FC2ブログ

02 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 04

ぴあのピアの徒然日記

福岡でピアノを楽しむサークル、ぴあのピアの日記です。コメントは機能していませんので、メールを頂けると助かります。

チョイ開け 

過日、マロニエ君に日本調律師協会の過去のカレンダーを送ってくださった方のメールの中に「ヤマハで言うトップサポート」という言葉が出てきて、不勉強なマロニエ君はすぐになんのことかわからず、さっそく調べてみることに。

判明したことは、アップライトピアノの上部の板をほんの少し開けるための機構。
アップライトの場合、ボディの一番上の水平の板は前屋根と後屋根というものに前後で分割されているのがほぼ一般的で、前屋根は後ろへ向かって180°バタンと開くようになっており、開けた状態では前屋根と後屋根がちょうど重ね合わせるかたち。

マロニエ君はまさかここにカバーをかけるといったことはしていないものの、ついあれこれの楽譜を積み上げてしまって、前屋根をわざわざ開けて弾くことはまずありません。アップライトピアノでは上がちょうど便利な楽譜置場になっているというのは、わりによくある光景ですね。

さて、その「ヤマハで言うトップサポート」とは、ボディ内側に仕組まれた短い棒を立てることで、前屋根をほんのちょっとだけ開けるというもの。
この方のピアノにはそれがあって、そのわずかな開閉の違いがもたらす響きの違いを楽しんでおられるようでした。
シュベスターにないことはご存じで、まずは本を数冊挟むなどして試してみることを薦められたので、すぐに楽譜を床におろし、文庫本を3冊ほどを輪ゴムでまとめて前屋根が3〜5cmほど開くよう、そこに挟んでみました。

さっそく弾いてみると、こんな僅かな事にもかかわらず、思わず「エッ!」といいたくなるほど音の体感差がありました。
なんといってもまず格段にダイナミックでパワフルになり、発音の細かい点までバンバン聞こえてくることに驚かされます。

普通に前屋根を180°開けだだけでは、音は上に抜けていくのか、こんなことはないし、調律時には鍵盤蓋から上下のパネルまで全部外して作業されるので、その状態で音の確認をするときなども、ほとんど何も遮るものがない状態で弾くことはありますが、そのときも音が裸になった感じはあるものの、こんな独特な感覚を味わったことはありませんでした。

まるで、エアコンの吹き出し口の前に立っているように、音がこっちをめがけて一斉に流れだしてくるようで、全身で音を浴びているような感覚です。

音量じたいも上がるほか、低音などは厚みが増して、響板の振動そのものを感じるようで、ときにうるさいぐらいに感じることもありました。
タッチまでまるで反応が良くなったみたいで、こう書くと良い事ずくめのようですが、そうとばかりは言いません。

自分の弾き方のまずさやペダリングの問題点などもはっきり認識できるのは練習にはいいとしても、ちょっと困ったのは、音によって、音色や響き方などに違いやムラがあったり、個々の音に良くも悪くも特徴があることが明瞭となり、ある音は響板の深いところで鳴っているのに、ある音はずいぶん手前に聞こえたり、これまでは気にならなかったようなことなども次々に白日のもとにさらされることでしょうか。

暗がりで素敵な空間と思っていたところが、昼には見えなくていいものまで見えるようでもありますが、それでもやはりおもしろいものだと思います。

数日これで弾いてみて、再び元に戻してみると、とりあえずまとまりというか収まりは良くなるかわりに、なんとなく力ない響きのように感じてしまい、人間の慣れというものは困ったものです。

さらにその方のメールによると、この効果はピアノやメーカーによっても違いがあるのだそうで、ご実家の大手の量産ピアノでは少し改善するぐらいで、さほど音に包まれるような強烈な感じにはならないのだとか。

もしかすると、この前屋根の「チョイ開け」こそが、良いピアノかどうかの判断手段になるのかもしれません。
とくにピアノ選びの時には、チェック項目のひとつに加えてみるのも無駄ではないでしょうし、文庫本をちょっと挟むぐらいなら、お店もやらせてくれるでしょう。

スポンサーサイト
2019/03/22 Fri. 02:06 | trackback: 0 | comment: -- | edit

反田さんのショパン 

BSのクラシック倶楽部で、反田恭平さんの最新ショパン演奏が放映されました。
プログラムはアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、マズルカop.56-3、ソナタ第3番。
今年1月の収録で、会場は立川市のチャボヒバホール、ピアノはファツィオリのF308。

現在、ポーランド国立ショパン音楽大学に在籍中だそうで、そこでショパンの研鑽に取り組んでおられるとのこと。

反田さんは、いま最も注目される前途有望な日本人ピアニストのひとりだろうとは思いますが、ことショパンに関しては、彼のピアニズムや持ち味からすると、さほど相性が良いわけではないというイメージがありました。
ショパンよりはリスト、ドビュッシーよりはラヴェル、ドイツものよりロシアものというタイプ。
にもかかわらず、わざわざショパンにフォーカスするのか…と思ったし、もしかすると敢えて苦手なものを克服するという挑戦者の気持ちなのか、はたまた次のショパンコンクールが射程にあるのか。

ご本人の弁によると「7、8歳のころからショパンを弾き始めて、いろいろな作品に出会ったが、どういうふうにショパンを弾くのが正しいのか、ちゃんと学びたくて」とのこと。

このコメント、ちょっとひっかかるのはショパンの弾き方に「正しい」ということがあるのか、マロニエ君にはすこし首を傾げたくなります。
たしかにショパンは、多くの人が弾きたがるわりに、演奏のあり方という点ではきわめて自由度の少ない作曲家であるし、あきらかに「間違った」演奏が氾濫している気がします。
かといって「これが正しい」ということを規定するのは甚だ難しいことで、誰それや権威によって「こうだ」と断じられるようなものではないのではないか…ということ。

更にいうと、ショパンの根っこはポーランドにあるとしても、その高貴とでもいいたい美の結晶のようなピアノの芸術は、もはや国境を遥かに超えた存在だし、父親はフランス系、また祖国を離れて生涯をフランスで過ごし没したことなどを考えると、事はそう単純ではない気がするのです。
とりわけ、それぞれの作品に散りばめられた洗練の極致は、とうていポーランドというヨーロッパの一国のみで育まれ、今もその芸術的主権を出身国だけが握っているとはマロニエ君には思えない。

ショパンらしい演奏とは、ショパンの美意識、センスや好み、様式感を敏感に汲み取り、それがさほどの苦労なく共感できる者だけが体現できることで、つまり本質的には独学に委ねられるべきで、あまり人から事細かに叩き込まれるようなものではないと思うのです。


さて、今どきの、そつなく弾きこなすだけでワクワク感のかけらもないピアニストが多い中、反田さんは久々にナマの肉体から出てくる手応えみたいなものがあって、筋肉質な演奏がその魅力ではないかと思います。
少なくとも彼がピアノの前に座るなら、聴いてみたいという気にさせるだけのものはある。

今回のショパンは、しかし、彼の自然さから何か大事なものが遠のいた感じ。
音楽表現上のコントロールなのか、個人的にはもっと大きな制御のかかった感じを覚えました。
ポーランドで学んだことをよく守り、注意深く弾いているのか、普遍的な意味でのショパンとしてのまとまりと見れば、よくなっているのかもしれないけれど、曲そのものが奏者の体を使って自由に羽ばたいていくような感覚とか、随所に仕込まれた詩的な要所が大きく意味をもって語ってくるような生々しさがなく、楽譜に書き込まれた多くの注意事項をよく守り、よくさらって弾いているという感じが前に出ているようでした。
細部にまで注意を張り巡らすことは大事だけれど、それで音楽の推進力が失われてしまっては、作品も演奏も縮こまってしまうだけで、大ポロネーズなど高揚感をもって弾き切って欲しいところを、なんども冷静に姿勢を撮り直すような感じがあるのは、正しいこととは思えませんでした。

またop.56-3のマズルカは一般的な人気曲ではないけれど、マズルカの中では最大級のもので、個人的にとても好きな作品のひとつですが、その悲しみや移ろいがこまやかに伝えられたとは言いがたく、聴く者の心を揺らす大事なところで、シャシャッと処理されていくあたりなどを目の当たりにすると、やはりショパンとはもともと相性が良くないのではないかと思いました。

とくに反田さんぐらいの方になると、大きくピアニズムというだけでなく、細かい単位での演奏フォームというものがあり、そのフォームがショパンに適合しているとは感じませんでした。

ファツィオリについても書きたかったけれど、だらだらと長くなってしまったので、またいずれ。

2019/03/16 Sat. 18:33 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ヤマハのすごさ 

遠方に出掛けた折、ヤマハのグランドのうちCXシリーズをほぼ全機種展示しているお店があるというので、ついでといってはなんですが、ちょっと覗かせてもらいました。

ヤマハにはもともとあまり興味はないけれども、現行のCXシリーズは、調律師さんの中には「そこそこいいと思います」というような、一定の評価をされる方もおられます。
日本製品として世界からの評価を得ている量産ピアノという客観的事実を思えば、その最新モデルとはいかなるものか、ちょっと触れてみることも無駄じゃありません。

店内に入ると、うわ、お客さんはゼロ。
お店の方が二人ほどおられて立ち話をしておられましたが、こちらの入店を機にもう一人はどこかに行ってしまわれ、かなり広い店内にはお店の方とマロニエ君の二人きりになりました。
一音出しても店内に響くような静寂の中で、どうぞと言われても「では!」とばかりに試弾をしてしまうような度胸は到底持ち合わせていないので、うわぁ…まいったなぁ…という感じ。

人差し指でぽとんぽとんとやっているだけではどうなるものではないから、おずおずと遠慮がちに断片的に弾いていると、お店の方はこちらの心情を察してか、そっと奥の方へ行ってくださいました。
こういうのも「忖度」というんでしょうか。
とにかく台数が揃っている店で、新品はC1X、C2X、C3X、C5X、C6X、C7Xと横並びし、更にむこうには中古のCFIIIがありました。
ほかにもアップライトなどたくさんあったけれど、とても手が回りません。

というわけで、なんとか新品グランドはひととおり試しました。

もっとも印象に残ったことは、ヤマハというメーカーの恐ろしいまでに計算され尽くした見事な商品構成。
こうして順番に弾き比べていくと、ひとつサイズが大きくなるにつれ、良さがそのぶんだけ確実に加算されていくという事実。
大から小への逆コースもやはり同じ。

だからといって小さいモデルが悪いわけではなく、それでも十分商品として成立して完成されており、買った人はちゃんと満足を得られるようになっているから、決して後悔することはない。
価格の差もそれに準じたもので、どこかの段階で急に高くなるということもなく、マトリョーシカのようにまず大きさの順番があり、そこには納得できる価格差があり、そしてなによりもすごいのは弾き比べてみたとき、少しずつまるで等間隔の階段を一弾ずつ登るようにちょっとずつ良くなっていく、その考えぬかれた性能差を作り出す技術。

たとえば、C3Xを弾いたらそれなりにまとまっているいるけれど、C5Xに移ったら、全体が確実にはっきり、しかしあくまで節度をもって一段良くなる。
さらにC6Xに移るとさらにやわらかさとゆとりが出て、落ち着きが加わり、ここからが大人という感じ。
C7Xに移ると、もうひとつ先が開けて、ブリリアンスが加わりコンサートピアノのエッセンスみたいなものがちょろっと入ってくる。
このあたりの徹底して計算された「差」の出し方は、まさにヤマハの均等な製品づくりにおける陰の実力を見るようで、その見事さが、とてつもないメーカーだと思いました。

少なくともこの日試したグランドは、大きく高価になるほど「良くなる」のであって、そのわかりやすさは、とくに音楽やピアノに精通していない入門者や楽器に疎い先生達などにも、すぐに理解でき体感できるもので、そのサイズ/価格差は誰もが納得できるもの。
その背後に楽器を生み出す工房の気配は感じなかったけれど、巧妙に計算され、最高の工場で生産された日本製品の凄みがありました。

それが楽器作りにふさわしいかどうかは賛否あるとしても、ピアノというものをここまで製品として昇華させたということは、超一流の技術のなせる結果であって、その企業力にはビビリました。

ついでに、中古のCFIIIにもちょっと触りましたが、ヤマハといえどもコンサートグランドというのはまったくの別世界となり、ここではじめて楽器という有機的な感触を受けました。
量産モデルに比べると、格段にものごしがやわらかで底が深く、音もがなり立てず、秘めたる力と慎みがあり、タッチも精妙。
いかようにもお応えしましょうというリッチなおもてなしのよう。

久々にヤマハ一色の時間でしたが、とても貴重な体験になりました。

2019/03/11 Mon. 02:20 | trackback: 0 | comment: -- | edit

またまた中古CD 

中古CDの当たり外れは、困ったことにちょっと病みつきになってきたかもしれません。
もともとが、ダメモトでやっていることなので、失敗してもさほどの痛手ではないのですが、それでもみみっちいドキドキ感はあるのです。
前回までの経験として、あまりの激安はやはりゴミになる確率が高いので、そのへんはより注意することに。

△【アルバン・ベルク弦楽四重奏団のモーツァルト】
思い込みかもしれないけれど、モーツァルトの弦楽五重奏曲といえばあのg-moll KV516のような不朽の名作があるにもかかわらず、意外にもこれといったCDがあるようでない印象。アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、1980年代ぐらいからかずいぶん流行った時期があり、マロニエ君もその波にのせられてベートーヴェンの全集など買い揃えたりしたが、技巧的で見事だが、今の耳で聞くとやけに力んでいるようで、そこがいささか古臭くもあり、心から作品の躍動を楽しめるというのとはちょっと雰囲気が違った気がする。五重奏なので、ヴィオラをもう一人加えたもので、この時代特有のやや固く叙情を排した印象だが、とりあえず演奏自体がしっかりしているので聴くには値する。ただし、これでこの作品の核心に触れられるかというといささか疑問が残る。モーツァルトの弦楽五重奏曲でとくに第3番/第4番というのは、何十年来耳にしているから、いかに傑作といえども、そう何度も繰り返して聴く気になれないのが残念。

☓【グールドのリパフォーマンス】
2006年の発売当初からかなり話題だったがどうしても気乗りがせずに買わなかったCD。いわゆる現代のコンピュータ制御による精巧な自動演奏を用いて、1955年のゴルトベルク変奏曲をヤマハのコンサートグランドで再現録音したもの。マロニエ君はそもそも自動ピアノというものが、演奏者と楽器の関係なしに成り立つものである以上、まったく興味がわかないし、それは現代のハイテクをもってしても覆ることはないことを確認することになった。解説文にはこのシステムがいかに優れたものであるかということが縷縷述べられてはいるが、要するに、聴いてみて、まったくの技術屋の機械遊び以外のなにものでもないと思った。タッチは浅く骨抜き、なにより気が入っておらず、うわべだけの霞みたいな演奏は、新録音であろうとサラウンドなんたらであろうと無意味。耐えられずにオリジナルのモノラル録音を鳴らしてみると、いっぺんに目の前が明るくなるような爽快さがあった。モノラルで結構、マロニエ君にとっては精神衛生にもよろしくない1枚。

❍【ドラティのバルトーク】
どんなに音楽が好きでも、あまり馴染みのないまま来てしまった名曲というのは人それぞれあるもので、マロニエ君にとって、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」と「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」がまさにそれ。つかみどころのない難解な作品のイメージがあったけれど、いざ腰を据えて聴いてみるとまったくそんなことはなく、わりにすんなり馴染むことができたし、なかなかおもしろい作品でかなりの回数を繰り返し聴くことになった。上記のモーツァルトで述べたように、聴き始めの頃だけにある新鮮さというのは、回を重ね時を経るうちにしだいに失われていくのは如何ともしがたいが、そういう意味でも大いに楽しむことができた。いずれも大変な力作で、良いオーケストラの演奏会で聴くには好ましいだろう作品。そもそもマロニエ君は、マーラーやブルックナーに多くあるように、長大な管弦楽のための作品で、曲の出だしが聞こえにくいような感じで開始されるのが、やたら思わせぶりで泥臭く思ってしまうところがある。

