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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

理解不能 

今どきの人の行動を見ていると、やたら悪意に解釈する気はないけれども、ときどきその心中を図りかねることがあります。

例えば、満車の駐車場などで出る車を待っていると、人が戻ってきて車に乗り込んでも、ここからが不自然に長い時間を要します。
昔なら待っている車があることがわかれば少しでも急いで出るなどして、スペースを譲ったりしたものですが、最近ではそんな状況だと、逆にわざとじゃないかと思うほどゆっくり荷物を積んだり、何かゴソゴソと車内の整理のようなことが始まったり、エンジンが掛かってヘッドライトまで点灯しても、それからが異様に長くかかったりします。
こちらも少し近くに寄ってハザードを点滅させていたりするので、待っている人がいるということは十分わかっているのに、とにかく時間をかけるだけかけたあげく、いくらなんでももう動くだろうと思っていると、今度はスマホをいじり始めたりで、こんなパターンはもはや珍しくないほど蔓延しています。

そんなことをしているうちに、別の場所が空いたりすれば、こちらもすかさず空いたほうへ入れるのはいうまでもありませんが、すると故意か偶然か、はじめに待っていたほうの車もスルスルと動き始めたりして、呆れることがあります。

他車も待っているようだから、できるだけ早く譲ってあげようの逆で、待たれているからあえて動きたくない、駐車スペースを明け渡したくないというささやかなイジメの心理のあることが伝わってくるもので、こういうこともストレス社会だなぁと思うしだい。
せっかく自分が止めている場所を他人が欲しがっているということは、それを確保している今の自分はそのぶんの既得権を有する立場で、出るタイミングはあくまでも自由なのだから、その自由枠を最大限行使して合法的な嫌がらせをすることで、いっときの快を得ているのか。

また、こんなことも。
ある日の夜、ミスタードーナツにドーナツを買いに行った時のこと。
マロニエ君が店のドアに近づこうとすると、タッチの差でアラフォーぐらいのおしゃれな女性がツーンとした感じで先に店内に入りましたが、これが運の尽きでした。
時間的なこともあってか、売り場には店員さんがひとりだけで、この女性もマロニエ君も「持ち帰り」だったのですが、そのドーナツ選びにかける時間の長さときたら、そりゃあ尋常なものじゃありませんでした。

店員さんも、持ち帰りと聞いて白いトレーとトングを左右の手に持って構えているのですが、ゆーっくりと全体を見回し、少し腰を折った格好で視線を右から左へ、今度は左から右へ、上から下へ、かとおもうと斜めに視線は移ろい、その熱心な様子は芸術鑑賞じゃあるまいし、なかなか一つ目さえ決まりません。
これはどうなるのかと思っていたころ、ボソッとつぶやくような声でなにか言うと、店員さんもすかさずそれをトレーに載せますが、あくまで1個だけで、その次がまた決まりません。
こんな調子では先が思いやられて、マロニエ君はその女性の横から、何にしようかと見たり覗いたりしてみますが、それでもこの異常なペースはまったくびくともせず、正直マロニエ君もイライラしてきたし、店員さんもきっとそうだろうと思っていると、やはりそうだったのか…二度ほど目が合いました。

いつ果てるともないこの状況で10分ぐらい経過した頃でしょうか、さすがに店員さんもずっと棒立ちになっているこちらのことを気の毒に思ったらしく、飲食スペースでコーヒーのおかわりを注いで回っている男性が戻ってきたチャンスを捕まえて、小声で私の方を接客するように促してくれました。
別に時間を計ったわけではないけれど、この女性客はひとつ選ぶのに平均2分ぐらいはかかる感じで、しかも一種類につきあくまで一個で、最終的にわかったところでは7個買っていたようでした。単純計算でも14分ですが、たしかにそれぐらいかかった気がします。

たかが(本当にたかが!)ドーナツを買うのに、何でそこまでできるのか、そもそもドーナツなんてそこまでして厳選吟味するようなものじゃなくて、もっと気軽に楽しむおやつで、マロニエ君には到底理解できません。
譲り合う気持ちの欠落やうしろに人が待っていることがまったく気にならないのか、あるいは駐車場と同じく、人が待っているからなおさらゆっくりするのか、お客として当然の権利だと思っているのか、あるいは何も意識できないほどドーナツ選びに全神経が集中しているのか。

マロニエ君はとなりのレジが開いたことで、ありすぎる時間ですっかり決めていた3種☓2=6個をつげるとそれらは手早く箱詰めされましたが、いかんせん遅すぎたようで、お釣りを待っているタイミングで、なんと、またして一歩先に隣の女性が先に店を出て行きました。クー!
しかも駐車場では、隣の車の運転席にその女性が乗っていてまたびっくり。
ここでもすぐに車を出そうとはせずに、今度はスマホを頬に当て、悠然とどなたかと会話のご様子でした。


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2017/10/11 Wed. 01:57 | trackback: 0 | comment: -- | edit

『そして父になる』 

ひょんなことから、普段あまり見ないような映画を見ました。
福山雅治主演の『そして父になる』が、たまたまテレビ放映されたので、どんなものだろうと思って録画していたもの。

出産した病院の看護師によって、同じ日に生まれた子供が故意に取り替えられたことから起こる悲劇と、それを取り巻く人間模様を描いた映画。

病院からの通告よってその事を知らされる衝撃、そこからはじまる親子の愛と悲しみ、突きつけられた過酷な現実が切々と綴られます。
6歳という、年齢的にもかわいい盛りの時期で、自意識や人格ができあがり、さまざまなことが認識できてくる年齢であるだけ、よけいに痛々しさも増すようでした。
マロニエ君は映画のことはよくわからないので、ただ面白いか、楽しいか、心地良いか、味わいがあるか、美しいか等で評価してしまいます。

