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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

翌週は… 

前回書いたテレビ番組『恋するクラシック』の翌週の放送も見てみました。

今回は印象的なメロディで親しまれ、さまざまなジャンルにも用いられるベートーヴェンの悲愴の第2楽章が冒頭で取り上げられました。
オリジナルのピアノ演奏は前回と同じく佐田詠夢さんによるものでしたが、今回はやや残念なことに「月の光」のときのような好印象ばかりというわけにはいかなかった気がします。

全体に歌いこみが浅く、作品の実像や深みという部分では足りないものが随所に感じられ、どちらかというとアマチュアに近い感じの、軽いデザートみたいな演奏でした。
これがこの方のピアノのスタイルなのかも知れず、それが前回は「月の光」というフランス音楽でたまたまマッチしていたのかもしれません。

さて、今回はそのことを書こうと思ったのではなく、意外な発見をしたのでそれを。
この演奏時、通常の譜面立てではなく、角度をより寝かせた感じの見慣れぬ譜面台が使われていたので、おそらくひと通りの練習と暗譜はできているんだけど、まったく楽譜なしではやや不安という時などに、こういう楽譜の置き方をするのだろうと推察。

音符のひとつひとつをしっかり見るわけではないので、きっちり楽譜を立てるほどではないけれど、視線の先に楽譜があれば演奏の道しるべになって安心でもある…というほどのものでしょう。
またその程度のものなら、通常より寝せて視覚的にもあまり目立たないほうが聴くほうにもありがたいのは言うまでもありません。

しかし、これは普通はあまり存在しない、水平よりやや起きた程度の角度であるし、そもそも譜面台そのものがノーマルのものとは別物だったので、おそらく手製のものかなにかだろう…ぐらいに考えてさほど気にも止めていませんでした。

しかし、色は黒のつや消しで、手前と奥にはそれぞれカーブがついていたりと、簡単に日曜大工でできるようなものではなく、それなりに本格的に製作されたような感じです。
そんなとき、カメラが斜め上からゆったりと動いていくシーンのときに、思わぬものを発見!
その見慣れぬ譜面台の右の隅には、うっすらと金の文字で「FAZIOLI」と書かれていたのです。

ということは、FAZIOLIがこのような譜面台も製造しているのだろうと、とりあえず考えました。
でも、使われているピアノはスタインウェイのDで、その中にFAZIOLIの文字があることがとても奇異な感じに映りました。
まあ、たかだか譜面台ですから、役に立つなら何を使おうといいといえばいいわけですが、世界のコンクールなどではあれだけ熾烈な戦いを繰り広げているライバル同士でもあることを少しでも知っていると、やっぱり違和感はありました。

ただ、いずれにしても、譜面台にまでわざわざFAZIOLIのロゴを入れる必要があるのかというのが率直なところで、それだけ自社の名を徹底して書いておきたいということかもしれません。


後半はヴァイオリニストの松田理奈さんが登場し、イザイの無伴奏ソナタの一部と、フランクのヴァイオリン・ソナタの第4楽章を演奏されましたが、演奏後の司会の小倉さんの質問に、いともあっさりと、これらの曲は「それほど難しいというわけではない」ということが暴露され、これはマロニエ君も大変意外でした。

とくにイザイの無伴奏ソナタは、どれもいかにも演奏至難なヴァイオリン曲という強烈なイメージがありましたし、マロニエ君はヴァイオリンはまったく弾けないので、「エエッ、そうなの?」と単純に驚くばかりでした。
曰く、いかにも難しそうに聞こえるけれど、イザイはヴァイオリニストでもあったので意外に弾きやすいかたちに書かれているとのことだったし、フランクのほうでは、ピアノのほうが圧倒的に音数も多く、「演奏はピアノのほうが大変だと思います」とあっけらかんとおっしゃったのには、演奏家なのにえらく気前のいい発言をする人だなぁと妙に感心しました。

佐田詠夢さんもピアノ弾きとしての虫がつい騒いだのか、「私もこの曲を弾いたことありますけど…難しいですよね」と発言する場面もありましたが、マロニエ君は、この方とフランクのヴァイオリン・ソナタがどう考えても結びつきませんでした。

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2018/04/20 Fri. 02:36 | trackback: 0 | comment: -- | edit

月の光と革命 

民放のBSで『恋するクラシック』というタイトルの、クラシック音楽をネタにする番組があることを発見、さっそく録画してみました。

司会は小倉智昭氏と佐田詠夢さんという女性で、番組そのものはクラシック音楽を身近で親しみやすいものにするためか、使われた歌やドラマから紹介するなど、とくに印象的な内容ではないと感じました。
ただ、ひとつだけそう悪くはないと思ったことが。

ドビュッシーの「月の光」をその司会の佐田詠夢さんが演奏したのですが、これが思いがけずきれいでした。
まったく知らないタレント風の人ですが肩書にはピアニストとあり、調べてみるとさだまさし氏のお嬢さんとのことで、へーという感じ。

ピアニストとしてどうかという事はさておいても、まあたしかにまったくの素人というレベルではなく、本格的にピアノを学んだ人のようではあり安定した技術をお持ちでした。
しかし、驚いたのはむろんその技術ではなく、彼女の「月の光」が新鮮さをもった鑑賞に堪える演奏だったことでした。

