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ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

プロバイダーの優劣 

いきなり笑われるかもしれないけれど、とうとう我が家も光回線というものに変更できました。

もともと固定電話の回線を使って始まり、それがいつしかISDNというものになり、さらに数年後にはADSLと言われるものに変わりました。
マロニエ君はこの道は、自分でも情けないほど「超」のつく苦手分野で、言葉や文字列のひとつひとつが何を意味するのか、違いは何かなども、ほとんどわかったためしがありません。

とりあえず時の流れで、勧められるまま人の手助けを借りながらに変更してきただけ。
今度は「光回線」というものが出てきて、それが主流になりつつあるらしいことは知っていましたが、まあどうでもいいやという感じでずーっとうっちゃってきたのでした。
しかし業界は放っておいてはくれないらしく、変更を促す営業の電話がやたらめったらかかってくるようになりました。
でもADSLでもいちおう問題もなく使えているのに、あえて慣れないものに変更するのがイヤで断り続けていました。

しかしそれで「はいそうですか」と引き下がるような相手ではなく、そのしつこさと言ったら並大抵ではありません。
平日が無理だと思ったら、今度は土日の夜なんかにまでかけてくるのですからたまったものではありません。
事務所にも同様の電話攻勢が絶えず、ついにそれに耐えかねた一人が「光にしたほうがいいのではないですか?料金も今より少し安くなるみたいだし…」と言い出したこともあり、ついに承諾することに。
ちなみに電話をかけてくるときは、だいたい「NTT」を名乗るか、あるいはそれに続いて横文字の名前を並べます。
だから、聞いている側はNTTもしくはそれに連なる子会社のたぐいと思うのは当然です。

承諾してからというもの、待ってましたとばかりに次々に郵便物が届き、差出人はよくわからない会社名だったりでしたが、まあよほど詳しい人でない限り、あまりの面倒臭さにまともに読む気にもなれません。

さて光回線にするには線を引き込む工事が必要となり、あれだけ電話してきてすぐにでも!という感じだったのに、いざその日取りを決めるとなると10日先2週間先という具合で、まあこちらとしても急いでいるわけでもないので待つことに。
当日工事に来たのはまぎれもなくNTTで「フレッツ光」とか言っているので、ここでもメインはやっぱりNTTだと思ってしまいます。

ところがあとでわかったのですが、工事自体はNTTでも、電話をかけてきたのはプロバイダーへと振り分ける仲介業者だったようで、さらに営業マンがやってきてあれこれ有利で最安となるプランを提案したのは、こちらが選んだわけでもないプロバイダー会社の営業マンでした。
もうなにがなんだかわからない!!!

実はこれ、少し前の話で、初めての光通信というものが我が家でスタートしたのが昨年の9月でした。

マロニエ君は何度も言うようですが、この分野は最も苦手でその理解力対応力はまさに老人並なのですが、それでもADSLから光回線になれば、グッと速度も上がるのかと期待していました。
通常のメールや調べものではまったく痛痒はないものの、YouTubeの動画などでは、反応が遅かったり映像が途切れたりということがあったので、そういうことからも一気に解放されるものだと思っていたのです。

ところが光回線がスタートしてみると、特段に早くなったというような印象はなく、なんだあまりかわらないじゃん!とガッカリ。
それどころか、使ううちにわかったことは日によって時間帯によって通信速度は絶望的に遅くなりだし、ひどいときはただYahooのトップページを開くにも数分かかるといった有り様で、光どころか最も初期の電話回線より劣るような印象。

これでは話にならないし、まったく使いものにならないと、さすがのマロニエ君も少し頑張りました。
今どきなので、ひとつの会社に電話するだけでも、すぐ人と話せるわけではないので、あちこちやっているとこれだけで半日ぐらいすぐにかかります。これを数日やっていると、だんだん見えてきて、プロバイダーが原因だというのがわかりました。

ネットでその会社名を検索すると、その評価は惨憺たるもので、中には「最も契約してはいけないプロバイダーのひとつ」とあり愕然となりました。
もちろん、その会社にも何度も電話しましたが、結論から云うと打つ手はないらしく、これで我慢するか、解約して別会社と契約するかの二つに一つ。しかも解約するには規定により「解約料」なるものが発生し、そんなものはぜんぜん納得出来ないけれど、それでもなんでもこのままよりはいいと思って解約することに決意!

