なくともまともなもので作られた料理は食後感もすっきりさわやかです。

いっぽう、スーパーのお弁当とかファミレスの食べ物などは、やはりこの点がよくなく、いつまでも味や匂いが口の中で後を引くなど、すっきりしません。
いちおう美味しく食べたつもりでも、同時に悪いものも身体に入ってしまったというような印象を伴うことも。

そんな食後感でいうと、このハンバーガーは最悪でした。
店を出たあとはもちろん、その後4~5時間たってもなんだか口の中に何か残って消えない感じがあるし、ちょっとあくびをしてもさっきの肉の匂いがふわんと立ちのぼってきて、何度も気持ち悪くなりました。
こうなるとお茶やコーヒーをどれだけ飲んでも、歯を磨いても変化ナシ。

それも牛肉の匂いと言うよりも、なんだかケモノ臭的な感じがするのが気になりました。
こうなってくると、あれは本当に牛肉だったんだろうか?というちょっと気味の悪い考えまで頭をかすめてきて、そのたびにヘンなものを食べてしまったのではないかという疑いと不快感が消えなくなりました。

友人に聞くと、やはり同じらしく、「あれってジビエなのかなぁ?」などと言い出す始末。

お店に電話して聞いてみようかとも思ったけれど、もし表示と違うものを使っているならそう簡単に口を割るはずはないだろうし、すでに食べてしまったものはどうしようもないから、とりあえず諦めました。
もちろん、二度と行きません!

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2018/03/19 Mon. 02:38 | trackback: 0 | comment: -- | edit

雲泥の差 

マロニエ君の生活圏(福岡市及びその近郊)にある回転寿司でイチオシなのは、魚米(うおべい)ということを以前書いたような気がしますが、記憶が定かではないので、重複するところがあったらご容赦ください。

魚米という店名はあまり耳にしたこともなかったけれど、元気寿司系のチェーン店のようで、ネットの店舗検索を見てもそれほど数もなくメジャー店ではないようですが、ここを知ってからというもの、ぱったり他店には行かなくなりました。

魚米の特徴は、全店すべてかどうかは知りませんが、いわゆる作り置きの寿司は一皿もなく、すべてタッチパネルから注文をするスタイルであること。さらに各テーブルへは、なんと上中下、実に三段からなる高速レーンを駆使して、注文の品がスイスイ運ばれてくることです。
くわえて、ネタが新鮮で大きいことも特筆すべきで、にもかかわらず寿司メニューの多くが100円という安さ。店の内装は白を基調とした清潔感あふれる都会的な雰囲気で、従来の回転寿司の標準からすれば完全に一歩先を行くものだと思います。

もともと回転寿司は、テーブル脇のレーン上にあれこれのお寿司が流れている中から好きなものを皿ごと取って食べるというものでしたが、これだと自分のテーブルの位置が川(レーン)の上流にあるか下流にあるかでかなり条件が違ってきます。仮にむこう側に食べたいものが流れていても、こっちまで周って来る間に途中で誰かに取られてしまう可能性があり、不公平感がありました。(…昔の話ですが)

そうなると別途に注文するしかないわけですが、テーブルまでのお届け方法として「注文品」として流れに混ぜ込むか、店員がお盆に乗せて運んで来るかだったものが、そのうちに注文したものをダイレクトにテーブルに届けるための、専用高速レーンが設置されるようになりました。
注文も、いまやタッチパネルを採用する店が主流になっているようです。

さて、回転寿司といえば最も有名なのがスシ❍ーだというのは多くの人が認識するところでしょう。
マロニエ君も、十年ぐらい前にいちど行ったことがあるものの、それほど美味しいとは思えず、いらい一度も行ったことがありませんでした。しかし、土日などはいつ見てもスシ❍ーの駐車場には誘導員まで立っているし、店の出入り口付近は順番待ちの人であふれており、その人気の高さ、いわば支持層の厚みが窺えます。

TV-CMなどを見ても、いかにも新鮮そうな大きなネタがスローモーションで舞い降りてくる様子など、見るからに魅力的な感じに作られており、もしかしたらグッと進化していて美味しくなっているのかも…という気がしなくもありません。
それで友人と調査がてら行ってみようかということになり、先日スシ❍ーで食べて来ました。

果たして、結果は惨憺たるものに終わりました。
たまたま行った店のみでの感想なので、すべての店舗で共通することかどうかはわかりませんが、まず店内の雰囲気が暗いし、タッチパネルではあったものの、棚の上部の固定タイプである上、パネルが超鈍感で、指先が白くなるほど力を入れないと反応しないのは、もうこれだけでいきなりテンション落ちまくりでした。