❍【ジョシュ・ガラステギのバレエレッスン用CD】
スペイン出身のピアニストらしいが、マロニエ君はまったく知らなかった人。後でネットで検索すると、バレエのレッスン現場ではバリシニコフの時代からこの分野で有名なピアニストだったらしい。曲はバッハからチャイコフスキー、スペイン物まで有名な曲をバレエスタジオでの練習用に編曲したもので、音楽として鑑賞するものではないけれど、マニア的にはなかなか面白いCDだった。なにより印象的だったのは、一切の記載はないけれど、きめ細やか(これは稀有なこと)でしかも朗々とよく鳴る理想的なニューヨークスタインウェイの音が聴けるという点。個人的な印象で云うと、製品ムラというか平均的なクオリティでいうと圧倒的にハンブルク製だと思うが、ごくたまにある当たりのニューヨークの中にはとてつもない逸品があるようで、まさにその音を聴けるだけでも購入した甲斐があったというもの。ちなみにこれ280円だったけれど、ネット上ではなんと4700円というのにはびっくり。

☓【カテリーナ・ヴァレンテ】
この人のことを知らないマロニエ君は、昔のフォーマルな装いの写真からしててっきりクラシックの歌手だた思い込み、閉店間際、4枚組で500円ということもあってついでに購入。はたして音を出してみると古き良き時代のポピュラーで、いわゆるヨーロッパの歌謡曲だった。自分の無知が招いたことだし、クラシックの棚にあったのも要因。ま、たまに車中などでガラッと気分を変えるのにいいかも。


2019/03/06 Wed. 02:06 | trackback: 0 | comment: -- | edit

カレンダー 

日本調律師協会が作られるカレンダーが素晴らしいことは以前のブログに書きました。
月ごとにマニアックなピアノの美しい写真が掲載されていることに驚いたと書いたら、このブログがきっかけで時々メールのやり取りをする方からご連絡がありました。

昔のものもみてみたいと書いたのですが、あくまで機会があればという程度の軽い気持ちだったのですが、その方は手許にあるのでよかったらお送りしましょうか?というありがたいことをお申し出をくださったのです。
なんだか厚かましいような気もしたけれど、見てみたいことは事実だし、せっかくのご厚意なのでお言葉に甘えて送っていただきました。

封筒を開けると、なんと昨年を頭に3年分も入っていてびっくり!
昔の聞いたこともないようなメーカーのピアノが次々に登場するのは見るだけでも価値があり、最後のページには2016年/2017年は「浜松楽器博物館」、2018年/2019年は「武蔵野音楽大学楽器ミュージアム」とあり、大きな組織がきちんと保存しているピアノというわけで納得でした。
つまり、これらは日本に存在しているピアノというわけで、いずれもが過去に何らかの理由で日本にやってきたピアノ達ということになるのでしょう。
昔のほうが数は圧倒的に少ないだろうけれども、マーケテイングだなんだということがないだけに、ピアノにしても多種多様なものが輸入されていたようにも思われ、現代は「多様性の時代」などというけれど、そうとも言い切れない側面もあるような気がしました。

現代の日本で、これだけ多様なメーカーのピアノが入ってきても、まず需要もないだろうし、当のメーカーもなくなったりで、ほとんどが有名ブランドのもので絞められるし、なにより国産量産ピアノの普及によって全国津々浦々まで埋め尽くされ、さらにはそのピアノさえも引き潮となって数を減らしていっているところでしょう。


カレンダーに話を戻すと、毎年いただく海外メーカー系のカレンダーでよく目にするものは、デザインやレイアウトなど制作の経緯は知らないけれど、見るたびに首を傾げるほどセンスがなく、とても使いたくなるようなものではない。
また、今年は日本メーカーのものもたまたま入手しましたが、さらにダサく、見たくもない音楽系タレントのような人の羅列で、いいカレンダーというよりは「ああ、この人達がこの会社と深いつながりがあるんだな」と思えるだけの、自分が使うことはまったくイメージ出来ないようなもの。
どうしてこんな感覚がまかり通るのか、まったくもって理解に苦しみます。

それにひきかえ、この日本調律師協会のカレンダーは本当にすばらしく、普通はカレンダーなど用済みになればゴミ箱行きですが、なかなか捨てる気にもなれません。
どういうカレンダーを作りたいかが明快で、必要以上の狙いが盛り込まれていないことも、却ってこの協会に交換を抱けるし清々しさがあります。
これだけ珍しいピアノを題材にしていれば、いつかネタ切れになるのかもしれないけれど、できるかぎり続けてほしものだ願っています。


近年は、年末といってもカレンダーをいただく機会は少なくなったし、いただいても以前のように単純に部屋に架けて使うということはなくなったのではないでしょうか。
最近は企業や団体なども、カレンダーを作るという恒例行事じたいが激減してるそうで、むかしは筒状に丸められた使わないカレンダーの山が積み上がっていたものですが、ここ最近はそれはすっかりなくなりました。

聞くところによれば、企業も経費節減の折柄、費用ばかりかかってタダで配布しても、大半が使われることなく廃棄されるオリジナルカレンダーというものが、早々に整理の対象になったようです。
いっぽうで、使う側も、絵や写真付きのカレンダーというものが流行らなくなり、実用に徹した文字だけの機能的なカレンダーが好まれ、さらにそれが100円ショップなどで大小様々に売られるものだから、もはや観光写真や見飽きたドガやルノワールの絵がついたようなカレンダーを無抵抗にぶら下げているところなど、ほとんど見なくなったような気がします。

企業カレンダー全盛の頃には、一部にはデザイン優先の気の利いたいいカレンダーもありましたが、全体的傾向としては大同小異、とりわけ音楽関係のそれはセンスがなかったという記憶しかありません。
それでも比較的まともだったのが、グラモフォンのずっしり重い大判カレンダー。
カラヤン、ベーム、ポリーニ、アルゲリッチといったこのレコード会社所属のスター達の写真が12枚、マットな黒ベースに、墨一色で仕上げられたもので、これだけは見るのがちょっと楽しみではありました。

それでも、実際に部屋にかけて使ったことは一二度あるかないかで、結局実用性が低いために使わず、もったいないといって何年もとっておいたりしたものの、最後は廃棄処分に鳴るだけ、それが大半のカレンダーの運命でしょう。

そんな中、日本調律師協会のカレンダーは久々に見るのが楽しい貴重なもので、資料性も高く、これは可能な限り保管していくだけの価値のあるものだと思いました。

2019/03/02 Sat. 00:13 | trackback: 0 | comment: -- | edit

シュベスターのグランド 

シュベスターネタで、もうひとつくだらぬことを。

今どきのネット社会では、どなたもそうだろうと思いますが、自分の興味の対象については、必要もないものまでついあれこれ貪欲に見てしまうもの。
ネットというのはそういう意味では、人のガツガツした部分をイヤでも煽ってくるようです。

くだらない、もっと時間を有意義に使うべき、と頭では思うものの、どうしても興味本位に手先が動いてしまい、ばかばかしい検索をしては、自分にとって欲しい情報から連続して関係ないものまで覗き見るというほうが正しいかもしれません。
そんなことをやっている中で、ネット上ではかなり有名なピアノ店に、シュベスターのグランドがありました。

シュベスターのグランドというのは、それ自体がレア物で、サイズもG60という奥行き183cmの一種類のみですが、多くの個体はもうボロボロで、大掛かりな再生作業を必要とするものが大半のようです。
その中に、珍しくかなり状態のいい一台がありました。
見つけたのは昨年秋ごろだったと思います。

このピアノ店のご主人がかなりのトーク名人で、いかにもフレンドリーにわかりやすくハキハキと説明をされ、ピアノもそれなりに弾けていつも簡単なものを肉厚なタッチで弾かれるので、どんな音のするピアノなのかもかなり分かるようになっています。
果たしてそのシュベスターのグランドは、状態もまあまあだし、なによりその音は軽やかなフランスピアノのようで、聴くなり気に入ってしまいました。

その動画は販売を目的としたもので、状態のいいシュベスターのグランドというのはめったにないこともあり、これはすぐに売れるだろうと思っていました。

ところが、予想に反してなかなかそうはならなかったようでした。
おそらく、これからピアノを買うという人の大半は、やはり大手の新品、もしくはそれに近いものに需要が集中するのか、このめったにない魅力的なピアノであってもなかなか買い手が現れず、ずいぶん長いこと動画もアップされたままでした。

大手メーカーのこのサイズなら、遥かに材質も劣り、音もデリカシーのない大雑把なものであっても、世間一般の定評を得ているから人気もあり、需要も多いことを思うと、ピアノは正当な評価を得るのが殊のほか難しい商品だと思わずにはいられません。

置く場所があれば、さっそく見に行って連れて帰りたいくらいですが、さすがにそれはムリ。
いつしか、この動画はマロニエ君にとって「時折見てはその音を聴いて楽しむもの」となり、一週間に一度は見ていたような気がします。

今年になってもその状態は続いていましたが、2月に入ってしばらくした頃だったでしょうか、いつもの様にその店のホームページから商品一覧を見ると、…あれ?
ついにそのシュベスターの動画がなくなっていました。
お店の商品なんだから売れたら、その動画も無くなって当たり前なんですが、なんとはなしにそこに行けば見られるのが普通みたいになっていたので、とつぜん消えてなくなるのは甚だ勝手ではあるものの、とてもショックでした。

不思議なのは、多くの点でアップライトのうちのシュベスターと共通した音の特徴がある点で、同じメーカーだというだけで、グランドとアップライトでは、形状もまるで違うのに、なぜこれほど相通じる音が出せるのかと思います。
たしかにスタインウェイはアップライトでもスタインウェイの音がするし、これって考えてみたらなぜそういうことができるんだろうと思います。

その後、くだんの動画は、未練がましく探してみたら、「嫁いだピアノリスト」というところにまだ存在しているのを見つけたので、とりあえず安心。
さっそくお気に入り登録しました。

2019/02/25 Mon. 01:58 | trackback: 0 | comment: -- | edit

花の命は… 

先に書いたシュベスターの調整。
今回のそれは殊のほか上手くいって、音を出すたびにハッとするような喜びを感じるピアノになりました。
手作りとはいえ、しょせん高級品でもないアップライトで、こういう状態が到来することは、そういつもあることではないでしょう。

全体に甘い音色、透明感、倍音、頼もしくキザな低音、さらにはシュベスター特有の憂いを含んだ明るさなど、弾けば曲が響きをまとい表情を作っていくあたり、さも価値のある楽器みたいな気配も加わって、再び階下のグランドには触れない日々が続きました。

このシュベスターは製造年代から言えば40年ぐらい経過したものではあるけれど、その音は大手の大量生産の音とは根底のところで違っており、贔屓目にいうならややヴィンテージ風なところがあり、それを楽しむことがこういうピアノの魅力だと思います。

メーカーに関係なく、ヴィンテージもしくはヴィンテージ風の音に慣れてしまうと、なかなか現代の新しいピアノ(高級品は別として、一般的な量産品の音)を受け入れることは、かなり難しくなるような気がします。
それは、ボディは鳴っていないのに、妙な感じにパワフルで、人工的な整ったような無機質な音がバンバン押し寄せてくるあの感じ。

もちろん価値感は人それぞれなので、一概には言えないけれども、音楽を愛好し、ピアノを喜びの対象として捉える向きには、楽器の発する音というのは、自分の感性に直に訴えてくるものかそうでないかは、その楽しさの質という点において、ずいぶん違ってしまうとマロニエ君は考えます。
どんなに精巧できれいでも、工業力が前面に出ているようなピアノは、どうしても心が癒やされることはなく、弾き手もつい技術に走り、ピアノの音を楽しみ、音楽を紡いで幸せになるという感覚を失っていく気がします。

とくにピアノは楽器を標榜しながら、実際には消費財とみなされて新しい物が幅を利かせ、それが標準という顔をしているし、教師や専門家にもそこに疑いを持つ人はさほど多くはありません。
また技術者も、多くの場合が販売ビジネスにも絡んでいる立場から、なかなか核心には迫らないし、あるいはそれに慣れすぎて、理想の音の基準が変質してしまっている気配がなくもない。

そのあたりは、技術者の方にとってはその技術を顕す対象としてピアノがあるから、日本製の精度の高いピアノ、すなわちクオリティの高い仕事がしやすいピアノはどうしても評価があがるし、ヴィンテージ系のピアノに関しては(一定の味があることは認めつつも)、職人としての本能みたいなものがあって、作りの甘さであるとか、音のムラ、新しいピアノにはないような欠点や衰えがどうしても目につくのだろうと思います。

これは、昔の巨匠たちがもし現代のコンクールに出たら、予選さえ通過できないだろうというのと、同じようなことかもしれません。


さて、シュベスターですが、先の調律で音を柔らかくして欲しいと依頼して、ほぼそのようにしてもらった経緯は前回書きましたが、そのときの仕上がりというのがあまりに完成度が高く、かつ繊細だったので、内心「あー、あとは崩れていくだけだろうな…」という一抹の憂慮がありました。
それから2週間ほどしたら、その精妙の限りを尽くした極上の音は雪景色が溶けていくようにしだいに薄れ、完全とは言わないまでも、かな以前に近い音(の硬さ)に戻ってしまいました。

ちなみにこの方はコンサートチューナーでもあり、一夜のコンサートのためのピアノなら素晴らしいものだったと思いますが、やはり家庭用ピアノの調整では、ある程度の耐久性への考慮という側面も欲しいと思ったりで、難しいところですね。

素人考えでは、単純にもっと針刺しをしてハンマーフェルトを柔らかくすればいいのにと思うけど、そう単純なものでもないのでしょうし、時間経過したハンマーはすでに柔軟性を失っていることもあるでしょう。
いずれにしろ毎月調整を頼むわけにもいかないので、もう少しだけ耐久性のある方法はないものかと思うばかりです。

ちなみにこの方から聞いた話では、有名なM商会の技術者には、なんとシュベスター出身の方がわりにおられるそうで、この思いがけない不思議な話にはきょとんとしてしまいました。

2019/02/20 Wed. 02:05 | trackback: 0 | comment: -- | edit

1勝5敗 

古本店で漁る中古CDというのは、やはり良い物に出会う打率は高くはないようです。
もちろんマロニエ君の見極め力が低いから…と言えばそうなんですが。

本来欲しいものや新譜などはネットで新品を購入しますが、よく熟考した上でも失敗はつきもの。

そもそも中古CDは、新品ならまず買うことはないものに敢えて挑戦するわけで、ハイリスクとなるのは必至。
最近もかなり失敗を重ねてしまいました。
5枚中、4枚が失敗(☓)、成功(❍)はたった1枚で、以下の通り。

☓【バッハのピアノ曲】
べつに興味をひくピアニストでもなく、フランス風序曲やイタリア協奏曲など曲もあえて買う必要はないものだったが、ニューヨークでの録音とあり、いかにも大雑把でアメリカチックな雰囲気のCD。マロニエ君は今だにグールドやシェプキンのイメージを引きずっていて、ニューヨーク、バッハ、ピアノとくるとなぜか反応してしまうところがあり、我ながらもうそろそろそんな妄想は捨て去るべきところ。NYスタインウェイの軽やかな響きで聴く現代的なバッハのイメージは見事に裏切られ、モダンのかけらもなく、ピアノの音もどこか重い。ブックレットを見ると、え!?Hamburg Steinway Dとあり、どうりで!と思いつつ、なにひとつ見るべきところのないものでガックリ。

☓【フランクの初期ピアノ曲集】
ナクソスレーベルらしい珍しいアルバム。バラード、4つのシューベルトの歌曲のトランスクリプション、ポーランドの2つの歌による幻想曲、アクス・ラ・シャペルの思い出という内容。出だしからしてどうしようもなくダレてしまう曲、シューベルトの歌曲もただ歌をピアノで弾きましたというだけの感じだし、ポーランド…は聴き覚えのある旋律と思ったらショパンの「ポーランド民謡による幻想曲」のそれだが、ショパンのそれとは雲泥の差で、げんなりするほど退屈。どれも一度聞くのがやっとで、あのピアノ五重奏やヴァイオリンソナタなどを思わせるものはどこにもない。ピアノは音もボワーンとして楽器も調律もまったくみるところナシ。