一方、新しいプロバイダーはとにかく有名な大手がいいという友人のアドバイスもありそれにしました。
その結果は、「今までのあれはなんだったの?」と思うほどスイスイと繋がり、いらいこの手のストレスから解放されました。
おまけに建物内はすべて電波が行き届いて、みんなが幸せ、こうも違うものかと思うばかりです。

プロバイダー選びというのはいかにピンキリで重要なものか、しっかり勉強になりました。
みなさんくれぐれも気をつけてくださいね。

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2018/02/12 Mon. 13:07 | trackback: 0 | comment: -- | edit

イヤな光景 

イヤな光景を目にしました。
先日の平日夜9時過ぎのこと、ショッピングモールに買い物に行って、本屋に立ち寄った時のことでした。
雑誌を立ち読みしていたら、わずか3メートルぐらい先になんだかちょっと違和感を感じました。

人同士がペタッとくっつき合ってほとんど声も出さずにしきりになにかに集中しているようで、どうも小学校高学年~中学生ぐらいのまだ背が伸びきっていないひょろっとした女の子と、ほぼ間違いなくその両親と思われる3人。

女の子を中心に、両親と思われる2人が女の子に対して直角に夫婦が向き合うようにして肩が触れ合わんばかりに立っており、要するにこの3人は上から見ればコの字型を作っていました。
母子はなにかヒソヒソ言っているけれど、お父さんらしき人は終始無言。
女の子の手にはスマホがあり、カシャッ、カシャッ…とカメラのシャッター音がこちらまで聞こえてきます。

何をしているのだろうとつい見ていると、お母さんらしき人が手に本を持ち、娘がそれを写すたびに手早くページをめくるという連携プレイであることがわかりました。
左右を固める両親に守られながら、女の子は無表情にひたすらシャッターを押し続け、おおよその印象だけれど10ページぐらい撮影した感じでした。
両親は、本来とは違う意味でのまさに保護者であり協力者、いや悪行の仲間というべきか。

それが終わると固まっていた3人はサッとばらけて、本を持っていたお母さんにいたっては、その本を平積みの棚にポンと軽く放り投げるように置きながら、もう用は済んだとばかりにその場を後にしました。

売り物の本を買わず、必要なページだけを撮影していることは明白だったので、こちらもついイヤな気分になって、こっちに向かってくる3人の顔を遠慮なく正視してやりました。
娘とお父さんはややうつむき加減で通り過ぎましたが、お母さんはマロニエ君の視線に気づいたけれど、一切表情を変えることはなく、普通の声でどうでもいいような雑談をしながらこちらの横の通路を通り過ぎて行きました。

そこは、参考書のコーナーらしく、遠目に「英語」という文字は見えましたが、どんなものかわざわざ近づいて確認する気にもなれませんでした。

でも、本屋の商品である本の中をスマホで撮影するというのは、いわば「情報の万引き」です。
そんな不正行為そのものもむろんどうかとは思うけれど、そんなことを両親が我が子にやらせる、あるいは子供がそうするといったのならそれをせっせと手伝うというのは、激しく不愉快な気持ちになりました。

しかもいかにもそんなことをしそうな感じはなく、どこにでもいそうな普通の善良な市民といった感じの3人であったことが、よけいやっていることとのギャップがあって凄みを感じました。

思春期という最も多感な時期に、子供にそんな犯罪に近いようなことを平然とやらせる両親。
そんな調子では、まともな教育もしつけもあったものではないし、その子がどんなずるい手を使ってでも、自分の目先の利益を追い求めるようなことをしても、なんの抵抗感もないような人間になってしまうのは当然だろうなと思いました。

スマホのカメラもきっと画素数も多くて、拡大にも十分堪える写真が取れるのだろうし、まさに便利で高性能な機械も使い方次第というところ。
昔なら007に出てくる産業スパイのような行為でした。


2018/02/07 Wed. 03:42 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ある日突然 

つい先日のこと。
固定電話(しかも事業用)が突然つながらないみたいですとのことで、あわてて受話器をとってみるも、ツーツーツーという話中のような信号音がするだけで、ダイヤルを押しても発信もなにもできません。
携帯からその番号にかけても、まったく音がしないか、「繋がりません」のアナウンスが出るかのいずれかで、要するに電話がまったく使えない状態になっていることがわかりました。

はじめは電話機そのものの故障かと思い、ACアダプターの電源を抜いたり入れたり、通信のほうの線を外しては差し込んでみるなど、いろいろ試みましたがまったく変化ナシ。
もしやと思って、もうひとつの電話も確かめてみるとまったく同じ状態で、これはもはや電話機の問題ではないことは明らかでした。

事業用の電話はいわばビジネスの命綱のようなものなので、これはただごとではないのです。

そこですぐにNTTに連絡しようと、ネットで電話番号を調べてみますが、今や時代が違います。
ご多分にもれず、近ごろはなかなか電話番号が記載されておらず、一刻を争う緊急時にサイトの中をイライラしながら探してまわらなくてはなりません。
現代はどこもだいたいこのパターンで、ようやく電話番号らしきものが見つかってダイヤルしても、まずは決まりきったバカバカしいアナウンスを延々と聞かされて、その後ようやく指示に従って該当する番号を押したり♯を押したりして、やっと繋がるかと思ったら「ただいま、電話が大変込み合っております。恐れ入りますがこのままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直し…」となって、こんなときに湧き上がる嫌悪感は並大抵のものではありません。

しかし、固定電話が繋がらないとあっては、仕事に差し支えるためなにがなんでも復帰させなくてはならず、ガマンして待ち続けました。10分ほど待ったころ、ヘンな音楽はやっと呼び出し音に変わり、続いてようやく人間の声が聞こえました。
ここまでくるだけでも大変です。