また、注文しても、ゆるゆると流れる川に他の商品と混ざってゆっくりゆっくりやってくるのは、ようするに回転寿司の第一世代そのままで、新型の高速レーンの快適さ(とくに魚米の三段レーン)を知る身には、あまりの落差に大きなストレスを覚えるほど。とくに案内されたテーブルは川が折り返してくる反対側だったので、その待ち時間の長さときたらはっきりいって苦痛以外の何ものでもありません。
まさに快適な新幹線に対してガタンゴトンの在来線のような違いでした。

肝心の味もあくまで普通(もしくはそれ以下?)でしかなく、「さすがは人気店だけのことはある!」と感心するような要素はまったくナシ。
それどころか、より多く注文させるためか、ネタを相対的に大きく見せるためか、シャリも小っちゃいしネタもコマーシャルでみるようなダイナミックなものひとつとしてなく、ただ上にぽちょんとのっているだけのものでした。

席も座面が擦り切れていたこともあり、たまたま古い店舗だったのかもしれませんが、食器類も激しく傷だらけで、醤油差しの上のゴムも弾力がなくなっているなど、いつもの魚米とはまさに雲泥の差でした。

帰りのクルマの中で「なんであんなに人気があるんだろうね…」とつぶやく友人。ごもっとも。
「ま、知名度なのかね…」と返しながら、不満タラタラなのに身体はいちおう満腹という、妙な気分のまま帰途につきました。

ひとつわかったのは、あんなテンポじゃ客の回転率がかなり悪いので、慢性的な行列を生むのか…とも思いますが、味の面では人気の理由がよくわからないまま、いちおう目的は果たしたとして調査終了です。

2016/06/07 Tue. 01:45 | trackback: 0 | comment: -- | edit

勝負か体質か 

たまに行くステーキ店があります。
むろんマロニエ君が行くくらいですからリーズナブルな価格の店ですが、分厚く柔らかいお肉が気軽に食べられるのがここの魅力です。

メール会員になると、毎月何度か開催されるサービスデーの類の案内が送られてくるので、先日家人と行ってみようかということになりました。今回の特典は「サーロインステーキのみ通常価格の半額」というもので、「半額対象は8オンス以上」となっています。
1オンスが28gですから、およそ220gのステーキということです。

通常のメニューでは、一番小さいのが4オンス(約110g)、そこから2オンス刻みで肉の量が増え、最大は16オンス(約450g)となっていますが、今回は半額なのですから対象とされるのが「8オンス以上」というのも当然だろうという気がしました。

マロニエ君は10オンスぐらいすぐに食べますが、少食の家人が少し分けてくれるというので8オンスを2つ注文。
ほどなくして斜め前のテーブルに若いカップルがやってきましたが、しばらくするとそちらへも焼きあがったステーキが運ばれ「お待たせいたしましたぁ。サーロインステーキ12オンスになりまぁす!」という店員の声がすぐ傍で聞こえます。なるほど若いお兄さんはそれぐらい食べるだろうなぁと、このときはなんの疑問もなく思いました。

ところがあとにはライスが2つ運ばれてきただけで、ステーキはそれ1つきり…。すると店員は「以上でご注文はお揃いでしょうか?」と尋ねると、カップルのうちの女性のほうが軽い笑顔で「はい」と小さく答えました。

その12オンスのサーロインステーキはテーブルの中央に置かれ、向い合う二人がそれを食べ始めたのにはびっくり!
一瞬の後、彼らのやっていることが了解できました。半額対象は8オンス以上となっているため、6オンスは対象外、だから12オンスを1つ注文、それを二人でつっついて「8オンス以上」というを壁をまんまと突破するワザを思いついたというわけでしょう。
店側のルールで8オンス以上が半額というのなら、それを2つ頼むか、それが嫌なら来るなよ!と思いますし、そもそも、小さなお店でそんなことをして、単純に恥ずかしくないのかと思います。さらにはこのとき二人がついたテーブルは、4人用に空きがなかったために6人用でした。これは偶然としても、店側はさぞかし苦々しく思ったことでしょう。