☓【小沢/サイトウ・キネンの第九】
2002年9月、松本文化会館で行われた演奏会のライブCD。ぜんぜん小沢ファンではないけれど、むかしこの期間限定オーケストラが始まった頃、ブラームスのシンフォニーで聴いた熱気と精緻さが結びついた新鮮な演奏にびっくりした記憶があったので、ベートーヴェンはどうかと購入。果たして、あのブラームスの感動は何だったのかと思うほど無感動。耳をすませばオケの演奏は機能的だし歌手もうまいけれど、総じて覇気がなく、要するになにも迫って来ないし聴く意味が感じられない。会場のいかにも多目的ホール然としたデッドで仕切られたような音響も追い打ちをかけるのか、音に幅がなく縮こまっているようで、がんばって2回聴いたけれど、こういう演奏はとりわけ第九ではしんどい。自宅でCDを聴くのにわざわざこれである必要はなく、フルトヴェングラーでリセットしたくなる。

☓【シフのスカルラッティ】
今を旬とばかりに冴えわたるバッハなど、現代の最も雄弁かつ信頼のおけるピアニストのひとりであるシフ。彼のスカルラッティならさぞやと思ったものの、全体に遊びがなく、固くて艶のない演奏に拍子抜け。スカルラッティの嬉々とした滑舌や色彩とは程遠い、モノクロームな世界。録音もイマイチ。データを見ると1987年の録音で、シフの輝けるピアノを聴くには、もう少し時を待つ必要があったらしい。考えてみれば初回のバッハ全集も途中から急に良くなるところがあって、この人はある時期を境に一気に熟成が進んだと思われる。これはその花開く前の演奏。そういう意味ではスカルラッティも再録を望みたいもので、少なくともこのアルバムに関しては何度も聴こうという気にはなれない。

❍【ひとときの音楽 波多野睦美】
いま注目のメゾソプラノ。歌手といえば一昔前までは華やかなオペラを目指すか、端正なリート系に寄せるかが一般的だったが、この人は中世・ルネサンス期から近現代までの幅広いレパートリーをこなす異色の歌い手。このアルバムでもパーセルを8曲、ほかにヘンデル、モンテヴェルディ、バッハという内容。バックもバロックヴァイオリンの第一人者である寺神戸亮さんはじめその道のスペシャリストが居並び、開始早々、あまりに自然にバロックの時代にいざなわわれる。絹糸のような美しい透明な声、少しもわざとらしさのない様式感、迷いのない澄明な表現で、ともすれば黴臭く聞こえてしまうこれらの曲を、まったく違和感も前提も注釈もなしに、心地よい音楽として聴かせてくれるのは大したものだと思う。ヴィブラートも必要なときにだけ最小限で用いられて装飾音のよう。丁寧で気品があり、かといっていちいち何かを鼻にかけるところもないナチュラルな美がある。すっかり気に入って、何日間もこれ1枚を聴いて過ごした。

たまにこういうことがあるから、ついまたやめられなくなるという繰り返しになるんですね。
考えてみれば5枚で新品一枚分と思えば価格的には許せますが、困るのは聴かないCDがずんずんと積み上がっていくこと。
2019/02/15 Fri. 02:03 | trackback: 0 | comment: -- | edit

マイクロファイバークロス 

暮れに、手早くピアノを掃除するには、ダイソーなどにある使い捨てのフローリングワックスシートが意外にいいということを書きました。
まあ急ぐときには悪くはないけれど、でもやっぱり「床用」というのが気持的にひっかかるし、大事なピアノをあまりに安物で軽く済ませるのはいささか罪悪感がないでもなく、あまり常用するのは忍びない気になりました。

そんな折、たまたまピアノ専門の木工の職人さんとお会いする機会があったのですが、その方は作業後の拭き上げには、市販のマイクロファイバークロスをごく普通の感じで使っておられて「え?」と思いました。

マイクロファイバークロスは柔らかいものは傷になることがあるので注意が必要とされ、これは使ってはいけないものと思っていたので、これはまったく思いがけないことでした。
しかし、この方は塗装や補修/磨きなど、いわばその分野の専門家なのでその方のやり方というのは「プロの技」でもあり、それなりの経験があるはずで、実際その方の仕上げられたピアノは、本当にピカピカで見事なのです。

多くの調律師さんがネルのクロスなどを使われている中、この方は慣れた感じでマイクロファイバーを使われるのは驚きで、当然質問をしてみましたが、とくに問題はないとのこと。
注意すべきは、当たり前ですが必要以上に力を入れず、軽く均等にというぐらいで、「(使って)大丈夫ですよ」とサラリといわれたのは意外でした。
へー…そうなんだ…。

で、それから自分でもやってみました。
できるだけ手で触って柔らかいものを選び、水に濡らして固く絞り、ピアノ用のクリーナーを少量クロスになじませて軽く拭いてみると、苦もなくピアノはきれいになります。

水に濡らしたのは、マロニエ君の洗車経験などからしても、乾拭きというのあまり評価できないから。
人によっては乾拭きや毛バタキがダメージが少ないと思い込んでおられる方もありますが、マロニエ君はこれはまったく同意できません。
乾拭きこそ小キズの原因になり、そこになんらかのケミカルでも使おうものなら、伸びは悪くムラになるなど、いいことはなにもない。
それに対して、クロスが少量の水を含んでいることでケミカルを均等に広げ、きれいに仕上げる効果もあるようです。
水を含ませて力の限り固く絞り、そこにほんのすこしクリーナーを含ませる事がポイント。

先日も車のリペアショップの職人さんと話しましたが、やはりワックスやコーティング剤は、極力少量を薄く塗ることが大事と言われましたし、皮膚科の先生も塗り薬はできるだけ薄くと、どうやらこの点はどこも共通しているようです。
慣れないと、効果を期待して、つい多めに使ってしまうものですが、それが却ってダメなんですね。

そういえば思い出しましたが、行きつけの歯医者さんも、歯磨き粉(粉じゃないですが)は、ほんのちょっとをブラシの上にのせるだけでほとんどの人が使いすぎ、「私たちは一本のチューブを使うのに半年ぐらいですよ」と言われて驚いたこともありますから、とにかくどの世界も少ないほうがいいようです。

ただ、車でもピアノでも、大事なのは下地処理。
汚れや埃の積もった状態から、いきなり艶出しというわけにはいかないので、ピアノの場合はホコリ取りのモップ等で軽くホコリを落としてからこの作業をすることでしょうか。

マイクロファイバークロスでのピアノクリーニングは、簡単快適、仕上がりもキリッとした好ましい感じに仕上るので、今はこれが一番という感じです。
今さらこう言ってはなんですが、使い捨てのフローリングワックスシートは薄いので、あれはあれで使いにくさがありますが、クロスなら一定の厚みもあり、面を変えて使って、洗えば何回でも使えるので、今はこれが一番作業性もよく気に入っています。

2019/02/10 Sun. 03:05 | trackback: 0 | comment: -- | edit

少しソフトに 

昨年末から持ち越しになっていた、自室のシュベスターの調律をやっていただきました。
主治医の調律師さんは毎回丁寧にやってくださいますが、今回は主に整音をメインとしてお願いし、トータル5時間オーバーの作業となりました。

聞くところによると、一般的にはアップライトのハンマーヘッドは針を入れづらいほど固いものが多いらしいのですが、我が家のシュベスターは珍しいほど柔らかい巻きだそうです。
こういうところにも作り手の音に対する何らかの意図が表れているのでしょう。
柔らかいハンマーといえば、主にアメリカのピアノであるとか、ヨーロッパでも古い時代のピアノがそうでしたが、その後は固いハンマーを針でほぐしながらヴォイシングしていくのが世界的な流れになった印象があり、深くまろやかな音より、エッジのきいたインパクトのある音を時代が求めたのかもしれません。

なので現在は巻の固いハンマーが主流かつ固定化していると思っていたら、ここ最近の日本製の新しいピアノ(グランドを含む)は、どちらかというと以前より柔らかいハンマーが付いているんだそうで、これは意外でした。

もちろん、ただ柔らかいとはいっても、その素材や製法、ハンマーとしての性質はいろいろあるわけで、良質の羊毛で作られた昔の古き良きハンマーとは根本的に違うとしても、新しいピアノのハンマーが以前より柔らかくなってきたというのは、ちょっと意外な話でした。
いわれてみれば、たしかに最近のピアノの音は深味こそないけれど、さほどキンキンした音ではなくなり、ほどよく角のとれた嫌味のない音になっているので、それを可能にしているひとつが柔らかいハンマーなのかもしれません。

シュベスターに戻ると、かなり弾いて少し派手な音になっていたので、ソフトな音にして欲しいという希望を伝えましたが、この調律師さんはかなりのこだわりのある方で、すぐ単純に「はい」というわけにはいきません。
針は一度入れたらもとには戻らないこと、ただソフトにするだけでは音の輪郭がぼやける、フォルテシモが出なくなる、必要な芯までなくなってしまうことなどを考慮され、きわめて慎重に針を入れられました。

入れたら入れたで、隣り合う音のバランスやらなにやらがあり、その都度調整。
さらに外していた上前板/鍵盤蓋を取り付け、前屋根も閉めて音を出すと、我が家のシュベスターは「箱鳴り」がするのだそうで、そうなるとまた少し違ってくるというので、また外して追加作業となり、こんなことをやっていると時間はどんどん過ぎていきます。

このシュベスターはそこそこ良い音を出すピアノだとは思うものの、新しいピアノではないので問題もないではなく、例えば巻線(低音の弦)の中には、ややあやしいものがあったりで、それらは順次解決すべき課題。
問題のある弦は張替えもやむなしかと思いましたが、とりあえず硬化剤を使いながら調律で音を出すという方法が取られたところ、それほど気にならないまでに持ちなおし、もう少し現状で様子見することになりました。
これはあくまで一時しのぎであって、基本的な解決ではありませんが。

硬化剤といえば、中音〜次高音にかけても、ソフトにするためにも上記の音の芯を失わないためなのか、僅かに硬化剤を使いながら音そのものはソフト方向に持っていくという手法が取られ、音作りは単純ではないなあと勉強になりました。
結果は上々でしたが、かなり精妙に仕上がった感じもあるから、その精妙さが崩れるのが惜しくて、この数日はチビチビと美酒を舐めるように弾いてます。


今回、調律さんから、日本ピアノ調律師協会のカレンダーというのをいただきました。
見ると上下に分かれ、上が写真、下がカレンダーというよくある作りで、ひと月ごとの12パターンですが、その写真というのがいずれも博物館級のピアノで「わっ!」というものでした。
しかも大半が名も知らぬような珍品ばかりで写真も非常に美しく、さすがは技術者集団だけのことはあると唸りました。

まさか日本に、こんなにマニアックで素晴らしいピアノのカレンダーがあるなんてちっとも知らず、昔のものも見てみたいです。

2019/02/05 Tue. 02:06 | trackback: 0 | comment: -- | edit

意図不明 

コンクールネタでもうひとつ。

今年のNHKは、年初からピアノ関連の番組が多いということを書きましたが、更にそれは続きました。
「『蜜蜂と遠雷』 若きピアニストたちの18日」というもので、第10回浜松ピアノコンクールに密着したドキュメント。

ところどころ、俳優の中川大志さんがピアノの前で、小説『蜜蜂と遠雷』を手に朗読を挟みながら番組が進む構成。

『蜜蜂と遠雷』は、マロニエ君にとって読んだころから、小説として掴みづらく、なにが主題なのかよくわからない作品だったのですが、そんな印象とは裏腹に直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、どんどん話題となっていったき、なんだか自分の感覚だけが世間から置いて行かれるようでした。
そもそも『蜜蜂と遠雷』というタイトルからして、もう忘れたけれど、なんだかもってまわった謎解きみたいなわかりにくいもので、要するにピアノということ以外、自分の趣味ではないものづくしでした。

べつに漱石だ谷崎だと旧いものにしがみつく気はないけれど、こういうものが今どきは文学作品として評価されるんだということに困惑したのが偽らざるところでした。

さて、その『蜜蜂と遠雷』を前面に押し出しながら、NHKによる実際のコンクールのドキュメントという作りのようですが、まず事前の率直なイメージとして「60分は短いのでは?」というのが頭をよぎりました。
調律師のショパンコンクール、ピリオド楽器のショパンコンクール、左手のコンクールなど、いずれもここ最近のNHKのそれらは2時間に近いサイズで、60分とわかったときからちょっとへぇ…という感じが。

夕食を外でとっていると、一足先に見られた知人の方からLINEが届き、「牛田智大さん個人のドキュメンタリーのようでした」というもので、???
もうこの時点で見る前から半分腰を折られた気分。
実際に見てみたら、まったくその通りで、彼がメインの番組構成でした。

驚くべきは、決勝進出の6人中、今回は日本人が4人と大健闘し、これはこのコンクール初という快挙であるにもかかわらず、番組は牛田さん以外の誰ひとりとして取り上げることがなかったばかりか、優勝したトルコのジャン・チャクムルさんの演奏さえ完全無視されていたこと。

番組タイトルが「…牛田智大の18日」ならまだしも、「…若きピアニストたちの18日」ですから、これはなかなか納得するのが難しいものでした。

牛田さん以外に唯一取り上げられたのは、3位入賞の韓国のイ・ヒョクさんで、決勝での演奏が少しとホテルの部屋で弟とチェスをやっているシーン、あとは途中で敗退したコンテスタントが、日本のホストファミリーの家族と過ごす様子などが少しあった程度。

べつに牛田さんにどうこう言うつもりはありません。
でも、同じ決勝まで勝ち進んだ日本人の今田篤さん、務川慧悟さん、安並貴史さん、そしてなにより優勝したジャン・チャクムルさんらは、この番組を見たらどう感じるのだろうと思うし、きっといい気持ちはしないでしょう。

ちなみにイ・ヒョクさんは決勝ではラフマニノフの3番を弾いていましたが、あの難曲を弾きつつその落ち着き払った演奏とテクニックは不気味なほどの凄みがありました。
なんと、ヴァイオリンも達者、将来は指揮者になりたいのだそうで、まさに次世代のチョン・ミョンフンとでもいいたくなる存在感がありました。
天才が当たり前の世界というのは、いやはや恐ろしいものです。

ピアノは、ヤマハ、カワイ、スタインウェイの3台。
ですが、浜松はヤマハ/カワイゆかりの街だからでしょうが、昔からこのコンクールではどうもスタインウェイは脇役という感じが否めず、それはそれでアリだと思います。
むしろ、浜松らしくピアノはヤマハ/カワイだけにしたほうがずっと潔い気もしますが、そうはいかないのだろうか。
できれば各社2台ずつ、計4台の中からピアノを選ぶようにしたほうがスッキリしないでしょうか?