ところが、この映画はそのどれにも当てはまらないもので、全編に陰鬱な悲しみが漂い、「いい映画を見た!」というのとはまたちょっと違った後味の残る作品だったように思いました。

福山雅治演じる父親は、何事によらず勝つことに価値を見出すエリート建築家で、高級マンションに暮らし、大きな仕事を手がけ、車はレクサス。いっぽうは街の小さな電気店で、なにごとも本音でわいわい楽しく生きるという庶民的な家庭で、いかにも対象的な価値観がコントラストになっています。

そんなふたつの家族同士が交流を重ねながら、やがて血の繋がった両親のもとにそれぞれ引き取られる二人の子供がなんとも悲しげでした。

つくづく思ったのは、福山さんは名にし負うイケメンのミュージシャン/俳優ですが、この役は見ていて最後まで違和感が拭えず、決して彼の本領ではなかっただろうという印象を持ちました。
一流企業のエリートで、高給取りで、子供にも他者よりも抜きん出ることを常に期待しているようなギラギラした野心的な男のイメージがどうにもそぐわないのです。

マロニエ君のイメージでは、福山さんもっと夢見がちで、仕事臭のしないしなやかな男性のかっこよさだろうと感じるだけに、この役に適した俳優はいくらでもいたはずとも思うけれど、福山さんありきで作られた映画なんだったらやむを得ないのかも。
そのあたりの芸能事情にはさっぱり疎いので、もうこれぐらいにしておきます。

意外だったのは、使われた音楽にピアノが多かったことで、冒頭はブルグミュラーの25の練習曲の『素直な心』からはじまり、その後はバッハのゴルトベルク変奏曲のアリアが折りに触れて挿入されました。
それに、記憶に間違いがなければパルティータ第2番の一節もあったような…。

ゴルトベルク変奏曲のアリアは、そのゆったりしたテンポ、特徴的な装飾音が、えらくまたグールド風だなあと耳にするなり思ったのですが、最後のクレジットがでるところでは、なんとグールドのあの唸り声まで入っており、ああもうこれは間違いないと思いました。

はじめのうちグールドだと確信が持てなかったのは、音がずいぶん違う気がして、まるで電子ピアノのように聞こえたからでした。
たまたまなのか、あるいは訳あってそういう処理がかけられているのか、この映画を見るような世代には電子ピアノ風の音が馴染みがいいのか、あるいは映画の中で子供がピアノの練習を電子ピアノでやっているところから、そういう音でいまどきの雰囲気を出そうとしたのか…。

グールドのゴルトベルク変奏曲といえば、猟奇的な映画で話題になった『羊たちの沈黙』でも、レクター博士が差し入れとして要求するのがそのカセットテープでしたが、これほど対極的な映画にもかかわらず同じ音楽が使えるというところにも、バッハの音楽の底知れない深さを感じないではいられませんでした。


2017/10/06 Fri. 02:03 | trackback: 0 | comment: -- | edit

光回線 

我が家にとっては、何年来の懸案であった光回線への移行をついに果たしました。

光回線にしませんか?というのは、いろんな会社からイヤというほど電話攻勢をかけられまくって、中にはNTTを名乗るからそうかと思っていたら、そうではないものであったり、あまりにも数が多すぎてもうなにがなんだかわからなくなり、一時はそれとわかると片っ端から断っていましたが、そのあまりのしつこさに根負けして、ついに応じたことも数回ありました。

そして設置工事まで来てもらったことも数回ありましたが、これが下調べから始まって、我家の場合はなかなか超えられないラインがいくつかありました。

詳しいことは、よくわからないから書けないし、書いても意味が無いのでいずれにしろ省きますが、とにかく現状把握と称して、家の中をすみずみまで見ず知らずの工事関係者が動きまわってはなにかを探して回るのは、やむを得ぬこととはいいながら気持ちのいいものではありません。

とくに配線取り回しの関係なのか、電話回線どうなっているかを調べるのは、住人でさえ知らないような部分をああでもないこうでもないと見て回るのですからウンザリです。

このあたりは、新しい家とかマンションならはじめからその前提で設備されているのでしょうが、あとからの追加設置というのは、美観の問題も含めて思ったよりスムーズに行かないものです。

実を言うと、今回はたしか3度目ぐらいの挑戦でした。
ひどいときは外部から引いてきた光回線の真っ黒い線を、家のコンクリートの外壁に這わせた上で、最後は穴を開けて家の中に持ってくるというもので、さらには見るも無様で大きな金具を外壁の数ヶ所にわたってドリルで穴を開けながら取り付けていくというのですから、たかだか光回線ごときで家をそんなに傷つける決断はつきませんでした。

これまで使っているADSLよりも光回線にしたほうが安定して速度も早いのだそうで、たしかに時代は光回線へ移行しているのはわかるけれど、家にいくつも穴を開けて無粋な線を這わせるなど、そんなみっともない姿にしてまで、通信速度を上げようとも思いませんでした。
さらには家の中でも配線は隠されず、壁や天井の中を通すという作業は絶対に無理だと言い張ります。