たしかに送られてきたメールには「一人分のステーキを二人で食べてはいけない」とは書いてありませんでしたから、このやり方は店が定めた条件に違反していないのかもしれませんが、まるで法の網をかいくぐるがごとく、そんな言葉の裏をかいたようなことをしてどういう気分なのか。ちなみに二種類の味が並んだステーキソースなどはしっかり二人分もらっていました。
みたところ、そんなことをしそうな感じではなく、いかにも善良そうなおとなしいカップルという印象でした。しかし若いくせに知恵を絞ってまで少量ですませるという、そのいかにも痩せ乾いた感性が、よけい「凄み」を漂わせていました。

高度経済成長はもちろん、バブル景気も知らない世代は、せめて半額のときぐらい豪快に食べようじゃないかという発想すらないのかと思うと、なんだかこちらのほうが悲しくなりました。あるいは与えられた特典があっても、それで満足したら負けなのか、さらに細かく切り刻んでいじりまわして、ルール上の盲点を突いて、合法的にさらなるお得をゲットすることが、まるでゲームに勝ったような気にでもなっているのでしょうか。


そしてさらに数分後、こんどは通路を挟んですぐ前のテーブルに30代ぐらいの若いお母さんが二人と子供が二人(合計4人)がやってきました。子供は幼稚園児ぐらいの男の子と、もう一人はやっと小学校にあがったぐらいの女の子。
しばらくして運ばれてきたのは、二人のお母さんがいずれも10オンスのサーロイン、小学校低学年の女の子でさえ同じく8オンス!、ステーキが食べられそうにない男の子には、ハンバークを中心とした大きなディッシュが目の前にどっかりと置かれました。

これを4人はいかにも楽しげに食べ始めましたが、そんな単純さが、さすがにこのときはことさら眩しく輝いて、つい拍手でもおくりたい気分でした。だって半額なんですから、そのぶん普段より大胆な注文ができる、美味しいお肉がたらふく食べられる、そう反応するのが健全でほがらかというもの。それをあれこれの策を弄してみみっちい頭脳を働かせて、それでいったい何が楽しいというのか…。

いまどきの若い人は、表向きはおとなしくて善良そうに見えますが、その思考回路はわずかのリスクでも排除し、目先の損得に執着、物事をあまりにも小さい単位でしか処理できない構造なのかもしれません。とりわけ財布の紐が堅いのは一通りではなく、この体質はアベノミクスが期待する「消費の拡大」の前に立ちはだかる最強のバリケードのようなものかもしれないと思いました。


2015/01/24 Sat. 01:28 | trackback: 0 | comment: -- | edit

コンビニスイーツ 

世の趨勢に反して(いるのかどうか知りませんが)、マロニエ君は自分の日常生活の中ではコンビニを利用することはほとんどありません。
食料はスーパーその他で買うし、基本的に感性が合わないのだと思います。

ところが、ここ数年でしょうか、コンビニで売られているデザートというか、要はスイーツのたぐいが美味しくなったと口々にいわれるようになり、はじめの頃は半信半疑でしたが、騙されたつもりで買ってみると、たしかに…と思うようになりました。

その後はさらに進化して、かなり本格的な商品が並ぶまでになりました。
はじめはコンビニ会社によっても美味しさに優劣があったようですが、最近は競争もよほど熾烈なのか、しだいに克服されて、おおむねどこで買っても似たようなものが買えるまでになったように感じます。

こうなると、どの店でもそれなりのスイーツが時間を問わず街のいたるところでパッと買えるという環境があることは、たしかに魅力だと思いました。

というわけで、一時はいい気になってかなり頻繁に買ってみたのですが、そのマイブームは意外にも早々に終息を迎えることになります。
ちょくちょく食べていると、だんだんその実体がわかってくるもので、さすがは横並びの日本だけのことはあり、どこも似たり寄ったりで味も結局はウソっぽく、種類も価格も拮抗しています。
人によっては印象も異なるかもしれませんが、少なくともマロニエ君はたちまち飽きてしまいました。美味しいものは常習性がありますが、不思議にそれがありません。

はじめのうちは、コンビニとは思えないような贅沢さが演出されていて、いかにも本格派のような風情ですが、いずれもうわべのものでしかないことが判るのにそう時間はかかりません。クリームなどもあきらかに安い植物性のものだし、使われている素材もCMなどでは尤もらしいことを言っていますが、嘘にならないぎりぎりのところだろうと思われます。

こういうことは、食べているときはもちろんですが、とくに顕著にわかるのは食べた後の「食後感」にあらわれきます。いかにもまがい物を食べたようだという、うっすらした不快感と後悔が心に漂います。