すぐに状況を説明すると、「恐れ入りますが、故障係のほうにおかけなおし下さい」となり、その番号を聞いてかけると、またアナウンスが始まり「なお、この会話は品質向上のため録音させていただいております」から聞かされ、さらにアナウンスは延々と続きました。
あげく、やっとわかったことは、90秒以内に故障の内容と連絡先を、練習もなしに声で喋って、一旦電話を切り、先方から連絡があるまで待たされるというシステムで、まずこれに仰天しました。

しかも、「折り返しのお電話までには2時間以上お待ちいただくこともあります」といったのには、ほとんど頭がクラクラしそうになりました。
そもそも、電話が故障して使えないのに、こういうシステムをとるとはいかなることか。
NTTなのに故障ようにも、一向に人と話ができない。
たしかに現代人はたいてい携帯電話を持っているので、最終的に連絡はつくかもしれませんが、どうにも納得できません。

1時間ほど待っても連絡はなく、これが家庭用電話ならまだしも、仕事にも差し支えがでているので、また別の0120を探しだして、同じアナウンスを聞いてやっとオペレーターにたどり着き、状況を説明して「大至急連絡をとってほしい」と頼みました。
ようやくこちらの熱意が伝わったのか、それからほどなくして修理の担当者から連絡はありましたが、曰く、いま最も早い訪問でも明後日になりますというのには、ひっくり返りそうになりました。

それでは困るという事情を必至に説明した結果、さらに1時間後についに修理担当の人がやって来ました。
それから30分ほどあちこちを調べた結果、外部の線が老朽化して接触が悪くなっているということで、直ちに応急処置となりました。
老朽化した線は建物外、すなわちNTTの管理下にある部分で、完全にこちらの責任外で発生したトラブルでした。

ともかくその日のうちに電話はなんとか復旧しましたが、こんなことってあるんですね。
2018/01/29 Mon. 02:26 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ドラマみたいな話 

つい先日のこと、友人から「本当にそういうことがあるのか…」というような話を聞きました。

その友人が昔勤めていた企業に、同郷で高校も同じということで親しくなったAさんという先輩がいたことは聞いていました。
後年、それぞれ別の理由で退社したものの、個人的な付き合いは続いて、たまに呑んだりメールのやり取りをするなどで近況を知らせ合っていたといいます。

Aさんは少し変わった家庭に育ち、若い頃から学業の成績などにかなり強くこだわる両親のもとに育てられ、幸い成績もよかっため就職までは順調だったようですが、その後、ある女性と出会って結婚を決意することに。
ところが両親の猛反対に遭い、Aさんの胸中には家族内に流れる偏った価値観に嫌気がさしていたのか(どうかはわかりませんが)、それが引き金となって親きょうだいと決別をしてしまいます。

その女性は、Aさんの両親の求める息子の結婚相手としての条件を満たしていなかったことが原因のようで、それがどうも学歴に関することだったらしく、Aさんとしても長年蓄積された思いもあったのか、ついに堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
実家とは、事実上の絶縁状態に突入したそうです。

住まいも変え、勤め先も変えてその女性と結婚する道を選び、その後二人の子供にも恵まれ、しばらくは穏やかな日々が続いたようですが、その子らが受験や就職をするころになって、ある出来事が起こります。

単身赴任中、理由はよくわからないけれど、そうまでして一緒になった夫婦が不仲となり、それがこじれにこじれてお互いに修復できないところまで発展。
Aさんは、せっかく建てた家にも帰らなくなるほどの確執となり、その方は次第に精神的にも追いつめられ、とうとう会社まで辞めることに。

そのころ、友人の携帯には連日のように悩みを訴えるメールが届き、友人は困惑と同情の狭間で、せっせと励ましの返信を送り続けていたようでした。
Aさんは苦痛と孤独に苛まれるも、非常にプライドの高いところがある男性で、むかし席を同じくした同郷の後輩が唯一の心の拠り所だったのかもしれません。
そのメールの往来は、実に数年間、数百に及ぶ膨大な数に渡るもののようで、当時からマロニエ君もそのAさんから送られてくるメールのことは折りに触れ聞かされていました。

Aさんは会社をやめ、やがて故郷に戻ったものの生活にも困窮することになり、ついには疎遠だった実家にも救いを求めたようでしたが、それもうまくはいかなかったようでした。
その頃になると、ほとんど毎日のように自分の思いを綴ったメールが届き、友人も大いに同情はしつつも、いささか持て余し気味といった様子でしたが、それでもAさんの窮状を察してメールを返していたようです。

この頃になると、友人もその先輩のことがいつも気がかりで心の負担にもなっていたようですが、どうすることもできずひたすら励ましのメールを送ことを続けていました。

それが数年前のあるときから、ぱったりメールも来なくなり、連絡が取れなくなったようでした。
友人は自分が何か悪いことを書いたんだろうか?などとずいぶん悩んだ挙句、もしかしたら悪いことが起きているのではないかとまで思うようになり、事実を知るのが怖くなり、ついに連絡は完全に途絶えてしまい今日に至っていたようでした。