マロニエ君は、電線のたぐいが家の中にしろ外にしろ目に見える部分にむき出しになるのが嫌なので、それなら結構と工事をキャンセルしてきたのでした。

そのあたりも伝えた上で再挑戦をいってくるので、ついにまた来てもらうことになり、今回は設置場所から線の取り回しなども最も合理的な方法を熟慮した結果、家には一箇所の穴も開けることなく済んだのは嬉しい限りでした。

ただし、マロニエ君がもう一つイヤなのは、工事は光ケーブルとやらを引いてきて家の中に入れ、専用モデムに繋いで電源を入れるところまでで、あとの設定はユーザー自信が行わなくてはならないというものでした。
マロニエ君はこういうことが恥ずかしいくらい苦手なので、この段階で設定ができずネットが遮断されることを最も恐れていました。

「簡単です!」「みなさんやられてます!」というけどそんなことは信用できません。
案の定、これが大変でその手に詳しい友人に来てもらってやってもらっても、なかなかすぐには終わらず、結局、友人がサポートセンターに電話するなどして、1時間ぐらい奮闘してようやくネットが繋がりました。

自分はべつにネット依存症でもないつもりですが、不思議なもので、ネットが途切れて繋がらない状態というのはとても不安で、まるで世間から孤立しているようで無性に嫌なものですね。こんな気分になることが、すでにネット依存症である証拠かもしれませんが…自分では認めたくはないです。

さて、その最大の謳い文句である通信速度ですが、どれほどスイスイと素早いのかと思っていたら、なんのことはない、ほとんど違いがわからないレベルで、これにはかなりガッカリでした。
普通のホームページを見るぐらいではまったく違いらしきものは感じられず、強いて言うならYouTubeなど動画を見る時に途切れることなどがなく、ちょっといいかな…という気がする程度でした。

逆にいうと、時代遅れと言われて久しいADSLって、実はそんなに悪くもなかったんじゃないかと思いました。


2017/08/29 Tue. 02:23 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ぶきみな音 

つい先日の深夜のこと、そろそろ休もうかと自室に上がろうとエアコンと除湿機をOFFにしたところ、静寂の中からウーッという唸るような音が聞こえてきます。

はじめは冷蔵庫の作動音かな…と思って近づくと、音はまったく全然別のところから聞こえてきます。
それがどう耳を澄ましても、どこからの音か、なんの音なのか、見当もつきません。
壁のようでもあり、天井のようでもあり、あちこちに移動してみるけれど、どうもいまいちわからない。しかし、変な音がしていることは確かで、しかも普段聞くことのない音なので、やはり何なのか気にかかります。

真夜中のことでもあり、こんな正体不明の音が突如するなんて不安は募るばかり。
このまま放置して自室に戻ることもできず、さりとて室内はもう見るところもないし、思い切って懐中電灯を手に勝手口から外に出てみると、それまでウーッといっていた音は一気に音質が変わり、シャーーーッという尋常でない音が耳をついてきました。

「これは水の音」ということがすぐわかり、どうやら足元からのものらしく、屈んでみると地面の奥で水が勢い良く水が流れているのがわかりました。水道管からの水漏れであるらしいことは疑いようもありません!
こういうときって、あまりにも不意打ちをくらったようで、咄嗟に何をどうしていいのかもわからないものですね。
でも、非常にやっかいな、困ったことになったということだけは理解できました。

家の中に戻り、水道なら、やはり水道局だろうとホームページを見てみることに。
それによると、水漏れは陥没事故なども誘発する危険があるので、発見したら一刻も早く連絡をするようにと警告的に書かれています。
そういえば、いぜん福岡市では博多駅前の大陥没事故があって、その規模は全国ニュースになるほどのものだったし、水道局も注意喚起を強めているように思われました。
このとき深夜2時を過ぎていたけれど、フリーダイヤルで24時間受け付けになっており、ともかく電話をしてみることに。

電話に出た担当者は、こちらの住所と、水漏れ箇所は敷地の内側か外側か、というようなことを聞いてきます。
どうやらそれによって修理費用を誰が負担するかが変わってくるようで、この場合あきらかに敷地内だったので、そう伝えると、修理の作業をする水道局の指定業者を案内するので、メンテナンスセンターというところに電話するように言われました。

こちらも24時間対応となっていますが、なかなか電話に出ない。
諦めかけたころ、ようやく男性が出てきて、さっきと同様のことをきかれましたが、その次に言ったことが呆れました。
「この時間ですから、これからすぐに作業員が動くことはありませんので」
「は?」
「水道の元栓を閉める場所はわかりますか?」
「たぶん(あれかなと思って)わかるかもしれません」
「では、そこを開けて、右側にある水道メーターの中のパイロットを見てください。回っていたら水漏れです」
パイロットを見る?…シロウトにいきなりそんなこといわれてもわかりません!
そもそも、こんな夜中に真っ暗闇の外に出てそんなもの見なくったって、地面の中でジャージャーいってる音を聞けば水漏れにきまっているし、だから電話してんじゃん!と思ったけれど、そこは我慢しました。
「で、パイロットが回っていたら、左の止水栓を閉めてください。それで水は止まりますから、朝8時30分すぎにまた電話してください。」

朝8時30分を過ぎると、担当者が交代し、修理業者を紹介するということのようでした。
じゃあ、なんのための24時間対応?と思いましたが、道路や大規模なトラブルの場合は作業隊も動くのでしょうが、一般家屋の水漏れ程度なら一旦元を閉めさせて、対処は翌朝からでいいということなんだろうと思いました。