一般的に「月の光」というと、必要以上に夢見がちに、デリケートに、淡いニュアンスを意識して過度な演奏をする人がほとんどですが、佐田さんの演奏にはそれがなく、全体にやや早めのテンポで、無用な感傷を排した、すっきりした演奏だったところにセンスを感じました。
特に後半は、輝く音の粒が流れ下るようで、ちょっとアンリ・バルダの演奏を思い出すような、要するに目先のお涙頂戴ではないところで、この美しい小品を魅力ある音楽として聴かせてくれたのは意外でした。

趣味のいい、野暮ったさのない演奏だったと思います。
この曲はアマチュアにもよく弾かれる、悪く云えば手垢だらけになってしまった作品で、プロのピアニストでも「月の光」で聞く者の耳をその音楽に向けさせることは簡単なことではありません。
これぐらい有名曲ともなると、「あー、またこれか」という意識が先に立ってしまうもので、そんなマイナスの意識を引き戻して、本来の美しさを聴かせるということは至難です。

それ以外の演奏はどうなのか…聴いたことがないのでわかりませんが、少なくとも「月の光」は洒落た演奏だったと思います。

ところがその直後、番組ではプロのイケメンピアニストという人が登場。
プロなので名を伏せる必要はないのだけれど、あえて書かないことにします。

手始めにショパンの「革命」を弾かれましたが、これがもうコメントのしようもないもので、直前の「月の光」の美しい余韻はあとかたもなくかき消され、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされてしまったような印象でした。
これほど有名な曲なのにまったく曲が聴こえてこないし、ただ音符を早く(しかも雑に)弾いているだけで、強弱のつけ方もアーティキュレーションもまったく意味不明の、ただのがさつスポーツのような弾き方。
…というか、本物のスポーツのほうが実はよほど緻密で、それなりの丁寧さもデリカシーも必要とされるのではないかと思います。

音楽家というより、いわゆるテレビに出るためのひとつの指芸ということかもしれません。

その後、ピアノからゲスト席へ場所を移して、小倉氏の問いかけなどに導かれるまま、今どきのトークを妙に馴れた感じで展開。
すると、非常に優しげなソフトな語り口ではあるし、話の持って行き方や聞かせ方も巧みで、少なくともゴトゴトしたピアノよりトークのほうがよほどなめらかで、なんだかとても皮肉な感じでした。
内容はほぼ自分の自慢であったけれど、基本的に穏やかかつ低姿勢で、表面的な言葉づかいやマナーが悪くないために、スルスルと言葉が進み、ちゃっかり言いたいことを言ってしまって、しかも悪印象を抱かれないで終わりという手腕に、呆れるというか感心するばかりでした。

これを「話術」というのであれば、この人はピアノよりよほどトークのほうが(それも数段)お上手だとお見受けしました。この方は、ご自分のトークのようにピアノを弾いたら、それだけでずっと良い演奏になると思います。

話のあと再びピアノの前に座り、ラ・カンパネラを演奏されましたが、いたたまれない気分になり停止ボタンを押しました。

2018/04/16 Mon. 02:50 | trackback: 0 | comment: -- | edit

日本のピアノの本 

ピアノに関する書籍というと、教本や作品に関するものが大半で、ピアノという楽器そのものを取り扱った本というのは非常に限られます。

そんな中、『日本のピアノメーカーとブランド ~およそ200メーカーと400ブランドを検証する~』という新刊があることをネットで知り、さっそくAmazonで注文しました。
著者は三浦啓市氏、発行元は按可社、定価は4,000円+税というもので安くはないけれど、マロニエ君としてはやはりこれは買うしかないと思い、迷わずクリックすることに。

届いた本は、今どきA4サイズという雑誌並みに大きな本で、付録として「日本のピアノメーカー年表(生産台数推移付き)」という一覧表も付いていました。
内容は、明治以来、日本には約200社にものぼるピアノメーカーが現れ、その大半が消えていったという歴史があり、それを可能な限り取りまとめた一冊でした。

前半は、日本のピアノメーカー、一社ごとの紹介。
そのほとんどが消滅したとはいえ、現役を含むそれらをひとつひとつ見ていると、大小これほどたくさんのピアノメーカーが誕生し、ピアノを製造したという足跡に触れるだけでも、まったく驚きに値するものでした。

後半は、各ブランドごとのカラー写真や社名、ブランド名がアルファベット順にこまかく並べられた部分となり、一社で複数のブランドを生産していた場合も少なくないため、こちらは実に400ブランドに達するというのですから、かつての日本は紛れもなくピアノ生産大国だったことの証左となる本だと言っても過言ではありません。

歴史上、ピアノ生産大国と知られるドイツやアメリカでは果たしてどれくらいの数になるのか、機会があればぜひ知りたいものだと思うと同時に、明治維新までほとんど西洋音楽の歴史もなかった東洋の日本が、いかなる理由でこれほどまでにピアノ製造に熱中したのか、それはマロニエ君にはまったくの謎ですね。

日本人が、これほど多くのピアノブランドを必要とするほど音楽好きとも思えないので、ここまでメーカー数ブランド数が増えた背景には何があったのだろうと社会学として考えてしまいます。