驚いたのは、浜松駅の構内にはヤマハのCFXがポンと置かれていて、それで移動中の牛田さんがスーツケースを側においてリストのソナタを弾いていましたが、さすがは浜松、駅ピアノもすごい!と思えるシーンでした。

あとで調べると、優勝者が弾いたのはカワイのSK-EXだったようで、昨年カワイのサロンで同モデルを弾かせてもらって、そのときの感想を「点数が確実に稼げるコンクールグランド」というように書きましたが、まさにその面目を果たしたというか、ご同慶の至りといったところでしょう。


2019/02/01 Fri. 02:19 | trackback: 0 | comment: -- | edit

左手のコンクール 

1月6日にBS1で放送された「私は左手のピアニスト〜希望の輝き 世界初のコンクール〜」を見ました。
もたもたしているうちにすでに再放送までされていたようです。

日本でこの分野で有名なのは、フィンランド在住でリサイタル直後に脳梗塞で倒れられ、いらい右手に障害を負われて左手のピアニストに転向された舘野泉さんですが、真の意味で最も脂ののった実力者といえばおそらく智内威雄さんではないかと思います。

以前NHKでも智内さんを取り上げたドキュメントがあり、ドイツ在学中にジストニアを発症し、曲折の末に左手のピアニストになられた方ですが、その実力には舌を巻いた記憶があります。
この方は自身の演奏活動だけでなく、同じく右手に障害を持つピアニストを手助けすべくさまざまな活動もされていて、左手への編曲や、ネット上での演奏技術の公開など左手ピアノのためのマルチな活動をされています。

少なくともマロニエ君の中では、日本の左手のピアニストで真っ先に頭に浮かぶのはこの智内さんだったのですが、番組開始早々、このコンクールの会場が箕面市立メイプルホールという文字が出たとき、以前智内さんの活動拠点が箕面市という記憶があったので、これはもうこの方の存在と尽力により左手のコンクール開催に至ったということを確信しました。

コンクールはプロフェッショナル部門とアマチュア部門に別れ、3日間という短い期間で競われるもの。
プロフェッショナル部門は「左手」というだけで、まさにハイレベルの方ばかりで、多くの方がもともとは両手で弾かれていたにもかかわらず、病気や右手の故障で左へ転向された方がほとんど。

その演奏技術たるや大変なもので、もともと両手を使っても難しいピアノであるのに、それを左手だけで演奏してハンディなしの音楽として聴かせるのですから、これはもう尋常なものではありません。
実際にその演奏の様子は、左手だけがピアノの広い鍵盤上を飛び回り、そのスピードといったら目がついていかない早業であるし、伴奏やベースのハーモニーを鳴らしながら、旋律を繋いでいくというアクロバティックな動きの連続で、見ているこっちがくらくらしそうでした。

梯剛之さんや辻井伸行さんのように全盲であれだけの見事な演奏ををされる方がいるかと思えば、左手だけでこれだけの演奏を実際にされる方が何人もおられるわけで、その想像を絶する能力にはただただ驚嘆するのみ。

スクリャービンの前奏曲とノクターン、ブラームス編曲のバッハのシャコンヌ、ラヴェルの協奏曲などは、左手のための作品としてよく知る圧倒的な傑作ですが、それ以外となると、なかなか作品に恵まれない一面があり、ほとんど無限というほどの作品がある両手に比べると、左手の世界での大きな問題は作品にあるような気がします。

そういえば、以前の智内さんのドキュメントでも、ドイツ楽譜店で左手のための作品の探すシーンがあったし、多くの作曲家が左手のための作品を書いたけれど、ほとんどが忘れられ日の目を見ることなく埋もれてしまっているというようなことを言われていたことを思い出します。

もっと多くの作品が演奏され多くのCD等になって、耳にする機会が増えることを切に期待しています。
左手のピアノの魅力は、限られた音数の中に、いかに濃密な音楽が圧縮されているかにあるし、番組内でも誰かが言っていましたが、両手のものよりさらに熱く激情的でもあることが多いという点では大いに同感です。

はじめちょっと物足りないようなイメージがあるけれど、そこを超えると、左手ピアノには人間のぐつぐついうような情念とかエネルギーがそこここにうねっていて、深遠な世界があり、これはひとつのジャンルだと思います。
たしかに音が多ければいいというものでもなく、ソロよりも、連弾や2台ピアノが優位とは言い切れないのと繋がりがあるかもしれません。

また、ピアノの音も、両手より赤裸々にその良し悪しが出て、楽器の実力も問われる気がします。

楽器のことが出たついでにちょっとだけ触れておくと、ヤマハがコンクールの後援ということもあって、ピアノはヤマハのみでしたが、そこに聴くCFXの音はまったくマロニエ君の好みとは相容れないものでした。
もしかしたら、左手ということを意識した音作りがされた結果なのかどうか、そのあたりのことはまったくわからないけれど、できればもっとオーソドックスで深い音のするピアノで聴いてみたいと個人的には思いました。


オタク的なことを一言付け加えておくと、このコンクールのピアノで気付きましたが、ヤマハCFXは外観デザインで足の形が変更されています。
2015年の登場以来、シンプルかつ直線基調の足でしたが、最新のモデルはそこに穏やかなカーブがつけられているのを確認。
昔もヤマハのグランドの足にはわずかにカーブがついていたし、Sシリーズは逆にふくらはぎのようなぷくっとしたふくらみがあるなど、なぜか足に曲線を使うのがお好きみたいです。


2019/01/27 Sun. 03:11 | trackback: 0 | comment: -- | edit

楽しむもの 

ピアノクラブ(弾き合い)の新年会というのがあり、マロニエ君は会員ではないのですがお招きいただいたので、いいのかなぁと思いながら少しだけ参加させてもらいました。

個人宅でやられているもので、1時間ほど遅れて行ったのですが、近づくにつれピアノの音が漏れ聞こえて「やってるやってる」という感じで歩を進めます。
ドアを開けると、弾いているのはご無沙汰していた顔見知りの方。
短髪、口ヒゲ、逞しい格闘家のような体軀の壮年男性ですが、身をかがめながら可憐な音でドビュッシーのアラベスク第1番を、バスケットから花びらがこぼれ落ちるように弾いていました。

中に入ると横長のテーブルにずらりとご馳走が並び、すでにみなさん勢揃いされ、宴もたけなわといったところ。
その脇にピアノがあり、飲み食いしながらの入れ代わり立ち代わり各人各様の演奏が続いて、ピアノの音が途絶える隙がありません。

みなさん和気あいあい、ピアノを弾くのが楽しくて仕方がないご様子。
さらに、そのピアノの仲間がいることが輪をかけて嬉しくて仕方ないという感じでムンムンでした。
ピアノを弾くことがこれほど楽しいものだということを、むかしむかしのレッスンに通っていた子供の頃に感じることができたら、マロニエ君もどれだけよかっただろうと思いますが、残念なことに真逆の世界でした。

小学校時代から某学院に通っていましたが、そこはピアノの指導の厳しさで当時の九州では随一で、まわりは桐朋や芸大/芸高に進む人がずらりで、院長を頂点に先生方もこわいのなんの…ピアノと恐怖は同義語。
マロニエ君なんぞ、そこでは一二を争う劣等生で練習もせず屋根裏のネズミのように逃げまわっていたので、当然のごとくの有様ですが、今にして思えば、そのぶんピアノ好きの火を消さずに済んだのかもしれません。
小さい頃からのピアノ浸けの体験があだとなり、ものすごく上手いのに音大を卒業するや、すっぱりピアノと手を切ってしまう人もいたりで、それからみれば、下手でも好きでいられるぶんいいかな?とも思ったり。

話が逸れました。
ここのピアノは、このブログでも何度か書いたことのある戦前のハンブルク・スタインウェイのSで、マロニエ君はちょうどその脇に座っていましたが、しばしば床が震えるほどのあっぱれな鳴りにはあらためて感動です。

おまけに、真横でこれだけ鳴っているのに、音質が少しも耳障りでないのはさすがです。
以前、ある場所で、やむを得ずピアノのすぐ側に座ることになったのですが、日本製の定評あるグランドから出るのは脳ミソの奥にまで達するような突き刺さり音で、失神同然になったことがあります。
やはり良い材料で作られた楽器の音は、人間の生理とどこかで折り合いをつけることができるようになっている気がします。

人工乾燥、流れ作業、大量生産、仕上がり精度は超一流というピアノは、楽器じゃなくまさしく製品ですが、やっぱりピアノは楽器であって欲しいもの。

多くの人は、いかにスタインウェイとはいえS155は最小サイズなのだから、それなりの音しか望めないと思っておられる方も多いと思いますが、それはまったくの誤りであることが、こういうピアノの音を聞いたらわかります。

さすがにBあたりとは違うかもしれませんが、低音などもかなりボリュームのある深い音がするあたり、このピアノの音だけを聞いてS/M/O/Aを明確に聞き当てる自信はありません。

なので、いいものを探し当てたらヴィンテージのスタインウェイはやはり恐ろしい力を持ったピアノだと思います。
そのためのお値段とマークは伊達じゃない。
ネット相談では、「スタインウェイのSを買うのは愚かなブランド志向で、そんな予算があるならサイズに余裕のある国産のプレミアムシリーズのほうが良い。ピアノの真価の分かる人はむしろそちらを選ぶ。スタインウェイの価値を発揮するのはB以上」などと、さもわかったようなことを断定的に書いている人がいますが、こういうことを自信たっぷりに書く人の中には技術者を名乗る人も多いのは驚くばかりで、価値感はそれぞれ、どちらが良いなどとは軽々に言えるものではないでしょう。

…また話が逸れてしまいました。
とにかく、ピアノは力んで挑むものではなく、楽しむものということですね。


2019/01/23 Wed. 02:16 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ピアノの運動不足 

この前の連休、ピアノ好きの方が4名ほど我が家にいらっしゃいました。
みなさん、非常に熱心でピアノを弾くことに格別の喜びをお持ちの方ばかりです。

自宅リビングに置いているグランドは、むかし一大決心をして購入したにもかかわらず、普段ほとんど弾かずに置いているだけという状態が続いています。

年末には1日かけて調律等をやっていただいているので、状態は悪くないはずなのですが、前日ちょっと試弾してみたところ、予想以上にピアノが眠ってしまっている状態でした。
明日はこのピアノを弾きに人が来るというのに、これじゃあいくらなんでもまずいと思い、かなり焦りながら暫く弾き続けました。

いまさらこんなことを書くのもどうかと思いますが、普段自室のシュベスターばかり弾いていると、知らず知らずのうちに指がそれに慣れてしまうらしく、それにも困りました。
ざっくりした言い方をすると、アップライトのタッチの軽い部分と重い部分、グランドのタッチの軽い部分と重い部分は、どうもほとんどが逆になっているようで、加えて慣れというのは恐ろしいもので、やけによそよそしく、弾きにくさのほうが目立ってしまいます。

普段あまり弾かないことが祟って、花に喩えると花びらがかたく閉じてしまっており、アクションにも響きにも渋さがまとわりついてしまい、弾きにくいことといったらありませんでした。
このときはもう時間的な余裕もなかったのですが、なんとかほぐそうという一念で全音域のスケールを繰り返したり、強めの曲をヒーヒー言ってとにかく無理して鳴らし続けたのですが、こうなるとピアノの楽しさはゼロ、テンションは下がり、指や腕はびりびりと疲れてくる始末。
それでも、1時間ほど経ったころ、ようやく少しピアノが鳴ってきたのがわかりました。
鳴ってくるというのは、全体がほぐれてくるのはもちろん、顕著に感じるのは旋律が歌うようになることでもあり、それがわかったときはようやく少しホッとしました。

この日はこれが精一杯。
当日は、5時間ほど滞在され、途中かなりおしゃべりを挟みながらも、交代しながらあれこれ弾いていただいたところ、終わりのほうの一時間ぐらいだったか、聴いていて明らかに鳴り方が変化しているのに気づく瞬間が訪れました。

やれやれと思ったところで、食事に出ることになり、帰宅したのは深夜でした。
それでもなんとなく気になって、翌日まで我慢できずに、そっとキーに触れてみると、アッ!と声を出したくなるほどタッチが軽めに変化していました。
ある程度弾くということはこういうことなのかと、それはわかっているはずだったのに、自分のピアノがわずか2日の間にここまで変化してしまう過程が観察できて、あらためてその必要性を思い知りました。

実は、暮れに調律師さんが来られた折に、タッチが重いと訴えたところ、あれこれやっていただき、ダウンウェイトを計測すると概ね48〜50gというところで、重めといえばいえなくもないけれど規定値になんとか収まっているという感じでした。

マロニエ君は以前、コイツにはこんなものが喜ぶだろうと思われたのか、ダウンウェイト計測用の錘を調律師さんからプレゼントしていただいて、いつもピアノのそばに置いています。
さっそく計測してみると、常用域の4オクターブは中央の4鍵を除いてすべて48gで鍵盤が降りるようになり、3鍵が49g、1鍵だけ50gというところまで数値も変化していました。
さらに、数値だけでなくスカッとした指についてくるタッチになっており、自分のピアノに対するかかわりの薄さが冴えないタッチの第一の原因だったことを悟りました。

これをもし調整だけで解決しようとすれば、再びホールの保守点検メニューのようなことになるのかと思うと、そのための調律師さんの労力、時間、費用などを考えたら「なんたることか!」と思いました。

そういう意味では、この4人の来訪者には心から感謝しなくてはなりません。
というわけで、その後は弾いているのかというと、うーん…。

2019/01/19 Sat. 02:28 | trackback: 0 | comment: -- | edit

氏より育ち 

1月3日に書いたブログの続編。
同じ街で、もう一軒のピアノ店にも行ってみました。

ここはスタインウェイ、ファツィオリのような高級品から、ペトロフ、ディアパソン、さらにはウエンドル&ラング、フォイリッヒといったかつてのヨーロッパブランドが現在中国生産されるリーズナブルなものまで、幅広い銘柄を取り扱うピアノ専門店。

ホームページによると、この店がいま最も力説していることが、プレップアップという出荷調整。
この作業を入念に行なうことで、ピアノの音や機構を精密な領域で整え、潜在力を最大限発揮させるという最も正統的な考え方で、それによっていかにピアノが明瞭確実にすばらしいものになるかを実践している店。

アクションという繊細で複雑なしくみを持つピアノにおいて、そのメカニズムの正しい調整がいかに大切かということは、いまさら言うまでもないことですが、なかなかそのように調整されたピアノが少ないのも現実。
たかが調整と思うなかれ、ピアノを生かすも殺すもこれにかかっているといっても過言ではありません。

その最大の難点は、非常に時間のかかる作業の積み上げによってはじめて到達できるもので、すべてが地道な手作業によるものであることと、なかなかその重要性を理解するだけの一般認識がないというところでしょうか。
何日がかりでそれをやったとしても、わかりやすく目に見えるものではなく、やらなくてもとりあえず普通に音は出るし演奏はできるから、それをやりたがらない店がほとんど。

お客さんもそういうことより、価格や値引きを求める人が多いということなどもあるのかもしれません。

アポ無し(購入目的ではないので、当たり前)で行きましたが、若いお店の方が、快く店内あちこちを案内してくださり、最も感銘を受けたのはグランドの展示場でした。
そこにはペトロフ、ウエンドル&ラングのほか2台のディアパソン183cm(新品)などがあり、一台は一本張り仕様でしたが、そのタッチと音の素晴らしさは、エッと声が出るほどすばらしく、思わず息を呑みました。

というか、マロニエ君はかつてこれほどリッチな音となめらかなタッチをもつディアパソンを弾いたことはなく、つい最近もディアパソンのアクションはもったりして時代遅れというようなことを書いたばかりだったこともあり、これにはかなりの衝撃を受けました。

まずなんといっても発音が素晴らしく、濁りもクセもない筋の良い音が、澱みなく軽やかに立ち上がってきます。
その音はディアパソンらしいというよりも、もっと普遍的なピアノの美音で、腰がすわっていて、太くて明晰、なんのストレスもなく朗々と、しかもさも当たり前のように鳴っていました。
タッチは重くも軽くもなく、どのキーもむらなく整い、スカッとしているのにしなやか。
強弱硬軟意のままで、いくらでも弾きたくなる気分にさせてくれるものでした。

その技術者の方とも少しお話ができましたが、大事なことは、鍵盤を抑えて打弦するまでの過程にさまざまな(あってはならない)ブレーキがかかっているから、それを地道な作業でひとつひとつ取り除いているということ。
至極もっともなお話でした。

この出荷調整は人の手でおこなうしかなく、ひじょうに時間をとり、しかもしないならしないでも商品としては成立するため、営業サイドからすれば非効率でコストのかかる作業みなされ、名のある一流ピアノでも、昔ほどプレップアップに時間を書けなくなったという話はよく耳にします。

メーカーや輸入元でさえそういう割り切った方向にかじを切っている中、地方のピアノ店で、ここまでこだわっている店があるということ自体、なんだかかとても感動させられる事実でした。
その甲斐あって、そこに置かれたピアノは値段の問題ではなく、真の意味での高いクオリティをもったピアノになっていました。

もし目隠しをされて、そのディアパソンと、その倍の値段もするような普通のプレミアムピアノを弾いたら、マロニエ君はきっとここのディアパソンを高級ピアノと感じて選ぶだろうと思います。
いわばアスリートが名監督との出会いによってメダルを取れるところまで到達できるようなもの。

本当にいいものに触れたときの感触というのは、いつまでも忘れられない深い記憶となりますが、あのディアパソンの音とタッチの素晴らしさはまさにそれでした。
ピアノにとって精魂込めた調整がいかに大事かは重々わかっているつもりでしたが、あらためてそのことを再認識させられる貴重な体験でした。