というわけで止水栓を閉めると音もしなくなり、とりあえずやれやれという感じでした。
とはいえ、最初に音に気づいてからこの電話が済むまでにもかなりの時間がかかったし、朝は朝で修理依頼の電話をしなくちゃいけないし、こうなると、なかなか寝付けず、朝まで寝たり起きたりの繰り返しでした。

時間通りに電話をすると、昨夜とは打って変わってハキハキした女性の声で対応され、それからしばらくして指定業者がやってきて修理開始。
やむを得ず、敷き詰められていた石造り風のタイルも一部を壊すことになり、地面には立派な落とし穴ができるほどの穴を掘るなど、汗みずくになって一日がかりで修理は行われ、夕方前に終わりました。しかも作業員の方はこの酷暑の炎天下の中、作業用の長袖シャツに長いズボン、長靴を履いて、軍手をして、頭には冬のような被りものを巻きつけて、黙々と作業をしてくださいました。
どんなジャンルでも、プロの職人というのはやはり大したものです。

数時間とはいえ、止水栓を閉めれば、家中のすべての給水がストップして不便なことといったらありません。
修理完了後、蛇口をひねればサーッと水が出る、そしてもうあのぶきみな音もしない、そんな当たり前のことにありがたさを痛感しました。


2017/08/11 Fri. 02:22 | trackback: 0 | comment: -- | edit

まくら 

人によりけりだと思いますが、枕ほど、しっくりくるものを選ぶのが難しいものもないというのがマロニエ君の実感です。

中には、どんな枕でも意に介さず、あってもなくても平気で、横になるなり爆睡できる猛者がいるいっぽうで、ちょっとでも違ったらたちまち寝付けず、中にはマイ枕持参で旅行に出かける人(実際に実行しているかどうかは知らないけれど)までいるなど、ここは非常に個人差がわかれるところでしょう。

マロニエ君も睡眠には苦労するほうで、どこでもすんなり眠れる人が羨ましくて仕方ありません。
当然、枕との相性は非常に微妙で、そのほとんどが合いません。

昔、自分に合ったお気に入りの枕があったのですが、あまりにも長く使ったため、いくらなんでももう潮時だと思ってこれを退役させ、あればまたこれに戻ってしまうだろうからと、思い切って処分しました。
後継枕はないままの処分でしたから、さっそく新しい枕が必要となりました。
合わないで放ってある枕がいくつもありますが、どれもイマイチ。

とくにダメなのが、今流行の低反発スポンジを使った枕で、自分の頭の分だけじわじわ凹むなど、気持ち悪くて仕方がないし、それにあのネチョッとした陰湿な感じが馴染めません。
かといって、高級快適とされる羽根枕は、見た目は華やかでも寝るとすぐにペシャンコになるし、柔らかすぎ。
一定の高さが保持できず、腰がないのがダメ。

柔らかすぎるのがいけないなら、そば殻枕というのもあるけれど、あそこまでいくと硬すぎるし雑で臭いも気になります。おまけに、ちりちりぎしぎし耳元で独特の音がするし、当たりの優しさがないので、あれではくつろげない。

パイプ枕はそば殻よりはおだやかだが、いかにもそれらしいボコボコした感触がダメ。

さらに最近では、頭を置くところだけ凹んだ形状のものとか、高さが任意に変えられるというアイデア商品風のものもあるけれど、これも試してみてどうにも馴染めず、とても「眠り」という難しいところへ入っていく助けにはなりそうもありません。

いつごろからだったか、オーダー枕のようなものがあり、自分の好みに合わせて、中の詰め物の量や高さを整えてくれるというものも出てきましたが、これらはお値段の方もそれなりで、あまりに多くの失敗を重ねているマロニエ君としては、そんなお高いものを買ってまた失敗に終わるのも嫌で、そちらには手を出しませんでした。
とくにデパートなどでは、売り子さんからつきっきりで薦められることを思ったら、結局最後は「買わされるだけ」という気がして、こちらもあまり近づかないようにしました。

いっぽう、暫定的に毎日使っている枕はどこで買ったものか覚えていないけれど、ごく普通なありきたりのもので、高さが微妙に足りないということで、バスタオルを薄くたたんで下に敷くなどの工夫はしてみるものの、決してしっくりは来ていません。

そんなことでお茶を濁しているうちに、ますます寝付きは悪くなるし、やっと寝ても2時間ぐらいで目が醒めて、そんなことを繰り返しながら朝まで繋いでいるといった状態で、これはマズイと思うように。

いらい、枕が売っているのを見ると、いちおう見てみる習慣だけがついてしまったマロニエ君で、某店では枕もたくさんの種類がずらりと並んでいて、良さそうなものをお試し用のベッドで確認するなどしましたが、「これだ」というものには行き当たりません。

ところがマロニエ君の求めている枕は思わぬところにあったのです。
別の用でニトリに行ったとき、やはりちょっと枕の売り場を覗いてみたら、気になるものがひとつだけあり、やはりお試し用のベッドがあるのでそこで横になってみると、これまでになくハッとするほどいい感じでした。
価格も5000円ほどと、まあ普通なのでついに買ってみたところ、これがもうバッチリでした。

いらい、寝付きも多少よくなったし、途中で目がさめることも激減、睡眠時間も長くなりました。
5000円で毎日の健康と快適が得られたかと思うと、安いものです。
いよいよというときは、やはり2~3万する枕を検討する必要があるかなぁ…とも半ば覚悟し始めていたのですが、際どいところで安く済みました。
こんなに合う枕は滅多にないから、予備にもう一つ買っておこうかな?