ところがごく最近のこと、NHKの『ドキュメント72時間』という番組内で、友人はちょっとした群衆の映るシーンの中にAさんの顔を見出したのです。
どの回というのは控えますが、たまたま年末にまとめて放送されたものを録画していたらしく、まさかと驚いて何度も繰り返し確認したそうですが、その中にまぎれもなくAさんが映っていると確信が持てるに至り、友人の安心した様子と言ったらこっちが驚くほどでした。

どうやら友人はよほど心配していたようで、万一最悪の事態まで考えてしまうこともあった由で、ともかくも健在であることを確認することができて安心し、数年ぶりで携帯のショートメールにメッセージを送ってみたところ、翌日Aさんからすぐに電話がきたそうです。
パッタリ連絡がなくなったのは、携帯を紛失してしまい、そこに入っていた連絡先のすべてが失われたため、電話もメールもできなくなったということでした。

テレビドラマなどでは、偶然テレビ画面の中に犯人や失踪した人間の顔が映るというようなシーンを見たこともありますが、現実にそんなことがあるなんて、ただもうびっくりでした。
Aさんはなんとか頑張っているようで、まずはなによりでした。


2018/01/19 Fri. 02:15 | trackback: 0 | comment: -- | edit

静かな変化 

今年の元日はとくに予定もないから、せめて普段の昼間できないことをやろうと洗車をしました。

我が家のガレージはいちおうシャッターで閉じるため、車が直射日光や風雨にさらされることからは免れていることもあり、洗車はだいたい数ヶ月に一度しかやりません。
洗車したのは趣味で所有しているフランス車で、この車には昨年8月に巷で流行りの「ガラスコーティング」というのを施工していたのですが、考えてみたら施工後初の洗車でした。

驚いたことに、拭き上げ時のウェスの感触がそれ以前とはまったく異なり、まさにガラス質の保護膜が塗装面を固く覆っていることが、指先の肌感覚でわかりました。
施工店の説明では、施工後は水洗いのみでOKということだったけれど、それは半分聞いておいて、マロニエ君としては害のない程度の軽いケミカルぐらいは使うつもりだったけれど、途中からそんな小細工がまったく必要ないことがわかりました。
水分を丁寧に拭き上げてみると、いかにもガラス質特有のシャープな輝きがあらわれて、これはすごいと感心させられました。

ガラスコーティングというのは従来のフッ素コーティングなどと比べると若干高価ではあるけれど、じゅうぶんそれだけの価値はあると実感したところです。

ガレージといえば、マロニエ君宅のガレージは、向いの巨大なマンション駐車場の出入り口と道を挟んで向き合っている恰好なのですが、そこには相当数の車があり、朝夕ともなると、めまぐるしいばかりに次から次に車が出入りし、入口のパイプ式シャッターはあまりにも間断なく上下動を繰り返すものだから、ときどき故障してメンテナンスの人が何時間も奮闘している姿を見かけるほどです。

ところが、元日の午後はというと、ここを出入りする車はウソみたいにほとんどなく不気味でさえありました。
いかにお正月とはいえ、そのあまりの静寂は異様としかいいようがなく、みなさんなにをしているのかと首をひねるばかり。

どこもかしこも昼間から酒盛りというわけでもないでしょうし、老若男女が暮らすあまたの世帯がびっしりとひしめき合っているのに、物音一つしないその雰囲気が数時間続くさまは、さながら戒厳令でも出ているようでした。

考えてみれば日本のお正月というのは一種独特なものがあって、このときとばかりに家族が集まり、そこにはゆるやかな閉鎖性と排他性が漂い、どこか神聖ささへ帯びているあたり、この時期は友人知人といえども、連絡はなるたけ慎むべく自然に気を遣い合っている感じがします。

そんな日本の伝統的なものと、マンションという居住形態がいよいよ人々を外に出さなくなっているのだとしたら、なんだか少し薄気味悪い気さえしました。
マンションといえば思い出しましたが、友人がニュースで耳にしたという話ですが、最近流行りの高層を誇るタワーマンションは、そのいかにも最先端的かつスタイリッシュな外観とは裏腹に、住人のひきこもりを助長しているという調査結果があるのだそうで、へええと思いました。

玄関のドアを開ければそのままひょいと外に出られる一戸建てと違って、何をするにもいちいちエレベーターを呼び寄せ、他人と一緒になったりならなかったりしながら数十メートルの上下移動を必ずしなくてはならないし、さらにはなんらかのセキュリティを通過して行くとなると、たしかに外出も知らず知らずに億劫になるだろうなあと思いました。

また別の友人の話によると、今どきは奥さんも子供もあまり外には出たがらず、いつも自分が旗振り役になって外に連れ出すのだそうで、とくに外に出たくもなく行きたいところもない由で、これにはびっくりでした。
昔は仕事で疲れてゴロゴロしたいお父さんの背中を揺さぶって、どこか連れて行ってと子供からせがまれ、しぶしぶ起き上がるというのがありふれた光景でしたが、今はもうそんなことはなくなってしまったようです。