2019/01/14 Mon. 02:41 | trackback: 0 | comment: -- | edit

NHKピアノまみれ 

1月5日の朝、何気なく新聞のTV番組表を見ているとピアノという文字がフッと目にとまりました。
するとどうでしょう、NHK-BS1の1月5日は、朝の9時から16:30までピアノ三昧とのこと。

09:00〜 空港ピアノ「マルタ島」45分
10:00〜 BS1スペシャル「ショパン・時の詩人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」110分
00:00〜 BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの戦い〜」110分
14:00〜 駅ピアノ「チェコ・プラハ 特別編」45分
15:00〜 BS1スペシャル「瓦礫(がれき)のピアニスト」50分
16:00〜 駅ピアノ「多民俗都市 アムステルダム」15分
16:15〜 空港ピアノ「音楽とともに シチリア島」15分

という具合に、途中ニュースなどを挟みながら、番組のみで計370分、実に6時間10分にわたって、ピアノ関連の番組が放送されたことになります。BSだからこそできることだとしても、なんたる気前の良さ。

マロニエ君は個人的には、駅/空港ピアノのたぐいはあまり興味が無く、無造作に置かれた一台のピアノを通じてさまざまな人間模様に触れる趣向だろうと思いますが、延々同じことの繰り返しで、テレビで素人の演奏を聴いてまで楽しむ趣味はないので、これはいつも見ません。
続く「ショパン・時の詩人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの戦い〜」「瓦礫(がれき)のピアニスト」はいずれもすでに見ていたので、残念ながら個人的に新鮮なものはひとつとしてありませんでした。

とはいえ、せっかく放送されるのだから、なんだかもったいないような気がして、いちおう録画してしまいました。
それにしても、これだけの長時間、NHKがピアノの番組を集めて半日がかりで放送したというのは、ただただ驚くばかり。

娯楽も趣味も多様に広がる時代だからこそ、BSチャンネルでコアなファンのための番組を制作することもできるようになったのでしょうし、昔と違って、ピアノが大人の楽しみとして注目されて、そこそこ人気があるという小さな社会現象ということなのか。

あるいは世の中のほとんどがハイテク浸けになった今日、ローテクの塊で裏ワザや早道のない、地道な練習を積み上げていくしかないピアノが、これまでとは違った方位から注目されているのか、そのあたりのことはよくわかりません。
ただ、マンガにも「ピアノの森」や「ピアノのムシ」、小説にも「羊と鋼の森」や「蜂蜜と遠雷」などピアノを取り扱ったものが続々と登場して映画にまでなるあたり、いったいピアノはどういう捉え方をされているのか、マロニエ君は正直いってさっぱりわかりません。

わからないけれど、それでも何か理由でピアノが少しでも注目されるのは嬉しいことに違いないし、そこに端を発してこのような書籍やTV番組が増えていくのは、ピアノ好きとしてはわくわくではありますね。

それとはまったく逆行しているのがCDの世界?
一時は新しく発売されるCDが多すぎて、その情報を追いかけるだけでも大変だったのが最近ではウソのように激減、ピアニストは星の数ほどいるのに大半はアーティストといえるような存在はほとんどなく、おまけに過去の音源はネットから聴きたい放題で、新譜が売れない条件が皮肉なほど揃っているのか、とにかく異様なほど少なくなりました。

もはや1枚のCDに対して2〜3000円投じて購入するという感覚がなくなったのでしょうけど、このままではプロの音楽の衰退に繋がりはしないかと思うなど、今はとかく変化が急激すぎて疲れます。

と、なんとなくここまで書いていたら、さらに翌日6日の新聞の番組表で再びびっくり!
昨日に続いて、またもBS1で
22:00〜 BS1スペシャル「私は左手のピアニスト〜希望の輝き 世界初のコンクール〜」110分
というのがあり、さっそく録画セットしました。
まだ見ていませんが、これは初めてで楽しみ。

この道の日本を代表する技巧派の智内威雄氏も出演とあり、いやが上にも興味は高まります。
これを加えると2日間で480分、すなわち8時間にも及ぶピアノ番組というわけで、これは大変なお年玉となりました。


これで終わりかと思ったら、さらに7日の23:55から今度はNHK総合で「ピアノの森」がアンコールとして5話連続で放送されるようで、どうなってんの?って感じです。

2019/01/08 Tue. 02:34 | trackback: 0 | comment: -- | edit

小さな一流品 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


昨年末、中国地方へ出かける機会があり、これはチャンス!とばかりに某ピアノ店を訪れて、ベヒシュタインの小型アップライトに触れることができました。

現在のベヒシュタインのシリーズ構成は3段階のようで、いただいた資料をもとにマロニエ君も確認の意味でおさらいをしておくと以下のような感じでしょうか。
話をすすめる上でいちいちシリーズ名をいうのも面倒なので、シンプルにA、B、Cと分類することに。

A【C.BECHSTEIN コンサート】
ベルリン発祥、歴史あるベヒシュタインの本家本流。
コンサートグランドD-282 以下5種類のグランド、アップライトの王者の名をほしいままにするConcert 8を頂点に5種類のアップライトを構える、このブランドの中心かつ最高のシリーズ。

B【BECHSTEIN アカデミー】
ベヒシュタインを名乗るも、近年加わった廉価シリーズ。
一時はアジアでの生産など曲折があったようだが、現在は「ドイツ製」と明記されている。
ただし、製造業界では他国で部分生産し、本国で最終仕上げをすれば本国製を名乗ることができるというグレーなルールもあるようで、詳細は不明。

C【W.HOFFMANN】
間違っているかもしれないけれど、記憶ではチェコのペトロフで生産されるベヒシュタイン系列の廉価ブランド。
現在はどうなっているか知らないが、B同様どうも生産国/生産会社に関してはスッキリしません。
A/Bが Made in Germany とあるのに対し、Cは Made in Europe だそうで少なくともドイツ製ではないらしい。
スタインウェイはボストンがカワイ、エセックスがパールリバー等、わかりやすいのとは対照的。

シリーズ名は、最近さらにコンサートシリーズ→マイスターピースシリーズ、アカデミーシリーズ→プレミアムシリーズと改称されているとかいう情報もあって、正直いって煩わしさを感じます。
そもそも廉価シリーズをプレミアムというのもどうもなぁ…と思ったり。
ベヒシュタインの特徴は立ち上がりの良いクリアな音なのだから、その製造にまつわる情報もぜひクリアで澄みわたったものにしてほしいもの。


前置きが長引きました。
触れたのは、(A)C.BECHSTEIN コンサートのContur118、(B)BECHSTEIN アカデミーのB.116Accent、(C)W.HOFFMANNはよく覚えていないけれど、たぶんWH114P。
お値段は順に270万円、210万円、156万円。

どれも高さは118cm、116cm、114cmとアップライトの中でもかなりの小型で、下手をすると電子ピアノに近い感じのサイズです。
背が低いだけでなく、前後左右もかなり薄くて細身、その可憐な姿はこれで大丈夫なの?という不安感も正直あるけれど、そこが新鮮な魅力としても眼に映るものでもあり、いずれにしろその儚いような佇まいにまず見入ってしまいます。
ちなみに日本で最も普及しているアップライトのサイズが高さ125〜131cm、奥行き70cm近くと上下前後左右に分厚く、それらに比べると遥かに軽快でモダンな印象。

サイズこそ小さいけれど、(A)の深いつややかな黒の塗装はまるで輪島塗のようで、その作りはこれ以上ないほどのクオリティで美しく、小さくとも高級品然とした独特な存在感を放っていることは、ある種の凄味を感じるほど。

肝心の音は、さすがに腹にズシンと来るようなものではないけれど、一音一音がハッとするほど磨き込まれた美しさで整っており、しかも高い音楽性や品格まで備えており、これはまぎれもなく高級ピアノ。
まるで、小さく作ることに意地と情熱を傾ける職人の工芸作品のようで、中央に小さく輝くC.BECHSTEIN のロゴがやたら誇らしい感じに見えてきます。
このサイズから予想されるような安っぽさや制約とは無縁で、とりわけ影響を受ける低音も破綻がないのはあっぱれで、とにかく音は明快で上質、タッチはどこまでもなめらか。
なぜこんなことができるのか…狐につままれたようでした。
一目惚れしそうで、できることならすぐにでも持って帰りたいような誘惑に駆られました。

その下位に位置するアカデミーシリーズのB.116Accentも、かなり好印象でした。
上位のContur118とくらべても、さほど遜色ないレベルが実現されており、これだけを弾けば十分に満足できるモデルですが、交互に弾くと、たしかに音の深みとか奥行きがややスケールダウンしていることがわかります。

W.HOFFMANNになると、前の2台を弾いた直後ということもあり、はっきりと格の違いを感じます。
はじめのC.BECHSTEINが夢の中にいるとしたら、次のBECHSTEINはその夢が少し浅くなり、HOFFMANNでは残念ながら現実というところでしょうか。

その意味では、(A)(B)(C)はだいたい60万円刻みの価格設定ですが、弾いた感じでは等間隔ではなく(B)は中央より(A)に寄っているようです。
あー、気になるものに触れてしまったなぁ…。

2019/01/03 Thu. 02:33 | trackback: 0 | comment: -- | edit

手早くきれいに! 

このところ急に寒さが厳しくなりましたが、早いもので今年も終わりに近づきました。
とくに平成としては最後の年末ですね。

年末ということで、お掃除ネタでおわるのも平凡ですが、まあ平凡で結構。

手早く済ませる、ピアノの塗装面(艶出し仕上げ)のお掃除について。

ピアノ掃除というかお手入れのためのケミカル品で、マロニエ君がどうにも好きになれないのは、メーカーが出しているピアノポリッシュの類で、あれはムラができやすく、きれいに仕上げるにはかなりの熟練を要し、うまく使いこなす前にイヤになってしまうことは以前にも書いた通り。

そこで自分なりにいろいろ試したあげく、ソフト99から出ている「ピアノ家具木製品手入れ剤」がもっとも使いやすく最良と思ってこれを使っていましたが、そうはいってもこれを塗布して磨きあげのはせいぜい半年〜一年に一回。
日常の殆どはホコリを取るだけの作業になりますが、これがなかなかしっくりくるものがありません。

基本は、ハンディタイプのホコリ吸着のモップ程度でいいと思うのですが、細かい部分や隅っこなどにホコリがたまるとなかなか除去するのが難しかったり、モップはモップで定期的に洗ったりする必要があって、それなりに手間がかかります。
また、厳密に言うと、軽いホコリ取り程度だけでは取れないホコリの層がしだいにできてきて、これをきれいにするには、やはりクリーナーを使うしかありません。

今回目をつけたのは、ダイソーなどで売っているフローリング用のワックスシートのたぐいで、売っているものは何種類かありますが、いずれも微量のワックスを染み込ませたクリーニングシートです。
使い捨てタイプで、何種類もありますが、だいたい12枚〜20枚入りぐらい。

もともとは本来の使用目的にそって床や階段を拭いていたところ、思ったよりゴミやホコリを除去するし、仕上がりも期待以上にきれいで、これはもしかしてピアノにいけるんじゃないかと思ったわけです。

ピアノの外側は、エアコン使用が続く時期ということもあってか、意外にホコリがたまり、きれいにしたつもりでもわずか数日でうっすらとホコリが見えてしまいます。

毎日のお掃除に怠りないような方はご参考にならないと思いますが、マロニエ君はピアノの掃除など週に一度するかどうかもあやしい状況で、うっすらホコリが見えるようになってようやく手をつける程度。

さらに、ホコリというのは、取っているつもりでも結局は掻き寄せてあっちへこっちへと移動させているだけということもあり、これを本当に除去するは意外に難しいもの。
とくにピアノはつやつやして平面が多いので、いやが上にもホコリが目立つもの。
さらに加湿器を使用すると、数日でピアノの表面にはうっすらと白い膜のようなものが付着し、これもハンディモップで取れないことはないけれど、もうすこしシャキッとさせたいところ。

このフローリング用のワックスシートは、当然使い捨てなので、ケミカル剤を使ったときのように柔らかい布を準備する必要もないし、モップでさえ定期的に洗濯することを考えたら、本当に簡単便利です。
おまけに薄いワックス効果もあって、細部までホコリを残さず簡単にきれいになるので、かなり使えると思いました。

ピアノを拭いた後は、ついでに部屋の中のあちこちをちょこちょこと拭いておけば、あちこちがきれいになるので今のところいいことずくめです。

もちろん、これは「ピアノ用」ではないので、自己責任にてお願いします。
ピアノがきれいになったところで、今年も終わりになるようです。
それでは来年もよろしくお願い致します。

2018/12/29 Sat. 02:27 | trackback: 0 | comment: -- | edit

マルセル・メイエ 

時代の流れに反抗し(ているわけでもないけど)、あくまで音源はCDにこだわり続けているマロニエ君です。

最近購入したCDで圧倒的に素晴らしく感激ひとしおだったのは、20世紀の前半から中頃にかけて活躍したフランスのマルセル・メイエのスタジオ録音集成という17枚からなるボックスセット。

ネットにあるCDの説明によれば、1897-1958の生涯。
パリ音楽院でマルグリット・ロンやコルトーの教えを受け16歳で卒業。
ラヴェルやドビュッシーの多くの曲の初演者であり、サティやフランス6人組、コクトーやピカソ、ディアギレフなどと音楽以外の芸術家とも深い関わりがあったらしく、フランスの最も輝く時代とともに生きたピアニスト。

つい先日、ギーゼキングのバッハでぶったまげて何日間もそればかり聴いて過ごしていたというのに、それをつい横にやってしまうような魅力ある素晴らしいメイエのピアノに驚きのため息が止まりません。
実をいうと17枚を聴くのにひと月ちかくかかりました。
なぜならあまりに素晴らしすぎて、繰り返し聴くものだから、なかなか次のCDに交換ということになりません。

しかも、17枚とはいっても、すべてCD収録時間ギリギリの80分近い収録となっているので、LP時代でいうと倍近い枚数になっていたものだろうと思われます。
それが、こうしてCDの小さくて簡素な箱に入れられ、一枚あたり定価でも200円ちょっとで買えるのですから、大変な時代になったものです。

この人のピアノを聴いていて、演奏の最も中心をなしているものはなにかといえば、それはセンスだと思いました。
ただ、センスという言葉で誤解されたくないのは、センスというとすぐにファッション的な意味合いや、繊細でオシャレ的な意味合いで受け取られることが多いのですが、そうではなく、演奏スタンスというか価値感という点で、しっかりしたスタイルの見切りがついている、あるいは楽譜を音楽的言語にいかに美しくデフォルメできるか…というふうに思っていただけると幸いです。

あまり枝葉末節にこだわらず、音楽の本質、開始から発展し収束に向かって終りを迎える個々の作品の短い生涯を再現するにあたって、最も大事にすべきものはなにかということを、この人の演奏はよく示してくれるように思います。
なので、もしメイエの演奏を聴いて何か影響を受けるとすると、それは直接の解釈とかアーティキュレーションではなく、音楽を自分流にどう捉えるかという本質であり、自分ならピアノの前に座ってどんな演奏を旨とするか、それをシンプルに考えるヒントにあるということではないかと思います。

現代の凡庸な演奏家の多くは、楽譜に正確に、完璧に弾けているというアピールばかりを詰め込みすぎて、肝心の「音楽」が本来の精彩を失い、聴き心地の悪いものになっている演奏で溢れています。
場所々々ではいかにも立派なように聴こえるけれど、全体として通すと詩もなければドラマもない、要するに何の魅力もない、音楽の神様が一瞥もくれないような演奏。
その真逆にあるものがメイエの演奏にはぎっしり凝縮されているわけです。

必要以上にもったいぶるようなことはせず、表現表情も過度にならず、それ以上は聴き手の感性に委ねられた、聴き手の感性を呼び起こす演奏なんですね。直接的にエグい表現などはまったくなく、どちらかというと毅然として澄みわたっている。
そのなんとも微妙なところが最高なんです。

技巧もそのまま現代でも第一線で通用するほど見事であるけれど、まったくそれを見せつけるような自慢や強調はゼロ。
ましてや楽譜に対する忠実ぶりを正義のように押し付けてくるわけでもないし、戦前のピアニストありがちな恣意的で独善的なものとも見事なまでに区別された、楽譜に批准した知的な演奏であることは衝撃でした。