2017/08/03 Thu. 02:05 | trackback: 0 | comment: -- | edit

大雨特別警報 

今夜、ついに雨が止みました。
一時的にしろ、それだけでも感激するほど降り続きました。

先週までは、梅雨だというのに妙に晴天続きで、うまくすればこのまま梅雨明けとなり、むしろ水不足のほうが心配かなぁ…などと思っていたら、とんでもない間違いで、北部九州には未曾有の大雨による甚大な被害がもたらされました。
ここ数日、テレビニュースからは「観測史上最高の…」というフレーズを何度聞いたかわかりません。

大雨特別警報という最高度の警報が発表され、「命を守る行動をとってください!」とものものしい言葉がテレビ画面に映し出され、アナウンサーも同じことを言いますが、それって何をしたらいいのか皆目見当がつかないものですね。

幸いマロニエ君の住む福岡市は、今回目立った直接的被害はないようでしたが、県内のあちこちの地域では、何人もの死者まで出るほどの深刻な結果となり、あらためて自然災害の恐ろしさ、どうしようもなさを痛感させられました。

通常、だれでも雨が降るのは嫌だけれど、少しのあいだ辛抱すればやがて終わるものという、生まれた時から身に付いた感覚をもっています。
ところが、今回の雨はものすごく密度の濃い雨で、うんざりするほどの長期間でした。
これほどの激しい大雨でありながら、時間が経てども経てどもまったく収束しないというのは、かつてあまり経験したことのないもので、じわじわと恐怖が忍び寄ってくるようでした。

夜から降りだした激しい雨が、真夜中になってもまったく衰えず、翌朝目がさめてもそのままで昼を迎え、午後になり、夕方になり、夜になり、真夜中になり、さらにまた翌日になっても一向に収まることがないというのは相当不気味なものです。

さらには、降り出して二日目だったか、夜半からは無数の雷がひっきりなしに鳴りっぱなしで、それが何時間も続くというのもはじめて経験するものでした。
とにかく何もかもが今回はケタ違いだったようです。

これじゃあ地盤もユルユルでしょうし、人間もしおれてカビが生えそうです。
むろんピアノの前の除湿機はフル稼働で、大きめのはずのタンクは半日で満杯になりました。
もう雨は当分御免被りたいものです。

2017/07/08 Sat. 01:53 | trackback: 0 | comment: -- | edit

イタチ 

こないだの日曜日、友人がやってきたときのこと。

何かお昼を作ろうと冷蔵庫をガサゴソやっていると、奥のほうから真空パックされた5本入りのソーセージが出てきました。
すっかりその存在を忘れていて、見れば賞味期限を4ヶ月!も過ぎており、真空パックの場合1~2週間ぐらいであれば期限切れでも平気で食べてしまうマロニエ君ですが、さすがに4ヶ月ではちょっと食べる勇気はありません。

ゴミ箱に放り込もうとすると、友人が庭に置いてみよう?と言い出します。
マロニエ君宅の付近はカラスが少なくなく、ゴミを出すにもその被害を想定していちいちネットを掛けたりするぐらいだから、そんなことしたらみすみすカラスにくれてやるようなものと言いましたが、友人は面白がってどうしても庭に置いてみようと、いい歳をして子供のようなことを言い出しました。

マロニエ君もどうせ捨てるのだからと好きにさせていたら、友人はパックをあけて5本のソーセージを庭の中央にばらまきました。

結局はあとで拾って始末しなくてはいけないだろうと思っていたところ、置いてから10分か15分ぐらい経った時でしょうか、友人の「あっ、見て見て!」という声で庭に目をやると、これまで見たこともない茶色の小動物がちょこちょことやってきて、ソーセージを口にくわえたかと思うと、あっという間に小走りにどこかに消えていきました。

マロニエ君宅の隣家は庭も広く、一部が藪のようになっているのでそのあたりに棲んでいるのか、あるいは隣家の屋根裏あたりが住処なのか、とにかくこれまで一度も見たことのない体調30cmほどのイタチ君のようでした。
友人も思いがけない珍客の到来に大満足の様子で大はしゃぎ。

それから数分後、「あ、また来たよ!」というので見ると、さっきと同じイタチが、細長い身体を波打つようにくねらせるようにしながらやってきて、また1本ソーセージをくわえて同じ方向に去って行きました。
思いがけないごちそうを発見して興奮しているのか、イタチ君はその後も数分間隔でやってきて、けっきょく5本全部のソーセージを持って行ってしまいました。

その後も、まだ何かないのかと思っているらしく、何度もやってきては、今度は庭の隅や塀の上なんかもぐるぐる走り回ってごちそうを探しまわっていました。
イタチなんてどんな動物かは知らないけれど、窓越しに見ているぶんにはちょっと可愛いくもありました。

帰る方角は決まってお隣の藪の方なので、きっと近くに住処があってそこには家族がいるのか、自分だけなのかはわかりませんが、面白いものを見ることができたという思いと、でも、あれを食べて大きくなってまたこっちに来るようなことになったら困るなあという気分でした。

不思議なのは、いつも悩みの種となっているカラスがまったく来なかったこと、さらには普段は一瞬もその姿を見せたことのなかったイタチ君が、最初にどうやって我家の庭にばらまかれたソーセージに、ああも短時間で気がついたのかということ。