そういえば、いつ頃からだったかはっきりはわからないけれど、一家で外出している中でもお父さんのテンションがひときわ高く、一番張り切っているような光景を目にするのが珍しくないようになりました。
なんだかいろんなことが少しずつ変わっているんですね。

2018/01/06 Sat. 23:33 | trackback: 0 | comment: -- | edit

釈然とせぬまま 

早いもので、今年も残すところ2日となりました。

来年はどんな年になるのか、正直を言うと近年あまり明るい希望を感じなくなりました。
むしろ不安要因のほうを多く感じるのは、現実にそういう世の中になってしまっているのか、あるいはマロニエ君のものの見方・感じ方がマイナス思考になっているのか、そのあたりは自分でも正しいところはわかりません。

国際情勢もそのひとつで、某国のミサイル開発が進んでより深刻さを増すとの話もあり、わけても周辺国にも火の粉が及ぶのは御免被りたいもの。
とくに日本は地政学的にもあまりに近い距離にあるし、なにか起こったとなれば、その距離からいってもまったくの無傷というわけにはいかないだろうと考えると、やはり不安は募ります。

どうもここ最近の世の中というのは、あらゆることに安定感というものを欠いている気がしますし、そんな時代に生きている私達も、それを常に感じているためか昔のように無邪気ではいられなくなりました。


最後の最後まですっきりしなかったのは、鳥取巡業中に起きた日馬富士の暴行事件に端を発する、貴乃花と相撲協会との対立問題でした。
これは当初の予想を遥かに超えて、非常に根の深い問題が底流にあるようで、とても簡単には決着しない様相ですね。
28日に行われた臨時理事会では「降格」という結論に達し、年明け4日には評議会にかけられて処分が決定するというもので、一般人の感覚ではまるで釈然としません。

貴乃花が降格だというのなら、事件の現場にいて暴行を止めず、日頃からルール違反ばかりやらかす白鵬にも、あるいはそもそも暴行事件を起こした横綱をそもそも選出した横審も、さらには最高責任者である協会理事長も、各々重い責任が問われてしかるべきでは?

マロニエ君の個人的な印象でいうと、貴乃花はおよそ現代人の感覚からはかけ離れた、いわば江戸時代のストイックな武士が突如として現代に隔世遺伝してきたような人だということ。
とりわけ相撲に関しては徹底した信念のもと、崇高で精神的なものを尊び、そのためには不利な戦いをも辞さない。
損得では決して動かず、世俗的な慣れ合いや堕落を徹底して嫌悪し、それらを容赦なく糾弾するタイプ。

こうと決めたら微動だにしない信念を貫き、孤独に徹し、黙して語らぬその姿はまるで山本周五郎の作中人物でも見ているようです。

いっぽうで、協会は金権力と特権と慣れ合いにどっぷり浸かった肥満組織で、貴乃花の存在は煙たくて、鬱陶しくて、苦々しくて、今流に言うなら超ウザイ存在なのだと思います。
彼には、世間一般でよくある融通とか貸し借りの感覚などもまるで通じず、組織からすればこんなジャマ者はないわけで、ましてやその人物が現役時代の取り口さながらに自分たちめがけてガチンコで挑みかかってくるのだからたまったものではなく、小池さんではないけれど、組織としてはなんとしても「排除」したいのでしょう。

解釈はいろいろかもしれませんが、警察に被害届を提出しながら協会に報告しなかった、協会の事情聴取に対して協力的ではなかったという、このヤミ多き事件全体から見ればほんの一部分をもって処罰の根拠にするあたりは、マロニエ君の目には、都合の悪い反乱分子がほんの微罪でひっくくられてしまうような陰惨な印象が拭えません。

白鵬には遠慮してなんら実効性のある処罰を言い渡すことのできない弱腰の協会が、目障りな貴乃花に対しては、被害者側の親方であるにもかかわらず、断固として処罰対象にされ、今回の事件関係者の中で最も重いとされる処分を与えるというのは到底納得の行かないことでした。

はてさて決着はいつになることやら、テレビでは「もうこの話題はウンザリ!」などという人もいるけれど、マロニエ君には久々に目の離せぬ真剣勝負を見せてもらっている気分で、集団イジメでしかないお偉いさん達のほうがよほどウンザリです。
なんだか以前も似たような組織があったと思ったら、ああそうか…かつてのドン率いる東京都議会でした。


最後にピアノの話題でいうと、ちょっと奇異に感じたのは、12月の中旬からクリスマスぐらいのわずか10日ほどの間に、民放BSで1回2時間におよぶ辻井伸行のドキュメントがゴールデンタイムに実に3回も!(内容は異なる)放送されたこと。
彼が天才であることは間違いないし、クラシックのピアニストを主役とするドキュメンタリーが作られることはピアノファンとしては嬉しいことではあるけれど、辻井さんばかりがこれほど別格的に取り上げられるのは、いささか過剰なのでは?
なんだかとっても不思議でした。