どれを聴いても活気に満ち、音楽があるがままのように生きている。
昔はこういう人が自分の生きるべき場所に生きることができ、なすべきことがなされたこと、そんな当たり前が素晴らしいと思いました。
それは時代の力でもあり、まわりにいた多くの芸術家たちとの相乗作用もあって、このような演奏を生み出し支える大きな養分になったことでしょう。

今のピアニストは、ピュアな芸術家として生きるには、時代がなかなかその味方をしてくれないようです。
ひたすら技術と暗記のトレーニングに明け暮れ、あとはコンクールというレースに出てせっせと営業活動するなんて…それを外から軽蔑するのは簡単ですが、気の毒なこととも思います。

2018/12/23 Sun. 01:49 | trackback: 0 | comment: -- | edit

コンサートベンチ2 

油圧式ベンチのメリットは、従来のもののように木と金属をネジで止める構造ではなく、座面のクッション部以外はほぼ金属のみで構成され、ベースは溶接一体式なので、捻じれや軋みが出る要素が圧倒的に少ないというところにあるようです。
しかも簡単なレバー操作で、油圧式の座面がサッと上下するので、丸いノブを延々ぐるぐる回す必要がないのは画期的。

数社から類似品が出ているようですが、外観からはなかなか見分けがつかず、イタリア製とかスペイン製などとあるだけで、実際に座り比べのできるような店もなく、ピアノの椅子がないわけでもないので、しばらく静観することに。

イドラウ社というスペインのメーカーを知るようになったのもこの頃で、ファツィオリなどはイドラウ社のベンチを使っているようで、以前の「バルツかジャンセンか」の時代は過ぎ去り、ランザーニ、ディスカチャーチ、アンデクシンガーなどのメーカー名も次第に広がってきたように思います。

そもそもマロニエ君はピアノにこだわるなら、それを弾くための椅子はとても重要という考えで、靴にこだわるのとどこか通じているかもしれません。
どんなに素晴らしいピアノでも、椅子がサービスのしょぼい廉価品では、座り心地はむろんのこと、ビジュアルとしてもキマらない感じがするのです。
普通のピアノでも、コンサートベンチを置いただけでたちまち風格が漂い景色が変わるし、使い心地においても安定感があって快適なので、個人的にはコンサートベンチはピアノの如何にかかわらず強くオススメします。

ところが、ピアノにはこだわっても椅子には一向に関心を向けない方って多いんですね。
この何年かの間に、知り合いなどでピアノを買われた方が何人かおられ、そのたびに椅子はいいのを買ったほうがいいとアドバイスしますが、そうされたのは約半分。
買われた方は、みなさん例外なく「買ってよかった」「気がつかなかった」といわれ、その余裕ある座り心地を日々実感されているようです。
実際、コンサートベンチは一度使うと、おそらく二度ともとには戻れないもので、見た感じもいかにも本物といった重厚感があふれて、ピアノはもちろん部屋の雰囲気まで一気に引き立ちます。

かくいうマロニエ君も、自室のシュベスターにもはじめに買ったコンサートベンチを使っていますが、アップライトでもとても似合いますが、それを見た調律師さんも「アップライトでこういう椅子を使われる方はいないですね」とのこと。
ちょっとしたことで、練習にも身が入るんですけどね…。
アップライトにカバーを掛け、普及品の椅子を置くと、それだけで「子供にピアノやらせてます」的な雰囲気で、むこうからおかずの臭いがしてきそうですが、コンサートベンチひとつでまったく違った世界になります。

さて、油圧式ベンチですが、それほどお高いものではなくだいたい10万円前後で、その中ではイドラウがややお安いぐらいでしたが、日本のイトーシンからも似たようなものが発売され、こちらは価格は約半分。
なんでもドイツのヤーン社のOEM生産品ということのようですが、なんかカタチが好みじゃなくてこれはボツ。

で、イタリア製とやらもどこで売っているのかもよくわからないし、そうなるとイドラウかなあと思っていたところ、ドイツのアンデクシンガー製があることがわかり、お値段はほんのちょっと高めですが、ドイツ製の椅子はひとつもないのでその点でも惹かれました。
調べていくと評価も高く、ベーゼンドルファーの取扱店や、ファツィオリも油圧ベンチに関してはアンデクシンガーを推奨しているようなので、結局これを買うことに決めました。

それが最近届いてさっそく使っているのですが、さすがはドイツ製だからか、あるいは油圧ベンチ全般がそうなのかはわかりませんが、腰を下ろすとギョッとするほどしっかりしており、まさに床に固定でもしたように微動だにしないのはかなり驚きました。
加えて高さ調整の簡単さは群を抜いており、この点で重宝されていたトムソン椅子でもいちいち後ろに回って上げ下げしなくてはいけなかったものが、油圧ベンチは座ったままサッと微調整もできて、とくに奏者が入れ替わるコンクールや発表会などでは、もはやこれに勝るものはなく、その手のイベントには必須アイテムではないかと思います。

そうは言っても、うちでピアノを弾くのはマロニエ君のみで、高さ調整も一度すればほとんどする必要もなく、さほど役に立っているとも言えませんが、ピアノを弾くお客さんがみえたときには役に立つことでしょう。
現在グランドの前にはランザーニとアンデクシンガーのベンチが2つ並んで、なんとなく自己満足。

後からネットで知ったことですが、ランザーニ社は社長の死去に伴って会社自体が廃業した!とのことで、もはや購入できなくなっているとのこと、思いがけなくコレクターズアイテムになってしまったようです。

追記:文中の日本製と思っていた油圧ベンチは、ネットでよくよく調べたら近隣国での生産品でした。うっかり日本製と勘違いするところでした。

2018/12/17 Mon. 02:49 | trackback: 0 | comment: -- | edit

コンサートベンチ 

必要もないのに、意味もなく欲しくなるものってありませんか?

マロニエ君にもそんなものがいくつかあって困りますが、その中の一つがピアノの椅子。
中でも欲しくなるのはコンサートベンチ、すなわちコンサートのステージでも使われる椅子のこと。

たしか20年ぐらい前のこと、それまで使っていた普通のダサいピアノ椅子に我慢できなくなり、よくわからないまま日本のピアノ椅子では有名メーカーのコンサートベンチを購入。
当時は注文制で、座面を本皮、足の部分を黒のつや消し仕上げで購入しましたが、これが見た目はたいそう重厚で立派なんですが、一年もしないうちにギシギシと雑音が出始めて憤慨。

で、次に買ったのが、ヤフオクで見つけたカワイ純正のコンサートベンチで、ピアノメーカーがコンサートで使うものなら間違いないだろうと思ったのですが、その期待もあえなく裏切られて、こっちははじめから雑音があって前回以上に落胆。
これは中古品だったものの、そんなに使われたとは思えない美品で、大きさ重量ともに立派だし、サイドには小さなKAWAIのエンブレム付きであるにもかかわらず、盛大にギシギシいうのはびっくりでした。

調律師さんが、調律に来られたついでにCRC(潤滑剤)を吹きつけたり、一度は自宅に持ち帰って各所を増し締めしたりとかなり奮闘してくれましたが、音が消えるのはしばらくの間で、そのうち再発しはじめて、時間経過とともに完全に元に戻るのには閉口させられました。
そのうちこの2つに関してはあきらめてしまい、やっぱり日本製はダメだと思い、輸入物を狙うことに。

一時代前までのコンサートベンチは、ヤマハはヤマハ製、カワイはカワイ製を使い、スタインウェイやベーゼンドルファーではドイツのバルツ製、あるいはアメリカのポール・ジャンセン製というのが定番でした。
バルツはいかにも高品質な感じはあるものの、古いメルセデスみたいな実直なで遊びの一つもないデザインがあまり好きになれず、対してジャンセンのほうがデザインが好ましく、価格も少し安いこともあってか、当時のコンサートの多くがこれでした。

というわけで、次はポール・ジャンセンだと心に決めていたのに、さる輸入ピアノ店のオーナーにして技術者の方によると、ポール・ジャンセンも所詮はアメリカ製品で、いずれ雑音が出始めるのは避けがたいとのこと。
その時点ではジャンセンのベンチにはかなり思い入れもあり、聞いたのがいよいよ購入する直前のことだったので少なからずショックを受けました。
でもまあ、安くもないものを期待をこめて買った後に3たび裏切られるよりは、事前にわかってよかったと思い直すことに。

というわけで、では雑音が出ないという観点から最もオススメのコンサートベンチはなにかと尋ねたら、即座に「イタリアのランザーニ製でしょう」との回答でした。
イタリア製は車好きの経験から、デザインやスピリットは認めるとしても、品質に関しては大いに疑問符がつくイメージがあったので、俄には信じ難い気もしましたが、その方は抜きん出て知識が豊富で信頼のおける方であったし、自信をもって推挙されるので結局それを購入することになりました。

当時ようやくこのベンチがコンサートで使われはじめた頃で、側面に赤いラインが2本入り、座面ステッチにも赤い糸が使われるあたりいかにもイタリアンで、すでにポリーニなどが使っていたし、ホールにも結構あるようで今でもときどき見かけます。
そのころ、このランザーニのコンサートベンチを取り扱っているのは松尾楽器商会だったので、ここから購入。

送られてきたそれは、これまでの2つのコンサートベンチにくらべて明らかにガッシリしているし、かなり重く、たしかに作りもかなり堅牢、どんなに重心移動してもミシリとも言わず、まずこの点においてはかつてない頼もしさがありました。
いやな雑音からも解放されたのはよかったけれど、強いていうなら座面のクッションの沈み込みがほとんどない平坦な作りなので、厚みのあるクッションの感じがないのは少し残念でした。

でもとりあえずこれで落ち着いたことでもあり、部屋にコンサートベンチばかりごろごろしていても仕方がないので、カワイ製のものは人にあげて整理をつけたころ、今度は油圧式のベンチがちらほら出始めました。
はじめは「骨組みだけの変な椅子」としか思わなかったけれど、コンサートでもこの油圧式のベンチがしばしば目につくようになり、実際に楽器店で腰を下ろしてみると、これまでのものとは違った心地よさがあって良さを認めざるを得なくなります。

慣れの問題もあって、見た感じはさほど好きにはなれなかったけれど、抜群の安定性、レバーひとつの高さ調整のしやすさなど、とくに機能面では有利なんだろうと納得し、早い話が今度はこれが欲しくなったというわけです。

続く。
2018/12/12 Wed. 02:26 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ディアくまもん 

熊本は福岡からはおよそ100km少々で、近いといえば近く、遠いといえば遠いところ。
東京からいうとちょうど御殿場ぐらいの距離で、行こうと思えばいつでも行けるものの、気軽にサッと往復する距離でもない微妙な距離でしょうか。

たまたま所用で熊本に行くことになったので、これは好機とばかりに予定より早く出発して、とあるピアノ店におじゃますることに。
市内中心部の幹線道路に面した店舗で、ここが珍しいのはディアパソンを販売のメインとしているところです。

ご店主自らご対応くださり、いろいろと興味深いお話を伺い、店内のピアノもほんの少し触らせていただきました。
ディアパソンといえばマロニエ君も3年前まで自宅で使っていたこともあり、とても親しみ感じるピアノですが、一般的な認知度はヤマハ/カワイという巨大勢力の前では、あくまでもマイナーブランドという位置づけ。

それでも、この数十年で日本国内の多くのピアノブランドが次々に消滅してしまったことを思えば、生みの親である大橋幡岩さんがブランドごとカワイ楽器に譲渡していたことが幸いして、今日まそのブランドは保たれ、少数でも生産されているのはまさに奇跡的といっていいかもしれません。

とはいえ近年のモデルは順次整理が進み、大橋氏が設計した3種のグランドはついに183cmのひとつを残すだけになってしまいました。
さらには今年のことだったと思いますが、カワイ傘下の子会社として運営されていた株式会社ディアパソンが、ついに統合されてしまったようです。
これによりディアパソンとしての独自性はさらに制限を受けることになるのか、あるいは新たな道が拓けていくきっかけになるのか、マロニエ君ごときにわかるはずもないけれど、むろん後者であることを願うばかりです。

会社の話なんぞするのは無粋なので、ピアノの話に戻ると、ディアパソンは現在でも一部のファンにとっては、なかなかの人気ピアノなんだそうで、ご店主曰く「モデルによっては生産が追いつかず、注文したものがやっと届くというような状況」というのですから、これは意外な驚きでした。
そんな好調な売れ行きの裏には、ディアパソンに惚れ込んだ販売店が、熱心にその魅力を説いていくことに日々奮闘されているという、いわば草の根の努力あってのことと思われ、そこはまさにそういう店なのだと思われます。

むかしのように「良い物さえ作っていれば、お客さんは必ずついてくる!」というような法則は崩れ、どんなに優れたものでも、それをいかに周知させ、果敢に良さを説いていくか、これに尽きる時代ですから大変です。
特にピアノはヤマハ/カワイという両横綱を相手に、ディアパソンという平幕が金星を勝ち取らねばならないのですから、ご店主の努力と情熱は並大抵のものではないと推察されます。

店内には4台のグランドがあり、新品では定番の183cmと猫足の164cm、レッスン室で使われているのはディアパソンとボストンいずれも奥行きが178cmというものでした。

3台のディアパソンには明確に共通する特徴があり、それは音とタッチだと思いました。
ディアパソンは昔から広告に「純粋な中立音」と謳っていますが、中立音というのがこういう音なのかどうかはわからないけれど、その音には飾り気のない素朴な味わいとズシッとした重みがあって、どちらかというと昔気質のピアノだと思います。
タッチも同様で、今どきの軽やかなアクションではなく、やや重めのタッチできちんと弾かされる感じでしょうか。

驚くのは、ディアパソン伝統のオリジナルではないモデル、すなわちカワイベースの164cmや178cmでさえ、骨太なディアパソンの音がしっかりすることで、決してマークを貼り替えただけではない、ディアパソンらしい音の特徴がしっかりと保持されていることでした。
ボディや響板は同じだとすると、この「らしさ」はどこからくるものなのか、おおいに興味を覚えるところです。

少なくともカワイと違うのは、今だに木製アクションを搭載していることや、ハンマーなどのパーツが違うということはあるかもしれませんが、それだけでああもディアパソンの音になってしまうものなのか、これは非常に不思議でした。
個人的な印象でディアパソンを人間に喩えるなら、根は優しいけれど心にもない作り笑いや耳障りのいいトークなどは苦手な正直者で、長く付きうならこっちというタイプだと思います。

ただし、アクションに関してだけは、もう少し今どきの新しさを採り入れて欲しいというのが正直なところ。
さすがにヘルツ式にはなってはいるのでしょうが、依然としてボテッと重く、指の入力に対してアクションの反応にわずかな齟齬があるのは少々の慣れを要します。
マロニエ君もこのタッチに関してだけは、ディアパソンを所有しているころ、ずいぶんと調律師さんにお願いして改善を試みましたが、それにも限界があり、かなりのところまでは持って行けたと思いますが、根本的な解決には至りませんでした。

カワイの樹脂製のアクションになるとしたら素直には喜べないとしても、少なくとも現代的なストレスのないアクションが組み込まれたら、それだけでもディアパソンの魅力が倍増して、理解者・支持者(要するにお客さん)が一気に広がるのではないかと思います。

個人的な好みをいうと、ピアノ店には営業マンが何人もいるような規模は必要なく、この店のようにご店主自ら一つのブランドに精通し、業界に確かな人脈をもち、その魅力をひとりひとりに説きながらファンの裾野を広げていくというスタイルが理想的で、楽器はそもそも本来そういう世界ではないかと思います。
聞けば、遠方からでもディアパソンに興味のある方はわざわざここを訪ねて来られるそうで、結果として納入先は九州全体に広がっている由、納品時の写真を収めたものという分厚いアルバムがその事実を雄弁に物語っていました。

ディアパソンあるかぎりますます頑張っていただきたい貴重なお店でした。

2018/12/07 Fri. 02:34 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ガラクタ漁り 

古本店の中古CDはクラシックなどほん少しあるだけで、期待もしていなかったところ、たまたま面白いもの(しかも廃盤)がまぎれていたことで、ビギナーズラックだったと考えるべきなのに、つい味をしめて二度三度覗いてしまいました。