まあ、順当に考えれば、相手は野生動物でもあるし、人間には想像もつかないような嗅覚でもあるのでしょう。


2017/07/06 Thu. 02:08 | trackback: 0 | comment: -- | edit

一瞬の悪夢 

いささか滑稽な話ですが、人間はいつ何時、どんな目に遭うかわからないという経験をしました。

日曜の夕方、外出する前に車の窓を拭こうとしてバケツに水を溜めようとしたときのこと。
我が家のガレージの水道には、洗車のために長い巻取り式のホースリールを取り付けています。

そのホースは先端を回転させることにより、水の出方が4種ほど変化するようになっているものですが、それをいちいち動かすのも面倒なので「シャワー」の位置のままにしていたのです。
この日はちょっと急いでいたため、つい蛇口をひねる量が大きめだったのか、はじめバケツ内でおとなしくしていたホースが突然、コブラの頭のように動き出し、すぐ脇で窓拭き用ウエスの準備をしていたマロニエ君に向かって、盛大にシャワーの雨を浴びせかけました。

この予期せぬ事態に、もうびっくり仰天!
外出用に着替えていた服は上下とも無残なまでにびしょ濡れとなり、おまけに動きまわるシャワーヘッドを追いかけているうちに、水は目の前にある車にも容赦なく水を振りまき、車も1/3ほどがびしょびしょです。

というわけで、人も車も仲良く水浸しとなりました。
服のほうはというと、とてもちょっと待ったぐらいで乾くようなレベルじゃないので、一旦家に戻って全部着替えるほかはありませんでしたが、急いでいるときに限ってこんな理由で着替えをするときの、なんと情けなかったことか!

この日は梅雨にもかかわらず、せっかく雨は降っていなかったのに、車の左側はたったいま雨の中を走ってきたかのように屋根まで水滴だらけで、このときは笑う余裕もないほどでした。車のほうは普通なら放っておくところでしょうけど、雨水と違い、水道水は放置すると塗装のシミになるので、マロニエ君としてはそのままということができず、ここから車の水の拭き取り作業までやるハメに。

途中、何度かバケツの水でぞうきんを洗いますが、腰をかがめたときにビビーッと針で刺すような痛みがあることが判明。
はじめは大して気にも留めなかったけれど、何度やってもあきらかで、しかもその痛みは決して小さいものではなく、シャワーがこっちに向かって攻撃してきたときにあまりにも慌てて、ふだんあり得ないようなアクションでのけぞったのが原因だというのはあきらかでした。

これは困ったことになったとは思ったけれど、まあそのうち治るだろう…というか治るのを待つしかないわけで、とりあえず人との約束もあり出発することに。
運転中はシートに身体も収まっているのでわかりませんでしたが、40分ほどで目的地に到着、車を降りようとしたときに初めて猛烈な激痛が体中を貫きました。
右足を地面に出して立ち上がろうとすると、その痛みもさることながら、まったく力も入りません。
やむを得ず両足を外に出し、友人の手助けで両手を支えてもらいながら、数分間かけてやっとの思いで車の外に這い出すことができましたが、激痛は収まらず、支えがなければその場に立っていられないほどでした。

これでは歩くこともままならず、ゆっくりゆっくり腰を伸ばしてみると少しずつ痛みが収まり、それからゆっくりではあるもののようやく歩けるようにはなりました。立って歩くというかたちが定まってくると、なんとかそのことはできるようになるのですが、また座る/立つということになると、そのたびに脂汗が出るような痛みが腰から背中にかけて襲ってきました。

思いがけない水攻めに遭って、イナバウアーではないけれど、咄嗟によほどむちゃな身体が壊れるような動きをしたのでしょう。

その日はなんとか無事に自宅に帰り着きましたが、やはり最も厳しいのは車から降りるときでした。
車のシートは普通の椅子と違って深く座り、運転は腰に重心をかけているから、そのカタチがいったん固まると、今度は腰を伸ばすという変化が一番きついようです。車から降り立ったときは精も根も尽き果てたようでした。

一旦こういうことになると、日常生活も不便の連続で、何をするにも腫れ物にさわるような慎重な動きになってしまい、健康の有り難みをイヤというほど知らされます。
まあ、これが自分の腰ぐらいだからいいようなものの、例えば深刻な交通事故なども大抵は直前まで予想もしないような僅かなことが発端となって起こってしまうのだろうと思うと、あらためて気を引き締めておかなくてはいけないと思いました。

早く治って欲しいけれど、この手合は時間もかかるでしょうし、焦ってもどうにもなりませんね。
たかだか車の窓を拭くというだけのことが、えらいことになったものです。



2017/06/27 Tue. 02:05 | trackback: 0 | comment: -- | edit

稀有な出来 

ピアノのブログにたびたび車の話を書くのもどうかと思いますが、以前の続きでもあり、訂正でもあり、意外な発見でもあるようなことがあったのでちょっと書いておきたくなりました。
というか、車の話というよりは、モノの善し悪しを左右する微妙さや分かれ目についてのことと捉えていただけたら幸いです。

某辛口自動車評論家が自身の著書の中で、フォルクスワーゲン・ゴルフ7(7代目のゴルフ(2013年発売))の、1.2コンフォートラインというモデルを「ほとんど神」「全人類ほぼ敗北」という、あまり見たことのないような激賞ぶりだったので、そこまでいわれると、ちょっと乗ってみたくなってディーラーに試乗に行ったことを以前書きました。