徹底的なコスト管理はもちろん、運搬に耐えるだけの形状やパッケージ、さらには売れ残りも前提として価格が決定されるのでしょうから、そう思うと廃棄される分まで販売価格に上乗せされたものをまんまと買わされているのかも…。
ひとたびそれを感じ始めると、パティシエの味覚や技術どころではない、企画書と試作品と会議室とボールペンで作られた巧妙な製品というイメージで頭が一杯になってしまいます。

価格もいかにも良さげな印象を与えるべく計算され尽くしたもので、高くもないが安くもない。とりわけ内容に対する、コストパフォーマンスは大いなる疑問で、あれだったらもうちょっとがんばって普通のケーキ屋で買ったほうがどれだけ満足は大きいかと思うわけです。

それにしてもここ最近のコンビニの数の増え方は尋常ではないですね。
なにかの建物がなくなって更地になっていたかと思うと、そのうち工事が始まり、大抵はまたひとつ新しいコンビニが姿をあらわします。

こんな現象は日本中の都市圏ではどこも同じだろうと思いますが、それだけ需要があるということなのでしょう。

2014/07/25 Fri. 01:36 | trackback: 0 | comment: -- | edit

慢心と油断 

気に入っていた飲食店などで味が落ちるといった変化があると、心底がっかりするものです。

とくに長年親しんだお店で、質やサービスになにかしらの変化がおきると、それによる落胆と幻滅は、おそらくは店側が予想しているより遥かに大きなものとなります。

変化といっても、良いほうに変化することはそうはないわけで、大半は「低下」の方向を辿ることが通例です。それがわずかの違いであっても、お客側にとっては大問題となることに経営者は意外に鈍感で、むしろ僅かな差なら気がつかないだろうぐらいに高をくくっていたりします。
もうバレバレなのに、バレていないと思い込んでいる愚かしさは他人事ながら哀れです。

たとえば、マロニエ君が贔屓にしていたあるケーキ店があります。
ここは価格も法外ではないけれど、それなりに安くもない店です。それでも、たまに美味しいケーキを食べたいと思ったときは、その美味しさを優先してときどき買っていました。

ところが、ある時期から、すぐには気がつかないぐらいの微妙な変化が起こりました。ほんのわずかにサイズは小ぶりになり、味も表向きは変わっていないことを装っていますが、明らかに以前のような熱意やこだわりが感じられなくなりました。
あとから知ったことですが、このころデパ地下にも進出したようでした。

そこそこお客がついてくると、人はつい油断するものなのか、その味や営業姿勢に慢心の影が差し込んでくるのはがっかりします。ひとつ成功するとたちまち次の欲が出て、事業拡大やさらなる利益のことばかり考えているとしたら、もうそれだけで気持ちは冷めてしまいます。

そもそも美味しさとか魅力なんてものは、楽器のいい音と同じで、決して雲泥の差ではありません。「普通」との差はたかだか薄紙一枚の違いであったりするもので、つまりは、そのわずかのところに人は期待と価値を置いているものです。

レストランなども、店側の都合で料理人が変わったり、事実上の値上げなどで、質や量にわずかな変化が現れることがありますが、お客というのは、だから決してその「わずか」を見逃しません。

そもそもある店を贔屓にしているのも、いろいろな要素のトータルのところで「たまたま」そうなっているだけで、ある意味、ひじょうに微妙で危ういバランスの上に立っているにすぎません。よって少しでもそのバランスが崩れると、忽ちそこでなくてはならない理由が失われます。

つまりささいな変化は深刻で、いったんその変化や翳りを嗅ぎ取ると、まるで魔法がとけたようにその店に対する好感度が失われてしまいます。
これは飲食店以外にも言えることで、少しでも下降線を感じてしまうと、それが嫌でいっそ別のものへ流れます。少なくとも質の落ちた対価しか得られないとわかってしまうと、もう継続する気にはなれないのがお客の気分ではないかと思います。

「一度でも不味いものを食わせると、二度とその客は来ない」と云われるように、マロニエ君もずっとご贔屓にしていても、一度とは云いませんが、二度味が変わればやはりもう行く気になれません。
もちろんお店側にしても、そこにはいろいろな事情もあることでしょう。商売をする以上、利潤追求を否定することはできませんが、そういうとき、ある種の「勘違い」や「雑な判断」「見落とし」をしてしまっているように感じます。