当然、そんな偶然が続くはずもなく、結果は玉石混交、失敗も少なくありません。
いいものについてはあらためて書いてもいいけれど、中には安さゆえに冒険心と欲に煽られて、普段だったら買わないようなものにまでついつい手を出してしまいます。

もちろん、興味を覚えたものはそれなりにいちおうは吟味して買っているつもりですが、しょせんはガラクタ漁りであって、ヘンなものをいくつか買ってしまいました。

掘り出し物も中にはあるから、勝敗は五分五分だとしても、五分五分ということは結局いいものを倍の値段で買っているようなもので、ま、せこい遊びとして、それはそれで楽しんでいます。

いくつかご紹介。
名も知らぬドイツ人ピアニストによるショパンの14のワルツというのがあって、いまさらショパンのワルツでもないけれど、裏に記された小さな文字に興味がわきました。
演奏者の名前のすぐわきに(Bechstein)という文字があり、ベヒシュタインによるショパンというのはどういうものか聞いてみたくなり購入。
ところが、これがもうウソー!と声を出したくなるような下手な演奏で、おまけに録音もぜんぜんパッとしないもので、1曲めでやめようかと思ったけれど、それじゃあまりに悔しいから一度だけ我慢して最後まで聴きましたが、それでハイ終わり。

むかし天才などと言われて有名だった日本人によるヴァイオリン名曲集。
若いころ、来日中のコーガンの目に止まり、彼が教えることになってソ連に行って研鑽を積み、帰国後は有名な画家と結婚した方。
この人は名前ばかり知っていて、まともに演奏を聴いたことがなかったからいいチャンスと思ったけれど、これがもうやたら古臭い、昭和の空気がどんよりただよい、日本人がここまで弾いてますよ!というだけのもので、とてもその演奏に乗って曲が羽根を広げるようなものではない。
当時のソ連にはただ上手い人なら日本とは比較にならないほどごろごろしていただろうし、コーガンほどの巨匠がこの人のどこにそんなに惚れ込んだのかと頭をひねるばかり。

ウェルテ・ミニョンの大いなる遺産ー19世紀後半の名ピニストたち。
あとからわかったけれど、ウェルテ・ミニョンは昔のピアノ自動演奏装置のことで、それを知らなかったばかりにすっかり騙されました。古いレコードのコレクターぐらいに思っていたのです。
マロニエ君は昔からピアノロールなどの自動演奏というのが嫌いで、これで録音したCDなどは決して買わないのですが、購入して中を見てはじめてそうだと判明。それをアメリカのブッシュ&レーンというピアノに取り付けて、往年の巨匠たち、すなわちプーニョ、パハマン、ザウアー、パデレフスキなど総勢8人によるショパン演奏でした。
この装置がどれほど正確に記録/再現能力があるのかは知らないけれど、聴こえてくる演奏は、どれも信じられないほど不正確で、大雑把で、あちこち好き勝手に改竄された演奏。技術的にもその名声にふさわしいとは到底いいがたく、そういう時代だったということは踏まえるにせよ、ひととおり聴くだけでもストレスを伴うものでした。
大半はメチャクチャといいたいような演奏で、最もまともだったのは日本にも馴染みのあるレオニード・クロイツァーの革命で、8人中たったひとりまともな人に会ったような印象でした。
ブッシュ&レーンというピアノも、良く鳴ってはいるようだけれど、鋭いばかりの耳障りな音で演奏と相まってかなりストレスがたまりました。

ジェシー・ノーマンのシューベルト歌曲集。
例によって神々しい、ビロードのような美しい声だけど、シューベルトの音楽がやけにものものしくゴージャスにされているようで、なんだか釈然としませんでした。個人的にはもう少し、簡潔な美しさの中に聴くシューベルトのほうがしっくりくるし好みです。
もちろん歌手としては途方もない存在であるのは疑いようもないけれど、ミスマッチなものでも無抵抗に有り難がっていた時代があったことを思い出しました。

「安物買いの銭失い」とはまさにこのことだと思いますが、趣味や楽しみにはムダはつきもの。
ムダや失敗のない趣味なんてあり得ないのだから、それをふくめて楽しんでいると勝手にオチをつけています。


2018/12/03 Mon. 01:56 | trackback: 0 | comment: -- | edit

島村クラシック店 

島村楽器は毎年、博多駅ターミナルビル内のイベントホールで大規模な「ピアノフェスタ」というのをやっていましたが、気がつけば天神でも開催されるようになり、7月に続いて11月も「ピアノフェスタ福岡2018winter」というのをやっているというので、せっかくなので連休中に覗いてきました。

駐車場がどこも満車なので、空きが出てくる18時近くに行ってみると、会場はえらく静かな雰囲気でした。
お客さんよりお店の人の数のほうが圧倒的に多く、これじゃあ気の弱いマロニエ君は音なんぞ出せません。
とはいっても、グランドに関しては置かれているのは大半がヤマハ、それも売れ筋のC3の中古が5台とか、それ以外もこれといって興味を覚えるようなものは今回は見当たりません。

営業のお姉さんがほどよい感じで話しかけてきますが、その会話の中に「今度、ももち店というのがオープンしまして、そちらには…」というので、ん?なに?と思ったら、これが思いがけない情報でした。

ソフトバンクホークスの本拠地であるヤフオクドームの目の前の商業施設が新しく建て替えられて、マークイズという商業施設に生まれ変わってオープンしたというニュースをテレビでやっていましたが、そこに島村楽器の福岡ももち店ができて、アコースティックピアノを専門に扱う「クラシック店」ができたというのですからびっくり。

だいたいマロニエ君は、この手の商業施設というのにあまり興味はなく、どれだけ鳴り物入りで新しくできたとて、しょせんは似たりよったりの同じような店がまたかという感じで入るだけで、もういいかげんあきあきしているので、まず行ってみる気はなかったし、もし行くことはあっても当分先だろうぐらいに思っていました。
まさかそこに、島村楽器の「クラシック店」ができているとは知りませんでした。

オープンからまだ数日、しかもはじめての連休とあって相当の人出のようだけれど、夜になれば多少は人も減って車も置けるかもと思い、聞いた勢いでそちらに向かってみることに。
近づくと、19時というのにやはり人も車も多いようで、誘導にしたがってドーム前をぐるぐるとまわらされたあげくにやっと立体駐車場に車を止め、施設に踏み入れると、いやあものすごい人の波。

思った以上に大きな施設のようで、どこになにがあるのかさっぱりわかりません。
これは探すのが大変と思っていたら、駐車棟から渡り廊下を渡ったところが施設の3階にあたり、島村楽器もちょうどこのフロアにあり、わりにすぐ見つかりました。
パッと見たところは、あちこちのショッピングモールでよく目にする島村楽器の店舗なのですが、中に奥深く伸びた一角があって、壁で仕切られた向こうにはグランドピアノがずらりと並んでいました。

入って行くと、表の喧騒からは隔絶されたエリアとなり、ボストン、スタインウェイ、ヤマハ、スタインベルクなど、グランドだけでも8台ぐらいはあったような気がします。アップライトはたぶんそれ以上でしょう。

最も印象的だったのは、3台あるボストンのグランドの中で最大のGP-215。
そのタッチはまるでとろけるようで、適度な抵抗が実になめらか、上質なもので包み込まれるようにキーが沈みます。
しかも決して鈍重ではなく、返りも俊敏、まったく思いのままに弾けるのは驚きでした。

指というのは必ずしも常に最適な動きやコントロールができているわけではないから、そこには当然ばらつきがあるわけですが、それをこの鍵盤+アクションはうまく吸収してくれて、まるで高級車のサスペンションのように凸凹を呑み込んでくれます。
それでいて必用な強弱や表情はイメージしたままに付けられるし、トリルなどもより細かいことが可能で、これにはいきなり感心させられました。
これまでにもボストンはちょこちょこ触れたことはあったものの、とくだんの印象はなく、GP-215に触れたのは今回がはじめてでした。記憶とはあまりにもかけ離れた印象のピアノだったのはちょっと衝撃で、やはり最大モデルだけあって、作りや調整なども別格なんだろうという印象を受けました。

音もじゅうぶんに満足できるだけのものがあり、このサイズで400万円強というのは、ほかを見渡すと相当すごいことかもしれません。
それと、より高価なSK-6やヤマハのS6が、行き着くところはやっぱり「日本のピアノの音だなぁ」と思うのに対し、ボストンは違う血が流れているとマロニエ君は思いました。

ボストンGP-215と向い合せに置かれていたのがスタインウェイ。
新品のように見事にリビルドされたBですが、フレームの穴の周りには丸いイボイボがあって戦前のモデル。
聞けば1933年製との事でしたが、弾いた感じも実に若々しく元気によく鳴っていました。
サイドには、Dと同じサイズの特大ロゴが埋め込まれていて、えらくそれがキラキラ光っているのは、ちょっとやり過ぎでは?と思いましたが、お値段も相当なもので、それを買われる方は、その証がほしいのかもしれませんね。

いずれにしろ面白いピアノスペースが一つ増えたし、この常設店舗のほうがよほど上質でわくわくする「ピアノフェスタ」でした。


2018/11/28 Wed. 02:53 | trackback: 0 | comment: -- | edit

ピアノのレクサス 

知人からお誘いいただき、カワイのショールーム内に併設された小さなホールにシゲルカワイのコンサートグランド(SK-EX)が期間限定で置かれていて、ひとり30分弾けるというので、行ってきました。

あるていど予想はしていたけれど、今どきのテイストですべてが完璧に整えられた、まさにピアノのレクサスとでもいったところでしょうか。
たしかによく作られており、製品としては素晴らしいとは思うけれど、楽器としての生命感とか血の通った感じはなく、熱くなれないところがいかにも今っぽいなあと思いました。
至って機械的で、現代のハイテク技術で正確無比に作られた豪華なお城みたいな感じ。

いかにも新品然としていたので、おそらく最新もしくはそれに近いモデルだと思われましたが、これといったクセもムラもない、全音域にわたって見事に整いまくっていました。
あまりに整いすぎて、かつてはEXなどにあったカワイの特徴らしきものまで跡形もなく消えてしまっており、もしブラインドテストでもされたら、メーカーを言いあてることはかなり難しいだろうと思いました。

これまではやや野暮ったいところも含めてカワイらしさがいろいろありましたが、いつの間にここまで宗旨替えしたのか、たいそう洗練されて、昔のカワイから思えば隔世の感がありました。

今どきの製品としては最高ランクに列せられるコンサートピアノだというのはわかるのですが、ひたすら他社のコンサートピアノと肩を並べること、嫌う要素を残さないように徹したという感じ。
音も「きれい」ではあるが、「美しい」という言葉を使うときの深くて底知れぬ世界とは違います。

当節は、良好な人間関係を築くためには自我を出さないことが肝要なようですが、まさかそれがピアノにまで求められるようになったのかと思うと、なんとも寂しい限りです。
個性やインパクトは評価が分かれるから危険で、それらを排し、コンクールの檜舞台でまんべんなく点数が稼げるピアノ?

SK-EXといえば、むかし楽器フェアの会場が池袋から横浜に変わったころ、ほとんど試作品みたなSK-EXをちょっとだけ触ったことがありますが、えらくスタインウェイを意識した感じで、それがいいかどうかはともかく、作り手の気迫みたいなもの伝わってくるピアノであったような記憶があります。
EXにくらべてブリリアンスとパワーがあきらかに増していて、そこには欠点やはみ出しもあったかもしれないけれど、とにかく熱いものはありました。

それとは対照的に、今回弾かせてもらったSK-EXは、徹底的なリサーチのもとにネガ潰しされつくしたのか、あえて主張めいたことはせず、デジタル一眼カメラのようなクリアーな面だけを出すように作られたピアノという印象でした。
コンクールと同様、今どきは個性は必ずしも長所とならない時代、このSK-EXはむしろその点を注意しながら作りましたよ!というのが前に出ていて、コンサートグランドならぬコンクールグランドとでもいいたくなる、そんなピアノでした。

今回はカワイショップの企画のお陰で、無料で弾かせていただくことができたもの。
タダで弾かせてもらっておいて、言いたいことだけ言うのは甚だ申し訳ない気もするのですが、だからといって心にもないことは書けないし、これはあくまでもアマチュアのピアノ好きの戯れ言なので、何卒お許しいただきたいところです。
こういう機会を作ってくださったカワイショップのご厚意には深く感謝しています。

蛇足ですが、今回も思ったのは、カワイのフルコンって、なんであんなにボディの側板がぶ厚いんだろう?ということ。
思わずミニカーでも並べたくなるほどで、そういえば昔から、カワイは響板も厚めなんだとか。
カワイは熱いかどうかはともかく「厚い」ことは今も確かに受け継がれているようです。
2018/11/23 Fri. 03:00 | trackback: 0 | comment: -- | edit

夢の2時間 

今どきスタインウェイDを備えているホールなんて、日本国内のいたるところにごろごろしていますが、そのほとんどがハンブルク製で、ニューヨーク製のあるホールはほんの数えるほどしかありません。
100台中1台ニューヨークがあるかどうかでは…。
ましてハンブルクとニューヨーク、両方を備えているホールはそうあるものではないでしょう。

そのきわめて珍しいホールが、なんと福岡県内の小さな町にあるのです。
バブル真っ只中に作られたと思われ、コンサートさえやっているのかどうか疑わしいような山の麓みたいなところにそれはあり、今だったらあり得ないことでしょう。
しかも町立の文化施設なんですから驚きます。

そこが開館30周年を記念して、所有するスタインウェイを弾かせてくれるイベントをやっているという貴重な情報が知人からもたらされました。
通常、ホールのスタインウェイを弾くリレーイベントみたいなものはあるけれど、あれはひとりわすか数分という制限付きで、老若男女が次から次へと順番に弾いていくというスタイル。

ところが驚いたことにこのホールでは2時間ずつの割当てで、料金も俄には信じられないほどお安いものでした。
ただし、ステージの反響板と空調はなしというもの。
さっそく予約の電話してみると、希望する日にすんなり予約が取れ、15時から17時までの2時間がキープできました。

このとき、ピアノはハンブルクとニューヨークのいずれを使うかを尋ねられるので、迷うことなく触れるチャンスの少ないニューヨークを希望しました。

福岡市内からかなり距離があり、車でおよそ2時間弱で到着、すぐに受付をして申し訳ないほどお安い料金を支払うと、担当の方が先導してしずしずとホールへと案内してくれます。
ステージには希望通りにニューヨークのDが準備されており、こんな本格的なホールでこれから2時間弾くのかと思うと、嬉しいような畏れ多いような、なんとも複雑な気分になるものですね。

そのスタインウェイは、まるで「私」が来るのをじっと待っていてくれたように見えました。
蓋は全て閉じられており自分で大屋根まですべて開け、軽くキーに触ってみると、ワッと迫ってくるような鳴りの良さが瞬間的に伝わってきて、これはタダモノではないというのが第一印象。
ここで臆していても始まらないので意を決し、バッハから少しずつ曲を弾いていきましたが、その充実した鳴りと音の美しさは、これまでのニューヨークのイメージまでも塗り替えるような素晴らしいもので、陳腐な表現をするならいっぺんで恋に落ちるようなピアノでした。

何を弾いてもピアノが包み込むように助けてくれるし、本来はニューヨークの弱点でもあるはずのアクションの感触もまったく問題なく、思ったことが思った通りにできて、ささやくような弱音から炸裂するフォルテ、声部の歌い分けや意図した表情付けまで、あくまで自分のできる範囲ではあるけれど、まったくもって自由自在でした。

場所やピアノが変わると、その緊張から、家では「できる」ことが「できない」ということは、ピアノを弾く者にしばしば襲いかかることですが、このとき不思議なぐらいそれはなく、自分の指先から極上の美音がホールの響きに合わさってすらすらと最高のサウンドに変換されていくさまは、ゾクゾクするようで弾きながら陶然となるばかり。
実はこの日、本来ないはずの反響板も設置されていて、それもあってホール本来の響きも併せて経験できたのだと思います。

4冊ほど準備していた楽譜の中の数曲もじきに終わり、あとは思いつくままにずっと弾いていましたが、途中休憩もせず、2時間がサーッとすぎてしまったことは自分でもびっくりでした。
時間的には一夜のリサイタル分ぐらいは優に弾いたことになり、ピアニストはこうした高揚感が病みつきになって、苦しい練習も厭わずにコンサートをしたくなるんだろうなぁと、ちょっとだけその心情の一端が見えたようでした。