ひとつにはピアノを作るには、バイオリンのように職工ひとりで事足りるものではなく、生産設備や会社組織といった、いわば最低限の産業構造を必要とする楽器であり、ピアノ製造に将来を夢見た人達が集まったこと。
あるいは大きくて見栄えのするピアノは、家が一軒建つほど高価であったという過去があり、それを買い求めることはある時期までは人々の豊かさの象徴でもあり、ステータスシンボルでもあっただろうことなどが頭に浮かびました。

それにしても、ページをパラパラやっているだけでも、その途方もない数のメーカーとブランドが存在したことは、紛れも無い事実。
しかも、そのほとんどが消滅したというのは、いっときの夢ではないけれども、ちょっと信じられないような、なにか時代のむごさのようなものを感じないわけにはいきません。

もし家にドラえもんがいたら、タイムマシンに乗って一社ずつまわってみたいものです。

そこに掲載されるメーカーのほとんどすべてが倒産や廃業に追い込まれ、貴重な資料も失われていることから、できるだけそれを追跡し、まとめ上げたという、非常に貴重な本でした。

どうしても入手できなかったと見えて、ところどころに写真が空欄のままになっているブランドがありますが、このような資料性の高い本の出現によって、さらに現物が発見・確認などされることを望むばかりです。

2018/04/06 Fri. 02:03 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ポゴレリチ 

誰でも苦手なピアニストや演奏家がいるものと思います。
マロニエ君の場合、ピアニストで言えばイーヴォ・ポゴレリチなどがその一人です。

べつに強烈に嫌いというわけではないけれど、少なくとも積極的に聴こうという気にはなれない、どちらかというとつい敬遠してしまう人。
1980年のショパンコンクールで独自の解釈が受け容れられず、それに憤慨したアルゲリッチが審査を途中放棄したことはあまりに有名で、良い悪いは別にしてそれほど独特の演奏をする人であるのは間違いありません。

たしか初来日の時だったか、日比谷公会堂でのリサイタルにも行きましたが、背の高い長髪の青年がわざとじゃないかと思うほどゆっくり歩いて出てきたこと、演奏も同様で、独特のテンポと解釈に終始していました。
とても上手い人だというのはわかったけれど、自分の好みではないと悟ったことも事実で、彼のCDなどもほとんど持っていません。

いらい、ポゴレリチはマロニエ君の苦手なピニストとして区分けされ、演奏会にも行かずCDも買わず、彼自信もそれほど積極的に活動するような人でもないこともあってか、その演奏を久しく耳にすることはありませんでした。

そのポゴレリチがBSのクラシック倶楽部に登場!
昨年来日した折に収録されたもので、通常のホールやスタジオではなく、奈良市の正暦寺福寿院客殿での演奏ということで、あいかわらず独自の道を歩み続けていることが再認識させられます。

番組は毎回55分ですが、ポゴレリチが境内やなにかをあちこちを散策するシーンが多くて、なかなか演奏にはならず、やっとピアノのある場所にカメラが来たかと思うと、大屋根を外したスタインウェイDが畳の上の赤毛氈の上にポンと置かれており、ようやく演奏開始。

いきなりハイドンのソナタ(Hpb.XVI)の第2楽章というので、ちょっと面食らいましたが、その後もクレメンティのソナタからやはり第2楽章、ショパンのハ短調のポロネーズとホ長調の最晩年のノクターン、ラフマニノフの楽興の時から第5番、最後にシベリウスの悲しいワルツというもので、本人なりにはなにか考えあっての選曲なんだろうけど、聴く側にしてみるとてんで意味不明といった印象。

全体として感じたのはやはりポゴレリチはポゴレリチだったということ。
テンポもあいかわらず遅めですが、テンポそのものというより、やたらと重くて暗い音楽に接したという印象ばかりがあとに残ります。
テンポそのものがゆっくりしていても、そこに明瞭な歌があったり、美しいアーティキュレーションの処理によっては、ちっとも遅さを感じさせない演奏もあるけれど、ポゴレリチの場合は、遅いことにくわえてタッチは深く、いちいち立ち止まってはまた動き出すような演奏なので、マロニエ君には聴くのがちょっときついなあというところ。

演奏スタイルには線の音楽とか、構造の音楽とか、いろいろなスタイルや表現があるけれど、この人の演奏をあえて言うなら「止まる音楽」でしょうか。

個人的に一番いいと思ったのはラフマニノフで、それは作品が重く悲劇的な演奏をどこまでも受け容れるものだからだろうと単純に思いました。

マロニエ君の好みで言わせていただくなら、悲しみの表現でも、さりげなさや美しい表現の向こうにじんわりにじみ出てくるようなところに悲しみが宿ればいいと思うのですが、ポゴレリチの場合は、あまりにも直接的なド直球の悲しみの言葉そのものみたいな表現を強引に押し付けられている感じ。

かつてのショパンコンクールでこれだけの才能に0点を付けたことに憤慨したアルゲリッチの気持ちも大いにわかるけれど、彼の演奏に拒絶反応示した側の気持ちも少しわかるような気がしました。
要するに40年近く経って、今も彼はそのままで、それがポゴレリチなんですね。