明日は大晦日。
良いお年をお迎えください。
2017/12/30 Sat. 02:54 | trackback: 0 | comment: -- | edit

パソコンは怖い 

まったく理由のわからないまま、メールソフトが不調となり、あれこれと格闘している合間に、多くの大事なデータが、一瞬のうちにごっそり消えてなくなりました。
こういうとき、パソコンというものが、なんという冷血漢だろうかと思い知らされます。

なぜそうなったのかもわからないし、マロニエ君にはきっとこの先もわからないでしょう。
過去にも何度かパソコンの怖さを経験していたにも関わらず、バックアップをきちんと取っていなかったために回復は望めそうにもない気配が濃厚で、目の前が真っ暗になるほど落ち込んでしまいました。

この手のパソコンの事故やトラブルは、いわば机の引き出しや本棚がとつぜん魔法のようにパッと消えて無くなるようなもので、心底イヤなものです。

記録に関する大事なものが前触れもなく消えてなくなるというのは、精神的にもかなりのストレスで、例えは悪いかもしれませんが、まるで自分の身体か脳の一部が失われるような、取り返しのつかない消失感を味わわなくてはなりません。
まさに残酷物語。

バックアップにはいろいろな方法があるらしいですが、なにしろその手のことがからきしダメなために、つい安全対策が後手に回ってしまったわけで、この手のことに詳しい方からみれば自業自得ということになるのでしょうが、出るのはため息ばかり。

そのメールソフトも完全回復には至らず、受信のみ回復したものの、送信はいまだできず別の方法でなんとかこの苦境を切り抜けているところですし、そもそもなぜそうなったのかさえわからないところが更に救われません。

これだけネットやなにかが発達し、今やそれを前提とした世の中になっているのに、メールの設定などはもう少し単純簡潔にはいかないものかと思います。
さらに勝手なことを言わせてもらうなら、これほど急速に高度な技術が進んでいるのであれば、自動的にバックアップもしてくれるような技術もそろそろ開発され、端末に搭載されてしかるべきではと、怒りと落胆のあまり勝手なことを考えてしまいます。


2017/12/22 Fri. 18:01 | trackback: 0 | comment: -- | edit

炊飯器 

数年ぶりに炊飯器を買い換えました。

これまで使っていたものは、ごく基本的な機能をもつだけのタイプでしたが、何年か使っているうちにだんだんご飯がボサボサした感じになり、あまり美味しくなくなってきたため、そろそろ買い替え時かなあと感じはじめていたところでした。

電気製品なのに、だんだん美味しさが落ちてくるというのは、その前の炊飯器も同様だったので、長く使っていると炊きあがりの変化に関わる何らかの劣化がおこってくるのかと思いますが、ただ電気でお米を炊くだけの機能に、なにが作用してそうなるのかまったくわかりません。
電気の抵抗などが増えて、火力が落ちてくるのか…なんだろう。

もとより修理するようなものでもないから、こうなると必然的に買い替えということになります。

というわけで電気店の炊飯器の売り場に行ってみると、これがもうピンキリの世界でわけがわかりません。
どのメーカーを選ぶべきか、どの価格帯にすべきか、そもそも1万円と5万円以上の機種では何が違うのか。

いちおう価格帯として最低ランクを買う気もないし、かといって最高ランクを買う気はさらにありませんでしたから、なんとか中間地帯でコストパフォーマンスの高そうなモデルを選びたい。
まさにこういうのって、日本人的中庸を欲する感性だなぁと我ながら思いました。

メーカーもタイガー、パナソニック、象印、東芝などの他、昔はなかったアイリスオーヤマなどがあり、どれがどうなのかまったくわからないし、何の違いで価格が違うのかも謎。
そうこうするうちに、迷って困惑しているマロニエ君の姿を観察していたのか、絶妙のタイミングで店員さんが近づくなり「炊飯器をお探しですか?」と話しかけられました。

普通なら店員さんが寄ってくるのはうるさいと感じるのに、このときばかりは折よく質問相手が現れたという感じで、さっそくオススメのメーカーなどをきいてみると、人気があるのは△❍△あたりですかねぇ…という感じでしかなく、やはり聞き慣れたメーカーが定評があるらしいということがわかりました。
とはいっても、今どきの製品なので、メーカーによる差というのはそれほどないような口ぶりでした。
では、価格帯の差は何なのか。

それは主に内釜の構造や使われる素材、あとは火力や多様な制御によるものという感じで、たしかに説明だけ聞いていると高いほうが美味しく炊けるらしいということはわかったけれど、それが実際にどれほどの差になるのかはわかりません。

で、その場ではとてもではないけれど判断できないことを悟り、すぐ購入することはせずにカタログをもらって一旦帰宅、ネットの評価などを数日かけて調べました。
それによると、高価な機種がいちおう高い評価を得てはいるものの、中には1万円台の機種でも高評価のものがあったりして、絶対評価なのか、あくまで価格を分母に置いた評価であるのかはよくわからない。
実際に店頭でモデルごとに炊いたご飯を試食した人などの意見では、「ほとんどその差がわからなかった」というものがいくつかあり、機能はともかく、数万円の差が必ずしも美味しさという結果に正比例するわけでもないらしいことがわかりました。