これで座席にお客さんがいて、そこそこの演奏ができて、拍手喝采となれば、そりゃあ気持ちいいでしょうし達成感があるでしょうね。

とにかくピアノは申し分ないし、ホールは600席なのでピアノには最適なサイズ。
ホールの残響というのがこれまた麻薬的で、演奏が何割増しかで音楽的に嵩上げされるし、多少のアラも隠してくれることがよくわかりました。

このニューヨークは、ハンブルクにくらべるといい意味での野趣がありましたが、それは決して粗さというのでもなく、ほどよい色艶もちゃんともっていたし、低音などはボディがぶるぶる震えるほど鳴りまくっていました。
またニューヨークには軽めの淡い音のするピアノも少なくないけれど、ここのピアノには意外なほどの濃密さがあり、中音も豊かでたっぷりしており、ちょっと痩せ気味になる次高音域も青白い刀身のような切れ味をもって華麗に鳴りわたり、どこまでもよく歌いよく鳴ってくれました。
この時代のスタインウェイには他を寄せ付けいない圧倒的な凄みがあり、それを維持するだけのふさわしい管理がされている点もまったくもって驚きでした。

舞台袖を入ったところにはハンブルクも置かれており、シリアルナンバーを見ると、2台ともちょうど30年前の製造で、よけいな味付けや小細工をされていない、まさに好ましかった最後の時期のスタインウェイの真価を堪能することができました。

終わって外に出たときは、なんかわけもなく「あー…」って感じで、あまりに素晴らしい時間を終えたあとの虚脱感だったような気がします。

2018/11/18 Sun. 02:31 | trackback: 0 | comment: -- | edit

アップライトの魅力-2 

前回に引き続き、アップライトピアノの魅力について。

現実的な住環境の中での使ってみると、アップライトはスペース効率において優れているのみならず、弾いた感じにもアップライトならではの良さがあることも次第にわかってきて、むやみにグランドはいい、アップライトはその下、という単純な図式がマロニエ君の中ではやや崩れつつあります。

《音の特徴》
アップライトは弦と響板が床に対して直角に立っており、音の発生源が弾く側の全身にまんべんなく近い位置にあるためだと思われますが、グランドよりも音の立ち上がりがよく、より身近にピアノの音に接することができるという独特な気持ち良さがあって、この感触はグランドではなかなか得られないものではないかと思うのです。
よってアップライト特有の迫力というのがあるし、自分の出している音のニュアンスや強弱に対しても敏感にチェックができるという点では、曲を仕上げる際に、よりデリケートな部分にまで意識が行き届くという面があるように思います。

《タッチ》
もちろんタッチは理想的とはいえませんが、慣れてくるとそれほど不満にも感じなくなるし、音もよく聴けて、丁寧な練習をするにはアップライトというのは思ったより有効なものだと思うのです。
とくに繊細なタッチコントロールがグランドより難しいため、アップライトであえてそこを練習することは、より精度の高い練習にもなり、悪いばかりではないと感じます。

《気分》
心理的なことをいうと、グランドの場合、奥に向かって広がる空間が寒々しく虚しく感じることがあるのに対して、アップライトでは床から頭のあたりまで縦にピアノで、そのすぐ向こうは壁なので、これが妙な安心感と落ち着きを覚えます。
感覚は個人差もあるとは思いますが、グランドの下の空間なんて、考えてみればちょっと不気味で、冬とかは必ずしもいい感じはしません。

また、弾く気まんまんのときはともかく、はじめの譜読みや、フィンガリングを決めて練習を重ねていく段階では、個人的にはアップライトのほうが環境的にじっくり取り組めるし、こじんまりした楽しさがあって、これってけっこう大事なことではないかと思うのです。

もちろんこれはマロニエ君のように趣味でとろとろと弾いて楽しむ場合の話であって、プロのピアニストやコンクールを目指すような方はアスリート的勝負の要素もかなりあるから、そんな甘っちょろいことを言ったり思ったりしているヒマはないでしょうけれど…。

《音》
音は個々のピアノによって千差万別なので一概には言えませんが、これだけは言っておきたいこととして、一般に思われているほどグランドがどれもこれも素晴らしくてアップライトを凌駕しているわけではないということ。
とくに小型グランドでは低音の巻線部分などはかなり情けない音しか出ないものはたくさんあるし、それに比べてもはるかに大人びたキザな低音を出すアップライトもあるあたり、巷のイメージほどなにもかもグランドがエライわけではないし、場合によってはアップライトが勝っているところもあるので、そこは正しい認識と冷静な判断が必要だろうと思います。

それに誤解を恐れずにいうと、ピアノの練習はいつもいつも弾きやすい素晴らしい楽器でばかりやるのが、すべての面で効果があるとは言い難い面もあるという事実。できる限りいろいろと楽器を変えて弾くほうがゆるぎないものがあり、いつも同じ部屋、同じ楽器でばかり弾いていると、場所やピアノが変わっただけで狼狽してしまうことがある。
ピアノを奏するというのは、非常にセンシティブな行為なので、楽器が変わってもすぐ対応できる柔軟性をもつことも非常に重要だと思います。

実際に使ってみると、アップライトもかなり魅力的な存在だということが身をもってわかりました。
大型高級車が常にいいわけではなく、日常生活のなかでは、取り回しの良い小型車がしっくりくる場面があるように、それぞれの得意分野があるというところでしょうか。

2018/11/13 Tue. 02:13 | trackback: 0 | comment: -- | edit

アップライトの魅力-1 

自室にシュベスターのアップライトピアノを置いてから2年近くになりますが、はじめの半年ほどは良くも悪くもその印象があれこれと変わりました。
それはアップライトピアノという機構に対してでもあったし、シュベスターというメーカーに対する評価でもあり、とにかくいろいろなことに感じるものや思うところがさまざまあって、それが定まるまで一定の慣れみたいなものが必要だったのかもしれません。
ピアノ自体もはじめはどこか不安定さがあり、調整なども何度も繰り返しましたが、今年になってからでしょうか、落ち着きが出てきて、それなりの艶やかさがでてきたようにも感じます。
そういう時間を経ながら、自分自身のピアノへの接し方も少し変わりました。

ピアノとしての機能とか楽器としての潜在的な能力でいうとグランドのほうが優れているのは論をまたないことで、とくにアクション構造の違いからくるタッチについては、いまさらここで言うまでもないこと。
ほんらいピアノとはグランドのことであり、グランドのかたちで創り出され発展したものだから、こちらのほうが楽器として自然であるのはいうまでもなく、アップライトはそれを敢えて縦置きにした、いうなれば妥協の産物です。

しかし、自室という自由空間で普段からピアノに気軽に触れられるようになると、タッチはともかく、限られたスペースにともかくもピアノを置けるというのは、現実問題としては大きな魅力として実感しています。
しかもアップライトは単に設置に要するスペースが小さいというだけでなく、壁に寄せて、見るからにきれいに収まるというのも魅力だといえるでしょう。
グランドはそれなりのスペースがあればもちろんこれに勝るものはないけれども、単に部屋に収める物体としてはやはり大きく、おまけにカタチも特種で、ふたつの直線とS字カーブをもつ変則的な形状であるため、これを落ち着きある感じに収めるのは至難の技。

加えて、鍵盤のある手前側は演奏するだけでなく、整調や整音で鍵盤からアクション一式が無理なく出し入れできるだけの余地を残しておく必要があり、そのためには鍵盤から手前に1m近い空間を取られることもあり、どうしてもグランドを置くとなると、部屋の景色はピアノ中心ということになるのは避けられません。

さらに3本の足の間には中途半端な空間が残りますが、ここは美観の点でも響きのためにも、できることならなにも置かずに空けておくほうが望ましく、その点では大屋根の上も同様。
上下いずれも使いみちのない空間の生まれることもグランドの場合は避けられない。

その点ではアップライトは配置する上でのムダや割り切れなさがなく、すっきりカチッと収まるべきところに収まるという点では精神衛生上も大変よろしいことを日々実感します。

見た目に対する印象も、時間とともにずいぶん変わりました。
以前のグランドを見慣れた目では、ただの四角い箱から鍵盤が飛び出しているだけで、なんと無粋なものかと思うばかりでしたが、毎日一緒にすごしているとだんだんに良さが見えるようになり、愛着さえわいてくるのですから人の感覚なんて勝手なものです。
部屋全体として眺めると、これはこれでとても好ましく、見方によってはグランドがいかにも無遠慮な感じでデンと鎮座する姿より、よほど節度と慎みがあって、雰囲気もよろしいことが最近になってわかるようになりました。

グランドに対してアップライトはすべてが劣り、妥協の産物という偏見と思い込みやがあったのだと今は思えますし、それを取り去るにはかなり時間もかかったと思いますが、そのかいあってアップライトも大いに興味の対象になりました。
もちろん楽器単体でみればグランドの優位性が揺らぐことはないけれど、日常生活という現実の中で、限られたスペースその他に折り合いをつけながらピアノに親しむためには、アップライトというのはかなり優れたものではないかと思うこの頃です。

適切な使い分けができれば、それぞれが最高の役割を使い手にもたらすわけで、何にしても決めつけはいけませんね。
アップライトピアノは、インテリアとしてもなかなか素敵な存在ですが、そのためにはダサいカバーや椅子などでぶち壊しになることもありますので、細かい点が意外に要注意ですが…。

2018/11/08 Thu. 02:27 | trackback: 0 | comment: -- | edit

月の光 

今年はドビュッシーの没後100年ということで、なんとはなしに彼の名前や音楽を耳にする機会が多いような気がします。

話は繋がらないようですが、いつだったか古本店に行った折、期待もせず楽譜コーナーを見たら、たまたまピアノ名曲選というようなものがあり、内容はほとんど楽譜としては持っている曲ばかりでしたが、ふだん思いもかけないようなセレクトで40曲ぐらい一冊に集められているところが面白そうでした。
しかもほとんど使用感もなくきれいで、価格はなんと200円ほどだったので試しに買ってみました。

マロニエ君は自分のつまらぬこだわりがあって、この手の名曲選・名曲集のたぐいはほとんど持っていません。
欲しい楽譜を買うときは、その作曲家の普通の楽譜を買うので、たった1曲のためでも必ずその全曲譜を買うのが流儀で、そうやっていると長年のあいだに自然にあらかたのものは揃ってしまいます。

この名曲選でおもしろかったのは、いろいろな作曲家の曲が詰め合わせみたいになっていて、普段の自分からは思いつかないような曲にぽろっと出会うことができ、たまにはこういう楽譜も面白いなぁと思いました。

そこでドビュッシーですが、「月の光」とか「亜麻色の髪の乙女」「レントよりも遅く」とか「夢」で、今わざわざ楽譜を取り出そうとは思わないものでも、パッと目の前にあれば、自分の指でちょっと弾いてみようか…というチャンスになるんですね。

ちょっと触ってみて感じたことは、ドビュッシーというのは緻密に仕上げられたショパンなどとはまた違った考察と注意が必要で、音楽以外の幅広いセンスまで要求する作曲家だとあらためて思いました。
とりわけ音色や間の選び方には、ドビュッシー独特のものが必要。

例えば有名な「月の光」でいうと、これを弾く人は、まずこれがフランス音楽であること、しかも「月の光」というタイトルにはどこか日本人も好む静謐な世界を想起させられ、そういう雰囲気を込められた演奏が目立ちます。
とくにドビュッシーというと印象派などという言葉がちらつくのか、モネの絵のようにやけにフワフワと淡い調子で弾こうとする人がいますが、それを重視するあまり、とくに開始から10数小節までの音符の刻みが非常に曖昧となる演奏が目立ちます。

「月の光」は拍子や小節の区切りが感じにくいぶん、裏できちっと拍を守ることが求められ、しかも表向きはそれをいささかも感じさせることなくドビュッシーのニュアンスを描き出すことは、かなり難しい作品だと思いました。
そのためか、多くはリズムの歪んだ恣意的なディテールばかりが目立つ演奏が横行しています。

ピアニストでも、これを真の意味での正しい姿で、しかも微妙なニュアンスを含ませながら、最終的には楽譜など存在しないかのように弾ける人は非常に少ないのではないかと思います。

音数もさほど多いわけでもなく、やり直しの効かない確かな筆致と、あちこちに広がる空白を意味あるものとして聴かせなくてはならない至難な作品。
そうなると、ただ譜読みが得意で指がまわるだけで弾ける曲ではないということになり、ショパンのノクターンop.9-2のように、この超有名曲を真に美しく、鑑賞に堪えるように新鮮さをもって奏するのは、容易なことではないと思いました。
私見ですが、「月の光」は温かい演奏ではダメ、かといって冷たい演奏でもダメ、表情過多でもダメ、でも無表情でももちろんダメ。その間隙を抜群のセンスですり抜けるような演奏でないといけない。
腕の立つ人なら「喜びの島」でも弾いておいたほうが、よほど安全でしょう。

プロのピアニストでも、この簡単な「月の光」を聴けば、その人の音楽的な思慮、美意識、センス、性格や官能性までもが露わになってしまうような気がします。

2018/11/03 Sat. 02:48 | trackback: 0 | comment: -- | edit

いやはや… 

某日某所、あるピアノのコンサートに行ったのですが、その会場のピアノがあまりに冴えないもので、いまどきこういうこともあるのかとびっくりしました。

そこは多目的スペースなどではなく、プロの音楽家のための施設であるし、ピアノも世界的ブランドのコンサートグランドであるだけに、その驚きたるやいやが上にも大きなものになります。

あれではピアニストも思い通りの演奏はできなかったと思うし、聴かされる側にとっても、およそピアノの音や響きを楽しむという期待からかけ離れたものになりました。
作品の素晴らしさ、演奏の魅力、コンサート会場で生演奏につつまれる喜び、そういうなにもかもがピアノによって多くが堰き止められてしまったようで、欲求不満と不快感ばかりが募りました。

良い音楽を我々聴衆側が受け取るのは、優れた演奏はもちろん、楽器という媒介あってこそであり、そのためにはまず一定水準をもった楽器の音が聴こえてくるという基本が満たされない限り伝わりようもないし、それが阻害されるということは、それだけでかなり精神的に疲労してしまうものだというのがよくわかりました。

なによりも気の毒なのは、本番へ向けて準備をし、練習を重ね、全力を賭して当日を迎えてステージに立つピアニストであって、そのすべてを託すべきピアノに問題ありでは、なんと報われないことかと胸が痛みました。
こんなことならメーカーは何でもいいから、まともなピアノを弾かれたらずいぶん違っていただろうと思うと、ただただ気の毒というか残念でした。

休憩時間には、すぐ近くにおられた知り合いの方が「ぼくの耳がおかしいのかもしれないけれど、この会場とピアノがどうも合っていない気がする…」と言われました。
きっと、多くの人が違和感を持たれたことだろうと思います。

どういうピアノかというか、まず単純にピアノがまるで鳴らない。
音はうるおいなく痩せこけ、普通に弾いてもショボショボしているし、fやffになると音が割れて、ペチャンとした衝撃音になるだけ。
ピアノの音の美しさはもとより、本来あるべきパワーも響きもまったく失われていました。

ある人は「あそこのピアノは古い感じがした」となどといっているらしいのですが、それほど古いピアノでもなく、適切な調整と管理がされていれば十分に現役として通用する筈の、本来は立派なピアノ。
いずれにしろ、みんながなにかしら違和感を持っているようです。

休憩時間によく知る調律師さんに会ったので、思わずややトーンを落として「あのピアノ…」と言いかけたところ、その方はこちらの言いたいことを十分以上に察しておられるようで、ゆっくり頷いて、その表情が異様なほどの笑顔になりました。
あれこれの言葉より、その無言の笑顔がすべてを語っていました。

ピアノの業界も、いろんなことが渦巻くデリケートな世界というのはそれとなく知っていますが、どのような理由があるにせよ、その結果として迷惑を被っているのは演奏者であり聴衆なのですから、こんな状況はとても納得できません。
ピアノが泣いています。

2018/10/30 Tue. 02:23 | trackback: 0 | comment: -- | edit