馴染みのお客さんを維持していくことは、ある意味では新規の客を獲得するより、もっと難しいことなのかもしれません。

2014/06/24 Tue. 01:22 | trackback: 0 | comment: -- | edit

貧しき遺伝子 

厳しい寒さが続いています。

お鍋の季節真っ只中とあって、スーパーや食料品店に行くと鍋料理の食材を集めたコーナーがあちこちに設置されています。そこにはパック詰めされた各種お鍋のスープがこれでもかとばかりに並んでいますが、以前に比べるとその種類も飛躍的に増えて、聞いたこともないような名の新しい鍋料理もいろいろあって感心させられます。

代表的なところでは寄せ鍋や、博多なら水炊きといったところでしょうが、これらのスープにはいつも不思議で仕方ないことがあります。

大半のスープの量は750〜800mlで、触るとブカブカした袋には決まって「3〜4人分」と書かれていますが、これってそもそも表示された人数に対して適量だろうかと思います。この手はストレートタイプなので、袋の中に入ったスープが正味の量となるのですが、とてもじゃありませんが我が家はいつも足りません。

3〜4人はおろか2人でも甚だ心もとない量で、本当にこれでみなさん量的に満足されているのだろうかと思います。二つ使いたいところですが、そうなると金額的にばかばかしくなりますし。

マロニエ君は大抵のことは日本のモノや習慣や尺度は好きですし、むろん慣れてもいますが、ことこういう食に関する量の基準だけは、日本って貧しいなぁと思ってしまいます。

上げ底なども日本の悪しき文化のひとつで、世界的にもとりわけ商品クオリティの高さで信頼される国でもあるにもかかわらず、量的な部分になるととたんにしみったれた習性が露わになります。海外に行くと、欧米はむろんのこと、たとえアジアの近隣諸国でさえ、量に対する尺度が日本とはまるで違うことを痛感させられます。
べつに高級店でなくても「一人前」というものに対する量の保証がきっちりあるのは、本来当たり前のことかもしれませんが、日本人の目にはそれが感動的に映り、その量だけで彼我の違いを感じます。
この点では日本人は昔から量的ミニマムに慣れっこです。

こんな他国の社会のなんでもない量的尺度からみると、日本は食に関しては所詮は貧しかった遺伝子が大和民族の心底からいまだに抜けきれないのだろうと思わずにはいられません。
昨年は日本料理がユネスコの無形文化遺産へ登録されたそうで、それはそれで結構なことですが、思うに日本料理のもつ気品と洗練の元を辿れば、そもそも食の貧しさと絶対量の不足に源流があるのではとさえ思います。

高度な技や凝った盛りつけ、器との対比、季節ごとの貴重な食材を珍重するなど、繊細な感性や精神性までも取り込んで、ついには芸術的な高みにまで到達したのはなるほど見事だと思います。
しかし、見方を変えれば皿数ばかりで、盛りつけというより飾り付けのようで、どれもこれもがつまみ食いのように少なく、それに不服を唱えればたちまち風流も情趣も解さない野蛮人のように扱われてしまいます。

しかし、やっぱり元を辿れば少ないものをいかに尤もらしく美しく見せるかという、知恵や言い訳から出発した文化ではないかと思うのです。日本の伝統的な美術が空(くう)を多用し、そこに深奥なる意味をもたせることで表現の粋を凝らしているのはわかりますが、食にまで空を求めるのだとしたら、これはいささか逸脱が過ぎるようにも感じます。

冒頭の鍋用スープも、あれで3〜4人分という表記でも一向に問題にならず、各社一斉に同じ量で横並びに製造販売され、消費者のほうも常にカスカスの量でガマンするが普通なのは、世界中でも日本だけではないかと思います。
国際基準的にいえば、あれはたぶん一人分じゃないかと思います。

2014/01/21 Tue. 01:56 | trackback: 0 | comment: -- | edit

行列と満腹 

昨日はどうしてもという必要に迫られて、あまり行かないことに決めたはずだったIKEAに行くことになり、友人に同行を頼みました。

23日は折悪しく連休中でもあり、さらにはクリスマスイブの前日ということも重なってか、予想通りのたいへんな人出でした。
当然ながら、そんな日の昼間に行くなんて無謀なことをする勇気はありません。マロニエ君達が駐車場に入ろうとしたのは、たしか午後6時ごろでしたが、この時間になってもまだあたりは車でひしめき合って、さすがに満車ではなかったものの、隅々までびっしりと車が並んでいました。

季節柄、日もどっぷりとくれているというのに、ヘッドライトの先にはまだ誘導員がいて、車の流れを忙しげに整理していますから、おそらくは今年最後の盛り上がりというところなのでしょう。