それとすでに書いたことがあることですが、個人的にはやはり日本のお寺などで行われる西洋音楽の演奏というのは、否定するつもりはないけれど本質的に好きではありません。やっている当人は文化の枠を超えた美しい環境の中で、型にとらわれない独自の試みをやっているつもりだと思いますが、それはいささか自己満足にすぎないのではと思います。

それぞれの名刹に刻まれた歴史の重み、風格ある建築や見事に手入れされたお庭、そこに込められた文化的背景や精神などが収斂されてはじめて成立している世界。
そこへスタインウェイをポンと運び込んで西洋音楽を奏でることに、マロニエ君の耳目にはどうしても文化の融合というものが見い出せず、ひたすら違和感を感じるばかりです。
じゃあベルサイユやサンピエトロ大聖堂でお能や文楽をやったら素晴らしいかと言われたら…やっぱり思わないのです。

2018/04/01 Sun. 02:23 | trackback: 0 | comment: -- | edit

再調整 

シュベスターの2回目の調整の時、ハンマーのファイリングをやってもらったおかげで、すっかり音が明るくなり全体的にも元気を取り戻したかに思えたのですが、その後、予想外の変化が。

前回書いたようにファイリングのあと音に輪郭をつけるためのコテあては、とりあえずやらずに済ませたのですが、それからわずか数日後のこと。
日ごとに音がやや硬めの派手な音になっていき、こんなにも短期間でこれほど変化するとは、これまでの経験でもあまりなかったことなので、ただもうびっくりすることに。

マロニエ君が素人判断しても仕方ないのですが、おそらくは打弦部分だけは新しい面がでてある種のしなやかさを取り戻したものの、ハンマー全体には長いことほとんど針が入っていなかったので、ハンマーの柔軟性というか弾力が比較的なくなっているところへ、新しい弦溝ができるに従って音がみるみる硬くなったのではないかと思いました。

考えてみれば、あれやこれやとやることが山積で、なかなか整音にまで至らなかったために、この点が手薄になっていたことは考えられます。
さらには、技術者さんにしてみても、ファイリングした際にコテあてをやらないことになり、最近のカチカチのハンマーに比べたら、このピアノのそれは比較的柔軟性があったので、針刺しまでに思いが至らなかったのかもしれません。
でも実際にはこのハンマーなりに、そろそろ針刺しが必要な時期であったことはあるのでは?

枕だって、なにもしなければ一晩で頭の形にペチャっと圧縮されていきますから、ときどき向きを変えたり指先でほぐしたりするわけで、理屈としてはそんなものだろうと勝手に想像。

というわけで、またか?と思われそうではあったけれど、やむを得ず調律師さんに連絡して事情説明すると、数日後に三たび来てくださる段取りをつけていただきました。

直ちに整音作業かと思ったら、アクションを外して床において、ライトを当ててまずは細かい点検。
前回できていなかった部分なのか、場所はよくわからないけれどハンマーシャンクの奥にあるネジをずっと締めていく作業をしばらくされてから、ようやく針刺しが始まりました。

針刺しは弾き手の好みも大いに関係してくるので、少しずつやっては音の柔らかさを確認しながら、これぐらいというのを決めます。
3回ぐらい繰り返して、柔らかさの基準が定まると、そこから全体の針刺しが始まります。
とはいっても音の硬軟は音域によっても変わってくるので、低音はそれほど必要ないというと、調律師さんも同意見で、低音域にはある程度のパンチとキレがないと収まりが悪いのでほどほどでやめることに。
また、次高音から高音にかけては、少しインパクト性が必要となる由で、こちらはそういう音が作られていくようでした。

今回はこの針刺しだけなのでそれほど時間はかからない見込みだったものの、この技術者さんもやりだすと止まらないタイプで、マロニエ君としてももちろんお願いする以上は納得されるまでやっていただくことにしているので、2時間ぐらいの予定が3時間半となってしまいました。

果たして結果は、嬉しいことにとても好ましいものになりました。
その音は、キツすぎる角が取れて、馥郁とした音の中にも芯がきちんとあり、節度あるまろやかさで、おもわずニヤリとする感じにまとまりました。

もちろん弾いていけばまた硬くはなっていくでしょうが、とりあえず満足できるレベルに到達できたことは、とりあえずめでたいことでした。
2018/03/09 Fri. 01:55 | trackback: 0 | comment: -- | edit

神様のブレーキ 

きっとご同様の方がいらっしゃるだろうと思いますが、とくに目的があるわけでもないのにネット通販のあれこれやヤフオクなどを見てしまうことがよくあり、これはもう半ば習慣化してしまっています。

自分の興味のあるいくつかの対象をひととおり見てしまうのですが、中にはそんなに頻繁ではないけれど、むろんピアノも含まれます。

ピアノに関していうと、マロニエ君なりの一つの基準は、年代が古めのもの、あとはヤマハカワイはあまり興味がなく、それ以外の「珍品」を無意識のうちに探しているように思います。
なぜなら、見るだけなら圧倒的にそっちのほうが楽しいから。

ピアノに関してはあまり頻繁に見ないのは、他の商品と違ってほとんどと言っていいほど動きがなく、終了すれば再出品の繰り返しで目新しさに乏しいから、たまにしか見ません。
ところが今回目に止まってしまったのは興味のないはずのヤマハで、それは50年ほど前のアップライトでした。