評論家氏の表現をもう少し引用すると「1周間前に乗ったアウディA8(アウディの最高級車)にヒケをとらないレベル」「Aクラス(メルセデス)、V40(ボルボ)、320i/320GT(BMW)、アルピナB3(BMWのさらに高級仕様)、レクサスLS、E250/E400(メルセデス)、アストンマーティン(車種略)、S400/550(メルセデス)、レンジローバーなど2013年はいろんなクルマで往復5~800kmのロングドライブにでかけたが、ゴルフの巡航性はマジでその中でもトップクラス、疲労度は1000万円クラスFクラスサルーンとほとんど大差なかったのだから、全人類敗北とはウソでもなんでもない。」「実に甘口で上品なステアリング。走り出しも静かでフラットで、滑るよう。」「お前はレクサスか」というような最高評価が、単行本の中で実に16ページにわたって続きました。

俄には信じられないようですが、この人はベンツであれフェラーリであれ、ダメなものはダメだと情容赦なくメッタ斬りにする人で、じっさい彼の著書や主張から学んだことは数知れず、とりわけ今の時代においては絶滅危惧種並みの人です。

その彼がそれほど素晴らしいと評するゴルフ7とはいかなるものか、マロニエ君もついに試乗にでかけたのですが、結果はたしかに悪くはないけれど、その激賞文から期待するほどの強烈な感銘は受けずに終わったことは以前書きました。ただし、試乗したのがヴァリアントというワゴン仕様で、通常のハッチバックとはリアの足回りが異なり、ハッチバックとの価格差を縮めるために快適装備が簡略化され、そしてなにより全長が30cm長くて重心が高く、車重も60kg重いという違いがあったからではないか…とあとになって考えました。
クルマ好きなくせにずいぶんうっかりな話です。

そこで、ディーラーには申し訳なかったけれど、再度ハッチバックでの試乗をさせてほしいと申し入れました。
日時を約束して再び赴くと、某辛口自動車評論家が激賞したものと同じ仕様の、つまりワゴンではなくハッチバックの1.2コンフォートラインが準備されていました。助手席に乗ってシートベルトをした営業マンの「ドーゾ」を合図に慎重に動き出して数秒後、「え?」これが前回とはまったくの別モノなことはすぐわかりました。
前回「車の良し悪しというのは、大げさにいうと10m走らせただけでわかる」と大そう生意気なことを書きましたが、その動き出し早々、なんともいえないしっとり感、緻密でデリケートな身のこなし、ハンドル操作に対する正確無比かつリッチな感触など、車のもつあれこれの好ましい要素にたちまち全身が包まれました。

ディーラーの裏口からの出発だったので、細い道を幾度か曲がりながら幹線道路に出ましたが、その上質な乗り味は狭い道での右左折でも、ちょっとしたブレーキの感触でも、国道へ出てからの加速でも、すべてが途切れることなく続きます。

自動車雑誌も評論家も、昔のような歯に衣着せぬ論評をする気骨のある風潮は死滅しているのが現状で、誰もが誰かに遠慮して本当のことを書かなくなりました。いうまでもなく常にスポンサーの顔色をうかがい、本音とは思えぬ提灯記事ばかりが氾濫しているのです。
というわけで、現在では、この人の言うことだけは信頼に足ると思っていた某辛口自動車評論家だったのですが、第一回目のワゴンの試乗以来、もはや彼の刀も少々錆びてきたんじゃないか…という失望の念も芽生えていたところでした。

しかし、それは嬉しい間違いだったようで、さすがに「神」かどうかはともかく、なるほど稀に見る傑出した1台だということはすぐに伝わりました。価格はゴルフなりのものですが、これが何台も買えるようなスーパープライスの高級車の面目を潰してしまうような(走りの)上質感と快適性とドライビングの爽快さを感じられる稀有な1台であることは、たしかにマロニエ君も同感でした。
ボディは軽く作られている(現在の厳しい安全基準とボディ剛性を維持しながら、ゴルフのような世界中が期待する名車を軽く作るというのは、ものすごく大変なこと!)のに剛性は高く、小さなエンジンを巧みに使いながら、まったくストレス無しに軽々と、しかもしなやかさと濃密さを伴いながらドライバーの意のままにスイスイと走る様には、たしかにマロニエ君もゾクゾクもしたし口ポカンでもありました。

ついでなので、1.4ハイラインという、もう少し高級な仕様に乗ってみましたが、こちらは確かにエンジンパワーは一枚上手ですが、1.2コンフォートラインにあった絶妙のバランス感覚はなく、従来のドイツ車にありがちなやや固い足回りと、上質な機械の感触を伴いながらある種強引な感じでズワーッと走っていく感じでした。これ1台なら大満足だったと思いますが、1.2の全身にみなぎるしなやかな上質感を味わってしまうと、相対的にデリカシーに欠ける印象でした。

べつに無理してオチをつけるわけではないけれど、結局、車も楽器と同じだと思いました。
要は理想の設計とバランス、各部の精度の積重ねが高い次元で結びついた時にだけ、まるで夢の様な心地良いものがカタチとなって現れることが稀にあるということ。それは同じメーカーの製品であってもむろんすべてではなく、なにかの偶然も味方しながら、ときに傑出したモデルが飛び出してくるということでしょうか…。
濃密なのに開放され、奇跡的なのに当たり前のようなバランス、ストレスフリーで上品な感じは、まさに良い楽器が最高に調整された時に発する、光が降り注ぐような音で人々に喜びを与えてくれる、あんな感じです。