なんとか車を置いて、店内に入って目的の商品を見ていると、どうやら今の時期は「期間限定」のいろいろなイベントをやっているようで、二階のレストランでもスウェーデンのクリスマス・ディナーと銘打ったバイキングをやっていると店内アナウンスが言っていました。

大人1500円こども600円の「ドリンク付き食べ放題」とやらで、友人はどうやらそれに行きたがっているような雰囲気をプンプン醸し出しはじめ、内心「まずいなぁ…」と思いました。
でも、たしかに時計の針は夕食時ではあるし、マロニエ君は特別食にこだわりがあるほうではなく、そこそこ美味しく食べられれば何でもいいというタイプなので、それならば…とそこに行ってみると、目に飛び込んだのはかなりの長蛇の列で、たちまち恐怖を覚えます。
マロニエ君単独の意志なら、この行列を一目見て迷わず通り過ごすところですが、友人は「今だけ食べ放題のスウェーデンのクリスマス・ディナー」という謳い文句に抗しがたい魅力を感じているようでした。
こちらとしても遠くまで付き合ってもらっているわけで、ここまできて相手の希望だけ無視するわけにもいかないので、マロニエ君としても覚悟を決め所と思い定めて、ついに列に並ぶことになりました。

はじめに1500円也を支払って列の最後尾につくわけですが、この列が完全に停滞して一向に進む気配がないのには、いきなり怖じ気づきました。
なぜ進まないかというと、料理は進行方向の一列のみに配置されていて、前の人が取り終わるまで次の人以降の列全体がそれを待つことになり、それが延々と連なって、まるで連休の高速道路の渋滞のようになり、想像を絶する超低速の進行状況を作り出しているわけです。

こうなると、いくら食べ放題とはいっても、料理を取るチャンスは事実上一回限りだということが、誰の目にも明らかです。
そのかわり、列の入口には奇妙なカートが置かれていて、皆さん等しくそれを使っているのがわかります。カートは三段構造になっており、少し先にはちょうどサイズの合う長方形のトレイが重ねられていて、その横にはミート皿がうず高く積まれています。

すると、みんな専用カートを引き寄せ、トレイを三段それぞれに配置して、さらにはお皿を6枚取っています。これが並んで待っている間になすべき準備であることを、人は皆、先人の行動を見ながらたちまち学習し、無言のうちにサッサと同じ作業をしています。

列はニクロム線のように行ったり来たりしながら、ちょっとずつ料理が置かれたエリアに近づいていくのですが、途中で隣の列の人達と対面して進行(ほとんど動かないが)する部分があり、そのときが自分を含めてなんだかとても滑稽な気分になりました。
子供は比較的無邪気ですが、大人は一様に疲労感と忍耐を隠せない表情ですが、同時に戦いを目前にして並々ならぬ覚悟を決めたような緊張感をも必死に押し殺しているようで、なんともいえない奇妙な空気がピーッと張りつめていました。

おそらくは30分ぐらい待ったあげく、マロニエ君もここまでくれば仕方がないと腹を括ってそれなりに料理に手を伸ばしましたから、いまさら自分だけは別だと言うつもりは毛頭ありませんけれども、でも、中には本当にすごい人達がいて、そのすごさをあれこれと目撃させられました。
人の本性が垣間見えるときというのは、可笑しさと恐怖が無秩序に交錯するものだというのがわかりました。

とはいうものの、結果的にひとり1500円で猛烈な満腹状態になったのですから、文句も言えませんね。

2012/12/24 Mon. 02:02 | trackback: 0 | comment: 0edit

続・皿交換 

目の前で盛大におこなわれる皿交換は、悪いことではないかもしれませんが、同席者に一定の何かの感触を与えるという事実。

もちろんパフェなんかをちょっと一口ぐらいならどうということもありませんが、ある程度食べ進んだ皿をそのままドカッと交換するのは、どこか凄味があり、目の前でやられるとちょっとヒエッと思ってしまいます。

こう感じるのは、かねがねマロニエ君だけではないはずだと思っていましたが、この点を余人に確認したことはありませんでした。
そこであらためて友人などに折あるごとに聞いてみると、案の定、イヤでたまらない、あれはやめてほしい(中には笑える)という人が数人いましたね。しかも口々に待ってましたとばかりその事に関する、これまでにたまりにたまった不平不満をぶちまけはじめます。
夫婦でも「自分達は絶対しない!」と断言する人もいて、ははぁやっぱりなあと思いました。