おそらくは写真から伝わってくる、なにかインスピレーションのようなものだったと思われます。
外観はサペリ仕様で、木目が上から床近くに向かって力強く垂直に通っているのが大胆で、色も弦楽器のような赤みを帯びた深味のあるものでした。
そしてなにより惹きつけられたのは、全体からじんわりと醸し出される、佳き時代のピアノだけがもっていた堂々とした風格が写真にあふれていたことでしょうか。

このピアノは決して装飾的なモデルではないのに、細部のちょっとした部分まで凝っていて、板と板の継ぎ目であるとか足の上下などには、きれいな土台のように見える段が丁寧につけられているなど、いたるところに木工職人の技と手間暇と美しさを見ることができました。
機能的には一枚の板でも済むところへ、デザイン上のメリハリや重みになる窪みやライン、段差などがあちこちに施されることは、ピアノが単なる音階を出す道具ではなく、楽器としての威厳、調度品としての佇まいまでも疎かにしないという表現のようでもあるし、そこになんともいえぬ温かみや作り手の良心を感じるのです。

現在のピアノは(ヤマハに限らず)そういう、木工的な装飾などは極限まで排除され、板類も足もただの板切れや棒に機械塗装して、効率よく組み立てただけで、製品の冷たさや無機質な量産品という事実をいやでも感じてしまいます。

さて、そのオークションにあったヤマハは高さ131cmの大型で、かなり長いこと調律をされていないらしいものの、内部はまったく荒れたところが見あたらず、撮影された場所にずっと置かれていただけということが偲ばれました。
価格はなんと7万円台というお安さで、これに送料および内外装の仕上げなど、これぐらいの手間と金額をかければかなりよくなるだろう…などと勝手な妄想をするのはなんとも楽しいもの。
実は妄想というだけでなく、よりリアルにこれが欲しくなったのは事実でした。
しかし、なにしろピアノにはあの大きさと重さと置き場問題がイヤでも付きまとうので、「これ買ってみようかな!?」という軽い遊びに至ることはまず許されません。

さらにヤフオクの場合、中古の楽器を現品確認することなく買うという暴挙になることがほとんどで、そういう行為そのものがかなり邪道であるのは間違いありませんが、そういうことってリスクを含めてマニアとしては妙に楽しいことであるし、もとが安ければ失敗した時の諦めもつくというもの。

ただピアノがあの図体である以上、必要もないのに買って仕上げて遊ぶといったことは、よほど広大な空間の持ち主でもない限りまず不可能です。

マロニエ君の友人にフルートのコレクターがいることは、このブログでも触れたことがありますが、彼などは「銘器」といわれるヴィンテージ品だけでも優に10本以上持っていて、それでもまだあちこちの楽器店に出入りしては、ドイツのハンミッヒだのフランスのルイロットだのと一喜一憂しながら、悩んだ挙句ついまた買ってしまい、家では隠しているんだとか。

ピアノが、こんなふうに自分で持ち運び出来て、家でも隠せるぐらいのものなら、マロニエ君もどれだけそこに熱中するかしれたものではなく、ああこれはきっと神様が与えてくださったブレーキで、却ってよかったのだと思うしかありません。
ちなみにそのヤマハは終了時間までに見事に落札され(ピアノの場合は入札がかからないのがほとんど)ましたので、やはり他の方の目にも止まったんだなぁ…と納得でした。

ちなみに、ヤマハの音質はまさにこのピアノが作られた1970年ごろを境に大きく変わるという印象があります。
少なくとも1960年代までのヤマハは今とはまったく違っていて、あたたかみのある音がふわんと響く優しさで反応してくれるピアノで、マロニエ君は個人的には弾いていてかなり心地よい印象があります。

それ以降は良くも悪くも一気に近代的な、今風の華やかでエッジの立った音になっていきます。
時代がそういう音を要求したということもあるかもしれないし、材質問題や生産効率を突き詰めていくと、どうしてもそっち系の音になるのかもしれません。
2018/03/05 Mon. 02:21 | trackback: 0 | comment: -- | edit

モコモコから脱出 

前回の調整で中音域のハンマーが全体に左寄りになっていることが判明、これを正しい位置に戻したら、弦溝の位置が変わってモコモコ音になってしまったことはすでに書いたとおりでした。

弦溝がずれて輪郭がなくなった音は、整えられた柔らかい音とはまったく違い、弾いていても鳴りもバラバラだしストレスがたまり、なにも楽しくありません。
とはいえ、新しい弦溝を刻むべく、ガマンしながら思い毎日少しは弾いてはいましたが、やはり本来の状態とはかけ離れただらしない音がするばかりで、ついに耐えかねて再調整というか、なんとかこの状態を脱すべく、調律師さんに再訪をお願いました。

調律師さんもそのことは充分にわかっておられたようで、前回は時間切れでもあったし、再度来ていただきました。
マロニエ君にはあまりわかりませんでしたが、調律師さんによればそれでも数週間ほど弾いたおかげでだいぶ落ち着いてきているとのこと。なにがどう落ち着いているのかよくわかりませんが、さっそく仕事開始となりました。