2017/06/15 Thu. 01:26 | trackback: 0 | comment: -- | edit

感銘の不在 

BSで録画しているものの中から、マリインスキー・バレエの『ジゼル』を見ました。

昔はチャイコフスキーの3大バレエを始め、ジゼルなどのクラシック・バレエはよくテレビでも放映されていた記憶がありますが、最近はもっぱら創作バレエ的な現代もののほうに軸足が移っていったのか、中には美しいもの斬新なものもあるけれど、マロニエ君にとっては30分見ればいいという感じで、古典の名作を落ち着いて見る機会が減ったように思います。

そういう意味でも『ジゼル』全2幕をじっくり見られるのはずいぶん久しぶりな感じでした。
ジゼルを踊ったのは、最近の顔ぶれはあまり詳しくないけれど、どうやら同バレエ団のプリンシパルらしいデァナ・ヴィニショーワ、アルブレヒトはパリオペラ座からの客演でマチュー・ガニオ。

ボリショイと並び称される伝統あるマリインスキー・バレエがホームグラウンドでおこなった公演とあって、それなりに期待したのですが、オーケストラを含めて(指揮もゲルギエフではないし)全体に印象の薄い、軽い感じで、現在のメンバーでそつなくこの名作を踊りましたという感じだけが残りました。

要するに他のジャンルと同じ傾向がバレエにも波及しているというべきなのか、みんな上手いし、決められた振付を難なくこなしてはいくものの、観る側に深い感銘というのが伝わってこないもので、器楽演奏でもオーケストラでも、なんでもがこういう流れに陥る時代が、ジャンルを超えて浸透しているということでしょう。

マリインスキー・バレエのジゼルならメゼンツェワの映像も残っているし、写真以外では見たことはないけれど、往年の名花であったイリナ・コルパコワもオーロラ姫の他にジゼルを得意としたそうですし、ボリショイの歴史にその名を残すプリマであったマクシモワもジセルがお得意だった由。
また、1980年代だったか、ボリショイの芸術監督であったグリゴローヴィチの舞台を、当時のNHKが集中的に収録したことがありましたが、あの時代のボリショイで女王のごとく君臨していたナタリア・ベスメルトノワが踊ったジゼルは、さすがに若いうぶな娘には見えなかったけれど、それはそれは濃厚で彫りの深い芸術そのものの踊りでした。
おまけに、それからほどなくしてボリショイの日本公演があって、ほぼ同じメンバーで実演のベスメルトノワのジゼルを堪能することができましたが、ずっしりとした百合の花のような踊りは他を圧して、一瞬一瞬が味わい深かく、しかも正統的かつエレガントであったのは一生忘れることはないと思います。

その点、今度見た新しいジゼルは、なにもかもが安く仕立てられた簡易製品のようで、みんな上手くてべつだん問題はないけれど、真にいいものに触れたときだけにある、心の深いところが揺さぶられて覚醒させられるような後味はまったく残りませんでした。
ミスもなく、テクニックもあり、決められた通りの振り付けを淡々とこなしていくだけで、別のキャストでもいいという感じ。

昔のままだったのは、マリインスキー劇場の、まるで王が引きずる豪奢な衣装のような緞帳だけでした。


何もかも安く仕立てられたということでふと思い出しましたが、辛口批評で評判のさる自動車評論家の単行本を読んでいると、7世代目に当たるVWゴルフを「神」とまでいって絶賛しまくっていたので、そんなにも素晴らしい現行ゴルフとはいかなるものか、将来の買い替えへの予備知識も兼ねて試乗に行きました。

工業製品としては、一部の隙もなく作られているし、今時のぶくぶくしたデザインではなくてカッコもいいし、さすがあれだけ褒めちぎるだけのことはあるらしいと、期待に胸を膨らませてスタートしました。
ちなみに、車の良し悪しというのは、大げさにいうと10m走らせただけでわかります。
もちろん悪くはありませんが、期待ほどではない。そこそこいいのですが、なにも「神」を引き合いに出すほどいいのかというと、それほどでもありませんでした。

試乗したのはヴァリアントというワゴンタイプで、辛口評論家が絶賛していたのは通常のハッチバックタイプでしたので、その差はいくらかあったかもしれません。助手席のディーラーの人に聞いてみると、ワゴンタイプのほうが重い荷重を想定してリアのスプリングレートが多少ハードに仕立てられているので、普段の乗り心地は若干固いとのこと。
また、エンジンは時代の趨勢によって「ダウンサイジング」といって、小さな排気量にターボを付けて、より大きな排気量のエンジン並にパワーとトルクを得ながら低燃費も両立するというもので、これがまた「1.2リッターとは思えない力」と書かれていたけれど、マロニエ君は正直いってあきらかに実用性の点からいってもアンダーパワーで「ちょっときついなぁ…」と感じました。

車のことをわざわざここに書いた理由は全体的な印象故で、実用車としての完成度、装備、パワーや燃費、ハンドリングなど、ひとつひとつの要素はよく出来ておりちゃんと時代の要求をちゃんとクリアされているけれど、全体からにじみ出る雰囲気にどうも安っぽさが隠せないというか、いかにも現代のテクノロジーで作られた、ギリギリによく見せようとした車という出自が隠せていませんでした。
見た目も立派だし、なかなかのグッドデザインでもあるけれど、製品から醸しだされる重みとか充実感、もう少し甘っちょろい言い方をするなら、かつてのドイツ車にあった、いいものだけがもつ有り難みとか作り手のプライドのようなものを感じるまでには至りませんでした。

この現代最高と評されるジゼルとゴルフに、なにやらとても残念な共通項を見た気がしたわけです。


2017/06/06 Tue. 01:55 | trackback: 0 | comment: -- | edit