特につらくなるのは、麺類や丼物、中にはカレーライスまでも食べている途中で器ごと交換する人達で、こういうことにめっぽう弱い友人のひとりは「カレーライスなんて、自分が食べていても途中で汚い感じに思えてくるのに、ましてや…」とガクガクしながら言っており、なるほどなあと納得しつつ笑えました。

これがもし欧米人あたりなら、どうせ彼らは公衆の面前で平気で抱き合うような民族性ですから、あるいはサマになるのかどうかわかりませんが、少なくとも日本人には向かないというか、それを目の前で見せられるのはできれば御免被りたいものです。

そもそも日本人は、むしろそういうことははしたない事として厳に慎む側の民族で、人前では内外(うちそと)の区別をつけるというけじめといいましょうか、分別あるメンタリティにこそ日本人の品性や美しさがあらわれているとマロニエ君は思うのです。
そんな日本人でも許せるとすれば、子供か、せいぜい二十歳前後までで、あとはちょっと…。

失笑なのは、絵になりそうな美男美女ならまだしも、むしろその逆の人達にかぎって街中でもことさらべたべたして歩いてみたり、こういう皿交換みたいな行為をやりたがるようで、何かそれが心理的な空白の埋め合わせであったり、精神的な取り戻しをしているのでは?とも思います。
もしかしたら、心理の奥底には、そういう行為を他者に見られているということに一種の満足を感じているのかもしれないというような気がしなくもありません。

だとすると皿交換も一種の心理的要因を含んだ行動ということになるのかもしれず、だからこそ見ているほうも「わっ」と思ってしまうのかもしれませんね。

2012/05/04 Fri. 01:34 | trackback: 0 | comment: 0edit

皿交換 

「食べ方」に関する事は、意外に気にかかる場合があるものです。

この手のことは、あまり神経質になってはいけないのでつとめて大雑把な気分を維持するように心がけていますが、それでも、これだけはちょっと…と(内心で)ため息が出るものがあります。

よく夫婦やカップルなどで行われる行為で、互いに別の料理を注文しておいて、途中まで食べた皿をあるタイミングで互いに交換してその続きを食べるというものですが、あれは見る側としては、ちょっとなぁ…という感じです。
当人達にしてみれば、途中でチェンジすればお互い二度おいしいということかもしれまないし、さらには好き嫌いや量の調整もできるということか、はたまた気分的にそういう行為そのものを楽しんでいるのか…。

ご当人達は夫婦であれなんであれ、特定のカップルということで、世間もこれをごく自然なノープロブレムな行為として受け止め、周囲の目からも許容されているというふうに思っているのか、あるいはさりげない主張の要素を含んでいるのか、そこのところはよくわかりません。

しかし、同席者にとっては本人達が思っている以上に、ある種の抵抗感を覚えている人が多いことは事実のようです。

まあ、よほど若くて初々しい二人が可愛くやっていれば、まだいくらか絵にもなるというものですが、どっかりした中年以上のペアがこれを人前で堂々とやってしまうのは、他人にとってその光景はどうででょう…。

ときには夫婦親子兄弟が縦横無尽に食べ物をやったりとったりしているファミリーなどもいて、まあそれだけ仲が良くて結構だと云えばそれまでかもしれませんが、他人と同席する食事の席上でカップルがこれをやってしまうと、場合によっては抵抗感を喚起させるだけでなく、単純なマナーの点からいってもそうそう褒められたものではないような気がします。
この行為は、「する人達」と「しない人達」にハッキリと二分されていて、一種のクセとかというか生活習慣といえばそうなのかもしれません。しかし、こういう事を他人の面前でためらいもなく平然とやってのける人というのは、どちらかというと美意識とデリカシーに欠けるような気がします。

また、付き合ってまだ日も浅い、しかし決して年齢的には若くもないカップルなんかが、いきなり目の前でこんなことをやってくれるのもギョッとするものです。
それまで他人がやってるのをさんざん見せつけられて、よほど羨ましかったのか、今度は見られる番!とばかりにそれをやってみせるのが快感なのか…想像もあれこれと飛び回ります。