今回は、ハンマーが正しい位置に戻ってしばらく弾いたということで、ハンマーの整形をおこなうことに。
ヤスリを使って、一つひとつのハンマーを丁寧に薄く剥いていくことで、おかしくなっている打弦部分の形状を整え、新しい部分を表出させ、そこにコテを当てて音に輪郭を作るという作業プランのようです。

ちなみに我が家のシュベスターがたまたまそうなのか、シュベスターというメーカー全体がそうなのかはわかりませんが、調律師さんによるとハンマーのフェルトはそこそこいいものが付けられているそうで、薄く削られたフェルトはふわふわした雲のような綿状になっています。
一般的にハンマーの材質は近年かなり低下の一途を辿っているようで、とくに普及品ではフェルトを削ると、削りかすが粉状になってザラザラと下に落ちてしまうのはしばしば耳にしていたのですが、これは毛足の短い質の悪い羊毛をがちがちに固めただけだからとのこと。

ハンマーのメーカーはわかりませんでしたが、ともかく今どきのものに比べると弾力もあり、それだけでもまともなものが使われているということではあるようで、今はこんなことでもなんだか嬉しい気になってしまう時代になりました。
この作業が終わるだけでもかなりの時間を要しましたが、次は打弦部分にコテを当てて音に輪郭を出す作業だったのですが、モコモコ音があまりにひどかったためか、ハンマー整形しただけでも目が覚めたように音が明るくきれいになり、マロニエ君はこの時点ですっかり満足してしまいました。

すると「これでいいと思われるのであれば、できればコテはあてないでこのまま弾いていくほうが好ましいです。」ということなので、「じゃあ、これでいいです。」となりました。

そこから、調律をして音を整えるためのいろいろな調整などいろいろやっていただき、この日の作業が終わったのは夜の八時半。作業開始が2時だったので、実に6時間半の作業でした。
しかも、この方はほとんど休憩というのを取られず、お茶などもちょっとした合間にごくごくと飲まれるし、雑談などをしていてもほとんど手は止まらず作業が続きますから、滞在時間と作業時間はきわめて近いものになります。

つい先日の調整が4時間半だったので、今回と合わせると、ひと月内で11時間に迫る作業となりました。
アップライトピアノでこれだけ時間をかけて調整をしてくださる調律師さん、あるいはそれを依頼される方は、あまり多くはないだろうと思いますが、ピアノはやはり調整しだいのものなので、やればやっただけの結果が出て、今回はかなり良くなりました。

この調律師さんは、シュベスターの経験は少ないとのことですが、とても良く鳴るピアノだと褒めていただきました。
低音はかなり迫力があるし、中音には温かい歌心があり、さらに「普通は高音になるに従って音が痩せて伸びがなくなるものだけれど、このピアノにはそれがなく高音域でもちゃんと音が伸びている」んだそうです。

そのあたりは、やはり響板の材質にも拠るところが大きいのではないかと思われます。
人工的な材料を多用して無理に鳴らしているピアノは、すべて計算ずくでMAXでがんばるけれど、実はストレスまみれの人みたいで余裕がありませんが、美しい音楽には自然さやゆとりこそ必要なものだと思うこのごろです。

2018/02/25 Sun. 02:41 | trackback: 0 | comment: -- | edit

何をしてるのか? 

BSのクラシック倶楽部アラカルトで、一昨年秋のアンスネスの東京でのリサイタルから、シベリウスのソナチネ第1番とドビュッシーの版画を視聴しましたが、ピアノのほうに不可解というか、驚いたことがありました。

このときのアンスネスの来日公演では以前にもこのブログに書いた覚えがありますが、スタインウェイの大屋根が標準よりもずっと高く開けられていることが演奏以上に気になり、(アンスネスの演奏は非常にオーソドックスであることもあって)そちらばかりが記憶に残りました。
大屋根を支える突上棒の先にはエクステンションバーみたいなものが取り付けられて、そのぶん通常よりも大屋根が大きく開かれてピアノが異様な姿になっていることと、やたら音が生々しくパンパン鳴っているのは、今回もやはり同じ印象でした。

ところが、前回うっかり見落としていたことがありました。
よく見ると、ピアノの内部に普段見慣れぬ小さなモノがあって、はじめはスマホのようなものに譜面でも仕込んであるのかとも思ったのですが、カメラが寄っていくと、そうではないことがわかり、さらにはなんだかよくわからない物体がフレームの交差するところや、それ以外にもあちこちに取り付けられており、色や形もさまざま。

平べったいもの、黒い円筒形のようなもの、赤茶色のお鮨ぐらいの小さなものなど、自分の目で確認できただけでも10個はありました。
それが何であるのかは今のところさっぱりわからないものの、大屋根が異様に大きく開かれていることと何か関係しているよう思えてなりません。

音は、しょせんはBDレコーダーに繋いだアンプとスピーカーを通して聞くもので、現場で実演を聴いたわけではないけれど、いつもその状態で聴いている経験からすると、あきらかに大きな音がピアノから出ていることがわかるし、しかもその音はピアノ本来のパワーであるとか鳴りの良さ、あるいはピアニストのタッチがもたらすものというものより、何か意図的に増幅されたもののように聴こえます。
少なくとも昔のピアノが持っていたような深くて豊饒なリッチな音というたぐいではなく、いかにも現代のピアノらしい平坦で整った音が、そのままボリュームアップしたという感じです。