その結果、ずいぶん悩んで象印の圧力IH炊飯ジャー「極め炊き」という、3万円台の機種に決定しました。

以前の炊飯器に比べると、ずいぶん立派で重く、サイズも大きめで色はブラウン調で堂々としていますが、はたして炊きあがりはどうかというと、美味しくないことはないけれど、宣伝文句ほどのものとも思えなかったというのが正直なところでした。
炊き方も、やたら種類があり(49種!?)どれを選んでいいのかわからないほどあり、使いこなすことは簡単ではないように感じます。

前のくたびれた炊飯器と比べたら美味しいのは確かだけれど、販売員の説明やカタログにこれでもかと踊る説明ほど美味しいかというと、それほどのものでもない印象。
もしかしたら、自分にとっての最適な炊き方をまだ探しきれていないのかもしれませんが…。
むろん後悔はしていないけれど、あまりに謳い文句が華やかでそのぶん期待大だったから、少しがっかりだった面があることも事実でしたが、冷静に考えればこれで十分です。

2017/12/17 Sun. 02:18 | trackback: 0 | comment: -- | edit

袋だけブランド 

以前から不思議で、そこにいささかの違和感を感じることがあるので、思い切って書いてみることに。

人様からのいただきものに対してどうこう云うことは、厳に慎むべきことことだと重々心得てはいるけれど、今回はその中身ではなくそれを入れてぶらさげる小袋のお話。
一部の女性方に共通した特徴として、なにかを頂きものをするとき、小型でつるつるした紙の、いかにもの高級ブランド名などが記された紙袋へわざわざ入れて渡されることがあります。

むろんその中身と袋は縁もゆかりもないもので、派手なブランド名ばかりが却って悲壮的に目立ち、たんなる袋とはおよそ言い難い強い主張をしているように感じられることがあります。
さりげなく(とも思えないけれど)そういう高級ブランドの袋を「実用」として使うことに、なんらかの意味が込められているのか。
入れる袋がなんであれ、そもそも何かを頂戴すること自体がありがたいという原則は決して忘れてはいないつもりだけれども、敢えてマロニエ君の感性からしてみれば、やはり自ずと中身とかけ離れない範囲の入れ物というのはあるはずで、そういうところにも送り手の価値観やセンス、もっと厳しくいうなら教養が出るものだと思ってしまうのです。

あくまで一般論としてですが、内容に対して過度に高級ブランドのような容れ物の組み合わせというのは、いくら「ただの容れ物、ただの袋」という前提だとしても、もらう側の心の中の違和感まで消すことはできないし、そもそもセンスよろしきこととは思えぬものがあるのです。

もはや死語かも知れませんが、日本には謙譲の美徳という精神文化があり、自分のことや人様に差し上げるものは、ちょっとへりくだるとか引き下がった表現をしながら、慎ましく差し出すという美意識があったように思います。

ところで、その誰でも知っている高級ブランドの袋の中はというと、たいていごく普通のなんということもないものであったり、箱入りみやげからさらに小分けしたお菓子類の詰め合わせであったりして、旅行に行って「これ、少しですけどおみやげです!」なんぞと言われると、そういう袋であることが逆に目につき、ついつい変な感じがしてしまいます。
むろん、表向きは丁重にお礼を言ってありがたく頂戴はしますが…。

これを、本当にただの袋として純粋に利用しているだけというのであれば、逆にスーパーのレジ袋でもいいわけですが、この手の人達は決してそういうものはお使いにならないし、果たして単なるおみやげなのか、そのついでにやりたくなる自己主張でもあるのか、どっちが主役なんだかよくわからない気分になります。

マロニエ君なら、むしろ質素な袋などに、実はちょっとイイものを入れて差し上げるほうがよほど粋ってものだし、そのささやかな意外性をつくところで相手の感謝も深いものになると思うんですけどね。

べつに空港で売られているおみやげ品の箱から小分けされたパンダのチョコであれ、パイナップル饅頭であれ、ごく少量のハーブのティーバッグであれ、ご厚意そのものは素直にありがたく思いますが、それをわざわざバカラだティファニーだというような派手な紙袋に入れて相手に差し出すという感覚は、自分だったら絶対にしないというか、意識的に慎むと思うわけです。
だって、そういうことが一番貧乏くさいし、中身も実際以上にショボい印象になりますからね。

実際この手の袋をお使いになる方に限って、中身はむしろ厳しくセーヴされた痕跡が見受けられたりするもので、その甚だしいギャップに苦笑が漏れることもすくなくありません。

ご当人としては、自分は日頃からそういう一流ブランドをよく利用するから、適当な袋となるとついこうなっちゃうだけ…というさりげなさのつもりなのかもしれませんが、そこにむしろ計算された自己顕示がにじみ出ています。
マロニエ君はこの手のブランド小袋でいただくと、自分で使うことは絶対に無いので、申し訳ないけれど即ゴミ箱行きです。
そんな即ゴミ箱行きの人に使うのではいかにももったいなから、別の人に使ってくださればいいようなものですが、まさかそれを言うわけにもいきませんからね。