いっぽう熟年夫婦などにこれをやられると、こちらは内心で思わず固まってしまいますが、もはやそれが常態化しているのか、あらんかぎりのものがせわしく二度三度と往復することも珍しくなく、こっちは唖然としつつ、いつしか食欲まで減退してくるものです。
ご当人達は夫婦なんだから、そんなの普通でしょう!いちいち気にするほうがおかしい!…といった感覚なのかもしれませんが、あれは率直に言って、同席者はそうとう違和感があるのは事実です。
もちろん、気にならない人は一向に平気なのかもしれませんけれども、気になる人も決して少なくはないようです。

今どきは「人とお鍋をつつきたくない」という神経質な人さえ少なくないご時世ですが、食事中の皿交換も目の当たりにすると、変な覚悟みたいなものをさせられる気分です。

2012/05/03 Thu. 02:40 | trackback: 0 | comment: 0edit

クリスマスケーキ 

マロニエ君にとってのクリスマスとは、宗教とは一切無縁、ただこの時期は甘いもの好きにとってはクリスマスケーキというものを年に一度、買ってきてパクパク食べる口実に過ぎません。

毎年あれこれのクリスマスケーキを買ってみるのですが、これという店が定まっているわけではありません。
というのも、値段ばかり高い有名店のそれを買う気などさらさらないし、自分の好みの点からも普通でコストパフォーマンスに優れたクリスマスケーキがいいのです。
小さいくせに無駄な小細工ばかりされたカッコだけのケーキなどまったく関心もなく、ひたすら白の生クリームとスポンジとイチゴによるごく基本的なケーキが食べたいわけで、そんな美味しさがあって、なおかつサイズも大きければ更に歓迎です。

その点で我が家の近くのケーキ店は、個人経営で、作りはいかにもオーソドックスで味も上々、一時期はこれで決まりだという感じで数年間は買い続けていたのですが、なんと経営者の健康上の理由でこれがもう買えなくなり、またしてもクリスマスケーキ選びは振り出しに戻りました。

さて、何年か前でしたが、コンビニなどで販売しているヤマザキかなにかのクリスマスケーキを買ってみたところ、これが思いのほか美味しかったし、実際にスーパーやパン屋などに行くと、クリスマスケーキの予約受付中というようなポスターがあちこちにあって、そのうちどれかを予約しようか…ぐらいに軽く考えていたところでした。

で、先週末だったと思いますが予約をすべくお店に行くと、なんとまだクリスマスには一週間もあるというのに、クリスマスケーキ関連のポスターや案内などが一切ありません。???
なんで?と思って店員に聞いてみると、すでにクリスマスケーキの「予約は終了しました」ということで、なんたることか!と思いました。試しに他店にも回りましたが、デパ地下に至るまで状況はまったく同じでした。

今どきは、たかだかクリスマスケーキを買うにも、おっとりした気分ではこれを手に入れることはできなくなり、ずいぶん前からしたたかに予約などを完了していなくてはいけないという、今どきの油断のならない仕組みがようやく呑み込めて、ああ…こんなことまで、出遅れちゃいけないというか、なんだかピリピリした世の中に年々加速していくような気がしました。

これはおそらく業者が申し合わせている事のようでもあり、可能な限り売れ残りを出さないために、大半を予約性にして徹底的に無駄の排除をしている結果だろうと想像します。よく売れ残ったケーキを25日過ぎると値引き販売するというような話がありましたが、あんな悠長なことはもうしないということなのか。
社会に蔓延する、いかにもゆとりの無いサマをまざまざと見せつけられるようでした。

そもそもマロニエ君はあの馬鹿のひとつ覚えのような「一日○○限定」とか「期間限定」「季節限定」というのが嫌いです。表向きは、まるで少ししかない、さもありがたいようなもののようなイメージですが、要は在庫や売れ残りを極力排除したいという、販売者側のリスク回避とエゴを美辞麗句に置き換えて、さらにはお客さんの心理を煽って積極的集中的に買わせようという、まさに売り手側の都合に塗り固められた一石二鳥の販売テクニックだろうと思います。

本当に年々世の中には余裕や潤いみたいなものが徹底的になくなっていくのをひしひしと感じます。
クリスマスケーキも、普通に食べられるなら嬉しいけれど、そのために何週間も前からせっせと予約しようなんて思わないし、そんなことにまで神経を張り巡らせるような行動はしたくはないのです。

たかだかクリスマスケーキ、それにふさわしい、自然なタイミングで買って、寒空の中を家に持ち帰るというあたりも情緒であったし、それもまた美味しさの一要素でもあったような気がします。

何事も、もう少しゆったり、自然に、楽しくいけないものでしょうか?

2011/12/25 Sun. 01:49 | trackback: 0 | comment: 0edit