早い話が、マイクを通した音みたいな感じでもあり、果たしてどんなからくりなのか調律師さんあたりに聞いてみるなどして、少し調査してみたいと思っているところですが、いずれにしろこんなものは初めて見た気がします。

番組は、55分の1回で収まりきれなかったものをアラカルトとして放送しているようで、アンスネスのあとはアレクセイ・ヴォロディンのリサイタルからプロコフィエフのバレエ『ロメオとジュリエット』から10の小品が続けて放映されましたが、同じ番組で続けて聴くものだけに、こちらは前半のアンスネスに比べてずいぶん地味でコンパクトな響きに聞こえてしまいました。

もちろんホールも違うし、ピアニストも違いますが、いずれもピアノは新し目のスタインウェイDだし、そこにはなにか大きな違いがあるとしか思えませんでした。

マロニエ君の個人的な想像ですが、アンスネスのリサイタルで使われたピアノ(もしくは装着された装置)は誰かが考え出した、音の増幅のためのからくりなんではなかろうかと思います。
それも、ただマイクを使って電気的にボリュームアップしたというのではなく、もう少し凝ったものなのかもしれません。

そういえば以前お会いしたことのある音楽のお好きな病院の院長先生は、ゲルマニウムの大変な信奉者で、ご自分の体はもちろん大きな病院に置かれていた高級なオーディオ装置やスタインウェイD/ベーゼンのインペリアルに「音のため」ということで、フレームなどゲルマニウムがいたるところに貼り付けてあったことを思い出しました。

そういう類のものなのか、あるいはもっと科学的な裏付けや効果をもった装置なのか、そこらはわかりませんが明らかに音が大きくパワフルになっていたのは事実のようでした。
音を増幅させるということは一概に悪いことだと決めつけることはできないことかもしれないし、そもそも楽器そのものが音を増幅するように作られているものなので、どこまでが許されることなのかはマロニエ君にはわかりません。

なんとなく現時点での印象としては、ピアノがドーピングでもしているような、本来の力ではないものを出している不自然さを感じたことも事実です。

2018/02/21 Wed. 01:46 | trackback: 0 | comment: -- | edit

昨年のバルダ 

クラシック倶楽部の録画から、昨年東京文化会館小ホールで行われたアンリ・バルダのピアノリサイタルを視聴しました。

今回の曲目は、お得意のショパンやラヴェルとは打って変わってバッハとシューベルト。
平均律第1巻からNo,1/8/4/19/20という5曲と、シューベルトでは即興曲はD935の全4曲というマロニエ君にとっては意外なもの。

しかし、ステージ上に現れたときから気難しそうなその人は紛れもなくアンリ・バルダ氏で、お辞儀をするとき僅かに笑顔が覗くものの、基本的にはなんだかいつも不平不満の溜まった神経質そうなお方という感じが漂うのもこの人ならでは。
青柳いづみこ氏の著書『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』を読んでいたので、バルダ氏の気難しさがいかに強烈なものであるかをいささか知るだけ、いよいよにそう見えるのかもしれませんが。

バルダ氏の指からどんなバッハが紡がれるのかという期待よりも先に、ピアノの前に座った彼は躊躇なく第1番のプレリュードを弾きはじめましたが、なんともそのテンポの早いことに度肝を抜かれました。
はじめはこちらの感覚がついていけないので、追いかけるのに必死という感じになる。

しかし不思議な事に、その異様なテンポも聴き進むにつれ納得させられてくるものがあり、バルダ氏のピアノが今日の大多数のピアニストがやっていることとは、まるで考えもアプローチも違うものだということがわかってくるようです。
まず言えることは、彼は作曲家がバッハだからといって特に気負ったふうでもなく、どの音楽に対しても自分の感性を通して再創造されたものをピアノという楽器を用いて、ためらうことなく表出してくるということ。

それは強い確信に満ち、現代においては幅広い聴き手から好まれるものではないかもしれないけれど、「イヤだったら聴くな」といわれているようでもあるし、「好みに合わせた演奏をするために自分を変えることは絶対しない!」という頑固さがこの人を聴く醍醐味でもあるようです。
今どきの正確一辺倒の演奏に慣れている耳にはある種の怖ささえ感じるほど。
その怖さの中でヒリヒリしながら、彼独特の(そしてフランス的な)美の世界を楽しむことは、この人以外で味わえるものではないようです。

コンクール世代のピアニストたちにとっては、およそ考えられない演奏で、現代のステージではある種の違和感がないではないけれど、そんなことは知ったことではないというご様子で、誰がなんと言おうが自分の感性と美意識を貫き通し、徹底してそれで表現していくという姿は、ピアニストというよりは、より普遍的な芸術家というイメージのほうが強く意識させられる気がします。
特に最近はピアニストという言葉の中にアスリート的要素であったりタレント的要素がより強まっていると感じるマロニエ君ですが、バルダ氏はさすがにそういうものはまったくのゼロで、そういう意味でも数少ない潔いピアニストだと思いました。

後半で聴いたシューベルトも、基本的にはバッハと同様で、サバサバしたテンポ。
しかし決して無機質でも冷たくもなく、そのサバサバの陰に音楽の持つ味わいや息づかいがそっと隠されており、それをチラチラ感じるけれど、表面的には知らん顔で、このピアニストらしい偽悪趣味なのかもしれません。
すべてにこの人のセンスが窺えます。