ちなみに、マロニエ君の知るかぎりでは男性でこれをする人はただのひとりもいません。
べつに男性がそういう細かい気が回らないなどとは思わないし、細やかさでいうなら女性のはるか上を行く男性を何人も知っていますが、なぜかこのパターンだけは女性だけの特徴のように思います。

こういう袋をわざわざ取っておいて、いざというときの小道具として使うというのも、考えてみれば手間ひまかかる自己演出だろうとお察しします。


2017/12/04 Mon. 02:03 | trackback: 0 | comment: -- | edit

シン・ゴジラ 

昨年大変な話題となった映画『シン・ゴジラ』が地上波で放映されたので、どんなものかと思い見てみました。

さすがに新しく作られただけのことはあり、随所に現代流に置き換えられた新しさはあったけれど、ゴジラという映画の後味としてはなにかすっきりしないものが残ってしまう、どこか腑に落ちないところを含んだ作品だった…というのがマロニエ君個人の感想です。

簡単に言うと、もう少しストレートにわくわくしながら楽しめる映画であってもよかったのではないかと思うのです。

これがまったく白紙から出てきた映画ならともかく、我々日本人にとってゴジラ映画は子供の頃からずっと慣れ親しんだ存在でもあり、そのイメージを払拭することは良くも悪くもできません。

過去にはなかった凄まじい迫力をもったシーンのいくつかで、さすがは最新版らしく観る者をアッと驚かす部分もあるけれど、あちらこちらでコストカットされた薄っぺらさも感じてしまうあたりは、今風にしたたかに計算された感じもうっすら出てしまっている気がしました。

最大の理由として、その一番の主役であるはずのゴジラが出てくるシーンが、あまりに少なかったような印象だったのですが、他の人はどうなんだろうと思いました。
ゴジラ=破壊シーンとなるのは必然でしょうから、それを増やすとなればコスト増にも繋がるのかもしれないけれど、とにかくゴジラのシーンより、それを迎え撃つ側の若手俳優陣が目を吊り上げて、忙しくセリフ合戦を繰り広げる場面がメインのようで、ときどき思い出したようにゴジラがちょちょっと出てくるという感じ。

もっとも気にかかったというか、ゆったり楽しめなかった最大の原因は、ほとんどすべての出演者が競い合うように猛烈なスピードでお堅い言葉のセリフをまくし立てるばかりで、まるで耳がついていけなかったこと。
むかしのゴジラのどこかのんびりした感じを排し、よりリアルに、政府や関係者たちの切迫感をシャープに描きたかったのかもしれないけれど、あれはいくらなんでもやり過ぎというもの。
大人から子供までだれもが楽しめる作品ということになっているらしいが、あの早口言葉の洪水のような難しいセリフをほぼ2時間聞かされて、それについていける人など果たしてどれだけいるのかと思うばかり。
もしや、これはほとんど聞かなくてもいいセリフなのかもと思いましたが、それにしてはそのセリフのシーンの多いこと多いこと。

映画を見る上では、セリフを理解しながら進むということは基本だと思うけれど、それがまるでビデオの早送りのように高速でせわしなく、あまつさえ一度聞いてもわからないような特殊用語や専門的な言い回しの連続で、まずその聞き取りに集中するだけでも「楽しむ」どころか追い回されるようで、エネルギーをえらく消耗させられてしまうようでした。
これだけですでにぐったり疲れてしまい、映画の面白さが半減でした。

東京にゴジラのような大怪獣があらわれたのだから、その対策に当たる関係者が一様に大慌てで緊迫の連続というのはむろんわかるけど、それがあの不自然極まりないセリフ合戦のようになるのでは、むしろリアリティを欠き、まったく納得しかねるものでしたしちょっと滑稽でもありました。
しかもその内容が憲法や自衛隊法、あるいは科学分野の専門用語を多く含むセリフなので、出演者のほとんどが演技らしい演技もそっちのけでひたすらしゃべりまくり、見ている側はその様子に置いて行かれてしまうようでした。

あれでは俳優諸氏も大変だったでしょうし、噛んだり間違えたりトチったりと、かなりのNGシーンが山とあふれ、ミスらなかったものの集合体をつなぎ合わせたものが本編ということなのでしょうが、もう少し自然にできないものかと思いました。

肝心のゴジラはというと、なぜ生まれて、なぜ東京にきて、最後は要するにどうなったのか、わかったようなわからないような…なぜなぜの連続でした。
ネットの解説などを読めばわかるのかもしれませんが、たかだかゴジラのような娯楽映画で、そんな予習復習をしようとも思わず、もっと普通に見て普通に楽しめるものじゃいけないの?というのが正直なところ。

全体をえらくシリアスに描いたわりには、はじめに出てきた成長前のゴジラは、まんまるお目々のかなり漫画チックなカワイイ系のお顔だったのもかなり笑えましたし、実際成長後のゴジラとあまり結びつかないイメージで、総力挙げて作られた映画だったのかもしれないけれど、全体に完成度はあまり高いとは言えないような気がします。

2017/11/15 Wed. 22:57 | trackback: 0 | comment: -- | edit