バルダの音は、スタインウェイで弾いてもどこかフランスのピアノのような、色彩感と華やぎがあります。
こじんまりとしていてシャープに引き締っており、バルダの音楽作りと相まって、それらがさざなみのように折り重なって、まるで美しい鉱石が密集するように響き渡り、ほかのピアニストでは決して聴くことのできない美の世界が堪能できるようです。

音も一見冷たいようだけど、それはパリのような都会人特有の、感情をベタベタ表に出さず、涼しい顔をしてみせる気質が現れており、いわばやせ我慢をする人の内奥にあるだろう心情を察するように聴いていると、このバルダの演奏が一見表面的な華やかさ軽さの奥に、深い心情や彼の人生そのものが見え隠れするようでもありました。
2018/02/16 Fri. 02:26 | trackback: 0 | comment: -- | edit

モコモコ音 

自室に置いているシュベスターは、昨年の納品からこっち調律だけは2度ほどやりましたが、納品前の整備を別とすれば、いわゆるきちんとした調整は納品後は一度もやっていませんでした。
いつかそのうちと思いながらのびのびになっていた点検・調整を先日、ようやくやっていただくことになりました。

何度か書いたことではありますが、ひとくちにピアノ技術者と言っても、そこには各人それぞれの得意分野があり、いわゆる一般的な調律師さんから、コンサートチューナー、オーバーホールや修復の得意な方、あるいは塗装などの外装を得意にされる方など、中心になる仕事はそれぞれ微妙に異なります。
あたかもピアノ工場が幾つものセクションに分かれているように、あるいは医師にも専門があるように、技術者にも各人がもっとも力を発揮できる分野というものがあるようです。

もちろん、どの方でも、全体の知識はみなさんお持ちであるし、基本となるセオリーなど共通することも多々あるはずですが、やはり日ごろ最も重心をおいておられる専門領域では、当然ながらより深いものを発揮されます。

そういう意味で、今回はやはり長年お付き合いのある、点検・調整のスペシャリストとマロニエ君が考えている方にお出でいただきました。

とりあえずザッと見ていただいた結果、調律を含む4時間半の作業となりました。
すでに10ヶ月ほど弾いているピアノなので、そろそろ音もハデ目になってきており、そのあたりの見直しを兼ねて、音作りのリクエストなどを入れてみたのですが、結果的にはそれより前になすべき項目が立ちはだかり、今回そこまでは到達できませんでした。

外板をすべて外し、アクションを外し鍵盤をすべて取り除いて、丁寧な掃除から始まりますが、各部の調整などを経ながら後半に差し掛かったとき、「あっ」という小さな声とともに問題が発覚。
よく見ると、弦に対してハンマーが全体に左寄りとなっており、中には右の弦に対してほとんどかするぐらいの位置になっているものもあるなど、さっそくそれらの左右位置の調整となりました。

これはアップライトピアノではよくあることだそうで、正しい位置に戻してもしばらくは元の場所に戻りたがる傾向があり、何度か調整を重ねるうちに本来の位置に定着するとのことで、今回だけでは済まない可能性もあるとのこと。

加えて、調整後はハンマーの左右位置が微妙に変化したために、弦溝の位置がずれてしまい、グランドのウナコルダ・ペダルを踏んだように、音が一斉にこもって柔らかくなり、しばらくはこの状態で弾いてみてくださいとのこと。
これらが定着し、弦溝も定着してからでないと整音をしても意味がないということで、今回そちらは見送られました。

ハンマーというのは本当に微妙なもので、弦溝がほんのわずかにズレただけで、別のピアノのようになってしまいます。
各部の調整が効いているのか、鳴りそのものはより太くなったようでもあるけれど、なにしろ音がやわらかくなったといえば言葉はいいけれど、モコっとした輪郭のない音になってしまったし、その状態が均等に揃っているわけでもないために、正直あまり気持ちのいい状態ではありません。

これが、普通にきちんと練習される方のように、毎日しっかり弾かれるピアノならそのうちに変わってくるかもしれませんが、マロニエ君はそれほど熱心に弾く方でもないし、このピアノばかりをそれほど短期集中的に弾き込む自信もありません。
ということは、いつまでこの状態が続くのかと思ったら、いささかうんざりもしてきました。

音の好みを少しでもマロニエ君の求めるものに近づけようと、調律時に倍音の取り方などいろいろな例を作っては聞かせて頂きましたが、それによってピアノの性格まで変わってしまうので、あらためて調律というものの重要性を認識することもできました。

ただ音程を合わせるだけなら、一定の勉強をすればできることかもしれませんが、そこから音の響きの色艶濃淡硬軟色彩など、あらゆる要素を3本の弦のバランスによって作っていくのは、これはやっぱり相当に奥の深い仕事だと思います。
そのためには技術や経験が大切なことはいうまでもないけれど、結局、一番大事なことは調律師自身の中にあるセンス、つまり音に対する美的感覚だと思います。

それにしても、柔らかい音とモコモコ音は似て非なるものですね。

2018/02/02 Fri. 02:29 | trackback: 0 | comment: -- | edit